人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

6-4「お嬢様はお忙しい」

公開日時: 2021年3月10日(水) 18:00
更新日時: 2021年12月15日(水) 15:31
文字数:6,628

 エリザベスさんに精神刺激薬を飲まされ、問答の末に「立ち上がれ」と叱咤されてから、三日が経ちました。

 わたしは総量にして体重の三分の一にあたる初期化済イニシャライズド微細機械マイクロマシンを経口摂取し、三日間で新陳代謝を一気に進めました。食べるものを食べれば出るものも出ます。それはもう、ごっそりと。


 昨晩は二十三時に就寝。目覚めたのは午前三時。

 午前八時にバンシュー先生が回診に訪れるまで、わたしはベッドから下りてストレッチをしていました。


「おや……?」


 声に振り返れば、保護室の引き戸を開けたバンシュー先生。

 先生は狸が化かされたかのようにきょとんとして、それから首を縮めました。肩をすくめたのだと思いますが、短い首を無理やり縮めたようにしか見えませんでした。


「元気になったのかい」

「……他に、やることがなかっただけです」

「何かをやろうという気にはなったわけだ」


 先生はわたしを座らせ、入院着の前をはだけさせて触診を始めました。大胸筋から腹直筋にかけての肉付きを確かめたり、脇腹をつついた際の反射を見たり。


「筋組織は百飛んで三パーセント回復。姿勢反射も正常」


 聴診器を当て、深呼吸を要求しました。


「はい吸って。吐いて。吸って。吐いて。副雑音は無し。じゃ、吸って止めて……うん、ときどき脈が飛ぶけど、これは僕がここにいるせいだね。気にするほどでもなし」


 バンシュー先生は、わたしの状態を呟きながら診察を続けます。まるで、わたしに状態を言い聞かせるかのようでした。

 肘の外側を走る尺骨神経を太い指が的確に探り当て、軽く圧迫しました。


「痺れるかい?」

「はい。小指が痺れます」


 最後に、太く短い指でわたしの両顎の付け根を軽く触り、頸静脈を通じて循環系の調子を確認しました。


「うん。循環系にも異常なし。明日からは固形物を摂取してもいいよ」


 ペンライトで瞳孔の反射を取り、ついでにペンライトの側面に刻まれた目盛り越しに左右の瞳孔径も計測。


「うん。対光反射は正常、瞳孔径も左右差無し。それじゃ、最後だ。両手を水平に。首を回して。時計回り。反時計回り」


 言われたとおりに体を動かします。身体操作の最適化が働くのを実感します。沈みっぱなしのわたしの気持ちとは関係なく、わたしの体はどんどん元気になります。


「はい、立ってごらん」


 わたしはスッと立ちました。

 バンシュー先生は深々と溜息を吐きました。


「まったく。あれだけひどい状態から、たった三日で健康体だ。馬鹿だね、君は」


 何ですか、藪から棒に。


「おつむのデキが悪いのは自分でも分かってます」

「そうじゃない。君はこうして立ち上がった。ひとまずとはいえ、立ち上がってしまった」


 立てと言ったのは先生ですが。


「本当に、君たち人形には困ったものだ。直そうと思えば、大概の個体は直ってしまう」

「人形ですから」

「そう、人形だからね。僕たちがそのように造った。ヒトと等価の機能を持ち、それでいて保守性、整備性に優れる。沈黙の臓器は存在せず、多少の不調はすぐに直せる。手足がちぎれても三日後には正常に稼働できる。体組織の三分の一を三日で入れ替えられる。それが人形だ」

「……でも、トニーくんは、直りませんでした」

「あれは特例。だけど同時に、普遍的な例でもある。アンソニーくんのような事例はね、それはもう、掃いて捨てるほどあるのさ」

「掃いて、って……」

「だから言ったろう。人形造型技師は人形に幸福を約束できないと。君は、立ち上がらなくてもよかったんだよ」


 ひどく、ひどく優しい声音でした。


「バンシュー先生……?」


 先生はかぶりを振って、また首を縮めました。


「君の体調は快復した。エリザベスさん」

「デスパレート失礼いたします」


 自由闊達、豪放磊落、傍若無人な家政人形シルキーが入室しました。


「もう聞いていると思うけど、僕は君の所有権を手放した。君は自由だ」


 自由だと言われても、わたしは何をすればいいのか分かりません。看護人形失格とはいえ、わたしは看護人形ナースとして造られた人形です。人形は、自由なんて求めません。

 そんなわたしの心境を察してか、先生がエリザベスさんの肩を軽く叩きました。


「当面、君の世話はエリザベスさんにお願いしている。彼女の指示に従うといい」

「はあ。分かりました」


 先生は頷き、それきり踵を返してしまいました。

 保護室に残ったのは、わたしとエリザベスさんだけ。

 エリザベスさんは黒いワンピースドレスをつまんで裾を上げ、左足を引いて右膝を小さく曲げて一礼。


「ご快復、何よりでございます、ハーロウ様」

「……人形ですから」

「イエス。ハーロウ様は未だ、心も体も人形でございます。心が人形でなくなったモノは、遅かれ早かれ名状しがたき異形と成り果てます。かの悪夢のように」


 わたしは、何も言えませんでした。


「辛気臭い話はこのくらいにいたしましょう。まずはお召し替えでございますね」


 エリザベスさんが指を鳴らし、メスキューくんが運動着を持ってきました。着替えろと言うのでしょう。手に取ろうとしたところ、エリザベスさんに制されました。


「いけませんハーロウ様。あなた様のお召し替えはわたくしがいたします」

「もう自分でも着替えられますけど」

「そうではございません。ハーロウ様はわたくしのお嬢様でございます。お召し替えなど下々にお任せくださいまし。さ、お手を広げなさいませ」


 エリザベスさんはてきぱきとわたしの入院着を脱がし、体を簡単に拭き清めてから運動着を着せました。着替えを他者へ任せたことがないので、どうにも戸惑います。患者さんの着替えを補助することは多々ありましたが。


「さて、参りましょう」

「どこにですか?」

「外に、でございます。人形は体を動かしてこそ解を探索できる存在。のーみそをこねこねコンパイルしたのですから、次はお体ぐねぐねストレッチでございます」


 エリザベスさんに連れられ、わたしは久しぶりに保護室から出て、閉鎖病棟からも出て、屋外へ足を踏み出しました。


 夏も盛り。お日様が北天に昇りつつありました。

 空は、後ろめたさを覚えるほど真っ青な快晴。

 見知った顔がいないか、つい視線をさまよわせてしまいました。午前中、外を出歩く人形はほとんどいないとはいえ。


「ご安心くださいませ。当面はどなたともお会いにならないよう計らっております」

「あ……ありがとう、ございます」

「無用のご心配より、建設的なご心配をなさいませ」

「建設的な、ですか」

「具体的には何かご質問などございましたら、今のうちにどうぞ。わたくしもあなた様も、これから忙しくなりますので」


 質問。

 保護室に閉じこもっていた頃には思いつきもしなかったことが、次々と浮かびます。

 これから何をさせようというのか。エリザベスさんの目的は。バンシュー先生がわたしの所有権を手放した理由は。

 そんな中で、さしあたりわたしにとって必要な情報は。


「……お嬢様って、誰なんですか?」

「お嬢様はお嬢様でございます。ハーロウ様にはわたくしの持ち主オーナーを演じて頂きます」

「ああ。ロールプレイングですか」


 当院、止まり木の療養所では、社会復帰のためのシミュレーション・ワークショップとして、ヒトと人形という設定で模擬演習ロールプレイングを実施することがあります。

 わたしも何度かヒト役の経験があるので、それはいいのですが。


「わたし、どんな設定なんですか」

「はい。お嬢様の設定を申し上げます。現在は御年二十歳。身長は百四十二センチメートル。体重は三十九キログラム。御年十六にして一等人形造形技師と認められた才媛でございます」


 わたしにそんな凄いお方のロールプレイをしろと。


「お立場は、シティにおける幹部企業の代表取締役、兼、最高技術責任者。加えてシティの保健衛生機関、清掃六課の課長も兼任なさっております。また、傍系ではございますが名家のお生まれでもございます」


 いや。属性、盛りすぎでは。


「そんな人、この世に存在するんですか」

「世間は広うございます。わたくしはいかなる方にもお仕えできねばなりません。なにせわたくしは万能女中ジェネラル。いかなるご要望にもお応えできねば、ジェネラルとは申せません」


 相変わらずの自信家です。


「ええと……あ、そうでした。その『お嬢様』は、どんな性格なんですか?」


 常にすらすらと受け答えをするエリザベスさんが、なぜか一瞬だけ言いよどみました。


「……恐れながら、断言いたしかねます。わたくしなりに漠然とした推測を立てておりますが、明確な言語化となりますと困難を極めます」

「言語化が困難って……」


 ロールプレイングにあたって重要なことは、その人物になりきることです。属性よりも性格が大事なのです。


「大まかでも決め打ちでもいいんですが」

「あえて申し上げるなら……大変に気難しいお方でございます。日々の習慣、および行動傾向につきましてはプロファイルがございます。適宜、ご説明いたします」


 やりとりしつつたどり着いたのは、当院をぐるりと囲う防波堤でした。

 確かに、患者さんがあまり訪れない場所です。


「ここで一体、何を?」


 エリザベスさんはエプロンの隠しポケットから赤いアンダーリムの眼鏡を取り出し、わたしへ手渡しました。


「まずはこちらをお掛けくださいませ」


 着用すると、視界に半透明のメッセージウィンドウが無数に散らばりました。視線を送った箇所だけが鮮明化しました。人形設計の審査申請だの、信用貨クレジットの変動実績レポートだの、わたしにはわけが分からない内容ばかりでした。

 ……って、これ、ARグラスじゃないですか。当院では一部の例外を除いて、電子機器の類いは生活から遠ざけられているというのに。


「あの、当院では電子機――」

「次にこちらをお着けくださいませ」


 渡されたのは薄手の手袋でした。


「そちらは指文字フィンガースペリングを認識する入力インタフェースでございます。当院の看護人形は指文字をご習得なさっていると拝聞しております。すぐにご理解頂けることでございましょう」

「それより電子機――」

「視線でポインティング。指文字を用いて、語彙の候補から適切なものをご選択くださいませ。文法的な誤りはわたくしが整形フォーマットいたします」

「ですから電子機――」

「ご安心くださいませ。ロールプレイにあたって利用いたします電子機器は、全てオフライン仕様の模造品モックアップでございます。また、ドクター・バンシューの許可も得ております」


 左様でございますか。


「それでは手始めに、お嬢様には当院の外周、約十二・六キロメートルを走って頂きます」

「へ?」

「目標タイムは一時間ちょうどといたします。わたくしも伴走いたします」

「待っ――」

「位置について。よーい、どん」


 エリザベスさんが時速十キロメートル余りのスピードで駆けだしてしまいました。仕方なく追いかけ、すぐに隣へ並びました。

 三日前まで引きこもっていたとはいえ、わたしも看護人形。十二キロメートルを一時間以内で走りきることくらい、難しくはありません。


「いきなりマラソンですか」

「お嬢様は毎日、十キロメートルを一時間以内で走りながら朝一番の業務をお片付けになります。日常の習慣として、プロファイルに記載がございます」


 生き急ぎすぎでは。


「お嬢様に関するご質問には後でお答えいたします。まずは眼前の課題を解決なさいませ」

「課題?」

「ARグラスに映っておりますメッセージウィンドウ。それらはあなた様が走っている間に解決すべき課題でございます。ペーパーテストのようなもの。さ、お解きなさいませ」

「解けって……」


 ウィンドウの一つに視線を送りました。ええと。シティの最底辺層エンドクラスにおける水質汚染の最新調査結果……? 核酸汚染の濃度が〇・一三ppmに上昇……?


「……問題の意味すら、分からないんですが」

「そのためにわたくしも伴走しております。課題に関しまして疑義等ございましたら、いつでもお申し付けくださいませ」


 このメイド、これだけ走りながらよくすらすらと舌が回りますね。わたしは息せき切らしながら言葉を継いでいるのに。


「じゃあ……核酸汚染って、何ですか」

微細機械危機マイクロマシン・クライシスに由来する水質汚染でございます」

「え……あれって、まだ解決、してないんですか?」

「現在進行中でございます」


 現代においてアミノ酸ベースの微細機械マイクロマシンが利用されていない、最大の理由。生物の機能を模倣しつつ、生物の化学は模倣しなかった最大の理由。


 アミノ酸ベースの微細機械マイクロマシンは、大雑把に言えば生物の細胞を模したものです。手始めに作成されたのが、人類をはじめとする真核生物に近縁である古細菌アーキアを模した微細機械マイクロマシンでした。

 研究途上にあったその微細機械マイクロマシンが、些細なミスにより技術者集団の研究室から外部へ流出。旺盛な増殖力を持っていた微細機械マイクロマシンは、既存の古細菌アーキア群に大規模な遺伝子の水平伝播をもたらしました。


 利用可能だったかもしれない従来の古細菌アーキア群の遺伝情報をめちゃくちゃに汚染してしまった、科学史上最大の失敗。

 同時に、ヒトへの応用を考慮していたことがあだとなりました。微細機械マイクロマシンをヒトに投与して何らかの働きをさせるなら、ヒトの免疫機構をすり抜ける機能を持たせなければいけません。


 どうなったか。ヒトの免疫機構をスルーして勝手気ままに増殖する古細菌アーキアもどきによる世界的感染爆発パンデミックが発生したのです。症状は潜伏期間の長いペストのようなものでした。世界中が大パニックに陥りました。

 とはいえ、感染経路も毒性を示す機序も最初から判明していました。元よりヒトが造り出したものですし、人獣共通感染症でなかったことも幸いしました。


「ワクチンの精製と配布は早かったと、教わりましたけど……」


 大勢のヒトが免疫を獲得すれば、ヒトだけを宿主とする古細菌アーキアもどきは根絶できます。かつて地球上から天然痘が根絶されたように。


下流階層ロークラスならともかく、最底辺層エンドクラスの人々が、シティによる保健衛生システムの恩恵を受けられるとお思いで?」

「すみません、そういうことは、教わっていないので……」

 微細機械危機マイクロマシン・クライシスについては、研修期間の講義で学びました。すっかり過去のことだと思っていました。まさか現在でも解決していないだなんて。

「気に病むことなどございません。本来、ハーロウ様は知る必要など無いことでございます。何せシティにお住まいの人々でさえ、最底辺層エンドクラスの人々など存じあげさえいたしません。知らずとも生きていけますので」


 それは。とても悲しく空しいことのような気がします。わたしはシティを見たことがありませんが、弱い人々が存在を意識さえされないなんて。


「ですが。お嬢様を任じて頂く以上は存じあげて頂く必要がございます。お嬢様はシティの保健衛生機関、清掃六課の課長でございますので」


 次々と提示されるメッセージウィンドウに対し、周囲にポップアップした語彙を繋いで『解答』の文章を作成。エリザベスさんに渡し、細かな文法をよしなに整形フォーマットしてもらいます。


「もっと素早くお願いいたします」

「そんな無茶な」

「無茶ではございません。お嬢様はジョギング中に平均して百二十件のタスクをお片付けになります。三十秒で一件。適切な語彙やら文法の正しさやらはわたくしがよしなに修正いたします」

「たった三十秒で、正しい判断なんて、下せませんよ」

「必ずしも正答する必要はございません。ロールプレイでございますので。そも、お嬢様のお仕事は何が問題か、そのために何をすべきか、判断することでございます。人形には荷が勝ちすぎるというもの。もちろん可能な限り妥当性を考慮して頂きたく存じますが」

「はあ。やるだけ、やってみます」


 と言ったものの。

 人形には荷が勝ちすぎる作業を走りながらやるのですから、疲労は倍どころの騒ぎではありませんでした。人形の模倣脳も大量にエネルギーと酸素を消費します。もちろん、時速十二キロメートル強で走り続けるためにも大量のエネルギーと酸素を消費します。


「はい、ゴールインでございます」


 何とか、一時間で敷地の外周を走り切ることはできました。


「ぜっ……はっ……」


 わたしが片付けられたタスクは、たったの三十件。メッセージの意味をエリザベスさんに尋ねながらですから、仕方がないと言えば仕方がないのですが。

 汗びっしょり、疲労困憊のわたしに、エリザベスさんは経口補液を服用させながら言いました。


「ま、初日にしては上出来でございましょう。次は運動場へ参りますよ、お嬢様」

「まだ、何か、あるんですか……」

「まだ、ではございません。これから、でございます」

「ええ……」


 わたしは半ば引きずられるようにして、体育館のすぐ隣にある多目的運動場へと連れて行かれました。


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