人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

第5章「シティ・ラクナウの郵便人形」

5-1「外出。閉鎖病棟より」

公開日時: 2021年1月9日(土) 18:00
更新日時: 2022年1月27日(木) 17:41
文字数:5,470

 看護人形メラニーは、自分の背が低いことを気にしている。


 とかく不便きわまりない。高いところに手が届かない。手足が相対的に短いので、患者の身の回りを世話するときは常に工夫せねばならない。歩幅が狭いので、どうしてもせかせかと急ぎ足になる。曲がり角では必ず一旦停止し、近づく者がいないか気配を窺う癖が付いてしまった。

 同期の看護人形ハーロウは「可愛くていいじゃないですか」と言って拗ねるが、メラニーは気にしているし、実務に支障をきたすので困っている。


 だから、閉鎖病棟から外出する患者へ付き添うとなると、あの目立つ背高のっぽがいないと不便なのだ。


 郵便人形のアイリスを先導して閉鎖病棟から出るときも、メラニーは外の気配を窺い、顔を半分だけ出して誰ともぶつからないことを確認しなければならなかった。ハーロウがいれば先に行かせて安全を確認できるのに。

 当然、背後の郵便人形アイリスは訝しむ。


「どうかしましたか? 道徒メラニー」

「安全確認です。誰かにぶつかるといけないので」

「それは良い心がけですね、道徒メラニー」


 アイリスいわく、道徒というのはメラニーの段階である。道半ばの徒、ゆえに道徒。

 閉鎖病棟と開放病棟との間に渡された雨除けをくぐり、メラニーは手を繋いでアイリスを先導した。アイリスにとっては初めての外出だ。まずは患者があまり近づかない場所が良い。


「海、どうですか」

「よろしいかと」


 アイリスを閉鎖病棟から出して散歩させることを提案したのは、メラニーだ。主治医のレーシュンに粘り強く掛け合い、週に一度だけ外出できるよう約束を取り付けた。


「海は、原初の混沌です。陽を呑み、月を飼い、星を自在に爪弾く、巨大なうねり。見ているだけでアストラル体が引きずられてしまうもの……ですが、日中の陽気に身を任せていれば、引きずられることはないでしょう。大丈夫です。あなたもアストラル体の巡りが随分と良くなりましたから」


 褒められてしまった。何が大丈夫なのか、メラニーにはさっぱり分からない。


「そうですか」

「ええ。まずは形から。そのうち自覚できるようになります」


 アイリスにはアイリスの道理がある。当院の看護人形は、患者の言動がいかに理解しがたい内容でも否定しない。さりとて積極的な肯定もしない。


「行きましょう。時間、もったいないです」

「ええ、道徒メラニー」


 メラニーは敷地の外縁を囲う松林へ爪先を向け、アイリスの手を引いた。

 だしぬけに、背後からよく通る低い声がかかった。


「やあ、メラニーちゃん」


 よく声の主は、筋骨隆々とした代理兵士デーモンだった。ゆったりと近寄ってくる。ハーロウよりも頭一つ以上も背が高い。ぼさぼさのアッシュブロンドの髪を帽子で押さえつけている。


「こんにちは、ラヴァさん」


 看護B班が担当するこの患者は、本来の名をサクラバという。ラヴァは愛称だ。

 いかつい見た目に反して、表情は常に穏やか。右頬を深く抉る創傷が、むしろ愛嬌にさえ見える。


「いやあ、良かった。久しぶりだね」

「おひさです。こちらは、えと……導師、のアイリスさんです」

「お初にお目にかかります。私は導師のアイリスと申します」

「やあ、初めましてアイリスさん。郵便人形、ではなく?」


 アイリスが目を閉じ、胸に手を当てて答えた。


「はい。郵便人形は物質世界にて効率的に行動するための仮の姿。私は多くの方々の魂を天空の記録アカシック・レコードへ導くために存在し、行動します」


 ラヴァはちらりとメラニーへ視線をやった。メラニーは頷いて「そのまま続けて」と暗に促した。


「なるほど。郵便人形ならシティとシティの間を移動しても不思議に思われないね」

「ええ、ええ! そうなのです!」

「ああ、自己紹介が遅れたね。俺は代理兵士のサクラバ。ラヴァと呼んでくれ」

「はて。溶岩ラヴァ、ですか。発音も綴りも違うような……」

「サクラってのは花の名前だ。ガラじゃないだろう? 兵隊は勇ましい名前が好きなんだ」

「なるほど。名前は重要です」


 ラヴァは止まり木の療養所へ入所して三年と、そこそこ長い。様々な患者への応対に慣れている。戦場に立つ代理兵士として致命的な不調を抱えているが、その他はまともだ。

 そつのないラヴァの応対に、メラニーは心中で感謝した。


「じゃ、行きましょう」

「ええ、道徒メラニー。ラヴァさんも、よろしければご一緒に海辺でお散歩などいかが?」

「いいね」

「いいんですか」

「いいともさ。考えてみれば、俺は空ばかり見てる。海を見るのは久しぶりだ」


 三体はアイリスの歩調に合わせて海まで歩いた。最も歩幅が広いラヴァはゆったりと歩き、最も歩幅が狭いメラニーは急ぎ足で歩いた。

 止まり木の療養所は半径二キロメートルの小さな巨大人工浮島メガフロートだ。病棟や体育館といった日常的に利用される建造物は、おおむね半径の半分あたりに位置している。最も近い海岸までは一キロメートル。ゆっくり歩いても十五分程度で松林を抜け、防波堤までたどり着く。

 アイリスがメラニーの手を離し、全身を帆にして陽光と潮風を全身で浴びた。肩甲骨に届く薄緑色の髪がさらりと流れた。


「ああ、良い風ですね」


 目と鼻の先に、黒々とした南太平洋の水面が穏やかに波打っている。ざん、ざん、と防波堤に小さな波が寄せている。

 不意に、メラニーの脳裏にいくつかの映像がよぎった。喪服姿の花嫁人形。頬をつまんで無理に笑顔を作ろうとしたハーロウ。


「アイリスさん。気をつけてください。海に落ちたら助けられません」

「安心なさい、道徒メラニー。私はまだ壊れる定めにありません」


 忠告を聞かないことは、ここ二十日ほどの付き合いで嫌というほど思い知った。


「ほら、道徒メラニー。あなたも陽気をたっぷり浴びなさい。混沌を間近にして陽気に触れれば、より明確にアストラル体の循環を体感できます」

「はい、アイリスさん」


 スピリチュアルな言動には慣れた。意味は、やはりさっぱり分からない。

 アイリスにとって、彼女自身はメラニーの導き手であり、メラニーは道に迷う弟子である。


「まずは右天左地から」


 右手で青空を衝き、左手は地面と平行に。指先の形も細かく教えられる。


 当院に入所する前は、勧誘に精力的だったらしい。誰彼構わず陰陽の『気』と天空の記録アカシック・レコードについて語り、叡智に接続チャネリングすることの素晴らしさを説いた。当然、郵便人形の業務はおろそかになった。

 入所してからは自身の『修行』が不足しているのだと解釈し、一体きり、昼の日光浴と夜の月光浴に励んでいたらしい。

 それでもアイリスの布教衝動は着実に高まっていた。そこに来たのがアイリス専属となったメラニーである。

 レーシュンは「せっかくだ。まずは弟子を一人、お前さんと同格の導師に育ててはどうだね」と提案し、アイリスはこれを天啓と捉えた。以来、メラニーを導くことに熱心になった。

 誰彼構わず布教して敬遠されるよりは良いと、メラニーは弟子入りを受け容れた。


 だが、アイリスの指導を受けるうちに気づいた。

 アイリスは郵便人形だ。彼女にとって、目覚めている時間の大半は屋外で過ごすものだ。ひねもす屋内に引きこもる、ただそれだけのことでストレスになる。

 だから彼女は閉鎖病棟において昼も夜も中庭で過ごし、必要な時にだけ屋内へ戻る。

 であれば、週に一度でも外出した方が、ストレスの解消に繋がるはずだ。日常的にストレスを感じている状態で、快方に向かうはずがない。

 一方、外出を提案したのは賭けでもあった。出会いをきっかけに他の患者へ布教を始めてしまったなら、次の外出は認められないだろう。


 などと心配していたメラニーだったが、杞憂に終わった。

 ある意味で。


「アイリスさん。俺も体験していいかな」


 え、とメラニーが声を上げる隙もなくアイリスが快諾した。


「はい、どうぞ」

「正直に言って興味本位だけど、いいのかい?」

「もちろんです。天空の記録アカシック・レコードは万人に開かれている叡智ですから。興味を持たれることは喜ばしいことです」

「まずはどうすればいいのかな」

「何にせよ、陽光を浴びることから始まります。まずは形から。お話は後にしましょう。陽の光を浴びて、風に身を任せます。今なら……そう、このように」


 奇妙なことになった。

 巨大人工浮島メガフロートの防波堤で、郵便人形と、看護人形と、代理兵士が、妙ちきりんなポーズを取っている。


 メラニーは舌をぎゅっと引っこめて我慢した。

 心情を声に出したくてたまらなかった。

 なにこれ。


 さすがに黙して語らないだけの分別はあった。

 だがやはり、唇がむずむずした。

 なにこれ。


 ゆったりと三体の手足が動く。法則は郵便人形だけが知っている。小柄な看護人形と大柄な代理兵士が、導師を自称する郵便人形に追従する。


「フーム……ヨーガみたいだ。昔、指揮官がやってたよ。エクササイズとしてだけど」

「ヨーガと『言葉』は違いますが、たどり着くところは同じです」


 アイリスを導き手とした『行』は三十分ほど続いた。

 黙々と、アイリスのルールに従って空気を押したり、指先を風にたなびかせたり、日光を背面で受けたりした。

 頃合いを見計らって、メラニーが切り出した。


「すみません、アイリスさん。メラニー、疲れました」

「無理はしないことです。心身は不可分なもの。アストラル体の循環が円滑になれば、より長く続くようになりますよ、道徒メラニー」

「そうですか」


 メラニーがラヴァに目配せしたところ、巨人は小さく頷いた。


「いや、これは意外に疲れるな。体力には自信があったんだけど。休んだ方が良さそうだ」

「よろしいかと。ゆっくりとした動作には、心身のアストラル体をよどみなく巡らせるための細やかな制御が必要です。慣れるまでは疲れるでしょう。私はまだ行を続けますから、お二方は休んでいてください。陽光を浴びているだけでも効果はありますから」


 松林と防波堤の境目まで下がり、メラニーとラヴァは並んで立った。

 防波堤の先では相変わらず郵便人形が海風と陽光に身を任せている。


「……で。ラヴァさん。良かった、って何ですか」


 ラヴァはアッシュブロンドの髪をぐしゃりと掻いた。


「かなわないな……実は、セイカ先生とバンシュー先生から言いつかってね。君が閉鎖病棟の患者さんと一緒に外出するから、万が一に備えて同行してくれないかと」


 メラニーは呆れ、片手で顔を覆った。患者に看護の手伝いをさせる医者があるものか。


「先生たち、何考えてるんですか……」

「俺はむしろありがたいよ。こんな『指無し』でも役に立てるなら使ってほしい」


 ラヴァは時々、自身を指して指無しと呼ぶ。ラヴァの両手には五本ずつ、太い指が付いている。何気なく髪を掻いたように、どの指も動く。


「もちろん、君の仕事の邪魔になっていなければ、だけど」

「邪魔とは思わないです。ラヴァさん、色々と分かってますから」


 自身の不調に関して、看護人形ではなくラヴァへ相談する患者もいる。何事に対しても鷹揚な性格と、巨体に宿る確かな優しさの雰囲気は、メラニーではどうあがいても得られないものだ。ちょっとだけ嫉妬する。


「そういえば、ハーロウちゃんは最近どうしてる?」


 ハーロウ、と聞いた瞬間にメラニーの全身がこわばった。

 ラヴァは何気ない世間話のつもりで話題を振ったに違いない。そういう気配りができる人形だ。ハーロウとも仲が良く、自由時間の折に雑談を交わしていた。


「あいつは……」


 ラヴァはおおらかな性格でいて、他者の感情の機微には敏感だ。


「何かあったのかい?」

「……あいつは、もう駄目かもしれないです」


 言ってから、メラニーは失言を悟った。心身に不調をきたしている患者へ、患者を世話する看護人形の不調を伝えてよいはずがない。要らぬ不安を煽ってしまう。


「……そうか……ここだけの話にしておこう」


 ラヴァは理解が早く、気遣いも上出来だった。

 理解と気遣いに、メラニーは甘えてしまった。


「あいつ、感受性が高すぎです」

「俺から見たら、メラニーちゃんも感受性が高すぎると思うけどね」

「そんなことないです」

「そんなことあると思うけどね。何があったか俺は知らないけど……例えばだ。君がハーロウちゃんと入れ替わったら、どうだい」

「それは……」


 メラニーは当然、誤信念課題を通過できる。ハーロウの見聞きしたことを推測できる。ハーロウの感情を想像できる。メラニーはハーロウの性格について、バンシューの次に詳しく知っている。


 花嫁人形のガラティアを任され、失った。

 保安人形のイリーナを任され、失った。

 学友人形のアンソニーを任せれ、失った。


「……しんどい、です」


 元来、看護人形は患者と別れるために働く人形だ。しかし、ああも立て続けに辛い別れを経験すれば、メラニーとて平静を保てる自信は無い。

 実際、ハーロウを経由してイリーナの心象風景に共感した時、メラニーは我を失って昏倒した。自身に対象の認知・感情・身体を『投影』するセカンダリで共感して、あのざまだ。

 対象と完全に『同化』するターシャリでの共感は、セイカやバンシューから戒められている。まともであればあるほど、心が耐えられない。

 あの馬鹿正直者は、この短期間で二度も患者と同化した。まともなあいつが壊れないはずがない。


「あいつ、やりすぎたんです」


 無論、患者の幸福へ尽くす気持ちと行動は、メラニーとてハーロウに劣らないと自負している。アイリスに対する看護はとかく大変で疲れるが、嫌だと思ったことは一瞬も無いとメラニーは断言できる。

 メラニーもハーロウと同じ誓いを立てた看護人形だ。相通ずる理念を抱くからこそ、メラニーはハーロウの行動とその結果をつまびらかに理解し、共感できる。


 同時に、ハーロウに憤りを覚える。

 なぜ、壊れるまで頑張ってしまったのかと。


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