侵入者さんは道中で特に暴れるようなこともなく、セイカ先生の診察室まで素直に連行されてくれました。
足下灯だけがぼんやりと光る白い廊下を先導するのはメラニー。背後にはメスキューくんが一機。
「失礼します」
メラニーが開けてくれた引き戸をくぐり、侵入者さんに腕を絡めたまま入室しました。
セイカ先生は険しい表情でデスクに頬杖を突き、長く肉付きの良い脚を組んでいました。
「そこに座らせて」
指示通り、背もたれのないラウンドチェアに侵入者さんを座らせました。
セイカ先生がわたしとメラニーを指差し、次いで引き戸を示しました。
「あんたたちはそこ」
わたしとメラニーは並んで引き戸を塞ぐように立ちました。
「さて、と。一等人形造型技師のセイカです。これよりあなたを尋問します。分類、個体識別名称、出身、所属を」
「司書人形のエーセブンであります。出身はシティ・シェンツェン。シェンツェン大図書館の備品であります。フムン。一等人形造型技師のセイカ……ああ、ツクバの才媛でありますね」
ツクバ。工学をリードする技術者集団です。
「あなたの自由な発言は許可していません。尋ねられたことにのみ、答えてください」
「失礼いたしました。了解であります」
「ここに侵入した方法は?」
「民間軍事企業に依頼いたしまして、高高度より落として頂きました。投下開始ポイントはオーストラリア大陸上空でありましたので、依頼した企業にはこの巨大人工浮島に関する情報は漏れておりません。着陸直後、あの白い多脚輸送ユニットに取り囲まれた次第であります」
あのドラム缶めいた円筒に繋がっていたワイヤと布、パラシュートだったんですね。まさかとは思っていましたが、本当だったとは。なかなかに無茶をなさる人形です。
「やれやれ……シェンツェン大図書館、ね。確か『人類の営為を黙々と記録する』だったかしら」
「ご存じでありましたか」
「技術者集団の中でも変わり種よ、あんたたちシェンツェンは」
うん? 技術者集団?
「あの、セイカ先生。シェンツェンってシティじゃないんですか?」
「あー、そうね。あんたたたちは知らないか。シェンツェンはシティだけど、技術者集団でもあるのよ。市民の半数以上は外部から移住してきた技師。飛び抜けた得意分野は無いけれど、どの分野でも並以上の水準を誇っているわ」
「理解しました。尋問の途中、失礼しました」
変なシティもあったものです。
「さておき。ここは厳重に秘匿された施設よ。どうやって見つけたのかしら」
「概要から申し上げます。状況証拠が真っ黒、直接証拠が真っ白でありました。自分が好奇心を抱き、現地調査に赴いた次第であります。現在は捕縛されております」
「端的なのは良いことね。では詳細に話して貰えるかしら」
「承知いたしました」
連行の道すがらでわたしが聞いた経緯と同じ内容が繰り返されました。
セイカ先生がわたしに視線を向けたので、わたしは「内容に相違ない」と頷きました。
「フムン……誰があなたに情報を流したのかしらね」
「お答えできかねます。情報の提供元に関して、自分は守秘義務を負っております。復唱と宣誓による暗示もかけられております」
「では質問を変えるわ。当時、あなたが得た情報は何?」
「お答えできます。自分が得た情報は、南極海と太平洋を行き来する潜水人形の回遊ルート、過去二十年分の記録でありました」
潜水人形。たしか、ザトウクジラを模倣した潜水艇に乗り込み、ナンキョクオキアミを採集しては洋上の大規模船舶へと運搬する人形のことです。
ナンキョクオキアミは地球最大の生物量を誇る種。人類はナンキョクオキアミの体を構成するタンパク質を拝借し、人形はナンキョクオキアミが食するケイ藻のケイ酸を拝借しています。
「自分は二十年前から十年前までの回遊ルートと、十年前から現在に至るまでの回遊ルートを比較してみたのであります。結果、半径約十三海里の空隙を発見しました。潜水人形はここを回避していたわけでありますな」
「続けて」
「ここからは自分が独自に調べた内容になります。着手したのは自動船舶識別装置の記録解析でありました。こちらも同様に、十年前から半径約二百海里に及ぶ空隙が存在したのであります」
セイカ先生の顔がどんどん険しくなっていきます。
「仮にこれらの空隙の中心に島嶼が存在したならば。これらは『国家』が機能していた時代における領海、および排他的経済水域に相当します。また、信用貨の流通を詳細に洗ったところ――」
「もういいわ。あなたは種々の情報からコントラストを発見した。そういうことね」
「で、あります。職長と検討の末、自分が直接確認することにいたしました」
直接確認するために、高高度から落下傘とは。
人形は使命に忠実であろうとするものですが、それにしたって行動力が凄い。
「うちの記録を残すことは容認できないわ。記憶を消してから退去して貰うことになるわね」
「あいすみませんが、既に記録しております。また、記憶の消去は困難であると考えます」
「どういうことかしら」
「自分、身体の随所を機械化しております。自分が見聞きした内容は模倣脳で抽象化されず、生データが電磁記録媒体に収蔵されます」
驚きました。
まさかのサイバネティック。過去に期待されましたが、現代ではすっかり衰退した技術のはずです。理由は、人体は拡張性に乏しかったためです。マイナスを技術で補うことはできても、技術がヒトを超人化することは困難でした。
ヒトを模して造られる人形も同様です。人形は、得意分野に関しては標準的なヒトに勝る能力を持ちますが、決して超人的ではありません。人形が頭部に持つアンテナでさえ、模倣脳の言語野を利活用する技術でしかありません。
科学は、魔法ではないのです。
「また、自分の脳殻はツクバ製のチタンアルミニウム合金であります。熱対策およびEMP対策もなされており、一般的な設備・工具での破壊は困難であります」
「では首を切り落としたのち、厳重に封印するまでよ。安心なさい。水槽に沈めて良い夢を見させてあげるから」
「ははあ、水槽脳。洒落が利いておりますな」
「勘違いしているようね。私は本件を預かる責任者として、不法侵入者であるあなたを処分すると言っているの。べらべらと封印手段を喋ってくれてありがとう。当院は外部からの干渉を受け付けず、外部への干渉を許さない。私はあなたの帰還を認めない」
わたしとメラニーは横目で互いに視線を交わしました。ああ見えて、セイカ先生は患者さんにとても優しい先生なのです。ついでにメラニーのことは溺愛しています。
そんな先生が、厳重な処分をいささかの逡巡もなく下している。
それほどまでに、当院は世から隠れなければならない施設なのでしょうか。
「フムン……提言をお許し頂けますか、技師セイカ殿」
「聞くだけなら」
「シェンツェン大図書館はあらゆる人類の営為を記録・収蔵する使命を帯びておりますが、その全編開示は収蔵後七十年と定められております」
「へえ、そうなの」
「記録対象の要望は最優先で尊重されますので、七十年を過ぎるまでは全ての情報を秘匿することも可能であります。政治的理由により、開示が更に延長されることもありえます」
「それで? あなたを稼働させておく理由にはならないわね」
「自分が申し上げておりますのは譲歩案であります」
「譲歩案ですって? あなた、自分の立場が分かっていて?」
エーセブンさんは首と肩をほぐすかのように動かしてから、気楽で明るい口調を崩さずに返答しました。
「我々とて、好きこのんで青十字と事を構えるつもりはないのでありますよ、セイカ女史」
わたしとメラニーはまたもや互いに視線を交錯させました。なぜ、今ここで青十字の呼び名が出現するのか。
「自分が未帰還となれば、図書館は本格的な調査を開始します。自分の首に眠る情報を、何としてもシティという地域に収蔵し、永遠に保存せねばなりません。すなわち青十字との衝突であります。望みはしませんが、致し方ないことであります」
「……情報の収集と保存さえ果たせれば、図書館は動かないと?」
「で、あります」
我々はお前たちを見つけた。平穏を維持したくば、自分の行動を黙認しろ。
エーセブンさんは、そう言っているのです。
わたしは唖然とするばかりでした。
人形が、一等人形造型技師を脅迫しているだなんて。
やや沈黙があったのち。
チッ、とセイカ先生が聞こえよがしに舌打ちしました。
「……これだからシティは」
「だからこそシェンツェンはシティなのであります」
「ああはいはい。全くもってその通り」
「弁解いたしますと、自分もよもや青十字の施設とは思いもよりませんでした。大変興味深くはありますが、表面的な情報を一通り収集したのちに帰還し、封印指定とする所存であります」
「あなたの言い分は理解したわ。けれど、そうなるとわたしの一存ではあなたの処遇を決められない。悪いけれど、少なくとも一両日は軟禁させて貰うわ」
侵入者を即刻処分するのなら、事後報告でも問題は起きないでしょう。ですが、侵入者が滞在するとなると、院長先生との協議が必要になるはずです。
「ご理解を頂き感謝いたします。なお、調査期間は三日を予定しております」
「はいはい。ったく、誰よシェンツェン大図書館にタレコミなんてしたのは……」
不意に、直観がわたしの脳裏を駆け抜けました。
「あっ」
三つの視線がわたしに集まりました。
「ハーロウ? 心当たりが?」
「あ、いえ。やり残した書類整理を急に思い出してしまって」
嘘です。
心当たり、あります。
彼女が退所した際、記憶の改ざんを受け容れたとは到底思えません。何らかの手段で回避するか、ただ一言「拒否いたします」と言って押し通るに決まっています。青十字の下部組織である当院を、あろうことか職業斡旋所として利用するという悪魔のような思いつきを現実に実行してしまう人形ですから。
彼女はお節介なので、外から状況を引っかき回す因子を投入したとしても不思議ではありません。何のつもりなのかはさっぱり分かりませんが。
「それよりセイカ先生。エーセブンさんには空いている個室を割り当てて、そこで大人しくして頂く、ということで良いですか?」
もう一時半です。セイカ先生は生身のヒトですから、これ以上の夜更かしは明日に差し支えます。
「ああ、待って。それは良いんだけど、もう一つだけ話があるわ」
セイカ先生は不機嫌そうに突き続けていた頬杖から顔を離し、組んでいた脚を揃えました。いつも患者さんと面談するときの姿勢です。頬に残った手のひらの跡を除けば、ですが。
「これは駆け引きじゃない。あくまで一人の医師として、一個の人形であるあなたに対する見解よ」
「は。何でありましょうか?」
「あなた、しばらくうちで休んでいきなさい。そうね、二週間程度が良いと思うわ。シェンツェン大図書館には渡りを付けておくから」
エーセブンさんはひょいと首をかしげました。わたしとメラニーも再び互いの顔を見て、首をひねりました。
二週間。エーセブンさんが提示した期間の四倍以上です。
「と、言いますと?」
セイカ先生は腕を組み、オフィスチェアの背もたれに体重を預けました。
「あなた、壊れかけよ。シェンツェンの人形なら、未病と言ったら分かるかしら?」
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