バイト先の休憩室にて
しかしそうなると、同じシフトの日は駅までの短い時間とはいえ、瑠菜と二人で帰っていた訳だ。全然好みとは違う瑠菜とどうやって親密になっていったのか、大きなヒントになった。
先輩に脈がないと分かって落ち込んでいる時に、クラスどころか年代単位でトップクラスの美少女と一緒に帰るようなイベントを重ねていたら……コロッと靡いてしまっても致し方ない気がする。こうして休憩室で二人きりでいるだけでも意識しまくるくらい、綺麗な顔をしているし。
今日もキツめのメイクを施した横顔をついまじまじと見ていると、不意に瑠菜が立ち上がった。思わずビクッとなって盗塁しようとしているランナーみたいなポーズになるが、瑠菜は俺に構わずテーブルに置いていたリボンタイを手に取り、制服のシャツのボタンを留めてからタイを結びつける。ただそれだけなのに、なんかモデルが控え室で準備しているみたいな特別感があった。
壁に備え付けの鏡を見ながらタイと髪のセットをする瑠菜の姿に、ドキドキするのがなんだか悔しくなって、
「……親切心で言ってやるけど、あんまだらしない格好しない方がいいぞ。妙な気を起こすヤツもいるだろうからな」
余計なお世話だとは思いつつ、そんなことを言ってしまう。でも、ちょっと冷静になってみると、悪くない発言かもだ。小うるさくてうざったい男なんて、普通ならまず嫌われる。
……と、身嗜みを整えた瑠菜が鋭い目でこっちを睨み、俺の後ろを通り過ぎ様に肩の辺りをグーで叩いてきた。女の子っぽい殴り方だけど、しっかり痛い。
「……な、なんだよ?」
そこまで怒るとは予想外で動揺を隠せず言うと、休憩室から出るべくドアを開けようとしていた瑠菜は動きを止めて、
「……むかつく。ちゃんと相手は選ぶに決まってるでしょ」
振り向かないままそう言うと、休憩室から出て行った。
取り残される形になった俺は、言葉の意味を理解するのにしばらくかかり……周回遅れでようやく分かって、テーブルに突っ伏した。
「えぇー………………あいつ、なんか可愛くない……?」
予想外すぎて、いなくなった後なのにドキドキが収まらない。あんなクール系が特別感出してくるって、そんなの反則だろうに……!
意外な一面にやられかけ、深呼吸しても動悸と顔の火照りが引かず、平静を装えるまで少し時間が掛かり。
俺は休憩時間をオーバーして、危うくオーナーパティシエから制裁の頭突きを食らうところだった。
「…………」
「…………」
バイトが終わって駅までの帰り道。先に着替え終わっていた俺は店の裏口を出たところでしばらく待って、五分ちょい遅れて出て来た瑠菜と一緒に歩いていた。
全然慣れていない道なので、暗くなると駅がどっちか分からない。それもあって、どちらかというと瑠菜に先導して貰う形で横並びに歩く。
瑠菜に訊きたいことは山程あるけど、あんまり親しげにすると妙な期待を持たせることになって良くない。あくまでも俺は先輩に告白して付き合いたい訳だし。
なのでこっちから積極的に話し掛けないようにしようと思っていたのだが……
「……………………」
「……………………」
見事なまでに沈黙が続いて、居たたまれない。クールな印象通り、店から出て来た時に「お待たせ。行こ」と言ってから無駄話は一切無しだ。
こうなると『ちょっとくらい話し掛けてくれればいいのに』と勝手なことを思ってしまう。我ながら堪え性がなさすぎる。
それに……喋らずにいると、無意識に隣を歩く瑠菜の横顔を見てしまっていた。たまに外灯の明かりで照らされると、別世界の人間に思えるくらい綺麗で、本当にどうして俺が付き合うことになったのか全然分からない。
……と、ちらりとこっちを見た瑠菜とバチッと目が合う。
「さっきから、何? 言いたいことがあるなら言えば?」
平坦な声音だけど、明らかに不機嫌そうな物言いだ。これが暫定彼女の発言じゃなければ『何でもないっす』と即答して以後は前しか見られない生き物になり果てるしかなかった。
とはいえ誤魔化すのも不自然だし、正直に見とれかけていたと答えるのはもっとない。穏便に別れて欲しいのに口説いてどうする。
どうしたもんかと気まずくなって視線を落とし……ふと視界に入ったのは、瑠菜の制服だった。
「……この前も着てたけど、瑠菜ってあの詠慧高校に通ってるんだな」
「そうだけど。似合わないって言いたい訳?」
むっとした目で睨んで来る瑠菜に、俺は「いんや」と首を横に振る。
「あそこってバリバリの私立進学校って聞いてたから、頭良いんだな。瑠菜には似合うけど、その髪とメイクだとめっさ浮きそうだと思って」
別に咄嗟の言い訳じゃなくて、ちょい地味だけど気品を感じさせる制服が不思議と似合っていた。
眉間にやや皺を寄せてこっちを睨み付けていた瑠菜は、怒ったような表情のまま前を向き、
「……別に。中学から通ってるけど、そもそも友達なんていないし。浮いていようがいまいが関係ない」
「マジか。凄いなお前、どういうメンタルだとそんな風に思えるんだよ……俺なら絶対つまんなくて、学校サボるかまだ見ぬ仲間を作りに動くかの二択になるわ……」
「……あなた、学校に何しに行ってる訳?」
「ぶっちゃけると勉強しに行ってはいないな。今の高校選んだのは先輩を追っかけてだし、大学行くとしたらまだ就職はしたくないかなー、って思うからだし。だから話せる相手がいないと厳しいわ」
俺に限らず、クラスの半分くらいはそんな感じだと思う。テストとか部活の大会とか目の前の目標はあっても、将来の目標を掲げてそこに突き進んでいる奴なんて殆どいない。
漠然と『いい大学に行って高給そうな職に就く』のを目標にしているのは友達にいるけども、あとはトリマーとか学校の先生とか数ヶ月毎に将来の夢が変わる奴とか、秘めて教えてくれない奴とか。
そもそも俺が今の高校に入れたのは先輩がいたからだ。公式と英語の羅列に縛られる悪夢に魘されながらも諦めずに頑張れたのは、先輩と同じ高校に行きたかったからで、他に理由なんてない。
だから県内でも指折りの進学校に通っている瑠菜は純粋に凄いと思うし、その上でバイトもしているんだから軽く尊敬しそうになる。
でも、ちょっと気になるのは、
「詠慧ってバイトしてもいいんだっけ? うちの中学から高校受験で入った奴はバイト禁止って言ってた気がするけど」
「成績優秀者に限り許可されているの。髪を染めるのも、制服を改造するのも。モチベーションが高まるのならそれくらい安いものだって判断でしょうね」
「なるほどなー………………ん? てことは、瑠菜ってあの学校の中でもかなり頭良い方ってことか……!?」
「テストの点がいいだけ。それだって毎日勉強しても三位以内には入れないし」
「…………何その高次元の争い……俺なんて下から数えた方が確実に早いぞ? 科目によっては学年ワーストの可能性まであるんだぞ?」
「知ってる。一年最後の期末とこないだの中間、試験勉強に付き合わされたし。しかも私が教えたっていうのに平均以下とか、信じらんない」
生憎と教わったのは俺じゃないから、愚痴られても困る。ただし平均どころか赤点ギリギリだったので、その世界の俺はこのかしこギャルに心行くまで感謝すべき。
……にしても。勉強を教えて貰っていた、ときた。告白して付き合いだしたのは世界変蝕の起こる前日だったらしいから、付き合う前からそれなりに仲良くやっていたみたいだ。
同じバイト先で少しずつ距離を縮めていったんだろうけど、告白に至ったのはやっぱり謎だ。それを受けてくれたのも謎だし、別れてくれないのも良く分からない……
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