妹、奔る。
「ちょぉおおぃっ?! 何やってんの何でそうなるの!?」
「ふふ、決まっているでしょう? お邪魔虫が消えたんです、やることは一つだけですよ」
「さっき瑠菜に釘刺されたばっかじゃん! だっ、ま、待てっ、寄って来るな、そして早急に色々と隠せ!」
「みぃも『機会を窺う』ってちゃんと言いましたよ? ふふ、負け犬の遠吠えなんて後でいくらでも聞いてあげます。大事なのは兄さんのハートをしっかり仕留めることですもの」
「仕留めるのかよ?! そういう時って射止めるって言わない!?」
「体の関係から心の方も雁字搦めにするつもりなので、射貫くようなあっさり感で済ませる気ないですもん。ぐずぐずのずぶずぶになるまでどっぷりみぃに嵌まって下さいね……?」
なんか怖いことを言いながら微笑んでにじり寄ってくる未依那というモンスターに、気が付けば部屋の隅に追いやられていた。机とベッドが邪魔で、逃げ場がない。
ヤバいとは薄々感じていたが、この妹ガチ勢すぎる。全裸なのが流石に恥ずかしいのかそれとも興奮しているのかちょっと顔を赤らめているけど、仕留める気満々で怯む様子はこれっぽっちもない。
裸の女の子を前にエロい気持ち以上に恐怖が湧くとか、こんな体験したくなかった……!
「さあ、兄さん。まだみぃを妹として見られないかもしれないですけど、その前に女として強烈に意識して貰いますよ?」
「ま、待てっ! 話せば分かる!」
「百の言葉を交わすよりも体を重ねた方が手っ取り早いと、この間読んだ少女漫画に書いてありました。昔の恋を忘れるのにも効果的です。みぃの体で兄さんの恋心を上書きしてあげますからね?」
「中学生にしてはませすぎだろっ?! 最近の女子中学生はあれか、漫画で学ぶ昼ドラ的性教育でも流行ってるのか!?」
「女の子はいつの時代も打算で愛を勝ち取るんです。今みたいに」
男の子の夢をぶっ壊すようなことを言って、未依那は両手を広げる。
細い腕で、あれならなりふり構わず強行突破は出来る……はずなのに、動けない。同年代の女子の裸を生で見るのなんて初めてだし、あれを押しのけるってことは触らなきゃならないわけで、刺激が強すぎだ。
せめてもの救いは、流石に狂気の行動に出た妹もそれなりに羞恥心はあるらしく内股気味にそろそろと近付いてくることで……やっぱ訂正、全然救いになってない。
微妙に恥じらう姿が滅茶苦茶エロく見えて、なんというか……こっちも止むを得ない事情で動けなくなってきた……!
その微妙な変化を目敏く見つけたのか未依那は視線を下げて、
「ふふ、口では嫌がっていても兄さんもその気になってますね?」
「それ女の子が言うセリフじゃないからな!?」
「全く反応してくれなかったらみぃも自信喪失するところでした。まだ未成熟な体ですけど、手ずから兄さん好みに育ててくれていいんですよ?」
「だあぁっ、意味ありげに胸を触るな舌なめずりもするなっ!? つーか俺の好みはもっと甘やかす感じで受け入れてくれるタイプだし!」
「でも、えっちな女の子も好きですよね? 兄さんの見ていた動画にそんな感じのタイトルも多くありましたよ?」
「……好きだけど! 何で中学生の妹にエロ動画チェックされてんだよ俺ぇ!?」
ここは『そういうの嫌いなんだ』と言うべき場面かもしれないが、自分に嘘は吐けない。それに絶対信じて貰えないだろうし。えっちな女の子が嫌いな男子高校生なんてこの世に存在しないってレベルで皆大好きだもの。
確かに、こんな美味しいシチュエーション、普通ならまず有り得ない。俺が第三者の立場でこれを見ていたら『ヤっちゃう以外の選択肢ないだろ』って思う。手を出さない方が不健全とさえ言いかねない。
けど、今の俺は先輩への告白を心に決めていて、そんな状況で他の子に手を出すなんて、そっちの方が全然有り得ない。ここでヤっちゃってから告白とか、アホか。どの口で『ずっと好きでした!』って言うつもりだよ。
だからいくら極上の据え膳でも戴いちゃおうなんてつもりはない……のに、押しのけて拒否するだけの鋼の精神でもなかった。俺の軟弱なスケベ心が、可愛い女の子が裸で迫ってくる状況を拒絶しきれない。
それを見透かしているのか未依那はゆっくりと近付いてきて、敢えて俺の方から手を出させようとしているみたいだった。据え膳さんは『食べるのはあくまでそちらの意思でだよ?』と言わんばかりで、物理的な意味だけでなく退路を断ちにきている。
手を出すつもりはなくて、でも緊張と興奮で動けなくて、気が付けば視界の半分以上が未依那の顔で埋まるくらい接近されていた。
至近距離で見る未依那はアイドル級の可愛さで、潤んだ目と上気して赤らんだ肌がめっさ艶っぽい。たぶん百五十センチもない小柄な体躯なのに、中学生とは思えない色気があるのはどういうことなのか。
逃げろと訴える理性といっちゃえヤっちゃえと鼻息荒い煩悩が、がっぷり四つで金縛り状態になる。
動けない俺に、未依那が両手を伸ばしてきた。そして肩を押さえるようにして背伸びをし、
「ほら、キスしちゃいますよ? こっちの兄さんもファーストキスですよね?」
「んなっ……ま、待て、マジで洒落にならんって……!」
「その反応で十分です。これでみぃが初めての相手に……」
どこかうっとりとした目で呟くと、さらに顔を近付けてきて――脳裏に過ぎったのは先輩の顔だった。
「っ……!?」
その瞬間、金縛りが解ける。もう唇が触れそうになるギリギリだったから、バッと弾かれたように頭を後ろにやって――
後ろが壁なのを完全に忘れてて、思いっきり後頭部を打ち付けた。
「ぅごあっ?!」
「きゃんっ!?」
……しかも勢いが良すぎて、跳ね返りで未依那に頭突きをかます形になった。
後ろと前に立て続けに衝撃がきて頭が割れそうに痛い。マジで涙が出そうだ。
「いっだぁあああ…………わ、悪い、大丈夫か……?」
自分がこれだけ痛いってことは未依那も相当痛かったんじゃないかと、目の奥がチカチカする中で妹を気遣おうとした俺は、額を押さえて膝を着く妹の姿を見た。
――そしてその向こう側にある部屋の入り口に立つ、両親の姿も。
「…………………………はい終わった」
何が、なんて説明不要。色んな意味で終了してしまった。
もう四十代半ばなのに派手な茶髪に染めている重ね着したティーシャツにダメージジーンズというもうちょい落ち着けよと言いたくなる格好なのが、俺の母親だ。そして隣で見てはいけないものを見てしまった感のある青ざめた顔をした優しそうなおっさんが、たぶん未依那の父親だろう。やはりこの世界では再婚しているみたいだった。
……まあ、そんなことどうでもいいんだけど。肝心なのは、母親がブチ切れ笑顔になっていることだ。
「……世界が変わったってのに二人揃って全然連絡つかないから、泊まりの予定を止めて帰ってみればさぁ。馬鹿息子、あんた何やらかしてんの?」
「…………い、いや、何って……見ての通り、むしろ俺はやられている側で……」
やや声を震わせながらの訴えに、親父さんの方は「ああ、やっぱり……」と呟く。どうやら娘の気質は理解しているっぽい。
けど俺の母親の方は獰猛な笑顔を崩さずに、
「――選びな。一分で説明してわたしを納得させるか、何も言わずに己の非を認めて一発殴られるか」
「……説明で納得しなかった場合は?」
「決まってるでしょ。死ななければいいかなくらいの気持ちでボコる」
「…………」
親子だから分かる。この母親はマジでやる。入院ほぼ確定コースで全身バッキバキにやられても全然不思議じゃない。
けど、一方的に迫られただけなのに、これっぽっちもない非を認めるなんて出来るはずがない……!
不当な圧力に屈してはならないと、俺は部屋に入ってきた母親の前へと進み出て、堂々と胸を張り、
「俺は全然悪くないから謝らない! けど説得出来る自信もないから、怪我しない程度にやってくださいお願いします!」
言って、正座スタイルで自ら頭を差し出す。あくまでも妥協案をこっちから提示しただけだから。屈従でも敗北でもないから。
それにこの潔さを意気に感じて、流石の母も暴君っぷりを納めてくれるかもしれないし……
「なるほどね。愚息にしては殊勝な心がけだわ」
「おっ? それはつまり……?」
「ええ。お望み通り、ぶっ倒れる程度で済ませてあげるわ」
全然駄目だった。やはり全裸の妹とのツーショットを見られた時点で終了だったっぽい。
「あの、お母さん? これはみぃが……」
「いいのいいの、みーちゃんからは後でゆっくり話を聞くからね? ――愚息が減らず口を利けなくなってから」
不穏すぎる言葉と素人でも分かる殺気を浴びた直後、脳天に落石でもあったのかってくらいの衝撃が襲いかかり。
痛いと思った瞬間には、俺の意識はするりと抜け落ちていった。
◇ ◆
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