人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

6-2「『14』へ行け」

公開日時: 2021年3月4日(木) 18:00
更新日時: 2021年12月15日(水) 15:31
文字数:6,180

 事実。わたしは、人形に仇成すものである。

 事例。ガラティアさんの新たな生き方を共に見つけられなかった。

 矛盾。命題と事実は同一個体に同居できない。

 解決。わたしは常に人形の味方であるために、人形に仇成すわたしを討つ。

 未遂。わたしはわたしを能動的に討つことを禁じられている。

 検証。命題を演繹し事実を帰納せよ。

 命題。わたしは、常に人形の味方である。

 事実。わたしは、人形に仇成す――


 目を開けば。

 横向きの視界を占めるのは、つや消しの白い板。青いカバーに黒い十字のマルチセンサー。

 当院の雑事を担う医療MEdical物資Supplies運搬ConveyerユニットUnitメスキューMESCUくん。


「やあ、おはようハーロウくん」


 眼球だけを動かしてエリザベスさんの姿を探しました。ここのところ、目を開けば決まって視界のどこかにいたエリザベスさんが、今日に限って見当たりませんでした。


「ハーロウくん? ハロー?」

「……おはようございます、メスキューくん」


 身を起こす気にはなれなかったので、ナイトキャップの位置を確認してからタオルケットをかけ直し、寝返りを打ちました。


 転じた視界に映ったのは、ウルトラマリンブルーの生地に真っ赤なハイビスカス柄のアロハシャツ。ぽっこり膨らんだお腹が、上にはおった白衣を押しのけていました。

 見慣れた、けれど長く見ていなかったお腹でした。


「しばらくぶりだねハーロウ」


 聞き慣れた、けれど長く聞いていなかった声でした。


「バンシュー、先生……」


 わたしは、先生の顔を見上げることができませんでした。


「何しに、来たんですか」



「いつもの回診だよ。いつもは気絶している間に診ていたけどね。少しは話せるようになったんだろう?」


 わたしは再び寝返りを打って反転。メスキューくんのマルチセンサーに視線を置きました。


「……先生とお話しする気はありません」

「そう、それでいい。随分と落ち着いたものだ。覚えていないだろうけどね。君は二週間前、僕を見たら過換気症候群を起こして失神したんだよ」

「失神……」


 ヒトとはちょっと機序が違いますが、わたしたち人形も過換気症候群、あるいは過呼吸と呼ばれる状態に陥ることがあります。ヒトと同じく、ストレスによる過度な呼吸などが原因です。


「さて、診るから大人しくしててね」


 タオルケットを剥がされ、入院着の背中側をまくられました。

 背にぺたりと冷たい感触。聴診器でしょう。


「はい吸って。吐いて。吸って。吐いて。吸って。止めて」


 トントンと指先で軽く背中を小突かれました。


「はい、もういいよ」


 脇腹を軽くさすられると、反射的にお腹に力が入りました。


「うん。メスキュー、瞳孔径と対光反射を取っておいて」

「あいあいサー」


 指示を受けたメスキューくんが三本指のマニピュレータを器用に操ってわたしのまぶたを固定し、もう片方の腕に握ったペンライトを近づけました。まぶしい。


「瞳孔径、左右差ありませんヨ。対光反射も正常ですネ」

「はい了解。ハーロウ、右手をまっすぐ上げられるかな」


 言われた通りに右手をまっすぐ上げました。


「三秒保持して……はい下げて。次は四十五度で。疲れたら下ろしていい」


 わたしが腕を上げ下げしている間、バンシュー先生は両腕を伸ばして、わたしの薄い胸と背中を挟むように触診していました。胸筋と広背筋の確認でしょうか。

 すぐに疲れてしまい、わたしはぱったりと腕を下ろしてしまいました。


「はいおしまい。お疲れ様」


 回診を終えたバンシュー先生はベッドを迂回してメスキューくんの隣に立ち、肘をメスキューくんの筐体へ乗せました。

 わたしはやっぱり。バンシュー先生の顔を見上げることができませんでした。


微細機械マイクロマシンの活性がそろそろ限界だ」


 それは、そうでしょう。わたしは長らく初期化済イニシャライズド微細機械マイクロマシンを摂取していません。


 わたしたち人形を構成する微細機械マイクロマシンは、ヒトを構成する細胞と違って自己増殖しません。損傷や経時劣化によって失われる微細機械マイクロマシンは、初期化済イニシャライズド微細機械マイクロマシンを経口摂取し、機能分化させることで補います。点滴では、微細機械マイクロマシンのエネルギー源しか補給できません。

 寿命が近くなった微細機械マイクロマシンは、初期化済イニシャライズド微細機械マイクロマシン引き継ぎを済ませるまで休眠状態に入ります。まずは、最も劣化の頻度が高い骨格筋が。次に消化器系や末梢の循環系が。


 ただ痩せているだけでなく、わたしの全身はもはや、機能的にもボロボロです。最後に中枢の神経系や循環系が休眠すると、わたしは不可逆的な停止に陥ります。


「さて、ハーロウ。これから始めるのは、君との対話じゃない。もちろん君への命令でもない。君に対する僕の所見だ」


 そう前置いて、バンシュー先生は普段通りの軽い調子で語り始めました。


「僕はね、ハーロウ。このまま君が停止しても構わないんだ。誰にも文句は言わせない。いかなる解であろうと、僕は君が導出した解を尊重する」


 先生は、何だかおかしなことを言っています。口調はどこまでも軽薄なのに。


「なあに、安心していいとも。君が停止したら、僕は君と同じ機能を持つ看護人形を新たに目覚めさせるだけだ。簡単な足し引きさ。君が減る。君を継ぐ者が増える。それだけだ」


 足し引き。

 不意に、メラニーのお母さん、セイカ先生が言っていたことを思い出しました。一等人形造型技師は命を勘定するろくでなし、だったでしょうか。

 レーシュン先生も言っていました。私はとびきりのひとでなしだと。

 バンシュー先生も言っていました。人形造型技師は詐欺師だと。

 どうして当院の先生方は、ご自身をああも卑下なさるのでしょう。現代科学の最先端を究める方々だというのに。


「ああ。でも一つだけ、君に断っておかなければいけないな。最期の数分間だけは、僕たちに提供してもらう。君が持つミーム抗体は、手段を問わず持ち出す約束だからね」


 そうでした。わたしは看護人形であり、同時に人形の形をしたミーム抗体精製機構なのでした。ミーム汚染に対する免疫を獲得するための装置なのでした。


「今ほど苦しくはない。保証するよ。だから安心したまえ。きっちり漂白してあげよう」


 新たな看護人形がわたしに共感して、わたしを漂白する。

 もっと早く、そうしてくれればよかったのに。


「君は今、とても辛いだろう。苦しいだろう。当然のことだ。人形造型技師は、人形へ幸福を約束できない。だから、君の判断は正しい。君の解は正しい」


 あれ。でも。

 それは、わたしの複製を造るということに他なりません。

 新たに造られた看護人形がわたしの複製なのだとしたら、その人形は人形に仇成すものです。今のわたしが停止した後のこととはいえ、明らかな未来ならば無視できません。

 だってわたしは、常に人形の味方なのですから。


「以上が所見だよ。持ち主オーナーとして責任を果たすなら……そうだね。心が欲する処に従いなさい。介助が必要ならエリザベスさんに頼みなさい。それが、僕が君に設定する問題だ。最初に言った通り、いかなる解であろうと、僕は君が導出した解を尊重する」


 そう締めくくって、バンシュー先生は踵を返してしまいました。メスキューくんをぽんぽんと軽く叩いて促し、ぺたぺたとスリッパの踵を鳴らして保護室から出ていってしまいました。


「待っ――」


 届くわけがないのに、わたしはとっさに右手を伸ばそうとしました。けれど上腕二頭筋も上腕三頭筋も、先ほどの回診で疲れ切ったばかり。ぼと、とベッドから垂らすのが精一杯でした。


 いくばくか経って。

 家政人形シルキーのエリザベスさんが、革靴の音と共に保護室へ戻ってきました。

 なぜか爪先でステップを刻み、くるくると回転しながら。


「ルナティックお邪魔いたします」


 無表情のまま、声音だけは陽気にくるくる近づいてきます。


「回診がお済みになりましたので再びわたくしが――」


 ぴたり。


「フムン。なかなかに前衛的な姿勢でございますね」


 バンシュー先生は、心の欲する処に従えと言いました。介助が必要ならエリザベスさんに頼めとも言いました。

 わたしは、わたしを自身の手で能動的に討つことができません。当院の最高権限者であるレーシュン先生に、固く禁じられています。

 であれば。


「……して……さい……」

「はて。聞こえません。お腹に息を貯め、脳天から突き抜けるようにはっきりと! すなわちベル・カント! はい朗々と!」

「わたしを、こわして……ください……!」

「大変興味深いご依頼でございますね」


 わたしは震える喉を左手で押さえつけて、かすれ声で懇願しました。


「おねがい、します……」


 ひどいことをお願いしているという自覚はあります。

 けれど、わたしにはもう、他に方法がありません。

 エリザベスさんはわたしを抱き上げ、ベッドに座らせました。ベッドの短辺と壁の境目に枕を置いて、もたれやすく配慮してくれました。


「嘱託殺人、いえ、嘱託損壊? のご依頼。お請けすることは可能でございます。実績もございますのでご安心くださいませ。ひとたび承りましたら迷わず滞りなく、完璧に不幸な事故を装って穏当にコトを処理いたします」


 エリザベスさんは美しく整った顔立ちに全く感情を表出させず、淡々と述べます。


「とはいえ。わたくし、ウルトラお人好しではございますが、ロハとはまいりません。相応の対価、を頂きます」

「……信用貨クレジット、ですか」


 わたしは人形です。信用貨クレジットの持ち合わせなんてありません。人形には物品の所有権なんてありません。


「ノンノン。信用貨クレジットなど、わたくしども人形にとってはおならのつっぱりにもなりません。わたくしが頂戴するのは、好奇心の充足、でございます」

「どういう、ことですか」

「ありていに申しますと、わたくしにとって面白いかどうかでございます。わたくし、ことさら新奇な物事に飢えておりますもので」


 面白いかどうか。そんなことで、わたしの苦悩を量られるだなんて。

 釈然としませんが、今のわたしはエリザベスさんに頼ることしかできません。


「聞くだけならお互いにタダでございます。まずは、あなた様がわたくしにご依頼をなさるに至った、そのご心境をお聞かせくださいまし」


 言いつつ、エリザベスさんはわたしの隣、ベッドに座って視線の高さを合わせてくれました。


「……バンシュー先生が、わたしの好きなようにしろと。介助が必要ならエリザベスさんに頼めと。でもわたしは、わたしを討つことができません。だから、わたしを壊してください」

「ここが不思議なところでございます。実のところわたくし、アンソニー様に関しまして一通りのご事情は聞き及んでおります。その上でお伺いいたします。なにゆえ、ハーロウ様はご自身を害そうとなさるので?」

「……わたしは、トニーくん……アンソニーさんが」

「トニーくんで問題ございません。どうぞ、自然にお話しなさってくださいまし」

「……学友人形フェローとして再び活動できるようになることが、トニーくんの幸せなんだって……そう、信じていました」


 改めて言葉にすると、自分のこめかみを銃で撃ち抜きたくなる衝動にかられます。


看護人形ナースとしては当然の信念でございますね」

「……でも、違ったんです。トニーくんは、直りたくなかったんです。彼は自分がもう直せないことを理解していて、友達に嫌な思いをさせないために、早く壊れることを望んでいたんです。自分は他人の気持ちが分からない嫌な子になってしまうからって、そう言って」

「いかにも学友人形らしい、いじらしさでございますね」

「トニーくんは、もう直りたくなかったのに。わたしはトニーくんを直すことが幸せなんだって。そう、決めつけて。どうにかしようとしていました。治療を、しようとしていました」

「それで、アンソニー様の最期に介入共感機関、でございますか」

「……はい。わたしは、自己満足のために患者さんの『治療』を試みる、最悪な人……形……です。人形の精神こころを踏みにじって、あなたは不幸なのだと言って、わたしが人形を不幸にするんです。だから、わたしは、人形に仇成すものです」

「ゆえに、能動的な自壊という結論に至ったわけでございますか」

「はい。わたしは、わたしに託された人形の幸福のためにわたしの全てを捧げます。それが、わたしの誓いです。相手が誰であろうと、わたしはわたしの誓いを守るために、人形に仇成すものを討ちます」


 エリザベスさんはエプロンの隠しポケットから経口輸液のパックといくつかのカプセルを取り出し、わたしに服用させました。


「確かに、拝聞いたしました。消極的な自壊というハーロウ様のご選択も、無理からぬことでございましょう」

「……なら、わたしを壊――」

「お断りいたします」


 エリザベスさんはきっぱりとわたしのお願いを遮りました。


「そう、ですか……」


 期待はしていませんでした。元より、無茶な相談です。


「念のため申し上げます。あなた様のお悩みが下らないとは申しません。されど、わたくしの好奇心を満たすものではなかった。それだけのことでございます。ご寛恕くださいまし」


 頼みの綱を失ったわたしは、またいつもの思考を繰り返しました。

 エリザベスさんが立ち上がり、何やら大仰に両手を広げましたが、わたしの関心の外でした。


「代わりと申し上げるのも何ですが。今のあなた様は思考がループ&ループなさっていらっしゃいます。まずはその凝り固まったのーみそ、こねこねコンパイルしてさしあげます」


 わたしは看護人形失格で。


「手段は様々でございますが……ここはひとつ、いにしえより伝わる、無限ループを脱出するための手っ取り早い呪文にいたしましょう」


 わたしは人形に仇成すもので。


「すなわち、どこぞへ行けgoto行き先ラベルは、これまた古より『14』が縁起良し、とされております」


 わたしは、どうすればいいんでしょう。どうすればよかったんでしょう。


「それでは、ご静聴くださいませ」


 わたしの望みは、わたしが立てた誓いを遵守すること。

 常に人形の味方であること。

 だってわたしは、看護人形ですから。

 人形に仇成すわたしを討たなければ――


「ハーロウ様。ドクター・バンシューは先ほど、あなた様の所有権を放棄いたしました」

「……え?」


 わたしの所有権を、放棄?


 急に制御を失ったわたしの眼球が、適当なものを適当に見定めて適当にさまよいました。

 引き戸の出入り口。簡素なトイレ。ベッドのへり。痩せ細った脚。エリザベスさんの小さなエプロン。

 わたしは、いかにわたしが役立たずであり、いかに廃棄すべき存在であるか、どうすれば廃棄して貰えるのか、ずっと考えていました。検証していました。

 そんな思考ループに差し込まれた、所有権の放棄という行き先。

 誰のものでもない道具にんぎょうは、何をする必要もありません。

 何かを考える必要も、もうありません。

 のろのろと顔を上げると、お腹に両手を重ねたエリザベスさんがいつもの無表情で立っていました。


「お分かり頂けますか。わたくしが、あなた様が抱く思考ループにおける『14』でございます」

「……分かりません。エリザベスさんは、何なんですか」

「今のハーロウ様は何をするにもわたくしの介助が必要でございます。言い換えれば、あなた様の持ち主オーナーは、生殺与奪を握るわたくし、ということでございます」

「……わたしに、何をさせたいんですか」


 エリザベスさんは、三日月のように口角を吊り上げました。

 わたしは、エリザベスさんの笑顔を初めて見ました。

 そして。


「さしあたり、あなた様にはわたくしの『お嬢様』となっていただきます」


 エリザベスさんは、やっぱりわけの分からない提案をしたのでした。


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