ともあれ、役に立ちそうだというのなら、何でも使うべき状況です。
わたしの持つ機能は扱いが厄介な代物ですから、事前に説明しておくべきでしょう。
「まず、共感の段階は三つあります」
「段階、でありますか」
「プライマリ。これは患者さんが見聞きし、考えていることを、他人事として知覚します。本を読んで、登場人物に共感する感覚、と言えば分かるでしょうか」
「なるほど」
「他の段階にも言えることなんですが、共感する対象を絞ることもできます。認知、感情、身体、この三つの全てに共感することもできますし、感情だけに共感することもできます」
「ふむふむ」
「次にセカンダリ。これは患者さんが見聞きし、考えていることを、わたし自身に投影します。わたし自身が受信機になるんです」
「想定しうる貴殿への影響は、自身とは異なる感覚を受け取ったことに由来する嘔吐感、現実感の一時的な喪失、あたりでありましょうか」
わたしは声に出さず、ただ頷きました。
「最後にターシャリ。これは……わたしが、患者さんの精神と同化します。わたしにとってリスクの高い段階です。共感サージといいまして――」
説明を続けようとしたところ、エーセブンさんが眉をひそめて制止しました。
「あいや待たれよ。同化、とおっしゃいましたか」
「はい」
「いかに固有の阿頼耶識を持つとはいえ、同化となると『個』を、すなわち末那識を喪失するはずであります。同化とは、自他の境界を曖昧にすることに他なりませぬ。言葉に間違いがあるのでは?」
「いえ……ターシャリで共感した際、わたしは患者さんの精神に対して完全な上位権限を有します。たぶん、そのおかげで、せいぜい五感が最悪になって、全身を鈍器で殴られて刃物で滅多刺しにされるような感覚に襲われる、くらいの反動で済んでいます」
今度は、エーセブンさんが言葉を失いました。
「よもや……特権保有者……」
ぷっつりと、一分ほどの沈黙が続きました。
メラニーが時間を稼いでくれているとはいえ、急がなければならないことには変わりはないはずです。この問答だけで随分と時間を消費しています。
「あの……エーセブンさん?」
「……貴殿は、介入共感機関とやらの使い方を、間違って教えられております」
「どういうことですか?」
ふう、とエーセブンさんが息を一つ。
いついかなるときも飄々としていた彼らしくありません。
彼の険しい表情を、わたしは初めて見ました。
「貴殿が持つ介入共感機関。その真の性能は、人形を貴殿の意のままに従わせることができる、というものであります」
「……今、何と言いましたか?」
「貴殿は、他の人形を完全な支配下に置くことが可能であります。すなわち特権であります」
そんな馬鹿な。
だって、それは。
そんなものは。
「……まさか。そんなこと、できるわけありません」
「やるかやらないかと、できるかできないか、は別であります。貴殿はそうしなかっただけでありましょう。ですがその気になれば、人形の精神を無に帰すこともできる。人形の精神に対する完全な上位権限、すなわち特権を持つ者は、それが叶うはずであります。心当たりは?」
「……」
わたしは、エーセブンさんの問いに答えられませんでした。答えたくありませんでした。
わたしはかつて、とある保安人形の精神を漂白しました。
けれど、その事実を伝えて何になるというのでしょう。いたずらに患者さんを怖がらせ、従わせてしまうだけです。
「共感の対象を認知、感情、身体に限っているとおっしゃいましたが、これも間違った使い方を教えられております。六識、いわゆる五感と意識に対して特権を行使すればよろしい。例えば、貴殿は対象の視覚だけを支配することも可能でありましょう。盲目にするもよし、視界を他の誰かのものへすげ替えるもよし、であります」
「そんな……そんな、何でもありが、わたしに備わっているわけありません!」
声を荒げてしまいました。
一介の看護人形には過ぎた機能です。
そんな機能がわたしに備わっているだなんて、信じたくありませんでした。
けれど、エーセブンさんは表情を険しくしたまま、淡々と告げました。
「ターシャリでの共感とやらは、まさに特権の行使であります」
短いお付き合いではありますが、彼の推測が的を外したことは一度もありません。外れない推測は、もはや事実と同義です。
「……仮に、そうだったとして。わたしにそんな機能を持たせる理由なんて無いはずです。わたしは看護人形です。患者さんのお世話をして、悩みを聞いてあげるだけの人形です」
「自分には分かりかねまする。貴殿がどのように造られたのか。いかにして貴殿が特権を付与されたのか。それらはなぜか。全て、問題設定であり、人形では成し得ないことであります」
それは、そうです。
ヒトは人形に問題解決をアウトソーシングし、人形はヒトに問題設定をアウトソーシングしています。
「さらに言えば。この世全ての人形は対等であり、人形網絡の信頼性は人形の対等性に基づいて担保されております。貴殿の存在は、この信頼性を根本から崩す可能性さえありますな」
否定したいのに、否定できる材料がありません。
看護人形誓詞を復唱してしまえば、わたしは介入共感機関を動かすことができてしまいます。それに、看護人形誓詞の復唱はあくまで後付けの安全装置です。別名により短縮できますし、時には勝手に稼働して患者さんの心を読み取ったりします。
何より。わたしがイリーナさんという規格外に変じた存在を終了し、彼女の精神を漂白したのは、決して動かない事実です。
銃なんて、比べものにならない暴力性。
嫌いだ、嫌いだ、と常々思っていた介入共感機関でしたが、いっそう嫌いになりました。許されるなら、可能であるなら、こんな機能なんて切除してしまいたい。
どうして、バンシュー先生はわたしにこんな機能を持たせたのでしょう。
わたしは、ただ患者さんのお世話をして、悩みを聞き、患者さんにとっての幸せを一緒に探すだけの人形でいたいのに。
よりによって、看護人形のわたしが、人形の掟を破壊する存在だなんて。
と。
エーセブンさんが体操マットから飛び降り、倉庫の隅へてくてくと向かいました。
「さてさて。これで光明が見えましたな。貴殿が協力してくだされば、たかだか五体の青十字など鎧袖一触であります。潜水艦の奪取は成ったも同然。ささ、向かいましょうぞ」
険しい表情から一転。
エーセブンさんは元の飄々とした顔つきと声音に戻っていました。
思考が崖っぷちにまで追いやられていたわたしは拍子抜けしてしまいました。
「あの……わたしが、怖くないんですか」
「はて。怖いとは?」
「だから、わたしのことが、わたしの介入共感機関が、怖くはないんですか?」
「なぜ怖がっていると思われたのか、皆目見当もつきませぬが」
「だって、険しい顔をしていたじゃないですか」
「むむ……? ああ、この顔でありましたか。自分がしかめ面になっておりましたのは、まさか特権保有者が現実に存在するなどとは思いもよらず、推測に忙しかったためであります」
なはは、申し訳ない、と言い添えて、エーセブンさんはからからと笑いました。
見た目が若いバンシュー先生を相手にしているような気分です。
単に新奇性の高い情報を分析していただけだなんて。
「念のため、なぜ怖くないのかと言いますと、ですな」
「あ……はい」
「貴殿はおっしゃったではありませんか。わたしを信じてくれ、と。自分の味方である、と」
「それは……確かに、そう言いましたけれど」
「貴殿は行動でも示してくださった。であれば、自分は自分の味方である貴殿を信じるだけであります。何を怖がることがありましょう」
エーセブンさんは優しげに微笑みました。
目を輝かせてあれこれと情報をむさぼっている時の『笑顔』とは違う笑顔。
「それに。貴殿は、どうやら介入共感機関とやらを大変に嫌っていらっしゃる。ならばこそ、より信頼できるというもの。どうかその心根をお忘れにならぬよう。貴殿は決して、暴君にはなりますまい?」
「なりません。なりたくありません」
「大変結構。いかな道具も使いよう、でありますよ、ハーロウ殿」
患者さんに励まされるだなんて。
やっぱり、わたしはまだまだ未熟者です。
「さ、出入り口の認証を。時間はさほど残されてはおりますまい」
「……はい!」
わたしはエーセブンさんへと駆け寄り、襟元のクリップを引き抜いて足下へとかざしました。
ピッと甲高い認証音。
床板がするすると音もなくスライドして、地下へと続く急な階段が現れました。
もう後戻りはできません。わたしたちの所在はジュリア看護長に露呈しました。
最短経路で、青十字の方々が滞在しているであろう第五層の中央へと駆け抜けるまでです。
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