わたしが六号庵で寝泊まりするようになって数日。
非常識な生活習慣、行動傾向、そして言動までもが、すっかりわたしに定着しました。
四時に六号庵の小部屋で起床。エリザベスさんはいつも枕元に控えています。
「おはようございます、ハーロウ様。お目ざめ早々につき恐縮ではございますが、お嬢様インストールをお願いいたします」
おでこを指先でトントンと二回叩きました。口調と物言いを、エリザベスさんの言う『お嬢様』モードに切り替えます。
「……何時だ」
「四時十五分でございます」
「十五分。寝過ぎた。なぜ起こさん」
「昨日は特に激務でございました。お体に差し障ると存じまして」
「万能を自称するなら時間くらい守ったらどうだ」
「夏の蝉でもお嬢様ほどは生き急いでいないと存じます」
着替えと朝食を済ませ、五時三十分までは走り込みと投げ込み。
「コントロールが安定して参りましたね。こうなりますとわたくし、暇でございます。何でも構いませんのでご指示をくださいませ、お嬢様」
「指示待ちは無能の証だ。無能が唯一役に立つ方法は怠惰であることだ」
エリザベスさんは理不尽な注文、辛辣な言動、罵詈雑言、誹謗中傷をお望みです。
その代わり、エリザベスさんも遠慮なく言い返します。
「指示無しこそ無能の証でございます。そも、有能な持ち主ならば家政人形を手すきになどなさらないもの。お嬢様がわたくしを使いこなせていらっしゃらないということでございます。あーあ、退屈のあまり死んでしまいそうでございます」
「そうか。そのまま死んでみたらどうだ。世界で初めて退屈で死んだ存在になれるぞ」
六時から十四時まで、六号庵の事務室にてシティ幹部企業の長としての執務。エリザベスさんが持ってくるのは、人形関連のトラブル処理ばかり。どれもこれも頭と胸が痛くなる内容ばかり。エリザベスさんが準備した架空の筋書きとはいえ、いったい何体の人形をサナトリウム送りにしたことやら。
「四十二体目でございますね。そろそろ宇宙、生命、そして万物についての究極の疑問の答えが見えてきた頃ではございませんか?」
「そんなものはない。科学は――」
「はいはい。近似の集積に過ぎん、でございますね。学究の徒は誰もがそう申し上げます。たまには『科学は万能だ』とでもおっしゃってみてはいかがでしょうか」
十五時から二十四時まで、シティ保健衛生機関清掃六課の課長としての執務。さすがに現場を再現することはできないため、シミュレーション上の部下を指揮します。エアリアルディスプレイに投影されているのは、各課員の任務情報、現在位置、健康状態、視聴覚情報。
「制圧の準備が整いましてございます」
各課員が身を寄せているのは鉄筋コンクリート造の古びたビル。狭い路地は薄汚れていますが、ゴミの一つも落ちていません。ここでは何もかもが資源になります。もし六課の者が倒れたなら、彼ら彼女らもまた資源になります。
「火器の静脈認証、始め」
「全課員の認証を確認いたしました」
「突入」
「突入! 何とも痛快なフレーズでございますね。わたくしも無責任に言ってみたいものでございます」
ビルの窓から閃光と爆音。直後、短機関銃を手にしたヒトと代理兵士のペアが六対、続々と突入していきます。
清掃六課は、『清掃』とは名ばかりの武闘派組織でした。主たる任務は最底辺層で流通しているドラッグの取り締まり。最底辺層はシティのルールが通じない貧民街です。現地の人々から見れば、清掃六課はドラッグ・シンジケートに喧嘩を売る謎のおっかない集団でしかないでしょう。
「制圧が完了いたしました。二十五名を捕縛。十五体を破壊。死者はゼロでございます」
「製造設備は全て破壊しろ。特にレシピは入念に燃やせ」
「おつむにレシピをお持ちの方が二名いらっしゃいます。いかがいたしますか」
「いつも通りだ。収監して元締めの情報を引き出せ。用が済んだら条件付けを与えてやれ」
意味記憶、いわゆる知識の消去は困難です。代わりに、ドラッグの知識に対して強烈な生理的嫌悪感を抱くように古典的条件付けを施します。情報を持っていても、利用できなければ無価値ですから。
ヒトに対して記憶の操作を実施するという決断を下すには、相当な勇気が必要ですが。ロールプレイングでなければ耐えられなかったでしょう。
「承知いたしました、お嬢様」
「あと。チップを三日分、忘れるな。港の仕事でも世話してやれ」
いくら悪人とはいえ、素寒貧で放逐するわけにもいきません。多少の手持ちと、お仕事の口は用意します。その後のことまでは関知できませんが。
「お気の召すままに、お優しいお嬢様」
「やかましい。とっとと理事に招集をかけろ」
「イエス。ご指示を実行いたします。なお三秒間の討議がございました。保健衛生機関理事局は五対四でお嬢様の方針を是認いたしました」
む。いつもは六対三のはずです。
「票が動いたな」
「エルバイト派の釘かと存じます。ドラッグとはいえ、流通は流通。わたくしどもはエルバイトのシマを荒らし、潰しております。やりすぎだ、とでも言いたいのでございましょう」
「まったく。世も末だ」
「不思議なことをおっしゃいます。いまこの時は、常に世の末でございます」
こんなやりとりを、休眠に入る直前まで続けます。
「……残りは明日だ。タスクの整理は任せた。私は寝る」
「本日もお疲れ様でございました。おやすみなさいませ、お嬢様」
四時間の休眠中、わたしは泥のように眠ります。疲弊した心身をとにかく休めて回復を図らなければいけません。
正直に言うと、とても大変です。架空の筋書きとはいえ、エリザベスさんから差し出される課題は心がすり減るものばかり。現実でこんなことを繰り返していたら、いくら人間様といえども壊れてしまうのではないでしょうか。
それでも、わたしは続けています。
正義の味方を覚えるためなら、わたしが不幸にした患者さんに購いを差し出すためなら、わたしは何だってやってみせます。
今日も今日とて、起床後にすぐさま狩猟採集民のような運動をこなしました。
汗を流して着替えを済ませたら、六号庵の事務室に移動して人形関連のトラブル処理。
かと思いきや。
エリザベスさんは、エアリアルディスプレイに奇妙なタスクを提示しました。
「シティ・サイドプールより、外部監査の依頼がございます」
「外部監査だと?」
「イエス。何やら人形の運用にて一悶着あったようでございまして。再発防止のため、事の次第につきましてお嬢様にもお目通し頂き、お言葉を頂戴したい、とのことでございます」
「事実上のコンサルティングか。何があった」
「シティの助成を受けて当社製の学友人形を多数購入し、目的外に使用した不届き者が存在した、とのことでございます」
「……煙突掃除の子供か」
「イエス。ご明察でございます。助成制度の悪用に対する実効的な施策のアドバイスを頂戴なさりたい、とのことでございます」
お嬢様のロールプレイを続ける中で、わたしは学友人形を悪用できる可能性に思い至っていました。
第一に、児童の姿で造られる学友人形は製造コストが比較的安価です。構成材料が少なくて済み、技術的には枯れており、世界中のシティで広く運用されているためです。
第二に、多くのシティでは学友人形の購入・運用に対して手厚い助成制度を設けています。人々が子をなすことに対して消極的になる要素を、徹底的に解消するためです。
第三に、学友人形は忘れられる存在です。ひとたび学び舎に入った学友人形のその後を知る者は、ほとんどいません。知ろうとする者も、ほとんどいません。
これらの要素を悪用すれば、学友人形として製造された人形をノーコストの労働力として運用できます。
エリザベスさんいわく、これを煙突掃除の子供と呼ぶのだとか。
「学友人形の、事実上の用途は」
「そちらは問題ではございませんが」
「いいからとっとと言え」
「民間軍事企業における兵力運用でございます。同地域は安全な真水に恵まれておりません。近隣のシティ間では、安全な水源地を巡る小規模な紛争が絶えず勃発しております」
薄汚れた格好のトニーくんが自動小銃を抱え、恐怖と興奮で目をカッと見開いている様子を想像してしまいました。こみ上げてきた吐き気を飲み下しました。
「……全ての学友人形をうちで引き取れ。エピソード記憶の消去措置を施したのち、本来の用途に戻す」
「恐れながら、お嬢様。確認できているだけで約三千体の学友人形が現存いたします。その全てを当社で引き取ることは不可能でございます。再利用しようにも、枠がございません。当シティにおける学友人形の生産・運用計画には不足がございません」
「別シティの姉妹企業にも協力を要請しろ」
「ノー。ご協力は期待できません。利益になりませんので。サンプルの名目を付けたとしても、せいぜい一、二体が限度でございます」
目まいを覚えました。
三千体もの幼い人形がベルトコンベアに累々と横たわり、ごんごんと唸る破砕機に運ばれていく様子が目に浮かぶようでした。
「そもそも、シティ・サイドプールのご依頼は、あくまで助成制度の悪用に対する実効的な施策のアドバイスでございます。学友人形の処遇は本件の問題ではございません」
「私は人形造形技師だ」
「イエス。ですが同時に、シティの運営に携わる幹部企業の長でもございます。他シティとの良好な関係構築も、お嬢様の重要なお仕事でございます」
「水を買え。買えないなら水を作れ。地道にシティ内総生産を向上させろ。アンフェア・トレードには一切加担するな。以上だ」
「それができるなら、そもそも水を巡る紛争など起きはいたしません。誰も好き好んで不利な条件での取引をなさっているわけではございません。そうせねば、今が立ちゆかないためでございます」
「この世に銀の弾丸は存在しない。安全な種痘が確立しても、天然痘の根絶までには百八十年を要した。知識が欲しければくれてやる。技術が欲しければ修めに来い。そう伝えろ。責任は私が取る」
「承知いたしました。よしなにお伝えいたします」
自身を有能と言ってはばからないエリザベスさんのことです。きっと慇懃に、かつ本意は損なわないように伝えてくれることでしょう。
「残る問題は学友人形だ」
「わたくし、先ほども学友人形の処遇は問題ではないと申し上げましたが」
「私が問題だと認めている」
「では、恐れながら申し上げます。エピソード記憶の消去措置を施したのちに再教育を実施なさるより、新たに学友人形を製造なさった方が低コストでございます」
「そんなことは言われなくても分かっている。最底辺層に初等教育学校を設立する計画があったな。前倒しにして、引き取った学友人形を配属しろ。需要が無いなら作るまでだ」
「貧民学校、でございますか」
「何だ」
「過去、十九世紀のロンドンにて、同様の取り組みがございました。悪い試みではございません。称賛されるべき博愛主義でございました」
「何が言いたい」
「端的に申し上げますと、試みは失敗でございました。それだけでは不足したのでございます。富者が貧者から信用を吸い上げる、その根本的な社会構造が変わらないことには、貧民学校が効果を上げることもかないませんでした」
「……同様のことが起きると。そう言うのか」
「左様でございます。お嬢様がおっしゃったとおり、この世に銀の弾丸は存在いたしません」
自分で言った言葉が、こんなところで返ってくるなんて。
「加えて。仮にお嬢様が貧民学校を設立なさり、かの煙突掃除の子供たちを学友人形として配属なさったとしても、彼ら、彼女らは決して、良き友にはなりえません」
「何を根拠に言っている」
「入学なさるヒトの素行があまりに悪いことが根拠でございます。学校を一歩出れば泥棒の住処のまっただ中。お行儀の良い学友人形など、いじめの対象にこそなれど、決して良き友にはなりえません。言葉巧みに誘われ、知らぬうちに悪の片棒を担ぐことさえありえるでしょう。お嬢様は、それをお望みでいらっしゃいますか?」
言葉に詰まります。
「総じて。かの煙突掃除の子供たちを再利用することは、あらゆる面で現実的ではございません」
「だったら何だ。目覚めてから壊れるまで、一度たりとも本来の用途で使われたことのない三千体もの学友人形を見捨てろと。それがお前の提案か」
「左様でございます。本件における学友人形は、お嬢様が解決すべき問題ではございません。わたくしどもにとって、かの煙突掃除の子供たちは無価値でございます」
かちん、ときました。
無価値でございます、ですって?
「――ふざけないでください!」
どうせわたしは看護人形失格のごくつぶしです。担当の患者さんだっていません。バンシュー先生が所有権を放棄するような、出来損ないの人形です。
エリザベスさんの言うことは、経済的には正しいのでしょう。人形は道具ですから。経済的な合理性に従って製造され、使役される、人間様の下請けですから。
「どうぞ落ち着いてくださいまし。これはあくまでロールプレイング。あなた様の決定は、何一つとして実世界には影響を及ぼしません」
「そういう問題ではありません!」
ええ、しょせんはロールプレイングです。架空の筋書きで、架空のヒトと人形が動く、シミュレーションでしかないことくらい分かっています。
けれど、けれど!
看護人形失格でも、出来損ないの人形でも、人形が不幸になることを是とする物言いを、わたしは看過できません。
本来の役目を果たせず、勝手な人々にやりたくもないことをやらされて、あげくの果てには廃棄処分だなんて、あんまりです。せめて本来の役目くらいは果たさせてくれなければ、人形として稼働する甲斐がありません。
どれほどわたしの手に余る問題だろうと、多くの問題が両手からこぼれ落ちようと、わたしが人形を『見捨てる』という決断を下す理由にはなりません。
「ええ、ええ。あなたは有能です。優秀です。たびたびおっしゃる通り、万能なんでしょうとも。何でも知ってますし、何でもできますからね!」
「イエス。わたくし、エクストリーム優秀な家政人形でございます。実を申しますと全知全能では――」
わたしはバン! と両手でテーブルのキートップを叩き、エリザベスさんの言葉を遮りました。
「黙っててください。今はわたしが話しているんです」
エリザベスさんは口をつぐみました。あくまで無表情のまま。
言いたいことがあれば好きなだけ言うがいい。どうせ、お前の言うことは間違いであり、私の言うことが正しいのだから。
そんな、言外の意図を感じて、わたしはさらに激昂を募らせました。
「あなた、いったい何様のつもりなんですか。優秀なら、有能なら、何を言ってもいいんですか。誰かの欠点や失敗をあげつらって楽しいですか。あなたほどには優秀でも有能でもない人形を、無価値と断じて楽しいですか」
灰色の瞳をにらみつけました。
銀髪のメイドは表情を崩さず、涼しげな顔でわたしの言葉を受け止めていました。
「それが正しいと言うのなら、そんな正しさなんてくそくらえです。そんな正しさをよしとするあなたには、わたしは付き合いきれません」
言い切って、わたしは視線をエリザベスさんからエアリアルディスプレイへと転じました。テーブルのキートップを猛烈な勢いで叩き、表示されていた無数のタスクを次々と強制終了しました。
全てのエアリアルディスプレイをまっさらにしたわたしは、それきりオフィスチェアに深く腰掛けたまま動きませんでした。
わたしは怒気をお腹の底でぐるぐると巡らせていて、時間の感覚を失っていました。
どれほどそうしていたのか。
じっと黙っていたエリザベスさんが、いつも通りの口調で淡々と尋ねました。
「お嬢様。本日の執務はおしまいでございますか」
まだ、ロールプレイを続けるつもりですか。
わたしは床を爪先で蹴り、オフィスチェアを反転させてエリザベスさんへ背を向けました。
「お嬢様」
背に掛けられた声は無視しました。
わたしは怒っているのです。
「左様でございますか」
ふう、と浅い溜息。やれやれ、とでも言いたいのでしょうか。
長く稼働したのであろうエリザベスさんからすれば、どうせわたしは癇癪を起こす二歳児なのでしょう。世間知らずで、酸いも甘いもかみ分けられない、幼稚な人形なのでしょう。
けれど譲りません。
「ハーロウ様のご意向、承知いたしました」
衣擦れの音が、背後でさらりと鳴りました。
「数々のご無礼、お詫び申し上げます。お許しくださいとは申しません。これにて、ロールプレイングを終了といたしましょう。ハーロウ様におかれましては、どうぞごゆっくりお休みくださいませ」
そう言って、エリザベスさんは足音も立てず、わずかに衣擦れの音だけを残して六号庵から退出しました。
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