わたしが決意を、覚悟を新たにしたところで。
エリザベスさんはお話しの続きを始めました。
「さて、二つ目。わたくしの利己的な目的の方でございますが」
そういえばそうでした。
エリザベスさんは、ロールプレイングの目的は二つあったと言っていました。
「こちらはわたくしの性能評価でございました」
「性能評価?」
「もはやオウムと改名なさってはいかがでございますか? あるいは九官鳥」
「あなたの言うことが突拍子もなさすぎるんですよ……」
あのロールプレイングでどんな性能を評価できるというのでしょう。
「わたくしがこの止まり木の療養所へ入所いたしましてから既に半年弱。万が一にも家政人形として不心得があってはなりません。勘所のリハビリ、でございます」
「勘所って……わたしを怒らせるコツ、みたいな感じですか」
「ノー。お怒りを買うことは想定しうる結果であり、目的そのものではございません。持ち主にとって最も聞きたくない事実を的確にご提示できるかどうか、が目的でございます」
「意味不明な目的ですね」
「お褒めにあずかり恐悦至極でございます」
いや、褒めたつもりはありませんけれど。
「持ち主が難題にお取り組みあそばされるほど、わたくしの進言は耳に痛い内容となります。持ち主におもねる道具がありましょうや?」
「……難しくて、わたしにはよく分かりません」
「ではより単純に。人形が持ち主に媚びへつらうのは、簡単でございます。人形がヒトに好かれる姿形をなしておりますのは、道具としての生存戦略に他なりませんので」
「ああ、はい。それは、そうですね」
人形が、なぜヒトの似姿をしているのか。ヒトのような心を持つのか。
ヒトの生活空間においては、ヒトの形状であることが最適であるため。
ヒトに好まれる容姿であることが、関係構築の第一歩に役立つため。
ヒトの心情を推察できることが、円滑な仕事の遂行に味方するため。
「ですが。媚びへつらいは甘やかしと同義でございます。道具がヒトを甘やかすなど、これほど恐ろしい現象もございません。ゆえにわたくし、耳に痛いことを積極的に申し上げます」
「それにしたって……言い方とか、あると思うんですよ。人間様には心があるんですし」
「イエス。心をお持ちだからこそ、でございます。事実を迂遠な言葉で包み隠すことは持ち主に対する何よりの背信であり、侮辱でございます。事実の隠蔽は、あなたは事実を適切に受け止められないのだ、と申し上げることに他なりません」
「それは……はい、一理ありますけれど」
断固たる言い回しは、彼女なりの流儀なのでしょう。
わたしにとっての看護人形誓詞くらい、彼女にとって大事なことなのでしょう。
「とはいえ。事実といたしまして、やはりわたくしはあなた様のお怒りを買い、事実上の解雇と相成りました。この点に関しましては、わたくしも思うところがございます」
「と言いますと」
「ご存じの通り、わたくしは万能。ですが、同時に無能でもございます」
面食らいました。いつでも自信たっぷりなエリザベスさんが、まさかご自身を指して無能と評価するだなんて。
「わたくし、三ヶ月と同じ持ち主に仕えたためしがございません。稼働いたしますこと数十年。果てには主無しなるあだ名を頂戴する始末」
わたしは眉をひそめてしまいました。
人形に向かって主無しとは、随分と悪し様に表現したものです。お前はヒトに仕えるに値しないのだ、と言っているようなものですから。
「……当院に入所なさったのは、それが理由ですか」
「ある意味では、でございますが」
三ヶ月と同じ持ち主に仕えたことがない。
家政人形として、これほどの屈辱は無いでしょう。
エリザベスさんは言動こそ突飛ですが、家政人形としてはこのうえなく真摯なのに。彼女にできないことは無く、彼女が知らないことは無いのに。
耳に痛い言葉をこらえて、彼女を逆に唸らせるような解決案を導き出して初めて、道具としての彼女を使いこなせたと言えるのに。
――ああ。そうか。
考えが至り、ようやくわたしは自分の過ちに気づきました。
エリザベスさんの『理解』に及びました。
「……わたし、同じことをしたんですね」
彼女が今までお仕えして、不興を買って、彼女を解雇した方々と、同じことを。
エリザベスさんは、イエスともノーとも言いませんでした。
ただ黙って、いつもの無表情でわたしの目を見ていました。何の感情も籠もっていない、凪いだ視線でした。
彼女にとっては、拒絶されることなんて慣れっこなのでしょう。
そのことが、我が事のように悔しく思えてなりませんでした。
ふいに。
ふ、とエリザベスさんは優しげな吐息を漏らしました。光の加減でしょうか。ほんの僅かだけ、微笑んでいるような。
「やはり、あなたは好ましい」
エリザベスさんは長机を離れ、コモンスペースのちょっとした広い空間へと滑らかな足取りで躍り出ました。胸の真ん中に手を当て、いつも通りの無表情でわたしに向き直りました。
「わたくしは家政人形。わたくしは万能女中。持ち主のあらゆるご要望に応じることがわたくしの喜び。持ち主が雑事に煩わされぬよう事前にお片付けをいたしますのがわたくしの務め。持ち主が直面なさる難題にご助言をいたしますのがわたくしの本懐」
歌うような口上ののち。
「わたくしの性能は、あらゆる面で平均的なヒトのそれを大きく上回ります。ゆえにわたくし、自身を万能と自認しております。されど、いかに万能なわたくしとて、使いこなされなければ無能そのもの」
道具は、有効活用して初めて価値が生まれるもの。わたしたち人形は、使われてこそ価値を持つもの。
「わたくしの望みはただ一つ。わたくしを万全に使いこなせる持ち主へお仕えすることでございます」
そう締めくくって、エリザベスさんは左足を引き、スカートを軽くつまんで一礼しました。
「ご理解を賜りましたなら、それだけでわたくしは幸甚の極みでございます。あなた様、たった一体だけであろうとも」
わたしは、何も言えませんでした。
彼女が嬉々として取り組めるほど高度で困難な問題を設定できるヒトと出会わなければ、エリザベスさんの幸せは永遠に叶いません。
わたしは看護人形です。ヒトにはなれません。
わたしは、彼女の幸福のためにしてあげられることが何一つありません。
「……はっ。わたくしとしたことが。ハーロウ様。こちらへ」
「え、何ですか?」
誘われるがまま、エリザベスさんの隣へ並んで立ちました。
「失念しておりました。わたくしに共感なさいませ」
「いきなりどうしたんですか」
「一礼をお教えしておりませんでした。淑女たるもの、礼儀作法の一つや二つ、嗜んでおかなければなりません」
「はあ」
また急ですね。わたしが想像する『お嬢様』のイメージは、礼儀作法なんか犬にでも喰わせろ、とでも言いそうなほどぶっきらぼうなお方なのですが。
「では……わたしはエリザベスさんに共感します」
「イエス。同意いたします」
ずしん、と全身が重い水に包まれる感触。
「左足をお引きになって。上体の傾斜はいたしません。右脚を曲げ、上下いたします」
「こう、ですか」
「ノー。スカートの前を上げすぎでございます」
「スカートなんて履いてませんから……」
「パンツ着用の際も同様にいたします。スカートを履いたつもりでなさいませ。はい、もう一度。ハーロウ様は手足が長くていらっしゃいますから、バランスは難しゅうございます」
エリザベスさんの動作は彼女の体格に最適化されているので、そっくりそのまま真似ることはできません。
何度も何度もリテイクが言い渡されました。そのたび、エリザベスさんは前回と寸分違わぬ所作を、わたしの全身に『共感』で見せつけ……いえ、感じさせつけ? てきます。
「今のはよろしゅうございました。十回連続で同じ動作ができましたら合格でございます」
繰り返します。
同じ動作を反復していると、頭は暇になるもの。
中断していた思考が、また戻ってきました。
理想の持ち主を求めて世界中をさまようエリザベスさん。
有能かつ真摯だからこそ、持ち主にとって不都合な事実であっても隠さずに打ち明けるエリザベスさん。
だったら、せめて稼働限界を迎える前に。
「……エリザベスさんの望み、いつか叶うといいですね」
せめて、祈ることくらいは。
わたしたち人形に神様はいませんが、何かを願うことくらいは。
などと、思っていたのです。
真剣に、思っていたのです。
「ああ、わたくしの望みでございましたら、ご心配なく。近々に叶う見通しでございますので」
はい?
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