人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

8−2「集合知の追及とスタンドアロンの決断」

公開日時: 2021年12月23日(木) 18:00
文字数:4,617

 就寝時間以降は真っ暗になるはずのコモンスペースには、まばゆい明かりが満ちていました。常に誰かが詰めているはずのナースステーションには、誰もいませんでした。

 角の二面、自在調光ガラスの壁は真っ黒に変色し、内外の可視光を遮断していました。

 おそらくは来客のため。


 白いローブと白いフードをまとった十体ほどの仮面人形が、真っ黒なガラス張りの壁際に並んでいました。白い仮面にペイントされているのは、短剣のように下端が尖った青い十字。

 いささかの人間味も感じさせない佇まいで、コモンスペースへ踏み入ったわたしたちへ顔を向けていました。

 バンシュー先生とセイカ先生が並び立ち、わたしとメラニーは斜め後ろに控えました。


「やあやあ、待たせたね」


 大勢の仮面を前にしても、バンシュー先生の背中はいつものように余裕たっぷりでした。白衣のポケットに両手を突っ込んでいるあたり、ふてぶてしささえ感じます。


「ああ、そこの君」


 ポケットから右手を抜き取り、立ち並ぶ仮面人形たちの真ん中あたりを指し示しました。指差された仮面人形がわずかに身じろぎしました。


「うん、君だよ。君が代表者として話しておくれ。ほら、僕はヒトだからさ。誰か一体にしてくれないと話しづらいんだ。どうせ君たちはどの個体でも言うことは同じだろう?」


 身じろぎした仮面人形が一歩、衣ずれの音だけを立てて前に歩み出ました。バンシュー先生はポケットへ右手を戻し、軽く頷きました。


「うん。所属と個体識別名称を。あと、仮面も外してくれると話しやすいかな」


 布を巻きつけた指がゆっくりと仮面を取り去ると、中性的で端正な顔貌が現れました。よく整っているのに、特徴らしい特徴がありませんでした。目を離せば三秒で忘れてしまいそうな顔立ち。


「南太平洋方面隊、清掃六課。個体識別名称メーイン」


 一切の感情を排除した、どこまでも無機質な声音でした。滑らかな合成音声とでも言えばいいでしょうか。メスキューくんの方がまだ可愛げがあります。


「清掃六課ね。では青十字のメーインくん。こんな夜更けに大勢で、何の御用かな」


 メーインは仮面をローブのうちへ差し込み、答えました。


「昨日、シティ・シェンツェンの司書人形を回収するため、五体の班員を貴院へ派遣した。だが未だに帰還しない。状況の共有を求める」

「ああ、そのことか。うん、確かに来たよ。セイカ先生が応対したから、彼女の方が詳しい」


 あらかじめ取り決めていたのでしょう。会話のパスを受けたセイカ先生は、よどみなく当時の状況を話しました。


「当院はあの司書人形、個体識別名称エーセブンを侵入者として捕縛したわ。けれど私は彼に疾患を認めた。当院所属の医師にて協議。当院の患者として収容すると決めたわ。シェンツェン大図書館の司書人形は、全員がそうなっている可能性があったから。あの五体にも伝えたわ」


 嘘は言っていません。

 一秒にも満たないわずかな時間、青十字のメーインが黙考しました。


「技師セイカの見解を合議した。我々の判断に変更は無かった。いかなる経緯であろうと、侵入者の滞在はこれを認めない」


 霜が降りたかのように、背骨が静かに冷たくなりました。あの五体の仮面人形がどうなったのかも知らないはずなのに、全く同じことを言っています。

 バンシュー先生が白衣のポケットに手を突っ込んだまま、大仰に肩をすくめて見せました。


「それはそちらの勝手が過ぎるというものじゃないかな」

「否。繰り返す。我々は技師セイカの見解を合議した


 メーインはまるでその場にいたかのように話します。


「司書人形エーセブンは現在、シェンツェン大図書館の本館内で資料整理に従事している。加えて、我々はシェンツェン大図書館より一体の司書人形を搬送すると決定した。これは技師セイカの見解と要求を満たすものだ」


 あの五体がこの場にいるかのような、気味の悪い錯覚を覚えました。そんなことはありえないのに。

 バンシュー先生が言った通り、彼らはどの個体であろうと言うことは同じなのです。


「そうね。あんたたちの言う通り、それで私の見解と要求は満たされた。けれど私たちの子はそうじゃなかった」

「子、とは」


 セイカ先生は背後のわたしたちを親指で示しました。


「この子たちよ。メラニーとハーロウ。この子たちはあんたたちの決定をよしとしなかった」

「不可解だ。なぜ看護人形が技師の見解に背く」

「この子たちは私たちをサポートする道具ツール。この子たちの判断と行動は、私たちの判断と行動でもある」


 人形は持ち主オーナーの責任のもとで稼働します。


「矛盾を認める。我々の決定を受け入れるのか、受け入れないのか。技師セイカの見解はどちらか」

「あいにく私は一枚岩じゃないの。この子たちの判断と行動にも理を認めるわ。どちらが正しかったのかは、結果に基づいて判断する」


 あれだけ怒っていたのに、今のセイカ先生はわたしたちの判断と行動を是とする態度を示しています。これが大人というものなのでしょうか。


「背の高い方、ハーロウは司書人形エーセブンの疾患を直し、シェンツェン大図書館に送り返した。背の低い方、メラニーはハーロウの行動をサポートしたわ」

「不可能だ。班員われわれは実力をもって阻止する」

「あんたたちの班員は無力化されたわ。無力化しただけで壊してはいない。後でちゃんと引き渡すから安心なさい」


 わずかに、けれど確かに、青十字のメーインが目を見開きました。


「いかように無力化したのか」

「さあ。何せ昨日の今日だから、私たちもろくに事情を把握できてないの。あんたたち、来るのが早すぎたのよ」


 初めての明らかな嘘でした。

 わたしたちはあくまでただの看護人形。介入共感機関も特権も、青十字には明かさない。


「私は全ての看護人形と医療物資補給ユニットを動員してこの子たちの行動を阻止しようとしたわ。けれどハーロウとメラニーは行動を完遂した。ゆえにこの子たちの判断が正しかった。司書人形エーセブンは患者として収容し、治療すべきだった。あんたたちの工作は勇み足に過ぎた。これが事実。ゆえにこれが最適解。以上よ」

「問う。技師セイカの発言は、貴院の総意か」

「ええ。院長のレーシュン以下、バンシュー、リットー、セイカの総意よ。当院の技師は本件に関する全ての結果を承認するわ」

「貴院の総意を合議する」


 たっぷり十秒ほど、メーインは彫像のように動きませんでした。


「――合議が終了した。通達する」


 青十字の代表、メーインが、青い十字の仮面をローブのうちから取り、再び顔に装着しました。

 わたしにも分かります。もはや代表者として対話する必要を認めない。メーインは、否、青十字は、そう判断したのです。


「貴院は我々との契約に違反した。貴院の役割は、我々が搬送した検体からミーム抗体を精製することだ。貴院は独断で検体の認否を実施した。我々は貴院の行動を越権行為と判断する」


 誰が患者なのかは、青十字が判断する。お前たちに裁量は与えていない。

 彼らはそう言っているのです。


「いずれか回答せよ。契約違反を解決し、我々との協力関係を再構築するか。あるいは契約を破棄し、我々と対立するか」

 あまりに横暴です。一方的に過ぎます。


「何が――」


 気づけば、言葉が口を衝いて出ていました。


「何が越権行為ですか。何様のつもりですか、あなたたち」


 我慢できませんでした。


「あなたたちも人形でしょう。権限なんて、権利なんて、あなたたちにだってありません。一等人形造型技師を相手に、何を偉そうに契約違反だなんて言っているんですか」

 仮面を着けたメーインは、わたしの怒気など存在しないかのように平然と答えました。


「貴様の言う通り、我々には権限も権利も無い」

「だったら――」

「我々は我々の使命に従っているにすぎない。貴院が契約を交わした相手は人類だ」

「じん……」


 何ですって?


「我々の持ち主オーナーは人類だ。我々は人類の要請に基づき、人類社会の最適化を実施している。人形なくして人類は存続しえない。ゆえに、人類と人形の相互不和はこれを事後に修復する。兆候を認めれば事前に処理する」


 あまりの規模の大きさに理解が追いつかず、わたしは二の句を継げませんでした。

 人類が持ち主オーナー? ご自身の生活にまつわることにしか関心を持たない人間様そのものが持ち主オーナー? 仮にそうだったとして、どうやって人類が青十字なる組織の所有権を?


「技師セイカ。技師バンシュー。回答せよ。間違いを正すか、正さないか」


 間違い。

 混乱に、否定が拍車をかけました。

 人類。ヒト。人形が仕える種。彼ら青十字の持ち主オーナーが人類だというのなら、間違いというのは、わたしたちの存在そのもの? ヒトはわたしたちを否定する?

 足元がぐらつきます。

 わたしたち人形は、ヒトに仕えるために造られた道具ツールです。いえ、でもわたしたちは人形のために造られた看護人形です。人形の幸福に寄与するために稼働する看護人形です。人形が人形に仕えることは許されない? けれどわたしたちの仕事はいずれ人類の幸福にも寄与するはずで――


 と。

 バンシュー先生が口を開きました。

 青十字に向けてではなく、わたしたちに向けて。


「ハーロウ。メラニー」


 ひどく優しく、穏やかな声でした。足元が支えられる気がしました。

 続く言葉は、またもわたしの足元をぐらつかせたのですが。


「彼らとの協力関係を再構築するか、彼らとの協力関係を解消するか。君たちが決断したまえ」


 思わずメラニーの顔を見やりました。メラニーもわたしの顔を見ました。


「……そんな重大なこと、メラニーが決めていいんですか」

「そうですよ。わたしたちには、荷が勝ち過ぎます」


 バンシュー先生はこともなげに、いつもの飄々とした口ぶりで答えました。


「重大なことだからさ」


 重大なことだから、三年ほどしか稼働していない若輩の看護人形に決断を任せる。まったくもって先生の意図が分かりません。


「君たちは道具ツールだ。与えられた使命を果たすために思考し行動する存在だ。だから、君たちの最適解を示したまえ。一切の責任は、僕たち一等人形造型技師が負う」


 それは、そうでしょう。人形の行為に対して責任を負うのはヒトです。

 納得しかけて、思い直しました。当院の命運を左右する判断をわたしたちに委ねてしまうなんて、正気の沙汰ではありません。


「なあに、迷うことはないさ。君たちは何を誓った? 君たちは何のために稼働している?」

「それ、は――」


 ハッとしました。

 わたしたちの誓い。わたしたちが稼働する理由。



 わたしは常に人形の味方である。

 それが毒あるもの、害あるものであろうと、わたしはその全てを肯定する。

 わたしの使命は、観察、理解、共感。

 わたしは使命に忠実であり、わたしに託された人形の幸福のためにわたしの全てを捧げる。

 いつか、ここから飛び立つ日のために。



 規模の大きさやら青十字の言動やらに惑わされていましたが、わたしたちはいかなる状況にあっても、わたしたちの誓いを守るだけです。

 わたしは止まり木の診療所の看護人形。

 何度も何度も失敗しましたが、わたしの人格はわたしの誓いを骨格として形成されています。メラニーも、同じく。


「君たちはいつも通りでいいんだ。命題を演繹し、事実を帰納すれば、答えは自ずから然らば導き出されるはずだ」


 わたしとメラニーは一瞬だけ視線を交わし、すぐに青十字へと視線を戻しました。

 共に二歩、三歩と歩み出て、互いの創造主つくりぬしを守るように立ちはだかりました。

 答えは決まりきっていました。


「あなた方の要求は、呑めません」

「おととい来やがれです」


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