照明が落とされた深夜のコモンスペースにて。
長机の上に投影された当院の模型を、ラヴァさんが両手の示指で示しました。
「作戦の目標はシンプルだ。徹底して、青十字の兵隊を君たちの持ち場に引きつける」
閉鎖病棟と生産棟。わたしとメラニーが、それぞれ受け持つ場所。
ラヴァさんは戦闘がどのように推移するかを予測し、それぞれのシーンにおいて必要な行動をてきぱきと解説しました。
まずは熱光学迷彩を剥がすために、接敵直後に染色液を噴霧すること。
松林に退いて、染色液の噴射圧で金属球を射出すること。
松林を抜けてからは、投石によって攻撃を継続すること。
メスキューくんの位置取りは現場で指揮にあたるわたしたちに委ね、臨機応変に動かす。敵が散開する兆しを見せたなら、すぐさま阻止する。かつ、一点突破を許さない。メスキューくんを全て使い潰してでも、わたしとメラニーのもとへ青十字の戦闘員を集結させる。
念のため、副官として先輩の看護人形を一体ずつ付ける。わたしにはジュリア先輩。メラニーにはアルブレット先輩。わたしたちが判断に迷ったときは、先輩の経験と推測を判断材料に加える。
いくつかのケーススタディを経て、わたしたちが作戦の骨子を理屈だけでなく感覚でも理解したところで。
メラニーが、核心に迫る質問を投げかけました。
「それで。メラニーたちに青十字を引きつけて、どうするんです」
そう、そこが問題です。ラヴァさんの推測によれば、二百体ほどの人形が上陸する見通しです。わたしとメラニーの介入共感機関では、せいぜい数体の人形しか支配できません。
「奴らを俺と同じようにする。君たちの機能を使えば、それができるはずだ」
「同じように……?」
首を傾げるわたしたちの隣で、バンシュー先生が腕を組み、深く頷きました。
「……なるほど。あなたが指無しになってしまった原因を、青十字に感染させるんだね」
バンシュー先生には珍しく、どこか寂しげな声音でした。
「そうです。俺が至ってしまった結論を、奴らに共有させる。これが成功すれば、こちらの勝利条件を満たせます」
よく分かりません。バンシュー先生はよくご存知なのでしょうけれど。
「で。メラニーたちは何をするんですか」
ラヴァさんがわたしたちへ視線を転じました。
「まずは君たちの機能を使って、俺の心を読み取ってほしい」
耳を疑いました。自ら望んで心を読み取ってほしいだなんて、正気の沙汰ではありません。
わたしとメラニーが言葉を失っている間に、ラヴァさんが言葉を継ぎました。
「俺は、戦えない。銃の引き金を引けないし、誰かを殴ることもできない。俺の症状はそういったものだ。君たちの機能を使って、奴らに俺を感染させる。戦えなくする。武力行使は割に合わなくなる」
それができるなら、確かに勝算があると言えるでしょう。
「奴らを一箇所に引きつけるのは、人形同士が直接通信できる範囲に全員を収めるためだ。感染は一斉に、同時に起こす必要がある」
言っていることは、理解できます。けれど。
「わたしたちの介入共感機関は……その……」
「いいかい。俺たちは手段を選べない。使えるものは使うべきだ。君たちには目立ってもらう。危険な立場だ。もし選抜射手がいたら狙撃される。俺なら室内戦闘に重点を置いて装備を整えるけど、選抜射手がいないと断言はできない」
「そうではなくて!」
自然と語気が荒くなってしまいました。すぐに気まずくなり、わたしは縮こまってしまいました。
「……ごめんなさい」
それまでずっと険しかったラヴァさんの表情が、ふっといつもの穏やかなそれに戻りました。わたしたちがよく知っているラヴァさんでした。
「俺なんかのことを気にかけてくれてありがとう」
メラニーがむっとした口調で咎めました。
「自分なんか、って言わないでください。大事な患者さんです」
「いや、参ったな……まあ、何だ。正直に言えば、俺は君たちのことが怖い。今まで出会ったどんな人形より怖い。セーフティがかけられているとはいえ、常に銃口が俺を向いているようなものだ」
心ある者なら、誰もが本能的に忌み嫌う機能。それが介入共感機関です。
「けれど俺は、今まで出会ったどんな人形よりも君たちのことを信頼している。味方が携行している銃のようなものさ。何せほら、俺はここに入所して長い。君たちが目覚めてからこちら、ずっと君たちのことを見てきた。君たちの人の好さは、先生方の次くらいには知ってるつもりだ」
ラヴァさんは、当院に入所して三年半が経ちます。当院において、最も長く入所している患者さんです。
「だから、預けるよ。こんな俺が君たちの役に立つなら、悪い気はしない」
迷いのない声色でした。言葉の通り、わたしたちに全幅の信頼を置いてくれているのです。
だったら。
わたしとメラニーは互いの顔を見やり、頷きました。
「……分かりました」
「やります」
患者さんが何もかも理解していて、納得したうえで共感を望むと言うのなら、わたしたち看護人形に拒む理由はありません。拒むべきではありません。
「対象の同意を確認。ラヴァさん。目、閉じてください」
「これより看護人形ハーロウおよび看護人形メラニーは、感情・認知領域に限り、介入共感機関の拘束をプライマリレベルまで解除します」
わたしたちも目を閉じ、胸に手を当てて、それぞれが誓った詞を繰り返しました。
「わたしは常に人形の味方である。それが毒あるもの、害あるものであろうと、わたしはその全てを肯定する」
「我は。常に人形へ与する者。其に毒あれど害あれど、これ悉く肯う者」
わたしたちが三年前に目覚めてからしばらくして、言語を操れるようになったとき。バンシュー先生とセイカ先生は真っ先に、看護人形に必要な知識ではなく、わたしたちに看護人形誓詞に込めるべき概念を与えました。
「わたしの使命は、観察、理解、共感。わたしは使命に忠実であり、わたしに託された人形の幸福のためにわたしの全てを捧げる」
「観察、理解、共感の命題へ殉ずる者。其の厚生に全霊を捧ぐ者」
全ての人形の味方であれ。いかなる人形の在り方も肯定せよ。観察、理解、共感を通して、出会う人形に己の全てを献げよ。
それが、わたしたちの造られた目的であり、当院の目指すところであるから。
「いつか、ここから旅立つ日のために」
「此方を発つ、他日が為に」
互いに誓詞を暗唱した、直後。
全身の感覚が、薄膜一枚を隔てているかのように曖昧になりました。
「……っ、う」
「く……」
二体とも、うめき声を上げてしまいました。
わたしたちは今、ラヴァさんが認知していることを他人事のように感じています。今のわたしたちにとって、サクラバという人形は、あらゆる感覚の入出力装置です。
目を閉じてもらって助かりました。少なくとも、視覚のズレによる動揺病は軽減できます。
かすかな音が反響しているように聞こえます。立体投影装置のハム音。バンシュー先生と、わたしたち人形のかすかな息遣い。自身の聴覚に加えて、ラヴァさんの聴覚も重なっているためです。息遣いまで捉えるとは。代理兵士は聴覚が鋭いのでしょうか。
触覚も違います。わたしたちと違って、全身がおおむね鈍い。
嗅覚と味覚は慣れやすい器官です。
感覚のズレが馴染むのを待ってから、わたしはラヴァさんへ語りかけました。
「……では、思い出してください。ラヴァさんが、なぜ戦場において役立たずになったのか。その経緯を。あなたの思い出を」
投げかけた言葉が黒い水面を打ち、五感を伴う記憶が想起されました。
真っ先に知覚したのは、嗅ぎ慣れた砂埃と火薬の匂い。嗅ぎ慣れているという印象が、逆にわたしへ違和感をもたらしました。
同時に、何とも言えない寂しさと諦念を読み取りました。わたし自身が感じているのではなく、ああ、この人は悲しんでいるのだな、と推察する感じ。一般的な意味での共感。
やがて。
視界に現れたものを知覚し、認知して、わたしもメラニーもヒュッとか細い息を呑んでしまいました。
累々と横たわる、血まみれの、無数の死体。大人もいれば子供もいる。男性もいれば女性もいる。誰も彼も、致命的部位のどこかに穴が空いている。明褐色の乾いた土が、おびただしい血液を飲み干している。強い日差しが、飲み干した血液をぱりぱりと乾かしていく。
「これ、は……」
「水戦争。俺たちの隊が攻撃した、犠牲者だ」
「そんな。だって、戦争は代理兵士が……」
「シティは民間軍事企業を雇う。民間軍事企業は代理兵士を運用する。民間軍事企業を雇うだけの信用貨を持たない勢力は、ヒトが銃を担ぐ。それだけのことだ」
関連する情報がなだれこんできました。
水戦争。十年前、中央アフリカにおいて勃発した、水源地を巡って複数の勢力が争った大きな紛争。シティ・キアヤは巨大な水源地を独占しており、周辺に暮らす非市民の利用を排斥。シティに属さない貧しい人々は、生きるために血を売って武器を買い、戦う道を選んだ。
水がなければ、ヒトは生きていけません。人形の製造と運用にも大量の水を必要とします。
「俺は兵士だ。多くの人形を壊したし、多くのヒトを殺した。普通のことだ」
そう語る声色は、無色透明でした。感情が込められていませんでした。けれど、ラヴァさんに共感した瞬間から感じ続けている寂しさと諦念が、いっそう強まっていました。
「多少訓練された程度のヒトが、俺たち代理兵士の部隊に太刀打ちできるはずがない。練度も装備も段違いだ」
ふと、視界に軍服姿の男性が現れました。背丈はわたしと同じくらいでしょうか。年齢は四十代か五十代。黒かったであろう髪には白髪が多く混じり、日に焼けた肌には加齢に由来するしわが走っていました。
顔かたちだけ、ピントがずれているかのようにぼやけていました。
『ガキの死体は、さすがに堪えるな』
やけに若々しい声音でした。
『どうしたんです藪から棒に。■■■■指揮官』
指揮官に関する個人情報がマスクされています。おそらくは声音も、本来のそれとは違うのでしょう。
『なあラヴァ。なんで俺たちゃ戦争なんぞしてるんだろうな』
『仕事だからですよ』
『んなこた聞いちゃいねえよ。今時、戦争なんざ時代遅れなんじゃねえかって話だ』
『だとしたら俺たち代理兵士は造られてません。民間軍事企業も用無しです』
『そうなんだが、そうじゃねえんだ。んー、なんつーのか……』
指揮官は、がりがりと白髪混じりの頭を掻きました。
『いや、分かるよ。需要がある。俺には適性がある。俺に平和なシティ暮らしは合わねえさ。どうせ酒とドラッグに溺れて、貧民街の路地裏で野垂れ死にだ』
『そうでしょうね』
『言うじゃねえか』
肘で脇腹を小突かれました。ラヴァさんは、当時の感触をよく覚えていました。
『さておき、だ。物流は最適化されてる。信用貨の普及は不正を割に合わなくさせた。二大株のおかげで食料に困ることはない。知識は技術者どもが公開して共有する。そこにきて、戦争ってのは金も物資もやたらバカ食いする。まったく馬鹿げた仕事だ』
『馬鹿げてるかどうかは分かりませんが、信用貨と物資を大量に消費するのは間違いありませんね』
指揮官は累々と横たわる死体に歩み寄り、しゃがみました。
『こいつらも、水さえありゃあ、まともに暮らして仕事して、価値を生んでたはずだ。長い目で見りゃ、黒字だ。技術者どもがこぞって知識を公開するのも、そうした方が長い目で見りゃ黒字になるからだ。自分の研究が捗るって意味でな』
『失礼を承知で言いますが。指揮官、意外と物知りですね。長い付き合いなのに知りませんでしたよ』
『お前な……俺は指揮官だぞ。敵方の事情も知らねえで指揮なんざ務まるか。損得の勘定も俺の仕事だ』
『そいつはどうもお疲れ様です』
しゃがんでいた指揮官が立ち上がり、反転しつつ背筋を伸ばしました。腰に疲労が溜まっているようです。
『ったく……無駄口を叩く暇があるならお前に仕事をやる。この戦争で一番損失が少なくなる戦略を考案してみろ。敵も味方も含めてな』
『俺がですか』
『お前だよ。俺の副官だろうが。有能な働き者には仕事をくれてやらんとな』
それは、指揮官の何気ない軽口だったのでしょう。あるいは、ヒトを殺したことについて、事後にあれこれ思索を巡らせる行為を恥じたのか。
ラヴァさんはそのように推察して、付き合いの長い指揮官へこう応じたのでした。
『まあ、やってみますよ』
指揮官はラヴァさんの背中をばしりと叩きました。
『ついでにあの主無しをどうにかする方法も考えといてくれ』
どこにでもいますね、あのメイド。そういえば従軍経験があるとか言ってましたっけ。
『いやあ……是非とも引き受けたいところですが』
『嘘をつくな』
『まあ嘘ですが、どうするか考えるのは指揮官の仕事です。ああしろ、こうしろ、と言われたらやりますが』
『ああそうだな全くだ』
『何で家政人形が戦場にいるんでしょうね』
『俺が知るか。分かってるのは、あいつは猫のクソを犬のクソで包んだクソの塊か、そうでなけりゃ悪魔かのどっちかってことだ』
いくらなんでもひどい言われようです。
『クソの塊なのは分かりますが、悪魔ですか』
『悪魔だろ。こないだ、俺の部隊にしれっと紛れ込んで作戦情報をかっさらいやがったのを忘れたのか。兵站輸送ユニットはクラックしてゴキゲンにする、弾薬は模造弾にすり替える、挙げ句の果てにはヒトの飯と人形の飯をすり替えやがる! ご丁寧に犯行声明付きだ!』
『ああ、飯は困りましたね』
『これが悪魔でなけりゃ何だ? あいつ一体きりの破壊工作のせいで、我らが■■■■■社の信用価値と将校連中の士気はガタ落ちだ』
前言を撤回します。とてもひどい。
『……まあいい。そもそもあのクソ悪魔の対処は俺たちの仕事じゃない。そら、次のブリーフィングだ。行くぞ、ラヴァ。こんなクソッタレの戦争なんざ、とっとと終わらせるに限る』
『了解です』
指揮官にまつわる記憶の想起はそこで終わり、視界が真っ暗に戻りました。
「……雑念が混じったな。エリザベスさんのことは忘れてくれ」
「……そうします」
改めて想起されたのは、共感した時から続く、寂しさと諦念。
「俺の指揮官は、少なくとも戦術指揮においては実に有能だった。敵方の損害は甚大に。味方の損害は最小に。俺が指揮官との付き合いを長く続けられたのは、的確な指揮のおかげで俺が壊れなかったからだ」
関連する記憶がいくつも想起されました。
中でも印象深かったのは、指揮官と出会った頃の思い出。
彼にラヴァとあだ名を付けたのも、かの指揮官。極東の出身だった指揮官が、サクラという単語が「代理兵士らしくない」と言って、ラヴァと呼んだのがきっかけ。
ラヴァさんは、指揮官を良き上官として敬愛していました。
だから、何気ない軽口でも、自身に設定された問題として取り組んでみた。
「俺は指揮官の判断傾向を真似して、空き時間に少しずつ解いてみた。水戦争の発端を調べて、信用貨の流通を洗った」
ラヴァさんの視界に、中央アフリカの地図が浮かびました。互いの勢力が支配している地域。それに紐付いて網の目のように世界中へ伸びていく、信用貨と物資の流通。それぞれがどこからどこへ、何の目的で送られているのか、無数のタグが付けられていました。
地図のカメラが引いていきます。アフリカ大陸全土を収めてもなお足らず、ユーラシア大陸を収め、果てには地球全土にまで及びました。
誰もが他人事ではない。そのはずなのに、世界中のシティは知らんぷりをしている。
「人形網絡は匿名でありながら透明なネットワークだ。その気になれば、信用貨と物資の流れを把握することなんて難しくはない」
何よりも驚いたのは、貧しい人々に武器を売っていたのが、よそのシティだったということでした。血液を買い取るのはただの名目でした。真意は、シティ・キアヤとの交渉において有利を得ること。決して、貧しい人々に同情してのことではない。中には最底辺層の人々を戦地へ送り出すシティさえありました。
紐解いていくと、水戦争は単純なシティと非市民の争いではありませんでした。世界中のシティが、紛争を機に利を得るため、様々な形で介入していたのです。
「俺は関係者の利害調整をシミュレーションしてみた。敵も味方も含めて、損失が最も少なくなるやり方を探してみた」
世界中に伸びていた信用貨と物資の流れが次々に消えていきます。
地図は急速にアフリカ中央部へと寄っていき、最後にはシティと非市民勢力との間に、たった一本の線が残されました。
線に付けられたタグには、たった一つの言葉だけが記されていました。
相互理解。
「戦争なんて、するべきではない。俺が導き出しうる限り、最も合理的な解は、それだった」
なんて皮肉な話でしょう。戦争に携わる人形が、戦争を否定するだなんて。それも、感情に基づいた結論ではなく、合理性を追求して得られた結論だなんて。
「そもそも、シティ・キアヤは水に困ってなかった。地下に豊富な水脈を持っていた。あの水源地を手放したところで、シティの運営に支障をきたすはずもなかった」
「じゃあ、どうして……」
「あの水源地の水は、交易品の生産に使われていた。それが良いか悪いかは分からない。ただ、交易品の生産によって得られる信用貨より、俺たち民間軍事企業の運用に関わる信用貨の方が上回っていた」
メラニーが不満げに漏らしました。
「意味不明です。だったらやめればいいです」
わたしは、知っています。エリザベスさんに教えられました。
「……誰も、シティの外のことには関心を持たないから。自分たちの生活に直接関わる以外のことは、どうでもいいから」
シティ・キアヤの統治者が「水源地を手放さない」と決めたなら、シティ・キアヤの人形網絡クラスタはその方針に基づいて利害調整を実施します。
交易品の生産によって得られる利益と、民間軍事企業の運用による損失のバランスは、人形網絡クラスタによってよしなに取り計らわれ、誤魔化される。
統治者が悪、というわけでもないでしょう。統治者は市民の代表です。
市民は自身の利益を最大化したい。損をしたくない。持っているものを手放したくはない。
何もかも、当たり前で自然なことです。
けれど。
「みんなが、ほんの少しだけ優しければ。みんなが、ほんの少しだけ他人のことを気にかければ。ほんの少しの、目先の損を許せるなら――」
平坦な、無色透明な声色でした。けれど、彼の感情には寂しさと諦念が滲んでいました。
「それだけで、戦争は起こらなくなるはずなんだ」
メラニーが苦々しげな声音で問いました。
「でも。だったら。ラヴァさんは。代理兵士は」
「そう。要らないんだよ。代理兵士なんて人形は。だってそうだろう。戦争なんて、本当はやる必要がないんだから」
再び想起された、貧しい人々の死体。
誰も彼も致命的部位のどこかに穴が空き、だくだくと血液を流出させている。明褐色の乾いた土が、黒々とした血液を飲み干している。
俺が殺した。何人も。何人も。
寂しさと諦念が、改めて強く、吐き気のようにこみあげました。
――ああ。そうか。
ラヴァさんは、ヒトを殺めるたびに心を痛めていたのです。代理兵士とはいえ、彼とて人形なのですから。全ての人形に共通する、心の標準フレームワークに基づいて製造された人形なのですから。片方のヒトの役に立つため、もう片方のヒトを殺めている。その矛盾を、代理兵士という分類を貼ることで見えなくしていたのです。
だけど、そんな人形が、本当は戦争なんてするべきではないと結論を得てしまったのなら。
「それきり、俺は駄目になった。使い物にならなくなった。引き金を引けなくなった」
ゆえに、指があるのに指無し。
有害であることが求められる代理兵士としては致命的な、ほとんど無害となってしまう症状。
彼が常に鷹揚で優しいのは、寂しさと諦めの裏返し。
自然と、介入共感機関が再拘束されました。
わたしたちは軽い吐き気と眩暈を覚え、コモンスペースの床に座り込んでしまいました。メスキューくんが差し出してくれた鎮静剤のアンプルを受け取り、それぞれ自身に投与して共感酔いを抑えます。
見上げれば、ラヴァさんは長机に身を乗り出して、心配そうにわたしたちを覗き込んでいました。首を縦に振って「大丈夫です」と示すと、ラヴァさんは頷いて話を続けました。
「これが、俺だ」
わたしたちが読み取った、ラヴァさんの心境。
戦えない。戦わない。なぜなら、戦争は不合理だから。
不合理である、という点が特に重要です。心を持つとはいえ、人形は道具です。己に与えられた問題を、可能な限り合理的に解こうとします。人形は、不合理な手段を本能的に避けようとするのです。
「俺の症状には、今のところ治療方法が無いらしい」
ラヴァさんが視線を送った先、バンシュー先生が頷きました。
「ただの事実だからね。治療も何もあったものじゃない。世界の常識がひっくり返らない限り、彼は戦場に戻れない」
医師であり一等人形造形技師であるバンシュー先生が断言するなら、間違いはないのでしょう。
「現実に戦争は起こる。他の代理兵士に情報因子が伝染してしまったら、シティ間の利害調整がうまくいかなくなる。一方で、一個の人形が単独でそのような解に行き着いたというのは、実に珍しいケースだ。廃棄してしまうのは惜しい」
だから、外界から隔絶されている当院で身柄を引き取った。例外のサンプルとして。ラヴァさんが常々自嘲するのもむべなるかな、です。役目を果たせなくなったのに、稼働し続けているのですから。
「まさか、こんな形で協力してもらえるとは思わなかったけれどね」
「いいんですよ、先生。何であれ、役に立てるなら俺はそれでいいんです」
ラヴァさんが、改めてわたしたちへ言い含めました。
「ともかくだ。君たちの機能を使って、俺を奴らに感染させる。俺と同じにしてやれば、奴らは戦えなくなる。今の俺が提案できる一発限りの銀の弾丸だ。お願いできるかい?」
鎮静剤が効き、共感酔いが抜けてきました。
わたしとメラニーは立ち上がり、軽く頭を振って目眩と悪心を追いやりました。ナースキャップを整えてから、お腹に力を込めて答えました。
「やります」
「あなたの心は、確かにわたしたちが受け取りました。決して無駄にはしません」
優しい巨人は微笑み、鷹揚に頷きました。
「ありがとう。君たちにそう言ってもらえるだけで、俺は果報者だよ」
そう言ったのち、ラヴァさんの表情が再び引き締まりました。
「さて、総括といこう。君たちが支配する人形は、それぞれ一体だけでいい。まず間違いなく、連中は暗号化した人形網絡を構築して情報を共有している。一瞬でいい。支配した人形に注意を集めるんだ。問い合わせを殺到させる。その時に――」
ラヴァさんが語る作戦の総括を聞いているうちに、冴えてきた模倣脳がぐるぐると事実を帰納し、命題を演繹しました。
そして、気づきました。
気づいてしまいました。
隣に立つメラニーの腕を肘で小突いてみました。彼女もまた肘で小突き返してきました。
わたしとメラニーは、等価な存在です。彼女も気づいています。
ラヴァさんがわたしたちに共有したのは、戦えなくなる情報因子だけではありません。武力行使が無意味だと、無価値だと知らしめることだけではありません。
本当に大事なこと。
それは、彼が解を求めた末に、たった一つだけ残ったタグ。
「バンシュー先生」
「ラヴァさん」
当院の模型に注視していたバンシュー先生とラヴァさんが、わたしたちへ視線を転じました。
「わたしたちから、追加の提案があります」
「メラニーたちが勝利条件を満たした、後のことです」
バンシュー先生は、ほうと一声発して興味深げな顔つきになりました。
ラヴァさんは、片方の眉を下げてひょいと首を傾げました。
「言ってみたまえよ、二体の戦術指揮官殿」
「聞かせてくれるかな。後のこととなると、俺の管轄外になるけれど」
わたしとメラニーは一旦お互いの顔を見やり、ほぼ同時に、全く同じことを告げました。
「わたしたちが本当に目指すべきことは――」
どうして、皆一緒に行こうとしなかったのですか? 戦争というのは、非常に物資を消費するものでしょう。それを、もっとよいことに使ったらよかったのではありませんか?
James Patrick Hogan. (1978).The Gengtle Giants of Ganymede. Ballantine Books, Inc,.
(ジェイムズ・P・ホーガン. 池央耿 (訳) (1981). ガニメデの優しい巨人. 東京創元社)
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