「ラヴァさん! 聞こえていたら返事をしてくださいね! 痛かったら言ってください!」
呼びかけを継続しつつ、まずはアッシュブロンドの髪に覆われた頭を両手で抱え、顎を上げさせて気道を確保します。
首だけで振り返り、屋上へ向かって叫びました。
「――ジュリア看護長! 担架をここに! 集中治療室へ!」
すぐにラヴァさんへ視線を戻し、続けて状態の確認。
目は閉じたまま。呼びかけに応えない。頬を強く叩いても反応が無い。
首筋に指を当てる。浅く短い呼吸。循環液圧の低下は無し。頻脈。相当量の出血。わたしの胸や腹は循環液で濡れていない。銃弾は貫通していない。
看護網絡へ、要請と確認事項を飛ばします。宛先は全員。返事など確認している余裕はありません。
ハーロウ:個体識別名称サクラバの損傷を確認! 銃撃を受けました!
ハーロウ:セイカ先生に緊急手術の要請を出してください! 閉鎖病棟の集中治療室へ!
ハーロウ:第三層のメスキューは循環輸液を閉鎖病棟の集中治療室に運搬してください!
ハーロウ:循環液圧は一〇三の七一、脈拍は二一五、頻脈!
ハーロウ:呼吸あり、ただし頻呼吸!
ハーロウ:複数の射創による外傷性ショックと判断します!
ハーロウ:射入口は胴体背部に四箇所! 射出口は確認できず!
ハーロウ:GCSはE1・V1・M1=3! 全く反応ありません!
ハーロウ:以上、可及的速やかに!
一連のログを、一秒足らずのうちに看護網絡へと流しました。
少しでも循環液の流出を食い止めなければ。
わたしは看護服のポケットから滅菌メスを取り、すぐさま封を切りました。ラヴァさんが着用している厚手の衣服を切り裂くと、赤黒い循環液溜まりが盛り上がりました。傷口を左の指先で探り当てます。滅菌メスを捨てた右手で滅菌ガーゼを取り、封を切って、銃創へと乱暴にねじ込みます。
感染症を心配しなくていいため、人形の応急手当てはヒトに比べれば簡便です。とはいえ、一分一秒を争う事態であることに変わりはありません。特に循環液の喪失が著しい。
四つの銃創へ滅菌ガーゼをねじ込み、担架はまだかと顔を上げたとき。
呆然と立ち尽くしている、青十字の戦闘員たちが目に入りました。
転瞬、お腹から頭のてっぺんへ猛然と怒りが湧きました。わたしは自身で自覚できるほどに目を剥き、彼らを大音声で叱りつけました。
「あなたたち‼」
びくり、と青十字の戦闘員たちが硬直しました。
「ボサッと突っ立ってないで、わたしを手伝いなさい‼」
直後、めいめいが直方体の銃を地面へ置き、背嚢からファーストエイドキットを取り出しました。循環輸液のパックが次々とラヴァさんに繋がれ、彼ら自身がポールスタンドとなり、流出した循環液を補い始めました。
別段、支配権を行使したわけではありません。
叱りつけたのはわたしですが、どうして手伝ってくれるのかはわたしにも分かりません。
分かりませんが、今はどうでもいい。
立っているものは何でも使います。たとえそれが、つい数分前までこちらに銃口を向けていた相手だったとしても。
「待たせた!」
駆けつけたジュリア看護長が、折りたたみ式の担架をラヴァさんのそばへ展開しました。
わたしは手近な青十字の人形を二体、指差しました。
「そこのあなたとあなた。彼を担架に乗せて、集中治療室まで運んでください。他の方々は集中治療室まで輸液を継続してください」
物々しいいでたちの人形は、素直に指示に従ってくれました。ラヴァさんの巨体を担架へ乗せるときも、ラヴァさんに負担がかからないよう最小限の動きで済ませてくれました。慣れているかのような手際でした。
「こっちです!」
わたしが先頭に立ち、閉鎖病棟の集中治療室へと誘導します。搬送の最中、循環輸液のパックが空になると、代わりの人形が手際よく入れ替わって輸液パックを繋ぎ変えました。やはり、手慣れています。まるで看護人形のよう。
二重の強化ガラスの扉をくぐって閉鎖病棟へと入り、右手で廊下の壁をさっと撫でます。壁の色が塗り変わり、二枚のスイングドアが現れます。
ここが集中治療室。閉鎖病棟の患者さんへ不安感を与えないようにするため、普段はただの壁に偽装されています。
自動的にロックが外れたスイングドアをわたしとジュリア看護長とで蹴り開け、ラヴァさんを乗せた担架を招き入れます。
「うつ伏せで手術台へ乗せてください。輸液は切らさないで。スタンドポールはそこにあります」
大きな断ち切りバサミでラヴァさんの上着をじょきじょきと切り、取り去ります。
筋骨逞しい上体には、滅菌ガーゼを詰め込んでもなお赤黒い循環液を吹き出している、四つの射入口。左肩甲骨の下部と右側、および胸椎の両脇。頭部に一発も命中していないのは、狩猟人形たちがわたしの頭を狙っていたからでしょう。
「洗浄します。ジュリア看護長、器具出しと機械の準備をお願いします」
「はいよ任された」
手術に必要な器具・機械は何千種類とあります。経験豊富な看護人形でないと、適切な道具を選ぶことはできません。
わたしはわたしにできることを。集中治療室の壁に備え付けてあるシャワーホースを引き、わたしはラヴァさんの上体へ真水をかけて洗い流しました。ヒトの血液と同じく、人形の循環液も体外へ出ると凝固します。手術にあたって、邪魔になる要素は少しでも排除しなければ。
「あなたたちは輸液パックを全て置いて、閉鎖病棟の外で待機してください」
百体あまりの黒づくめの人形たちが、入れ替わり立ち替わりで集中治療室の片隅に輸液パックを積み上げ、ぞろぞろと集中治療室から出て行きました。こうも唯々諾々と従ってくれるのはとても不気味ですが、役に立つならそれでいい。
十分間ほど、わたしは洗浄と輸液パックの繋ぎ変えを交互に行いました。
ジュリア看護長はラヴァさんの周囲にずらりと手術用の器具を揃え、人工心肺、バイタルモニタ、その他諸々の機械をセットしていきます。
じきにセイカ先生が来ました。
「待たせたわね」
いつもは背に流している黒い長髪を後ろでお団子にまとめ、薄水色の手術着と帽子を被っていました。口にはマスク、手には薄手の手袋を着用しています。人形ではなく、医師の感染を防ぐための服装です。
隣には同じ格好のリットー先生。背丈は標準男性の標準程度、セイカ先生よりやや高め。禿頭でも、手術の際には帽子を被ります。
お二人の背後には、当院きってのベテラン看護人形が三体。
「執刀医は私。助手はリットー先生。随伴の看護人形はジュリア、レフ、アルブレット、スキナーよ」
わたしも随伴させてください、と言いたくなったところを、ぐっとこらえました。
「後は任せなさい。狸親父が他の看護人形と一緒に患者を見てる。レーシュン先生が体育館で待ってるわ。あの人がうちの最高責任者だからね」
「はい。分かりました」
セイカ先生はリットー先生と看護人形を伴って、速やかに集中治療室へ入りました。
わたしは大股で閉鎖病棟の出入り口を抜け、両脇に整然と立って待っていた黒づくめの人形たちへ声をかけました。
「青十字の皆さんはわたしについてきてください」
体育館へと足を向けました。ざっ、ざっ、と揃った足並みが、わたしに追従してきます。
無人の開放病棟の隣を黙って通り過ぎ、開け放たれた体育館の引き戸へと歩みを進めます。
バスケットボールのコートを一面取れるくらいの広さしかない体育館には、既に百体あまりの黒い人形たちが詰めかけていました。わたしたちが到着するのを見越してか、メラニーが連れてきた青十字の人形たちはきっちり前半分に詰めてスペースを確保してくれていました。
「あなたたちは後ろに並んでください」
言い渡して、わたしは体育館の壁沿いを回りました。メラニーとレーシュン先生がいるのであろう、奥の方へと向かいます。
不意に、金属の焦げる嫌な匂いが体育館全体に充満していると気づきました。彼らの衣服に染み付いた、メスキューくんを焼いた匂いです。
意識して背筋を伸ばし、気を引き締めます。
彼らは確かに、わたしたちの破壊と先生方の殺害を企んでいたのです。今でこそ、なぜかわたしたちの指示を従順に聞いてくれていますが。
体育館の奥、青十字の人形たちから少し離れた壁際に、メラニーとレーシュン先生がいました。メラニーは腕を組んで壁に寄りかかり、レーシュン先生はパイプ椅子に座って杖に両手を預けていました。
レーシュン先生が小さく頷き、促しました。
「始めな。年寄りが出しゃばって良いことは無い。私は必要な時に口を出す」
「はい」
メラニーへ視線を転じると、彼女は軽く顎を上げて「お前がやれ」と示しました。
あれから何が起きたのか、事情を一番よく知っているのはわたしです。
「毎度ですみませんが、メーイン。あなたが窓口になってください」
わたしが呼びかけると、整然と立つ黒づくめの人形たちの間を割って、ヘルメットを脱いだままのメーインが歩み出ました。
「ローカルで人形網絡を構築するのは、どうぞご自由に。共有して、合議して、判断してください。お互い、隠し事は無しでいきましょう」
「承知した」
わたしは細く長く息を吐いて、ゆっくりと吸い込みました。
ラヴァさんはきっと大丈夫。可能な限りの応急処置を施して、一等人形造形技師に引き渡したのですから。ツクバの才媛が、きっと直してくれるはず。
だから、落ち着いて。冷静に。
お腹にぐっと力を込めて、わたしは二百体あまりの人形たちへ向けて言葉を発しました。
「まずは、状況の整理から始めましょう。わたしたちも、あなた方も、当事者です。わたしたちの間に発生した摩擦を、一緒に解決しましょう」
そしてラヴァさんが目を覚ましたとき、言ってあげるのです。
あなたが得た解は、決して間違ってなどいなかったのですよ、と。
病院と兵隊は、暇な方がよいのですから。
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