人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

4-10「エピローグ」

公開日時: 2020年12月26日(土) 18:00
更新日時: 2021年12月15日(水) 15:29
文字数:4,139

 肉体の感覚を取り戻した瞬間。わたしはずっしりとした倦怠感を覚えました。循環液に水銀を詰められたかのようでした。

 遅れて、共感サージの激痛が全身を蝕みました。剥き出しになった全身の神経を針で滅多刺しにされているかのようでした。


「ふ、う……ぐっ……」


 歯を食いしばって耐えます。

 一度喪失した肉体の感覚を無理やり繋ぎ直すと、驚いた神経系がでたらめに信号を発し、あらゆる感覚が最悪になります。一方で、今回の激痛は薄膜を一枚被せたかのように曖昧でもありました。レーシュン先生があらかじめ、強めの鎮静剤を投与してくださったのでしょう。


 苦労して、ベッドに横たわっていた顔だけを上げました。何度もまばたきをして、シーツの白色が占めるぼやけた視界の焦点を無理やり合わせました。


 ナイトキャップを被った頭を枕に沈めたトニーくんは、穏やかな顔で眠っていました。

 もつれる舌に辟易しながら、ベッドの向かいに立つレーシュン先生へ尋ねました。


「いんちょ、せんせ……トニーくん、は……」

「容態が急変した。今しがた終了した」


 先生はトニーくんの腕からそっと点滴の針を抜きました。小さな絆創膏を貼り、優しい手つきでベッドへ戻しました。まるで、まだトニーくんが稼働しているかのように。

 けれど、先生は確かに「終了した」とおっしゃいました。


「わたし、の……せいです……」

「お前さんが漂白したのか」

「いえ、そうでは、ありませんけど……」

「ではお前さんのせいではない。稼働する理由を失えば人形は停止する。お前さん、何か見届けてきたろう。それが原因だ。案ずるな。アンソニーは安らかに停止した」


 先生は白衣のポケットから紙巻きを取り、マッチを擦って火を点しました。白い煙を細く吐きました。マッチをポケットへ戻し、代わりにスティック状の携帯灰皿を取って灰を落としました。

 もはやトニーくんへ気兼ねする必要はないのだと、言外に示していました。


「そうさな。アンソニーは、おのずから望んで自分を手放したといったところかね」


 質問というより、確認の色合いを含んだ声音でした。


「……院長先生は、気づいていらっしゃったんですか」

「いいや。常に可能性を考慮しているだけだ。経験もある。今回はお前さんの顔を見て確信を得た。アンソニーはなぜ自分を手放した?」

「……意味記憶に、メッセージを遺していました。直りたくないって。頑張れたけど、嫌な奴になってしまうからって。だから、自分を手放すことに、したんだそうです」

「そうか」


 先生は、いつもよりほんの少しだけ遅い足取りで、広い病室の一角に設えられたテーブルセットへと向かいました。気だるげに椅子へ座り、携帯灰皿へ灰を落としてから、紙巻きを持った手を額へと当てて顔を隠しました。


「……直りたくない、だなんて」

「知識として知ったところで、誰もが理解を拒む。体験してなお、受け入れられない者も多い。自身の善性を根本から疑うことは、文字通りの苦行に他ならん」


 ほのかに紫色を帯びた煙が、細く立ち上ります。


「お前さんは真っ当だ。誰もが『不調』を癒やし、再び社会へコミットメントすることを望む。だが、クライアントの不調が、実のところクライアントにとっての最適解である可能性は常につきまとう」

「でも、そんなこと……看護人形のわたしが……」

「そうだな。お前さんだけではない。誰にとっても受け入れがたいことだ。クライアントにとっても、我々医療従事者にとっても」


 優しげな声で同意した先生でしたが、転瞬、いっそう厳しい声音でわたしを諭しました。


「だが我々は、受け入れがたいからという個人的な理由で受け入れないわけにはいかない。我々は、医療従事者だからだ」


 絶句しました。患者さんの不調を解消したい、元気になって貰いたいという願いが、あくまで個人的な理由に過ぎないだなんて。


「もう一度、尋ねる。お前さんの考える治療とは何だ。今もなお、お前さんの望むとおりにクライアントの不調を解消することだけが『治療』だと考えているなら、お前さんはいずれクライアントを不幸にする」


 背骨を真っ二つに断ち切られたかのような衝撃。


 わたしが、患者さんを不幸にする。

 他ならぬ看護人形のわたしが。


 わたしに託された人形の幸福のために全てを捧げると、誓ったわたしが、患者として当院へ入所する人形を不幸にする。

 けれど。患者さんの不調をあえて解消しないだなんて。苦悩の原因を取り除くことが許されないだなんて。そんなこと、納得できるはずがありません。

 トニーくんの幸せな心象風景を体感してなお、わたしはまるで納得できていません。


 質問に答えられないわたしへ見切りを付けたのか、レーシュン先生は携帯灰皿へ吸い殻を押し込み、椅子からさっと立ち上がりました。


「レフとメスキューを呼べ。片付ける」

「……わたしも、お手伝いします」

「ならん」


 短く鋭い声が、わたしをぴしゃりと打ち据えました。


「お前さんがこれまで、アンソニーへ誠心誠意尽くしたことは認める。看護人形としてお前さんは真っ当だ。だが、共感を経てなおアンソニーの有り様を受け入れられないなら、今のお前さんはこれ以上アンソニーへ関わるべきではない。出て行きな」

「でも、最後だけでも……」

「お前さんの最後はもう終わった。次の割り当てが決まるまで待機しな」


 それきり、先生はわたしをいないものとみなしました。

 廊下へ踏み出してメスキューくんを呼びつけ、片付けるよう命じました。

 部屋の壁際に押しやられた種々のおもちゃ、ボードゲーム、スケッチブック、クレヨン、絵の具、粘土、簡素な楽器、子供向けの小さな運動用品。およそ幼い児童が好みそうなグッズの数々。

 前面のカバーを開けたメスキューくんたちは手際よくそれらを積み込んで、病室から次々と運び出し始めました。


 わたしは、看護網絡ナースネットを通じてレフ先輩へ「院長先生が呼んでいます」とだけ伝え、病室を後にしました。





 どこをどう歩いたのやら。

 気づけばわたしは、自在調光ガラスに囲まれた中庭の芝生に立ち入っていました。

 朝方で、まだ影が長く伸びているせいか、芝生の庭にアイリスさんとメラニーの姿はありませんでした。


「あ……お花……」


 さく、さく、と芝生を踏んで、あの花が咲いている一角へとたどり着きました。

 控えめに咲いた、小さく白い花の一群。

 その隣へ座って、漠然とお花の形を観察しました。

 付け根にほんのり青紫を帯びた、五枚の細い花弁。花弁に比べて茎は太めで、円みを帯びた濃い緑の葉が互い違いにくっついています。


 どこか遠くから、とてもとても遠くから、渡り鳥に運ばれて、日陰で芽吹いて、育った花。

 ちゃんと生きている。



 ――ぼく、このはながすきだ。



 フットボールで遊んだとき、トニーくんが身を挺して守ったお花。

 郵便人形の格好をしたトニーくんが、最期にわたしへ託したお花。

 指先でそっと茎をつまんで、白いお花を一輪だけ摘みました。

 手のひらに乗ったそのお花はとても軽く、けれどとても重く感じられました。


 何か、違和感が。

 ぼうっとした頭は、トニーくんとの思い出を断片化し、無作為に繋ぎ合わせ、様々な場面を脳裏に描きました。

 彼が初めてわたしにお花を見せた場面。共感したとき、真っ先に目にした一面の花畑。

 二つの場面が関連付けられた瞬間、稲妻に打たれました。


「あっ……」


 なぜこのお花が、トニーくんの心象風景に存在したのか。

 郵便人形の格好をした、彼。なぜ『弱い人工知能チャットボット』に過ぎないはずの彼が、このお花をわたしに託すことができたのか。


 わたしがいたから。


「ああ……」


 現実感を失った中でも、大事なことだけは大切に心のうちへ留めていたのです。

 十数日間という短い期間でも、彼の内面には確かにわたしの親愛が届いていたのです。

 友達として過ごした良き思い出の象徴として、あの優しい世界を覆う花畑として、わたしがいたのです。


「あああああああああああああああああああああああああああああああぁ――!」


 摘んだ一輪のお花を両手で包んで、胸元へぎゅっと押しつけました。

 届いて、いたのに。わたしは、確かにトニーくんの友達だったのに。

 共感したあの時にこそ、気づいてあげるべきだったのに。

 わたしは、わたしが期待していたことを拾い上げられなかったばっかりに、本当に大事なことを取りこぼしてしまったのです。

 今になって気づくだなんて。


「ごめんなさい! ……ごめんなさい! ごめん、なさい……!」


 謝ることさえおこがましいと分かってはいても、謝ることしかできません。



 ――ぼく、はなをみたらきみのこともおもいだすよ。きっと、もっとしあわせだ。

 ――はい。わたしもきっと、このお花を見たらトニーくんのことを思い出します。



 わたしはきっと、このお花を見るたび、トニーくんのことを思い出してしまいます。

 握りしめていたお花を、わたしは元の場所に戻してしまいました。

 今になってようやくトニーくんの友情を確信できたわたしに、このお花を受け取る資格なんてありません。

 誰よりも、わたしが、わたしを許せません。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 うずくまって、わたしは何度も何度も謝り続けました。

 いくら詫びても足りないと、もう遅きに失しているのだと、分かってはいます。

 でも、今のわたしには、過ちを謝ることしかできませんでした。





 やがて。

 声が枯れて。

 うずくまることさえ億劫になって。

 芝生に横たわって。

 長い手足を窮屈なまでに折りたたんで、身を縮めました。


 思えば、トニーくんが目を覚まさなくなった頃から、ろくに休眠を取っていませんでした。

 どうせベッドで眠る必要もありませんし、ベッドで眠ることが許される身分でもありません。ベッドで安穏と眠ることを、わたしが許しません。





 わたしは、看護人形失格です。

 自らが立てた誓いの真意さえ理解せず、患者さんにとっての幸福を勝手に定義し、自己満足のために『治療』を試みる、人形でさえないヒトで無し。

 不可侵であるべき人形の精神こころを手前勝手に踏みにじり、治療と名目を付けて人形を否定する、人形にあるまじきヒトで無し。

 幸福だった人形を不幸であると決めつけ、その有り様を破壊せしめんとした、人形に擬態したヒトで無し。


 であれば、わたしは。


 わたしが、人形を不幸にするのなら。


 わたしは人形に仇成すものです



人形たちのサナトリウム -オーナレス・ドールズ-

第4章「シティ・アデレードの学友人形」

おわり

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