一面木々と草が生えている。初々しい若葉が生えた木、枝と葉の間から照らされる太陽を浴びようと木々に絡みつく蔓。地面から上へ上へと伸びてゆく野草。木々から育った木の実を収穫し食す小さな動物たちの鳴き声、風でこすれあう葉の音が聞こえ、人々が安らぎを求めるためにやってくるような場所だった。
平穏が破られたのは突然だった。
上空から大きなものが降ってきたのだ。それは枝をへし折り、重力に従って地面へ落ちて行った。枝が折れる音に驚いた小動物が甲高い鳴き声をあげ、その場から散って行った。
「い……、ってぇ!」
上空から降ってきたのは黒髪の少年だった。
暗い赤色の襟の立った綿製のシャツは鎖骨が見えるまで大きく開かれ、その中に襟ぐりのない白い下着を着ていた。厚みのある藍色の塗料で染めたズボンを履き、靴は足を覆う上層部を合皮、底の部分を弾力性がある素材で覆っているものを履いていた。
少年は体中に走った痛みを「いってぇ」と叫ぶことで和らげながら地面に手をついて上身を起こし、ひざを曲げて近くの木の幹を支えにして立ち上がった。
「うっ」
地面に体を打ち付けた痛みが全身に伝わった後、体が浮いている感覚がした。空から降ってきたせいか、足場がぐらぐらと揺れているように感じる。
少年はひざから崩れ落ちた。瞼を閉じ、気分を良くするために視界を遮った。しかし、快方へ向く事はなく、少年は胃の中の物を吐き出した。
「はぁ、はぁ」
吐き出した後、少年は荒い呼吸をした。
吸って吐いて、吸って吐いて。呼吸が落ち着いたところで瞼を開いた。
茶色の瞳には自身の胃液が映った。
(そういや、まだ昼飯食べてねぇ)
吐き出してからまだ昼食を食べていないことを思い出した。胃液しか出なかったことから、朝食は消化されたようだ。
「どこだ、ここ……」
胃液を吐き出したことで気持ち悪さが無くなり、少年は自分が落ちた地点を見渡し、観察した。彼の眼には雑草や木々が生えた森が映る。
「俺、なんでここにいんだ?」
息を深く吐いたのち、額に手を当て、首を降った。その際にくせ毛と頭頂部にある触角のような髪が首を振る方向に合わせて揺れる。
「あー、気持ちわり。体もいってぇしよ、最悪だぜ」
ぶつぶつ自分の体調について悪態をついた。
自分がいる場所が森であることを把握した少年は手を日差し避けにしながら木々の間から見える景色を覗いた。
雲が少ない空。天気は快晴だ。日は明るく天候は崩れない。知らない道を歩くにはいい天気だ。
「天気だけはいいなぁ」
少年は空を見上げながら、自分の置かれている状況と重ねてぼやいた。天気はいいが、自分が置かれている状況は最悪だ。何故知らない森へ落ちてきたのか考える前に自分がやることがある。
「……まずは飯だぁぁぁ」
少年は人気の無い森で、自分の欲求をありのままに叫んだ。
「腹減った腹減ったはらへったぁぁぁ」
少年は空腹を訴えた。それだけで腹からグゥゥと音が鳴りだした。彼は食べ物を探す。狙いは果実だ。
雑草をかき分けながら進むと、外側が橙色でひし形の果実を見つけた。手の届く範囲に生えている。空腹の少年はその木の実をもぎ取り、シャツで皮の部分の汚れを軽く拭き取った後、がぶりついた。
一口。
口にして、咀嚼すること数秒。少年は顔をしかめその果実を吐き出した。
「にがっ、しぶっ」
果実の味を忘れようと咳込んだ。一つ失敗しても、次がある。次は口に合うものでありますようにと願いながら果実を探した。
次に少年が見つけたのはしずく型の赤い木の実だ。
「……」
最初の失敗もあってか、今度は慎重だった。一口で食べられるほど小さく、少年が知っている木の実に似ていた。それだけでは食べられると確証を持てなかった。少年はその果実を指先で潰した。少しの力を加えただけで果実は潰れ、果汁が指先に滴る。
「んー、食べれっかなぁ……」
まずは匂いを嗅ぐ。臭みも香りもない。嗅覚ではこの果実は食べられる。
最後はこの果汁を舐めるだけ。食べられるのなら頭上になっている木の実を根こそぎもぎ取る。ひし形の果物のように食べられないなら空腹のまま他の木の実を探す。
「……」
ひし形の果物は渋く食べられたものではなかった。もしかしたらこの果物もそういう味なのではないかという先入観があり躊躇してしまう。自分の指とにらみ合いを続けていても腹が減るばかり。もう、この木の実が食べられるか食べられないか決めてしまおう。
ペロッ
意を決して指を舐めた。口を閉じて果汁を味わう。味が分かるまで彼は顔をしかめていた。
「…甘い」
舐めた結果甘味を感じた。食感も軽く指で潰せたので噛みきれる柔らかさ。
「よっしゃっ、食える」
このしずく型の木の実は食べられると判断した後の行動は早かった。手の届く範囲に生えているものはすべてもぎ取り口の中へ放り込んだ。中には酸っぱいものもあり眉をしかめる場面もあったが、食べられる範囲の味だった。
手に届く範囲にあったしずく型の木の実はあっという間になくなり、ヘタが少年の足元に散乱していた。それらを食べた少年の空腹は紛れ、腹の音が鳴ることは夜までなさそうだ。
「腹はもうだいじょぶそうだし……」
森を抜けよう、人を探そうという意欲が出てきた。どこに行っても同じような木々と雑草が生えており、人が通ったような道はない。
「闇雲に歩いても迷うな。ここはこれで道を決めるとするかぁ」
けもの道が見つけられない少年は、杖にするのに丁度よい腰ほどの高さがある太い木の棒を拾い先端を地に付けた。木の棒を地面に垂直に置き安定したところで、支えていた手を離した。支えを失った木の棒は地面に倒れた。それは少年から見て東の方向を指した。
「あっちだな」
木の棒が向いたほうを見る。どの方向も同じく、けもの道のない森の中なのだから運に頼るしかない。空を見上げる限り日が暮れるまで時間はある。それまではがむしゃらに人に出会えることを信じて歩こう。
少年は草をかき分け木の棒が導いた方向へ一直線に道を切り開いた。拾った木の棒は杖として使っている。
ガサガサッ
歩いていると、少年は草をかき分けて歩いている物音を聞いた。今まで見かけてきた小動物や昆虫などとは違う。自分と同じく草をかき分けている。
もしかして、人?
森の中に放り投げられた少年にとって、その物音は希望だった。人が森の中にいるかもしれない、その人に会えば森の外へ出られる。この機会は逃がしたくない。少年はその物音の方向へ走った。
「おっとぉっ」
夢中で走っていたため、木の根に足を引っ掛け、前から飛び込むように転んだ。幸い目の前に尖ったものや固いものはなく、先に進むことに支障はない。足のひざを軽く擦りむいただけで済んだ。
「くっそ……、今日は落ちるし転ぶしついてねぇ」
起き上がるために顔を上げた。
「な……」
少年の前方に黒い鬣たてがみを生やした中型犬ぐらいの大きさの動物がいた。
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