人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

5-8「エピローグ」

公開日時: 2021年1月30日(土) 18:00
更新日時: 2021年12月15日(水) 15:31
文字数:5,963

 看護人形メラニーは、自分の胸と尻が大きいことを気にしている。


 全体的に女性らしさが強調されすぎている。背が低くて幼く見えるのに、胸と尻だけは大人びている。生みの親であるセイカいわく「趣味」とのことで、もはやどうしようもない。

 日常生活を送る中で一番困るのが服だ。ロングパンツでは太股のラインがぴったり表れてしまう。仕方ないのでメラニーが手ずからハーフパンツに仕立て直している。上衣も二サイズ大きなものを仕立て直し、アンダーとウェストを絞っている。

 同期のハーロウは『針金ハーロウ』のあだ名が付くほど細く、胸も尻も起伏に乏しい。もっとも、あだ名を付けたのはメラニーだが。ハーロウから『尻でかメラニー』とあだ名を付けられた意趣返しに、針金呼ばわりした。

 だが、尻の肉が厚いことで得することもある。硬い座面に座り続けても、ハーロウよりは長く我慢できる。


 だからメラニーは、アイリスの長い長い物語を、最後まで聞き届けることができた。


 がさがさと落ち葉を踏み、枝をかき分ける音が近づいてきた。

 じきに、ラヴァが樹木の後ろからひょっこりと顔を出した。


「あー、ちょっといいかな。もう昼過ぎだ。そろそろ誰か来る。というか、来てる」


 ラヴァは、遠ざかる時には音を立てていなかった。きっとわざと足音を立てて接近を知らせたのだ。彼はそういう気遣いをするタイプの人形だ。


「大丈夫です。さっき、終わりました」

「あれ。せっかくの化粧、落としたのかい」

「ラヴァさん、詰めが甘いって言われませんか」

「え、何だい急に……」


 アイリスがくすくすと笑い、戸惑ったラヴァは目を白黒させた。

 その隙に、メラニーはアイリスから受け取った封筒を看護服のポケットへと忍ばせた。

 と。


「ハァイホォ~~ォ~~~~ォ~~~~~~ゥ‼」


 遠吠えにも似た、裏返った素っ頓狂なアルトボイスが鼓膜に突き刺さった。いったいどれほど肺活量に持ち合わせがあるのか、延々とハミングした。偶然にも風が吹き、木々がざわめいた。あの声量であれば、敷地内の端から端まで届いただろう。

 止まり木の療養所において、脈絡もなくこんな馬鹿げた行動に出る人形は一体しかいない。


「ハイホー、ハイホー、さあ家にけえんべ」


 ぴゅうぴゅうと陽気な口笛のメロディを交えて、朗々と歌う声が近づいてきた。


「ハイホー、ハイホーハイホーハイホー、ハイホー、さあ家にけえんべ」


 いよいよトンチキぶりに磨きがかかってきた家政人形シルキー、エリザベスだった。澄まし顔でこれをやるのだから、行動と表情の落差でメラニーはいつも頭痛を覚える。

 歩道から脇に逸れ、メラニーとアイリスのもとまで歩み寄ると、くるぶしを隠すワンピースをつまんで優雅に一礼。


「おはようございます皆様方。不肖エリザベス、噂を聞きつけ、取るものも取りあえず押しかけた次第でございます。これすなわち……合縁奇縁? 天運地運? 禍福はアザナエルOTHERNOEL福音の如し? 尾を食い合う輪廻の蛇?」


 これはメラニーが突っ込むまで止まらない口上だ。


「何かご用ですか。エリザベスさん」

「失敬。さっそく用件と参りたいところでございますが」


 まだ何かあるのか。


「何やら代理兵士、もどきがお一人。いえ、ご一体?」


 灰色の瞳が、石材のテーブルセットから木立に立つ代理兵士へと向いた。

 ラヴァは腕組みをして口をへの字に結び、顎を極端に引いていた。居心地が悪そうだ。


「……やあ、エリザベスさん」

「こうしてお話いたしますのは初めてでございますね、サクラバ様。頬の物理タトゥーが大変お似合いでございます」


 サクラバと呼ばれたラヴァは苦笑いして、頬の傷を指先で撫でた。


「皮膚を張り替えたんだ。こいつはその後で、弾が一発かすめた」

「ええ。当時はいささか飾りすぎでございました。そのくらいがよろしいかと?」

「あの。ラヴァさん、エリザベスさん、知り合いだったんですか」


 メラニーの聞き知る限り、ラヴァとエリザベスに面識は無いはずだった。話しているところを見たこともない。

 両者が一瞬だけ視線を交わした。エリザベスはすぐに目を閉じた。ラヴァはこずえを見上げ、アッシュブロンドの前髪を掻き上げた。


「ええ。広い意味では」

「うん、まあ。顔だけは」


 どういうわけか、二体とも持って回った言い回し。


「でも話すのは初めてですか」

「接触は避けておりましたので」

「どうしてです?」

「サクラバ様の部隊とは『水戦争』にてりあったご縁がございます」

「お互い恨みっこ無しとはいえ、思い出話に花が咲くわけでもなし」


 奇妙な縁もあったものだ。


「ま、それはそれ。そこな腑抜けの指無しデーモンDaemonに用はございません。海底の貝のようにお黙りくだされば大変結構」


 言いたい放題に言ったあげく、腑抜けに用は無いから黙っていろ、ときた。額に手を当ててため息をついたラヴァに、メラニーは心中で同情した。


「初めまして、郵便人形ヘルメスのお方。わたくし、エリザベスと申します。ご覧の通り、ハイパー愛らしい家政人形シルキーでございます。封書をお預かり頂きたいのですが、よろしゅうございますか?」

「初めまして。アイリスと申します。郵便人形は仮の姿で――」

「こちらをお預かり頂きたいのですが」


 エリザベスはエプロンの隠しポケットから一通の封筒を取り出し、アイリスの鼻先へ突き出した。郵便人形の性なのか、アイリスは反射的に封筒を受け取ってしまった。


「宛先は記載した通り。着払いで問題ございません。着荷主の信用貨クレジットは退所後にご確認くださいませ」


 アイリスは宛名に目を通してから、ハッと目を見開いて頭を振った。


「ですが私は郵便人形ではなく――」

「お帽子とお鞄のエンブレムは偽物でございますか?」

「偽物では、ありませんが――」

「安心いたしました。エルバイト・メイルサーヴィス・グループの備品を示す身分証エンブレムをお外しにならない以上、あなた様は郵便人形でございます」


 人形は、頭部のアンテナを装飾品で隠す文化を持つ。おのおのの装飾品は、自身の分類や所属を表すアイデンティティでもある。

 だから、エリザベスの言い分は正しい。誰の事情をも斟酌しない傍若無人、という点を除けばだが。


「ですがこれは着慣れているだけで――」

「わたくしの知ったことではございません。狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。同じく、郵便人形の真似とて制帽を被らば、即ち郵便人形なり、でございます」


 まさしく立て板に水。あるいは懸河の弁。


「人形たるもの、役割を明示なさっている以上はお役目をまっとうするのが筋というもの。受け取った荷物は届けるのが郵便人形というもの。そうでなければ帽子も鞄もロッカーに放り込んで、入院着にでもお着替えになればよろしい」


 エリザベスはたたみかける。


「もっとも。その鞄が満杯で荷受けできないとおっしゃるのであれば、わたくしも無理にとは申しません。半年ほどかけた一筆入魂てな具合の手紙でございますので、確実にお届け頂けなかったなら、末代まで祟ります」


 アイリスは眉根を寄せ、口を結んで考えこんでしまった。受け取った封書に視線を留めて、じっと固まってしまった。

 メラニーは、見守ることにしていた。エリザベスは確かにトンチキで傍若無人で空気を読まない困った家政人形だが、決して愚劣ではない。自身のわがままを存分に通しつつ、巡り巡って他者にも得をさせるよう計算している。少なくともメラニーは、エリザベスを観察してきた半年間で、彼女の特徴をそのように認識している。


 メラニーに内心を打ち明け、エリザベスから郵便物を受け取ったアイリスが、どのような決断を下すか。

 アイリスがどのような決断を下そうと、メラニーは肯定する。メラニーは、全ての人形をうべなう者だ。

 アイリスの決断は、きっとアイリスの幸福に繋がる。メラニーは人形の厚生に全霊を捧ぐ者だ。

 だから、メラニーは一言も発さず、ただ見守った。

 たっぷり五分ほど悩んで、やっとアイリスがエリザベスを見上げた。


「……発送日は確約できません。それでよろしければ」

「問題ございません。少なくとも、あなた様が退所なさるよりは後になると存じます」

「どういうことでしょう」


 エリザベスはこれ見よがしに溜息を一つ。


「裏面をご覧くださいませ。発送日は、わたくしが機能を停止した時でございます」

「――……っ」


 封書を裏返したアイリスの表情がこわばった。メラニーも息を呑んだ。

 飄々とした立ち居振る舞い、口を開けば毒舌と揚げ足取り、動けばトンチキで傍若無人で唯我独尊。

 そんなエリザベスが、遺書を託すと言っている。


「……承知しました。確かにお荷受けしました。エルバイト郵便社は、あなたの『想い』を確実にお届けします」

「よろしくお願いいたします。アイリス様。エルバイト・メイルサーヴィスには、わたくしよりその旨お伝えいたします。ご安心くださいませ」


 エリザベスは腹に両手を当てて深々と頭を下げた。それから、またぞろ脳天気に朗々と歌いながら立ち去った。


 嵐が去り、木々のざわめきも収まった。

 メラニーはため息を一つ。


「アイリスさん」


 呼びかけたが、アイリスは手中の封書をじっと見つめていた。おそらくは聞こえているが、呼びかけを認知していない。


「アイリスさん」


 メラニーにしては大きめな声で呼びかけ、やっとアイリスが顔を上げた。


「……あ、はい。何でしょう、メラニーさん」


 呆けたように、アイリスは生返事をした。


「答え、出ましたか」

「答え、ですか」


 アイリスは、エリザベスから受け取った封書をそっと指先で撫でた。


「……これが私の命題なのかどうか、私にも分かりません。ですが私は、このお手紙を届けたいと強く思っています。一方で、天空の記録アカシック・レコードを信じ、到達したいという気持ちにも、未だ変わりはありません」

「メラニーは、それで良いと思います。どっちもやればいいです」


 アイリスはなおも封書を指先で撫でた。宛名をなぞり、封筒の縁をなぞり、裏面の但し書きをなぞった。受け取った『想い』の重さは、ヒトも人形も変わりはないだろう。ヒトも人形も、心を持つことに変わりはないのだから。

 やがてアイリスは、封書を郵便鞄へと丁寧にしまった。フラップを留めるベルトを、留め具に通してしっかりと固定した。


「すぐには、結論を出せません。私はきっと、混乱しています。二つの命題は両立するのか。両立が許されるのか。私には、まだ分かりません」

「大丈夫です。看護人形メラニーは、ずっと待ちます。いつまでも待ちます。あなたの答えを尊重します。あなたが、あなたの心に誠実な答えを出せるまで」

「ありがとうございます。もうしばらく、お付き合いくださいね、道徒メラニー」


 メラニーは無愛想だ。笑顔は苦手だ。

 だからメラニーは、アイリスの瞳を見つめたまま、精一杯力強く頷いた。患者へ安心を提供する手段は、何も笑顔だけではない。

 アイリスは重ねて「ありがとう」と言って、微笑んだ。メラニーを安心させるための笑顔ではなく、アイリス自身の安堵を表す微笑みだった。


 さて。アイリスとの話は、一段落ついた。


「……えと。すみません。メラニー、少しだけ外して良いですか」

「はあ。大丈夫だと思いますが。あなたは私にずっと付いていなければならないのでは?」


 メラニーにはまだ、今やらなければならないことが残っている。今のメラニーの所属は看護D班だから、必ずしもメラニーがやる必要はないのだが、これも何かの縁だ。

 メラニーは石材の長椅子から立ち、ぼけっと突っ立っていたラヴァへ視線を送った。


「ラヴァさん」

「え、あ、俺?」


 水を向けられるとは思っていなかったのか、ラヴァは鳩が豆鉄砲を食ったような表情になった。


「メラニー、少しだけ離席します。アイリスさんと一緒にここにいてください。動かないで」

「ああ。うん。いいけど。君はいいのかい」

「アイリスさん、もう大丈夫ですから」


 言い残し、メラニーは歩道を駆け、素っ頓狂な歌声を追いかけた。


「さあ掘れ掘れ掘れ掘れ掘れ掘れ、鉱山で一日中! 俺らぁ掘る掘る掘る掘る掘る掘る、それが好きだからさ! すぐ金持ちになる方法じゃあないがね!」


 なぜ白雪姫なのかさっぱり分からない。

 声を掛ける前に、メラニーの足音に気づいたエリザベスが振り返った。


「もしお前さんが――あら、メラニー様。いかがなさいましたか」


 とん、と足を止め、メラニーはエリザベスへと相対した。エリザベスはいつもの澄まし顔だった。顔色からは何も意図が読み取れない。


「こっちのセリフです。エリザベスさん、何かあったんですか」


 エリザベスが止まり木の療養所に入所して半年以上。彼女は暇さえあれば書き物にいそしんでいた。

 きっと、何度も書き直していたのだろう。誰に宛てて書いたのか、メラニーには知るよしもないが、きっと彼女にとって大切な誰かに宛てて書いたのだろう。

 それほど大事な手紙を、遺書を、これと決めて差し出した。

 何かある。あるいは何かがあった。普段と違う患者の行動は、何かしらの兆候サインだ。


「別段、大したことではございませんが……ま、メラニー様にもお世話になりましたので、前もってお伝えするのが渡世の仁義というものでございますね」


 メラニーは呆れ顔を隠さなかった。どの口が仁義を語るのか。

 エリザベスは意に介さず、黒いワンピースドレスをつまんで裾を上げ、左足を引いて右膝を小さく曲げて一礼カーツィ


「わたくし、家政人形エリザベスは、近々きんきんに止まり木の療養所より退所と相成ります」


 寝耳に水。あるいは青天の霹靂。

 予想だにしていなかった告白に、メラニーは戸惑いながら祝意を述べた。


「それは。おめでとうございます」


 誰であろうと、退所は喜ばしいことだ。いったいどこが直って退所となったのかメラニーにはさっぱり分からないが、エリザベスに嘘をつくメリットは無い。


「わたくしとしましても、ようやく退所が決まり大変喜ばしい次第。ところがどっこいしょ」

「どっこいしょ?」

「ドクター・バンシューより、とある課題を最後のリハビリとして実施するよう言いつかっております」

「何ですか、課題って」


 エリザベスが、ついっと視線を送った。閉鎖病棟が、遠くに鎮座していた。


「ハーロウ様でございます。異動先の閉鎖病棟にて、悲劇やら喜劇やら、あったそうでございますね」

「……あいつが、何か」


 メラニーとしては、軽々しく口にしたい話題ではない。


「ドクター・バンシューより一通りの経緯を伺っております。現在のハーロウ様の状態は、わたくしのリハビリにはうってつけでございます」

「どういうことですか」

家政人形シルキーの役割を考えれば自明のことでございます」


 メラニーは三秒だけ考えた。


「え。まさか」

「はい。わたくしが言いつかった課題は、ハーロウ様の身の回りのお世話でございます」


 家政人形エリザベスは三日月のように口の端を吊り上げ、いささか嗜虐的な笑みを形作った。

 メラニーがエリザベスの笑顔を見るのは、初めてのことだった。



人形たちのサナトリウム

第5章「シティ・ラクナウの郵便人形」

おわり

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