人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

7-5「未病の人形」

公開日時: 2021年5月5日(水) 18:00
更新日時: 2021年12月15日(水) 15:33
文字数:4,648

「自分が、未病、でありますか」

「そうよ、司書人形のエーセブンさん」

「一等人形造形技師のお言葉を否定する意図はありませんが……自己診断は異常を検出しておりません」

「異常を自覚したら未病とは言わないわ」

「なはは。これは一本取られましたな」


 相変わらず緊張感の無い声色です。


「教えてあげるから簡単な問診に答えてちょうだい」

「承知であります」

「じゃあ手始めに。あなた、うちの敷地を見たでしょう。芝の品種は?」

「バミューダグラスであります。他に植生としてマルバハタケムシロ、セイヨウタンポポ、タスマニアビオラを認めております。あとは多数のクロマツが――」

「はい、もう結構。あなたを最初に取り囲んだのは医療物資運搬ユニット。製造元はどこか分かる?」

「原型はツクバの軍需品運搬ユニットでありますね」

「ツクバのは六脚型よ」

「はい。ツクバには無い遊び心、パサデナらしい癖が随所に見られます。ゆえにパサデナにて四脚型として再開発されたものである、と推測する次第であります。駆動音に聞き覚えがありませんが、おそらくはオイルを代謝分解することで高出力を得る、オルガノシリコン系高分子ポリマーを基板とした撚糸構造伸縮アクチュエータ。後部の排気筒は高出力に伴う熱を逃がすための構造であります」


 彼はいったい何の話をしているのでしょう。早口なうえに内容が専門的すぎて、わたしにはさっぱり分かりません。


「では次。この建物の工法は?」

「旧式のプレキャスト鉄筋コンクリート造であります。劣化の程度から察するに築年数は十年程度でありますな。高層建築ならいざ知らず、一階建てならやかたを用いた方が効率的ではなかったかと推測する次第であります」

「あいにくうちには庭師を雇う余裕は無いの」

「ちなみに窓は自在調光ガラス。壁、天井、床はおそらくハロゲン化ブチルのシートにビニールコーティングを施したもの。廊下の壁に張られた木材はセコイアの一枚板、天然物であります」


 わたしは、エーセブンさんの背後で舌を巻いていました。

 凄まじい観察眼でした。彼の目には一体何が見えていたのでしょう。ぱっと見ただけで、あんなに膨大な情報を引き出せるだなんて。


「それじゃ、最後にここ」


 セイカ先生は親指で背後を指しました。


「この壁について気づいたことはある?」

「気づくも何も、偏向素材メタマテリアルであります。他の壁とは光の反射率が僅かに異なります。反響音も吸われておりますな」


 エーセブンさんは爪先で床を叩き、カツンと甲高い音を立てました。


「ふむ……壁の先に幅六十センチメートル程度の空間を認めます。どなたか、そこに滞在しておりますか?」


 隠し部屋の存在まで即座に見破られてしまいました。

 おそらく、今のは反響定位エコロケーション。それも、空気を伝わる音だけでなく、爪先から感じ取った僅かな振動を頼りに、間仕切りを探り当てたのです。


「出てきていいわよ、ジュリア」


 壁が丸ごとスライドして、狭い空間からジュリア看護長が現れました。不測の事態に備え、隠し部屋に控えていたのでしょう。

 ジュリア看護長は渋面でセイカ先生の斜め後ろへと立ち、軽く握った拳でコンコンと額を叩きました。


「……先生。何者なんですか、その人形」

「今は患者よ、ジュリア」

「はいはい。失礼しましたよっと」

「自分はセイカ女史の確信に驚いております。問診内容は、自分の観察力を試したものでありますな? 自分がそこまで知り得ていることを、いかにして把握なさったので?」


 セイカ先生は気だるげに、けれど鋭い指摘を返しました。


「だってあなた、同じものを二度は見ないじゃない」

「は。それは確かでありますが……」

「あとはその眼球。生身に見えるけど、映像記録を目的とした義眼ね」

「……その通りでありますが、見破られたのは初めての経験であります。生体認証をパスできる程度には精巧な製品なのですが」

「眼球に全く急速眼球運動サッケードが見られないからね」


 ある例外を除いて、ヒトの目は連続的に動くことができません。ある事物から別の事物へ視点を動かす際、眼球は瞬時に動きます。これをサッケードと呼びます。

 例外とは、動く物体を注視する場合です。何かしら動く物体を注視する場合のみ、眼球は連続的に動くことができます。こちらは滑動性眼球運動と呼ばれます。


 わたしも知識としては知っていました。ですが、セイカ先生は問診を実施しながらエーセブンさんの眼球がサッケードしていないことを見抜いたのです。仮にわたしがセイカ先生の椅子に座ったとしても、絶対に気づけなかったでしょう。


「あなたの義眼は本来、映像記録モードを有効にしている時だけサッケードが無効になるはず。サッケード中の視覚情報は取得されないから」


 サッケード抑制という作用です。不便そうに思える作用ですが、実は視界を安定させるというメリットがあります。サッケード中の視覚情報を取得すると、中枢は猛烈にブレた映像を知覚することになります。視界を安定させるためには、サッケード抑制は必要不可欠なのです。


「ご名答であります。さすがはツクバの才媛でありますな」

「お世辞は結構。問題はね、あなたが映像記録モードを常時有効にしているってことよ」

「と、申しますと」

「映像記録モードは模倣脳に大きな負荷がかかるって教わらなかったの? カメラは画角に入った全ての映像情報を精細に取得するけれど、網膜は違う。ヒトも人形も、映像を鮮明に知覚できるのは視軸を中心とした直径二度の領域、ちゅうしんだけ」

 直径二度というのは、五十七センチメートル先にある直径二センチメートルの円形領域、くらいの狭さです。これより外の領域にある視覚情報は、精度が極端に悪くなります。


「お分かり? あなたの後頭葉にある視覚野は、ごく狭い範囲の視覚情報を処理することしか想定していないの」

「確かに自分は映像記録モードを常に有効化しておりますが……義眼の映像は、脳とは別の記録媒体へ収録されております。問題は生じないのでは?」

「いいえ。精細な映像情報が入ってしまえば、視覚野はそれらを全て処理しようとしてしまう。アルゴリズムを工夫しても、情報量のオーダーが桁違いだから焼け石に水。つまり『必要なときだけ映像記録モードを有効にする』ことが正しい使い方なのよ」


 まったく、とぼやき、セイカ先生は前髪をくしゃりと掴みました。それから雑に左右へとはねのけました。


「さて、ここで問診の振り返り。私は芝の品種を尋ねたわ。けれどあなたは芝の品種だけでなく植生を述べた。これはなぜ?」

「特段の指定が無い限り、司書人形は取得した情報を要請に応じて開示します」

「私は情報を要請していないのよ。あなたは芝の品種を答えれば良かったはず」


 これまで淀みなく雄弁に受け答えしていたエーセブンさんが、初めて口ごもりました。


「それは……そうで、ありますが」


 セイカ先生はエーセブンさんの回答内容を次々と掘り下げていきます。


「医療物資補給ユニットについて。うちではメスキューと呼んでいるわ。私が尋ねたのはメスキューの製造元。あなたは製造元だけでなく、なぜか駆動方式にまで言及した」

「製造元を判別した根拠として、駆動方式を挙げたまでであります」

「違うわ。後付けで自分を騙すのは止めておきなさい。癖になるわよ」

「は……肝に銘じます」

「次に建物について。私は工法を尋ねたわ。けれどあなたは築年数、内装の材料にまで言及した。あなたは工法にだけ答えれば良かったはず」


 エーセブンさんは、もはや反論しませんでした。肩を強ばらせていました。


「最後に、この壁について。壁を見て気づいたことは、と私は尋ねたわ。偏向素材メタマテリアルについては、最初から気づいていたでしょうね。けれどあなたは壁の構造まで改めて探ってしまった


 普段のセイカ先生はふにゃふにゃしていますが、ひとたび真面目モードに入ると手の付けられない切れ者になります。


「あなた、当院では表面的な情報を一通り収集すると言ったわね」

「は……誓って嘘を申したわけではありません、が……」

「疑っているわけではないわ。私が尋ねなければ、あなたは隠し部屋を見つけなかったでしょうから。私の質問が呼び水だったというだけ。あなたは探索の衝動を抑えられなかったのよ」

「恐れ入ります」

「さりとて多動というわけでもない。一度見聞きした情報、つまり新奇性の無い情報には一切の注意を向けないから。現に今のあなたは私の表情と声色だけを観察している。この部屋の中で最も変化が激しく、あなたが取得したい情報だから」

「なはは……何もかも、お見通しでありますな……」


 わたしもエーセブンさんと同様に、セイカ先生に対して畏敬の念を抱いていました。畏敬の念を改めた、と言うべきでしょうか。

 いくつかの問診と観察だけで、一見すると正常な人形が抱えている『異常』を突き止めてしまったのですから。


「お分かり? あなた、既に異常なのよ。あなたは無自覚に、不必要な情報までかき集めてしまっている。放っておいたらそのうち後頭部から煙が出るわよ」

「ふむ……それは困りますが……最後の反論をお許し頂けますか」

「どうぞ」

「セイカ女史のご指摘は、それぞれごもっともであります。しかしながら、自分はこれまで司書人形としての活動に支障をきたした覚えがないのであります」

「言ったでしょ。未病だって。そのうちガタが現れるわ」


 未病。

 明確な症状が現れる前の段階を意味します。


「あなたは自分も他者も欺いてきた。自分は司書人形だからという名分で。あなたを含めて誰も気づかなかった。けれどそれもそろそろ限界なの」

「ははあ。もはや限界でありますか」

「ええ、限界ね。新奇な情報をむやみやたらに収集しようとする、だなんて安直な精神設計が異常を生まないはずがない。十中八九、あなたは本来検知すべき異常エラーを握り潰されている。どこの誰だか知らないけど、馬鹿が馬鹿げた実装をするからうちの仕事が減らないのよ」

「ふむ……」


 エーセブンさんはしばらくうつむき、考えこみました。

 その間にセイカ先生はカルテへ何事か書き付け、ジュリア看護長へと渡しました。

 じきにエーセブンさんが顔を上げ、強ばっていた肩をほぐすように左右で上下させました。


「しかし、不思議でありますな。自分を処分するとおっしゃりながら、一方で自分を治療のため収容するともおっしゃる」

「私は医師よ。誰であろうと眼前の患者は治療する。それが例え、半日後には処刑される死刑囚だとしてもね。ついでに言えば、あなたを治療することによる当院のメリットもある」

「ふむ……あい承知いたしました。ときに、セイカ女史の見立てでは、自分に必要な『治療』は何でありますか」

「何もしないこと。今のあなたには退屈さが必要。良かったわね。ここは狭くて退屈な所よ。あなたなら二日も過ごせば退屈になるわ。その退屈を二週間ほど続ける。とにかく模倣脳を休ませなさい。義眼の映像記録モードもなるべく無効化しておくこと」

「シェンツェン大図書館の許可が下りたなら、自分はセイカ女史の治療方針に従います」


 セイカ先生はオフィスチェアから立ち上がり、指を組んでうんと伸びをしました。腕をぱたっと落としてから、力強い声音で断言しました。


「私は医師よ。誰にも文句は言わせない。あなたの治療が終われば、あなたの同僚が同じような異常に陥らなくて済む。許可は必ず取り付けるわ」


 かくして、侵入者エーセブンさんは当院預かりの急患として仮入所することになったのでした。

 諸々の協議や調整を待つことになるので、あくまで仮入所ではありますが。


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート