わたしが閉鎖病棟の屋上で発砲音を聞いてから五秒後。
実際の発砲から約十秒の間。
青十字の戦闘員は、沈黙したメスキューくんへ銃口を向けたまま、動きませんでした。メスキューくんがまだ動けることは見透かされているようです。
素通りしそうな気配が見られれば、不意打ちもできたのですが。そう簡単にはいきませんか。
M1:状況を再開する。
すかさず映像の共有を再開します。メスキューくんたちは事前の作戦通り、当院の外周を囲む松林へと後退。松の木に隠れ、銃口から逃れます。
ハーロウ:各位、金属球の射出を開始してください。
M1:了解。
メスキューくんが左のマニピュレータを木の陰から差し出し、青十字の戦闘員へと向けました。ぷしゅっと静かな音。
直後、ずどどど、と鈍い音。真っ黒ないでたちの戦闘員が何体か、直撃を受けてよろめきました。真っ黒な服のあちこちに、ぽつぽつと染色液の点が浮かびます。
染色液を噴出する圧力を利用して、金属球を射出したのです。命中率は悪く、威力もベニヤ板を凹ませる程度しかありませんが、牽制としては充分な効果を発揮してくれました。
M1:標的に効果あり。
ハーロウ:十五メートル後退。松林を抜けるまで牽制を続けてください。
M1:了解。
ハーロウ:敵に狙撃手はいますか?
M1:否定。主武装は拳銃弾を装填・射出する短機関銃。
ハーロウ:分かりました。もし狙撃手を認めたら即座に共有してください。
M1:了解。最優先事項とする。
あの金属球は、メスキューくんの脚部に利用されているボールベアリングから取り出したものです。整備用品として備蓄されていたボールベアリングを分解しました。
金属球を装填する機構は、患者さんに合わせて自動的に錠剤を配分してくれる機械を流用しました。金属球は普通のお薬よろしくPTPにラッピングしてあります。
最大の欠点は連射が効かないこと。一発撃ったら後退して装填の時間を稼ぎます。
第二射も効果あり。第一射でよろめいた戦闘員へ、射出先を集中させました。数撃てば当たるというやつです。
M1:標的の行動に変化あり。三体一組の縦列と推測。
青十字の戦闘員もさすがに何が起こっているのか理解したようです。
ハーロウ:全機へ。漸次、後退距離を長くしてください。
M15:了解。
M25:了解。
メスキューくんたちの並びを、横一列を維持して下げていきます。相手の射線が交差すると、突出している個体が集中砲火を浴びてしまうためだそうです。
じりじりと戦列を下げ、金属球を断続的に射出して牽制を続けます。
このままラヴァさんの作戦通り戦線を維持できればいいのですが――
M1:標的が横方向へ移動。密集隊形を構築中。
想定より判断が速い。
金属球の射出が単発で、威力も低く、さらに装填に時間を要すると理解したなら、当然の動きです。戦線を一点集中で突破してしまえば、分断したメスキューくんたちを各個撃破できるのですから。
主導権を握られるわけにはいきません。相手が想定を上回ったのなら、こちらも当初の予定は捨て去って次の策へ移らなければ。
せっかく作った金属球の射出機構ですが、この場では捨てることにします。
ハーロウ:金属球の射出をただちに停止。全機、全速力で松林から離脱してください。
M1:了解。離脱を開始。
ハーロウ:離脱後、各ポイントで二列横隊を編成。標的から百メートルの間隔を維持。
M1:金属球の有効射程圏外となる。是か非か。
ハーロウ:是です。承知の上です。
M1:了解。十機で戦列を再構成。奇数番を前列、偶数番を後列とする。
ハーロウ:よろしい。そのまま東へ後退してください。
M1:一キロメートル後退の時点で損耗率五十パーセントと推測。是か非か。
ハーロウ:構いません。被弾してください。
一拍置いて、わたしはテキストチャットにこう書きました。
ハーロウ:全滅することが、あなたたちの仕事です。
M1:了解。
いくら心を持たない医療物資運搬ユニットであるとはいえ、壊れろと命じることには心が痛みました。彼らも、わたしたちと同じ道具です。医療物資運搬ユニットとして、当院のマスコットとして、意図された通りの使い方をしてあげたかった。
心臓を細い糸で締められたかのような痛みを我慢して、わたしは戦況に神経を尖らせ、少しでも青十字の戦闘員の進軍を鈍らせるべく矢継ぎ早に指示を飛ばします。
松林を抜けるまでに五機が大破。短機関銃の発砲で脚部を破壊されたのち、基盤部を焼夷手榴弾で焼かれました。
松林を抜けるまでは損失を出したくなかったのですが。いかに松林の遮蔽があるとはいえ、火力を集中させられてしまうと、損害は免れませんか。
うなじがチリチリとひりつきます。既に計画通りとは言えない。けれど、かろうじて目標を達成できる状況は維持している。現状は、そんなところです。
いよいよ夜が明け、ナースキャップに描かれたシンボルの色彩がはっきりと知覚できるようになった頃。
メスキューくんたちの各隊列が、芝生に覆われた一帯にまで後退しました。芝生の上には、松林から閉鎖病棟に向かって、無数のコンクリート片が帯状に散らばっています。
本来、当院には小石ひとつ転がっていません。あれは施設の補修に用いる速乾セメントに水と砂利を混ぜ、小分けにして硬化させたものです。速乾セメントはモルタルとして使うものですから、建材としての強度は期待できません。ですが、投擲に使うなら充分。
ハーロウ:全機、投石開始。
M1:了解。投石を開始する。
メスキューくんのマニピュレータが片っ端からコンクリート片を拾い上げ、青十字の戦闘員へと投げつけます。
青十字の戦闘員は、防弾ベストや防弾ヘルメットを着用していることでしょう。ですが、猛スピードで投げつけられる握り拳大のコンクリート片は、銃弾とはまた違った脅威となります。
事実、ヘルメットにコンクリート片の直撃を受けた青十字の戦闘員が昏倒しました。
仲間が倒れたというのに、彼らはいささかも動じる気配を見せず、ひたすら前進して発砲を繰り返します。メスキューくんは誰も彼もが穴だらけになりながら、後退しつつ投石を繰り返します。
M1:標的、二人一組にて散開を開始。
ハーロウ:各ポイント、一列横隊に展開。中央は後退。半包囲の形を見せてください。
やはり判断が速い。陣形の縦深が無くなるため、一列横隊もこちらが望むところではありません。ラヴァさんの予想していた限り、最悪の状態です。
最悪ですが、ラヴァさんの予想の範疇でもあります。
わたしは映像の共有を切り、自分の視界を取り戻しました。
朝日が背から差し込む中、五百メートル先の芝生にて、黒と白が戦闘を繰り広げていました。ばららっ、ばららっ、と、断続的な発砲音が響きます。
世間から隔絶し、争いとは無縁であるべき止まり木の療養所にあって、決して響くべきではなかった音。
患者さんに聞かれていないことが、せめてもの救いでしょうか。
ハーロウ:@メラニー 五百メートル後退しました。五機大破。そちらは?
メラニー:@ハーロウ 八百メートル後退。七機大破。二列横隊で投石中。
わたしが立っている閉鎖病棟は、西岸から一キロメートルの位置にあります。一方、生産棟は敷地の中央部。メラニーは二キロメートルにわたって後退しつつ抵抗しなければなりません。
今のところ、わたしもメラニーも青十字の戦闘員を引きつけ続けています。メスキューくんはどんどん破壊され、青十字の戦闘員はみるみるわたしたちのもとへと迫っています。
四つに分けていたメスキューくんの戦列は押しに押され、自然と合流しています。
必然、青十字の戦闘員たちもまた、一箇所に集まりつつあります。
だしぬけに、第三層にて警備にあたっているのメスキューくんから通信が入りました。
M81:医師バンシューより伝令。どうだい、持ちこたえられそうかい?
わたしとメラニーは即座に答えました。
ハーロウ:はい、わたしたちは持ちこたえます。
メラニー:諦めろと命じられない限り。
ここを持ちこたえなければ、わたしたちの敗北です。
彼らを散開させてはなりません。メスキューくんを全機すり潰してでも、青十字の戦闘員を攻撃し続け、引きつけます。
わたしたちが閉鎖病棟と生産棟に掲げた旗は、もう視認できていることでしょう。おそらくは、屋上に立つわたしたちの姿も。
改めて、青十字の視点で考えてみましょう。
上陸した直後に熱工学迷彩を剥がされ、松林の中に退かれて金属球の射出を受けた。松林を抜けた先ではコンクリート片を次々と投げつけられた。
今、遠くに見える閉鎖病棟と生産棟のてっぺんでは、当院が文字通り反旗を翻している。その旗の下には、破壊目標である看護人形ハーロウと看護人形メラニーが立っている。眼前の医療物資運搬ユニットは、あの旗を守るべく、決して無視できない攻撃を続けている。
彼らはどうするか。
圧倒的な武装と員数を揃えているのですから、シンプルです。
数に任せてメスキューくんたちを殲滅し、集合して速やかにわたしたちを破壊したのち、当院をしらみつぶしに捜索して四人の先生方を殺害する。
メスキューくんの攻撃は無視できないものの、前進と発砲を繰り返せば、いずれすり潰すことができる。仮に一対一の交換になったとしても、八十体程度の戦闘員でたった一体の看護人形を包囲できる。
かの看護人形ハーロウには数体から十数体を無力化されるかもしれないが、残りの数十体で射撃を加えて完膚なきまでに破壊してしまえばよい。
彼らは、正しい。
正しいからこそ、ラヴァさんの術中に陥っている。
ラヴァさんが予想した最悪の事態へ導くことこそが、わたしたちの役目。
芝生の敷地に出てからというもの、青十字の戦闘員はみるみるうちにメスキューくんたちをすり潰し、焼夷手榴弾の煙を背に前進しています。閉鎖病棟から西へ向かって、狼煙の帯が敷かれているかのよう。あの煙の一つ一つのもとに、メスキューくんの残骸がある。
M1:M36大破。二機残存。
ハーロウ:お疲れ様でした。
メラニー:@ハーロウ こっち、全機大破。来る。
ハーロウ:@メラニー こちらもです。やりましょう。
間に合ったようです。
「看護人形ハーロウは、介入共感機関の拘束を無制限に解除します」
隣で戦況を見守っているジュリア看護長が囁きました。
「何をするのか知らないけど、ま、頑張りなよ」
「はい」
チャンスは一度きり。
わたしが狙いを付けたのは、一個集団の先頭を進む一体の戦闘員。
たった一体だけ。
支配権は、既に握ってあります。命令していないだけ。
すぐに閉鎖病棟の西側へ、百体あまりの戦闘員が集結しました。わたしたちを見上げています。
数十挺の銃口がわたしへ照準しようと動きかけた瞬間。
わたしは、支配しておいた戦闘員の右腕を跳ね上げさせ、引き金を引かせました。青みを帯び始めた朝の空に銃弾が散ります。
青十字の戦闘員全ての注意が、一瞬だけわたしが支配した人形へ移りました。彼らが構成する人形網絡を通じて、状態の問い合わせが殺到しました。
何の偶然か、あるいは因果か。わたしが支配した人形は、事情聴取の際に代表として話し相手になった、清掃六課のメーインでした。女性型として造られたことも今知りました。
「指無しデーモンからプレゼントです」
呟きつつ、わたしはとある情報因子をメーインへ渡しました。
ラヴァさんによれば、代理兵士は作戦行動の際、暗号化された人形網絡を利用して情報共有を行うそうです。彼ら青十字の戦闘員たちも、当然ながら人形網絡経由で情報を共有しているに違いありません。
果たして、メーインは問い合わせに応じて全ての隊員へ情報因子を渡してしまいました。
「終わりました。任務完了です」
ジュリア看護長が青十字の戦闘員たちを睨みながら首を捻りました。
「……あいつら、平気なように見えるけれど」
「いえ。彼らはもう、戦えません」
銃口はわたしへ狙いを定めたままです。
五秒経っても、十秒経っても、その銃口が火を噴くことはありませんでした。
やがて異常を悟った黒づくめの隊員たちが細長い直方体を点検し、何度もわたしへ銃口を向けましたが、やはり引き金は引かれませんでした。
「何が起きてるわけ?」
「ラヴァさんのおかげです」
わたしが彼らへ共有させたのは、ラヴァさんが長年保有していた情報因子です。当院の先生方でさえ治療の見込みすら立てられず、さりとてそのミームを獲得した過程は興味深く、当院へ留め置くしかなかった、とても特異なミーム。
といっても、何ということはない、ほとんど無害なミームです。
当院に入所する患者さんたちに感染したところで何の害ももたらしません。
ただ、今のこの状況においては切り札となりうる。
話は、三時間ほど前に遡ります。
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