人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

第8章「シティ・キアヤの代理兵士」

8-1「これからの話をしよう」

公開日時: 2021年12月16日(木) 18:00
文字数:8,775

 シティ・シェンツェンの司書人形、エーセブンさんが退所なさったその日。

 深夜の開放病棟にて。


 バンシュー先生の診察室に、二人と二体が集っていました。

 わたしの創造主つくりぬし、バンシュー先生。

 メラニーの創造主つくりぬし、セイカ先生。

 お二人とも、手狭な部屋の奥側に移動させた緑色の一人がけソファに座っています。わたしとメラニーは背もたれのないラウンドチェアに座り、先生方に向かい合っていました。

 ソファの肘掛けに頬杖を突いていたセイカ先生が目を伏せて大きなため息をつき、わたしをじろりと睨みました。


「念のため確認しておくわ、ハーロウ。あの司書人形は本当に、青十字の潜水艦に乗り込んで出立したのね」


 わたしは表情を引き締め、毅然と答えました。


「はい、そのはずです」

「はあー……もおー……」


 長い長いため息をついたのち、セイカ先生は隣に座るバンシュー先生へ視線を転じました。


「どうするのよ狸親父。あたしは反対したわ。代わりの司書人形が当院うちに搬送されるなら目的は十分に達成できた。当院うちの所在は秘密であり続けた。この子たちの仕様が青十字に露呈することもなかった」


 セイカ先生が苛立ちの矛先をバンシュー先生へ向けるのは、人形を正しく理解する者としては当然のことです。


「そうカリカリしない。レーシュン先生とリットー先生が対応してくれているじゃないか」

「時間の問題よ。朝には査察が入る。どう言いつくろっても、いずれ青十字はこの子たちに行き着くわ」

「そうだね、時間の問題だった。それが今だったというだけのことさ」

「あんたね、なるようになる主義にも程が――」


 セイカ先生が激昂して立ち上がりかけた瞬間。

 メラニーが手を上げました。


「あれから何がどうなったのか、メラニーは知らないです。教えてください。何ですか潜水艦って」


 出鼻をくじかれたセイカ先生は中腰のまま固まり、やがてゆっくりとお尻をソファへ沈め直しました。


「そうだね。事の次第を簡単に整理しようか。ハーロウ」

「はい。何でしょう」

「君は青十字の人形たちから、シェンツェン大図書館の司書人形アーキビスト、エーセブンを引き渡せと要求された。君は君の誓いに従って、司書人形エーセブンを当院から退所させた。脱出手段は、青十字が当院へ来訪する時に用いる潜水艦だね?」

「はい。あと、エーセブンさんに生じていた未病をわたしが直しました」

「君が? それは初耳だな。何をどうやって『直した』んだい? 手短に」

「彼に共感しました。彼に生じていた不具合の本質は、エピソード記憶の欠落でした。パペッツ回路の一部がブロックされていたんです。彼は意味記憶だけを持っていて、思い出の代わりにしていました」


 セイカ先生がおでこを示指でトントンと叩き、ぶつぶつと呟きました。


「なるほど。暗示だけじゃなくて、模倣脳に細工をして記号化した情報の集積に特化していたわけね。視聴覚に偏るわけだ。当然、海馬と視覚野に負荷がかかる、と。行き着く先は現実感の喪失、倫理観の欠如、健忘性症候群……」


 感情より知識欲が勝るあたり、セイカ先生も人形造型技師なんですよね。


「それで、医師でもないあんたがどうやってそれを『直した』わけ?」

「パペッツ回路のブロックを消し飛ばしてから、わたしと彼とで共通する『思い出』を再構築しました。他の思い出は、彼がおのずから再構築していきます。直した、と言えると思います」


 セイカ先生は顎を撫で、二度、三度と頷きました。


「ふうん……狸親父の娘にしては的確ね。それでいいわ」


 患者さんに関しては論理を明確に分けるあたりも人形造型技師です。

 ぽん、とバンシューが両手を打ち鳴らしました。


「では本題に戻ろう。ハーロウが退所させた司書人形エーセブンは、無事にシティ・シェンツェンに帰還するだろう。二週間はかかるだろうけど」

「本当ですか⁉」


 わたしはラウンドチェアを蹴倒して立ち上がってしまいました。


「そりゃあ、いかに青十字といえども海中に潜行した潜水艦は捕捉できないよ。海水はだいたいの電波を吸収するからレーダー探知は不可能。青十字も表立って活動しているわけじゃないから、むやみやたらとアクティブソナーを使うことはしない。加えて、原子力/生体機械複合潜水艦は事実上、無制限に潜水し続けられる」

「そうですか……」


 胸を撫で下ろしました。先生が言っていることは半分くらいしか分かりませんが、エーセブンさんが無事だというのなら何よりです。


「安心できたかい? 座ったらどうかな」


 バンシュー先生がひらひらと扇ぐように手を振りました。


「あ……はい……」


 気まずい。蹴倒したラウンドチェアを起こし、座り直します。


「今のところ、青十字本体から見た状況はこうだ。シティ・シェンツェンの司書人形を回収するために当院うちへ派遣した班員が、定刻になっても帰ってこない。連絡も無い。彼らはどう動くと思う?」

「どう、と言われてましても……」


 あんな人の心が無い方々がどう動くかなんて、わたしには分かりません。分かりたくありません。

 言いよどむわたしを見かねてか、メラニーが代わりに答えてくれました。


「なら、事情聴取に来ます」

「そうなるね。彼ら視点では、まだ当院うちは協力機関だ。まずは何が起きたのか調べに来る」

「対応、どうしますか」

「司書人形エーセブンを退所させたことは隠しようがない。ま、落としどころを交渉するのは僕たち医師の仕事だ。それより問題は君たちなんだよ」

「メラニーたち、ですか?」

「うん。君たちが持つ介入共感機関のことは青十字に伏せておきたいのさ。現に今、レーシュン先生とリットー先生があの五体の人形にエピソード記憶の改ざんを施してくれている」


 伏せておきたい。わざわざ五体もの人形の思い出を改ざんしてまで。

 エーセブンさんが言っていました。

 この世全ての人形は対等であり、人形網絡シルキーネットの信頼性は人形の対等性に基づいて担保されている、と。介入共感機関は、この信頼性を根本から覆す、と。

 あの仮面の人形たちは、わたしを指して「人類に毒あるもの、害あるものと認める」と言いました。重大な契約違反を認める、とも。

 一等人形造型技師ともあろうバンシュー先生とセイカ先生が、知らなかったはずはありません。何もかも知ったうえでわたしとメラニーを造ったはずです。


「……伏せておきたい理由は、わたしたちが特権を持っているからですか」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える」

「いい加減、はぐらかさないでください。どうしてわたしたちに特権なんてものを持たせたんですか。こんな、看護人形には過ぎた権限なんて――」


 わたしがまくしたてようとしたところに、メラニーが割って入りました。


「待って。特権って何」


 そうでした。メラニーはまだ介入共感機関の本質を知らないのでした。

 バンシュー先生に視線を送ったところ、先生は「君に任せるよ」とでも言うかのように小さく頷きました。


「……エーセブンさんが言うには、わたしたちは介入共感機関の使い方を間違って教えられていたそうです」

「どういうこと」

「わたしたちは、対象の人形を意のままに従わせることができます」

「何それ。ありえない」

「わたしは五体もいた青十字の人形を完全な支配下に置いて、制圧しました。わたし一体きりで、です」


 メラニーが眉根を寄せ、口元に握りこぶしを当てました。


「……どうやって」

「動くな、と命じただけです。それだけで彼らは動けなくなりました。わたしの意識こころを読み取らせることで、彼らへ強制的に共感サージを与えて行動不能にしました」

「そんなこと――」

「できたから、わたしはエーセブンさんを無事に退所させることができたんです。わたしがイリーナさんを漂白した時のことは、メラニーも知っての通りですよね」

「あれはターシャリだからじゃないの」

「段階設定や領域設定は、わたしたちが教えられた使い方です。わたしたちは本来、人形に対する何でもありの特権持ちなんです」


 メラニーは口元に握りこぶしを当てたまま、うつむいてしまいました。

 性格や頭脳の明晰さといった個体差はありますが、メラニーとてわたしと同じ誓いを立て、患者さんに尽くしてきた人形です。わたしたちにそんな物騒な機能が搭載されているだなんて、信じたくないでしょう。

 ぽんぽん、と分厚い手を打ち鳴らし、バンシュー先生がわたしたちの注意を惹きました。


「ハーロウ。君の言う特権は、僕たちと君たちが目的を達成するための手段に過ぎない。君たちに搭載した機能モジュールの目的は、あくまで人形の心を読み取ることだ」

「わたしたちに特権を、人形を支配する機能を持たせたことは認めるんですね」

「うん。必要だったからね」


 あっけらかんと言うものです。


「どうして、そんな機能を持たせたんですか。一介の看護人形には過ぎた機能です」


 バンシュー先生は呆れたように力なく首を傾げました。


「君ね、核融合そのものを指して『大量殺戮兵器だ』なんて言うかい?」

「それは……」


 核融合はただの現象です。どう使うかで、発電所にも兵器にもなりえます。


「……使い方次第、ってことですか」

「そういうこと。僕たちは何も、間違った使い方を教えたわけじゃない。何でもできるということは、何もできないということだ。僕たちは、君たちが誓いを果たせるような介入共感機関の使い方を教えた。別の使い方をすれば人形を支配できてしまうというだけのことさ」

「でも……」


 それにしたって、過ぎた機能です。


「心を読むだけではだめだったんですか」

「分かってないね。心を読むためには特権が必要なんだよ」

「……どういうことですか」

「それについてはセイカ先生が詳しい」


 バンシュー先生からボールを託されたセイカ先生が、長い髪を手櫛で何度か梳いてから解説を引き取りました。


「どんな人形も本来、内心は侵されないわ。倫理的な話じゃない。仕様的な話。人形の模倣脳はヒトの脳と等価だからね」


 心とは、数百億個からなる脳の神経細胞が相互作用することで生じる創発の産物です。個々の神経細胞の発火をどれほど丹念に調べても、心という抽象概念を読み取ることはできません。要素還元主義に基づく解析では、心をつまびらかにすることはできないのです。

 あれ。でも。だとしたら――


「人形はそれぞれ、どのように行動すべきか、どのような情報を提供すべきか、己の判断によってのみ決定する。知りうる情報を差し出せと言われても、拒むことができる」


 どうしてわたしたちは、患者さんの心を読み取ることができるのでしょう。


「ただし、例外がある。人形は、所属するシティの要請には逆らえないわ。より厳密には、シティの人形たちで構成される人形網絡シルキーネットクラスタが下した決定は、人形に対する強制力を持つ」

「シティに心のうちを晒け出せと言われたら、差し出すってことですか」

「そうよ。人形は持ち主オーナーの生活を最適化する道具ツール人形網絡シルキーネットクラスタはシティ全体の生活を最適化する道具ツール。一個の計算機が導出した解より、多数の計算機が導出した解の方が精度は高い。一個の人形が逆らう理由は無いわ。道具ツールである人形は、本能的に最適解に従うのよ」

「でも、わたしたちはシティじゃありません」

「それはそう。シティそのものではない。けれどあんたたちはシティと等価なの」


 メラニーがトントンとナースシューズの爪先で床を叩きました。苛立ってます。


「意味不明。それでも一等人形造型技師?」

「親に向かって何よその言い草は」


 メラニーはセイカ先生に対する当たりが強めです。


「話、ずれすぎ。先生たちはメラニーとハーロウをどうしたいの。青十字はメラニーとハーロウの何が気に入らないの。これからどうなる見通しなの」

「それを教えるためにあんたたちの特殊性を説明してるんでしょうが。今の事態は全部あんたたちの特殊性に起因してるんだから」

「そう。じゃあ続けて」


 セイカ先生は前髪をくしゃりとつかみ、本日何度目かのため息をつきました。


「いつからこんなに可愛げが無くなったんだか……あと言っとくけどね、物事を誰にでも端的かつ分かりやすく説明する義務を学者が負うと思ってるなら大間違いよ。特に人形造型技師にそれを言うのはナンセンス」

「そう。いいから続けて」


 セイカ先生は乱れた前髪を不機嫌そうに指先で整えてから、わたしへ水を向けました。


「ハーロウ。あんたはあの司書人形から聞いてるはずね。製造直後の人形は、ヒトを象っただけの物体。人形網絡シルキーネットに繋がなければ人形は目覚めない」

「はい……エーセブンさんは、人形網絡シルキーネットはブートストラップローダだと、人形を目覚めさせる出来合いの阿頼耶識だと、言っていました」

「そう。ではなぜ目覚めないか。ただヒトを象っただけの物体には、表層の意識と深層の意識との間で情報を交換するサイクル、いわゆるしゅうくんじゅうが働かないからよ。阿頼耶識の働きを持つ人形網絡シルキーネットに繋ぐことでしゅうくんげんぎょうの効果を得る。つまり深層の意識から表層の意識へ入力を叩き込む。いったん起動してしまえば、しゅうくんじゅうはサイクルを始めるわ」


 ヒトは肉体的な成長を経ることで、感覚器官からの入力が否応なしに変化します。表層の意識と深層の意識との間で情報を交換するサイクルは、それこそ胎児の段階から始まっているのです。健全な精神を宿すためには、養育者の愛情が必要ですが。

 一方、人形は造られたままの姿で稼働し続けます。人形が目覚めるためには『ヒトの成長に伴う入力の変化』に相当する『何か』が必要なのです。


「……わたしは、一等人形造型技師のお仕事は心を造ることなのだと思ってました」


 セイカ先生は軽く肩をすくめます。


「その通りよ。けれど、何も車輪を再発明することはない。あるものは使う。それだけのこと。言っておくけど、人形網絡シルキーネットに繋いで人形を目覚めさせるのって難事なのよ? 二等以下の人形造型技師はそれさえもできないんだから」

「す、すみません……」

「別に謝ることはないけど。それで。メラニー、あんたはちゃんと話についてきてる?」

「きてます。製造当初の人形は人形網絡シルキーネットに繋がないと目覚めない。人形網絡シルキーネットは人形に共通の阿頼耶識、あるいはブートストラップローダ」

「そうね」

「メラニーが思うに。製造当初の人形は、おそらく外部の世界と内心の世界が別たれてない。真っ白なキャンバス。人形網絡シルキーネットにアクセスすることで、阿頼耶識の共有を受ける。このとき初めて外と内を分ける境界が生じる。キャバスに地面の線を引くようなもの。つまり地に足が着く。合ってる?」


 姉妹機なのに、わたしに比べると理解の早さが段違いです。


「理解だけは早くて大変結構。厳密には、シティの人形網絡シルキーネットクラスタを、ハーロウが言うところの『出来合いの阿頼耶識』として利用するわ」

「あれ? どうしてシティの人形網絡シルキーネットクラスタなんですか?」


 心の標準フレームワークが存在するなら、世界中で使い回した方が良いような気がしますが。


「シティにはそれぞれ土地柄があるからよ。所属するシティに適応して働くためには、土地柄に合わせた心ディストリビューションを持つ方が都合が良い。だから私たち一等人形造型技師は、シティ規模の人形網絡シルキーネットクラスタを集合的無意識、あるいは共有的阿頼耶識として扱うの」


 バンシュー先生が補足しました。


「つまり、それぞれのシティにはそれぞれの阿頼耶識がある、ということでもあるね」


 セイカ先生は鼻をふんと鳴らし、続けます。


「私たちは、人形網絡シルキーネットを使わずにあんたたちを目覚めさせた。つまり、あんたたちはそれぞれ固有の阿頼耶識を持ってる。これがどういう意味か分かる?」


 わたしとメラニーは互いの顔を見合わせました。

 シティはそれぞれの土地柄を反映した阿頼耶識を持つ。

 わたしとメラニーは固有の阿頼耶識を持つ。


「……まさか」


 そう呟いたのは、わたしだったのかメラニーだったのか。


「そう。あんたたちは、相対する人形から一個のシティと見なされる。外部から隔絶されたこの止まり木の療養所において、人形から見たあんたたちはシティそのもの。どんな人形もあんたたちの要請には抗えない」

「そんなばかな。わたしたちは患者さんに無理やり言うことを聞かせたことなんてありません。マヒトツさんなんて、わたしをこっぴどく叱ってお尻を蹴ったりしたんですよ」

「です。要請して聞いてくれるなら、メラニーはアイリスさんで苦労してないです」


 セイカ先生は呆れたように肩をすくめました。


「だから普段は拘束してるんじゃない。必要な時に限って特権の拘束を解除する。そういう運用にしたの。問題は無かったでしょ」

「それは……そうですけど」

「あんたたちは看護人形。あんたたちは患者のために自身の全てを捧げる。だから決して使い方を誤ったりはしない。ヒトよりよほど信頼できるわ」


 メラニーが眉をひそめ、首を傾げました。


「なら、青十字にとってメリットがある使い方をすればいいです。というか、そうしてます。メラニーはミーム抗体を精製する。ミーム抗体が欲しければ持っていけばいいです」

「そうね。あんたたちはそう考える。うまく使われることが人形の本懐だから。あたしたちもそう。あんたたちをうまく使おうと考えてるし、実際にうまく使ってきた」


 わたしはセイカ先生の言葉を自然と引き取ってしまいました。


「……けれど、青十字は違う」


 セイカ先生は一瞬だけ戸惑い、すぐに気を取り直して続けました。


人形網絡シルキーネットは、全ての人形ノードが対等であることが大前提。何せP2Pネットワークだから」


 ここまできたら、言われずとも分かります。


「あんたたちは人形網絡シルキーネットの信頼性を根本から覆す存在なの」


 シティと等価であるわたしたちは、一個の人形と対等ではありません。たった一体で百万票を持っているようなものです。


「だから何ですか。メラニーたちは当院の備品です。絶対に外に出ないです。出られないです。外のネットワークに触ることもないです。青十字が黙ってれば済みます。さっき、バンシュー先生が核融合の話をしました。それと同じです」


 セイカ先生は首を横に振りました。


「あたしは運用の話をしてるんじゃない。存在の話をしてるのよ」


 バンシュー先生がセイカ先生の言葉を引き継ぎました。


「青十字にとって、今の人類社会を支えている人形網絡シルキーネットの信頼性を揺るがすものは存在することさえ認めないというわけさ。もちろん、そんな人形ものを造った技師も認めない」

「先生たちも、ですか?」

「そう。だから彼らは契約違反だ、と言ったわけだね。青十字に協力すると言っておいて、青十字の方針とは真逆の信念を持つ人形を造ったわけだから」


 想像が、直観が、あるいは論理に基づく演繹と帰納が、冷たくわたしの背筋を撫でました。


「……青十字の本体がわたしとメラニーのことを知ったら、きっと廃棄処分の判断を下しますよね。じゃあ、わたしたちを造った先生方も……」

「うん。十中八九、僕たちも殺害対象になるだろうね」


 やっぱり、そうなりますか。

 わたしもメラニーも、創造主つくりぬしであるバンシュー先生、セイカ先生には色々と複雑な感情を抱いています。

 けれど、患者さんを思いやり、人形としての幸福を共に追及する、その点に関しては、尊敬の念を抱いています。

 そんな先生方が、あんな全体最適化にしか関心を持たない連中に命を狙われるだなんて。


「安心したまえ。いつかはこうなると分かっていたことだよ。青十字の言いなりになるつもりは無いし、傑作である君たちをみすみす廃棄させはしないさ」

「何か、策があるんですか?」


 バンシュー先生はニカッと笑顔になり、後頭部をぽりぽりと掻きました。


「いやあ、何せ急なことだったからね。具体的な策を練るために時間稼ぎをするのさ。それでもいずれは青十字に君たちの仕様が知られてしまうだろうけど。その時はその時だ」


 セイカ先生が両手で顔を覆い、膝の間に突っ伏しました。


「だから……そのなるようになる主義をどうにかしろってのよ……」

「一等人形造形技師ともあろう者が何を言っているのさ。物事はいつだって複雑に入り組んで、各要素は常に相互作用している。先のことなんて予測できるわけがないじゃないか」


 バンシュー先生はもっともらしいことを言っていますが、セイカ先生の言う通りバンシュー先生は放任主義、なるようになる主義です。自分のスタンスに人形造型技師の自虐を援用しているだけです。


「ああ、でもこれだけは予言できる」

「何ですか?」

「明日にも青十字の本体から査察が入るだろう。どう取り繕って対応しようと、大なり小なり暴力沙汰になる」

「暴力沙汰って……」

「分かりづらかったかな。喧嘩ということさ」


 信じたくありませんでした。束の間の平穏を患者さんに提供するための当院で、暴力沙汰だなんて。


「話し合いで決着が付かないなら、力尽くで言うことを聞かせる。それでも言うことを聞かないなら排除する。シティの住民が戦争なんてものを忘れた現代でも、全く変わらない人類の慣習だよ」


 嫌な慣習です。そうやって無理を通そうとするから、人形の心が壊れてしまうのに。


「だからやっぱり時間を稼ぎたいのさ。こと喧嘩に関しては、当院には喧嘩のプロフェッショナルがいるからね。協力をあおぎたい」


 喧嘩のプロフェッショナル?

 はて。そんな方が当院にいらっしゃったでしょうか。

 喧嘩を売るプロフェッショナルなら、どこぞの家政人形あたりに心当たりがあるのですが。

 と、わたしが首を傾げた時でした。

 コンコンコン、とお上品なノックが鳴りました。バンシュー先生が応じました。


「どうぞ」

「どもどもー」


 入ってきたのは一機の小柄なメスキューくんでした。

 トコトコと四脚を動かして入室し、律儀に引き戸を閉じてから、子供のように甲高い声で無邪気に告げました。


「皆様にお客様ですよん」


 お客様。ナースシューズの内側で、足の指に力がこもりました。

 バンシュー先生がフムンと鼻息を漏らしました。先生には珍しく、余裕を感じ取れない仕草でした。


「思ったより、早かったね」


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