午前九時を過ぎた頃。
青十字の人形たちを百体従えたわたしは、閉鎖病棟の出入り口に陣取りました。手術を受けているラヴァさん、および施術中のセイカ先生とリットー先生を守るためです。
メラニーはわたしと同様に百体の人形を従え、生産棟の出入り口に陣取っています。地下の第三層に避難している患者さん、およびレーシュン先生とバンシュー先生を守るためです。
残りの二十数体は、当院の外周に配置しました。万が一、ヘリコプターではなく海上から侵入された場合にいち早く察知するための斥候です。
青十字は、監視衛星でわたしたちの動向を見透かしています。
ゆえに、四体の狩猟人形が取りうる侵攻ルートはふたつ。
四体で一箇所ずつを集中的に攻撃するか。
あるいは二体ずつ、二手に分かれて同時に攻撃するか。
いずれにしても、わたしたちはレーシュン先生の『策』をうまく実行するしかありません。一箇所に集中攻撃が来たならすぐさま増援へ向かう。二手に分かれて攻撃が来たならそれぞれが迎え撃つ。
レーシュン先生がわたしたちに授けた『策』は、確実だと思えます。他に上等な手段が無いとも理解しています。だけど、やっぱり、わたしには受け入れがたい。やるしかないと分かりきっているのに、葛藤が思考を濁らせます。
うつむいたわたしのうなじを、北へ昇りつつあるのんきな真夏の太陽が焼きます。抜き差しならないわたしたちの事情などお構いなしに。
循環液が熱され、模倣脳が高熱を帯び、わたしは無意識に首を振りました。
瞬間、わたしは正気に戻ってしまいました。
――ああ、嫌だ。
今更ながら、頭がくらくらします。
わたしは看護人形です。当院に来所なさった患者さんに寄り添い、観察し、理解し、共感する。患者さんたちが心身の不調を癒やせるように奉仕する。そのために造られた人形です。
なのに、今のわたしときたら。
どうして切った張ったの陣頭指揮などを執っているのか。
わたしたちはこの止まり木の療養所で静かに暮らしていければそれでいいのに。当院は外部からの干渉を受け付けず、外部への干渉を許さないのに。誰にも迷惑をかけないのに。どうして放っておいてくれないのか。
ふと、わたしの隣に立つメーインがわたしへ話しかけました。彼女には戦闘のアドバイザーを務めてもらっています。
「貴様は変わっている」
「まあ……はい。よく言われます」
「言葉の選択を誤った。貴様は、異質だ」
「そうですね。介入共感機関――人形に対する特権なんてものを持ってますから」
わたしとメラニーはこれから、その特権を最大限に振りかざします。
「違う。機能ではない」
首を傾げてしまいます。メーインは、いったい何を言いたいのでしょう。
「よもや……誰も指摘しなかったのか。あるいは指摘を避けていたのか」
頭の良い方々はどうして迂遠な言い回しを好むのでしょうね。
「貴様に与えられた命題は何だ」
わたしは少しだけ思案し、言葉を整理しました。看護人形誓詞は長すぎます。端的に述べるなら、こうでしょうか。
「常に全ての人形の味方であること、です」
「そうだ。貴様の異質な点は、そこだ」
「と言いますと」
「人形は道具だ。道具とはヒトが用いるもの。必然、人形はヒトのために存在し、ヒトのために稼働する」
「はい。そうですね」
メーインは呆れた様子でため息を一つ。肩をひょいとすくめました。
「存外に物分かりが悪いな」
「すみませんね。世間知らずなものですから」
「貴様は人形のために存在し、稼働している。貴様の在り方は、人形本来の在り方とは全く異なる」
「はあ。もっと端的に言ってもらっていいですか?」
メーインは片手で両目を覆い、かんかん照りの青空を仰ぎました。もうすぐ狩猟人形なる四体の人形を乗せたヘリコプターが飛来するであろう、青空を。
「つまりだ。貴様は、看護人形ハーロウは、ヒトのことなどどうでもいい」
「それ、は――」
わたしは、呼吸を一つ、二つと置いてなお、何も言えませんでした。
驚きました。
何に驚いたかって、別段、衝撃を覚えなかった自分に驚いたのです。
わたしはヒトのことなどどうでもいい。
わたしは全ての人形の味方だから。
何も違和感を覚えません。わたしにとっては、それが当たり前のことだから。
「そう……です、ね。はい、その通り、です」
きっと、メラニーも同じ反応をします。彼女はわたしと等価の存在ですから。
例外は、当院に勤める先生方。先生方は、心身に不調をきたした人形を直してくれる存在です。だから、どうでもよくはない。
人形権利派も、人間性復興派も、人形の扱いについて見当違いのことをわめく主義主張な人々だから、どうでもよくはない。
世間知らずだから。人形網絡にアクセスできないから。そんな理由では済まされない、根本的な欠落を指摘されたような。
「貴様も看護人形メラニーも、技師レーシュンが示した『策』に難色を示した」
「あなた方だって、人形ですから。いっとき敵対関係にあったとはいえ、それは相互不理解に起因するものですから。こんなやり方を、簡単に受け入れるわけにはいきません」
「我々は道具だ。無為に使われず朽ち果てるより、有用に使われて壊れることを望む」
「……はい」
彼ら自身が合議し、検討し、判断したことです。
よくよく考えれば、分かりきっていたことです。彼ら、彼女らも人形なのですから。使われずに朽ち果てるより、使われて壊れることを望むのは、人形として当然の思考です。
けれど、わたしたちの誓いが、看護人形誓詞が、レーシュン先生の提案を拒絶しました。そんな使い方は容認できない。
「その葛藤が、貴様の異質なところだ」
「……どうして今、その話を?」
「我々を運用するにあたって、いささかもためらいがあっては困る。技師レーシュンの『策』は有効だと判断するが、有効性は貴様次第だ。己の異質を理解し、そのうえで貴様の使命を全うしろ」
覚悟を決めろ、ということでしょうか。
「……その、何というか。ご忠告、ありがとうございます」
ふん、とメーインは鼻息を一つ。目線だけを上げて夏の青空を見やりました。
「来たぞ」
遙か高空から、黒い点がふたつ。回転翼が大気を叩く音が近づいてきます。
「あれらは貴様に比肩する例外だ。手心を加えるな。存分に使い潰せ」
遠くでばらばらと鳴っていた飛行音は、すぐにばりばりと鳴る雷のような轟音へと変わりました。
轟音に、むかっ腹が立ちました。今、わたしが守る閉鎖病棟ではラヴァさんの緊急手術が行われています。病院ではお静かに。子どもでもわかるはずのことです。
灰色のヘリコプターが、地表から十メートルほどの高さで滞空し、二本の太いロープが投げ落とされます。
ロープを伝って芝生へズドンと降り立ったのは、二体の巨漢。
服装は先と変わらず、黒々とした革製のロングコート。裾は重々しく垂れ下がっていました。腕と脚は長丈の厚い布で覆われ、ぐるぐると革紐で縛られていました。革の手袋からはしゅうしゅうと黒い煙が立ち上っていました。
そして、フードを被った頭部には、短剣のような青い十字をペイントした仮面。
とても現代の服装とは思えない、古めかしいいでたち。清潔で静穏な当院にはとても似つかわしくない、禍々しく穢れた雰囲気。
閉鎖病棟の出入り口に陣取った百体の人形。同胞である青十字の偵察部隊員たちを前にしても、彼らは全く動揺していませんでした。
ヘリコプターが飛び去り、仮初の静寂が落ちました。
「お引き取りください、狩猟人形の方々。看護人形ハーロウは、介入共感機関の拘束を無制限に解除します」
わたしの声は聞こえているはずなのに。二体の狩猟人形は耳栓でもしているかのように聞く耳を持たず、淡々と、腰に吊った二つのホルスターに手をかけました。
――ああ、やっぱり嫌だなあ。
感情とは裏腹に、わたしの模倣脳はわたしに設定された使命に従って、介入共感機関の拘束を解除しました。
巨大なナイフと拳銃がホルスターから抜かれた瞬間。
わたしは青十字の偵察部隊のうち、メーインを除く百体を支配。
末那識を漂白。彼らの自我を消去します。末那識とは、唯識論にて語られる心の要素のうち、自己に執着する働きのこと。不戦のミームを得てしまった彼らを戦わせるためには、自我を剥奪しなければなりません。
まずは二体を選抜。身体機能のあらゆる制限を外し、全身全霊で狩猟人形へ突進させます。
残りの九十八体には、あらかじめ短機関銃による二点バーストを指示してあります。
マズルフラッシュが瞬こうとした、〇・一五秒前。
狩猟人形の二体が、残像を伴って左右へ低く跳躍しました。ざっと五メートルは跳んだでしょうか。
突撃した二体のフルバースト射撃は、残像だけを貫きました。
後衛からばらまかれた短機関銃の弾がいくつか狩猟人形に命中しましたが、防弾・防刃性能に優れるロングコートは弾丸の運動エネルギーを熱エネルギーに変換してしまいました。
直後、重々しい、一発限りの銃撃音。狩猟人形が放った大口径拳銃弾は、突撃した二体の手首、手根骨を粉砕しました。銃を取り落とした二体は徒手格闘へ移――
狩猟人形へ組みつこうとした二体の偵察部隊員の頭部が、ばかりと真っ二つに割れました。
狩猟人形の二体が、右手に持っていた巨大なナイフを無造作に迅速に振り下ろしたのです。ライフル弾の一撃にも耐えるはずのヘルメットが、緩んだバターへナイフを入れるかのように、たやすく叩き割られてしまいました。
赤黒い循環液が芝生へぶちまけられました。
想定通りです。
わたしはすぐさま次の二体を支配。残りの九十六体には引き続き支援射撃を要請。
先ほどの横っ跳びを考慮し、先ほどより広めに銃弾をばらまきます。
――ああ嫌だ、嫌だ。よりによって、どうしてこのわたしが。
歯を食いしばります。溢れそうになる涙をこらえます。
やらなければならないのですから。
あの狩猟人形たちを無力化しなければ、文字通りお話にならないのですから。
唯一、わたしの心を支えてくれているのは、わたしと全く同じ心境で青十字の偵察部隊員たちを支配しているであろう、メラニーの存在です。
わたしは、ひとりではない。だからまだ耐えられる。
けれど。
再び、ばかり、と青十字の偵察部隊員の頭が真っ二つに割られました。
芝生に這いつくばって銃弾の大半を避けた狩猟人形が、跳び起きざまにナイフを振り上げたのです。狩猟人形の尋常ならざる膂力は、防弾ヘルメットと高密度ケイ酸カルシウムの頭蓋骨を紙切れのように切り裂きました。
「ああああああああああああああああ――!」
知らず、わたしは叫んでいました。
分かっていたことです。覚悟していたことです。納得していたことです。わたしも、青十字の偵察部隊員たちも。
理屈の上ではそうだとしても。
感情は別です。
よくも。よくも、こんなひどいことを。よりによって、このわたしにさせている!
誰にぶつければいいのか分からない憎悪と悲嘆をこらえきれず、わたしは息が続く限り叫びながら、またもや二体の偵察部隊員を支配し、二体の狩猟人形へ突撃させました。一秒でも長く稼働できるように、攻め方を再び変えながら。
惨たらしく破壊されると、分かりきっていながら。
『軍隊だの指揮だの、その手のことには疎いがね。人形のことは少し分かる』
とは、レーシュン先生の弁。
技術者集団ケイグーにて命造りを修めた『混沌歩き』がわたしたちに授けた、あまりに非人道的なやり方。
他者の命を己が手で掴み、火に投げ入れる。
わたしたちは今まさに、それを実行しているのです。
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