人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

4-9「たったひとつのわがまま」

公開日時: 2020年12月24日(木) 18:00
更新日時: 2021年12月15日(水) 15:29
文字数:3,390


 僕、君に謝らなくっちゃ。

 ごめんね。ちょっぴり、嘘をついちゃった。

 僕、みえっぱりなところもある。

 でも友達には、本当のことを話さなきゃね。


 本当は僕、もうちょびっとは頑張れたんだ。あと、四年くらい。

 でも、さ。それって、中途半端なんだ。

 僕はきっと、嫌な奴になっちゃう。

 友達に、嫌な思いをさせちゃう。

 自分を無くすと、友達の心も分からなくなるから。

 それだけは、嫌なんだ。耐えられないんだ。だって僕、学友人形だもの。

 だから僕、早めに僕を無くそうと決めたんだ。


 君。僕の、最後の友達。君には、きっと辛い思い出になる。

 君は僕を直そうとして、工房に連れて行くかもしれない。

 でも、お断りなんだ。僕は直りたくない。

 ごめんよ。


 さよなら。僕の、最後の友達。

 読んでくれて、ありがとう。

 僕、良い子でいられたかしら。





 便せんに綴られた言葉は、それでおしまいでした。


 裏に何か端書きがあるのではないか。

 封筒のどこかに本音が記されてはいないか。

 わたしは浅ましくもそんな願望を抱いて、便せんと封筒を隅々まで検分しました。

 見つけたのは、シールにスタンプされた、今からおよそ三ヶ月前の消印だけでした。

 他には何もありませんでした。何も。


 介入共感機関は、わたしに嘘を見せません。

 人形は、介入共感機関を欺けません。


 この便せんに記されたことが全て。

 わたしが肌で感じている、トニーくんの心象風景が全て。


「そんな……そんなことって……」


 わたしは、薄い便せんを胸元でくしゃりと握り潰してしまいました。

 膝に力が入らず、土の道にへたり込んでしまいました。


 トニーくんは、自ら自我を手放さないと、耐えられなかった。

 自分を手放した結果の一部として、社会性の喪失が顕著に現れていた。

 わたしは、『治療』という行為を通してトニーくんの在り方を否定しようとしていたことになります。彼が不幸なのだと決めつけて。

 そんなことをしなくても、トニーくんは入所から現在に至るまでずっと幸せだったのに。



 ――わたしは常に人形の味方である。

 ――それが毒あるもの、害あるものであろうと、わたしはその全てを肯定する。



 いったいどの口が、そんなご大層な誓いを立てたのか。

 トニーくんのことを、何一つ理解していなかったくせに。


 わたしは、人形権利派ポスト・ヒューマンライツや、人間性復興派ヒューマニティ・リバイバリスト、主義主張な方々と同類です。

 わたしはわたしの主義主張で、トニーくんにとっての幸福を決めつけていました。


 思い返せば、兆候サインはいくらでもありました。

 よく転んでいたのは、体の現実感を失っていたから。体性感覚のフィードバックもフィードフォワードもうまくいかないから、よく転んでいた。

 羞恥心を欠いていたのは、見られる自分を意識できなかったから。見られるものを持たないなら、見られて恥ずかしいことなどない。

 何かにつけて判断をわたしに委ねがちだったのは、自分という主体が薄れていたから。自分のやりたいことが分からないから、わたしに判断を委ねていた。

 誤信念課題を通過できなかったのは、他者の信念を投影するために必要な自分スクリーンがぼろぼろに破れつつあったから。他者と自己の区別は表裏一体であるがゆえに、自己が曖昧であればあるほど他者の信念も曖昧になる。


 顕著に現れていた不調だけを見て、わたしたちは『社会性の喪失』と判断してしまった。

 レーシュン先生は『暫定的に』と慎重だったのに、わたしは『社会性の喪失』にしか意識が向かなかった。

 だって、それなら、訓練すれば修復できるかもしれないから。

 直る見込みがあると思ったから。希望があったから。

 今こうして共感しているのも、直せるかもしれないと希望を持ったから。


 過去を追従する思考がそこへ至った瞬間、火花がわたしの前頭前野で弾けました。



 ――希望。誰の希望? わたしの希望。トニーくんの希望ではなく。



 レーシュン先生がわたしへ諭したことが、今になってようやく分かりました。



『アンソニーが社会性を取り戻すことが治療だと言ったな。それがアンソニーにとっての幸福だと考えてのことか』

そうなることでしか心が耐えられなかった。その可能性は常につきまとう』

『話したところでお前さんは認めることができない』



 認められるはずがありません。受け入れられるはずがありません。

 だって。だって……!

 わたしは、看護人形です!

 患者さんの不調に寄り添って、苦悩へ共感して、人形としての新しい生き方を、患者さんと一緒に探すのがわたしの使命です!

 それなのに、不調を抱えることそのものが、患者さんにとっての最適解だなんて!

 自分を苦しめることでしか、より大きな苦しみから逃れることができないだなんて!

 そんな理不尽な二者択一しか残されていなかったなんて。


 何体ものトニーくんたちは、相変わらず陽気に遊んでいます。彼らこそがトニーくんにとっての現実。和やかで、穏やかで、温かな、揺り籠のような事実上の現実ヴァーチャル・リアリティ

 涙は、流れませんでした。理解したくない現実を目の当たりにしたとき、それがどれほど悲しく絶望的であっても、涙は流れないものなのかもしれません。


「おや、おきゃくさまだ。こんにちは。あえてうれしいよ」


 再び、郵便人形の格好をしたトニーくんが現れていました。先ほどと全く同じ動きでメールバッグから封書を取り出し、へたりこんだわたしへ差し出しました。


「おきゃくさま。これを」

「いえ……先ほど、受け取りました」

「さようですか」


 封書はメールバッグへ戻りました。へたりこんだわたしの隣へ立ち、慰めるかのように肩をぽんぽんと叩いてくれました。


「およみになりましたか」

「はい……」

「ありがとうございます。ぼくをつくったかいがあったというものです」


 このトニーくんは、心を持たない『弱い人工知能チャットボット』です。あらかじめ用意されたルールに従って、あらかじめ用意された言葉を返すだけの録音装置です。

 それでも、会話が成立しないと知りながらも、わたしは言わずにはいられませんでした。


「……本当に、あなたはこれでよかったんですか」

「こまりました。どうこたえたものやら……」


 彼は、想定していない会話に対して当意即妙には応じられません。


「ぼくはぼくの、たったひとつのわがままです。てがみをよんでいただければ、ぼくはまんぞくなのです。おこたえになっていれば、いいのだけれど」

「お願いです。違うと、言ってください……! あなたはもっと、わがままを言っていいんです。直りたくないだなんて、そんな悲しいこと、言わないでください……」

「こまりました。どうこたえたものやら……ぼくはぼくの、たったひとつのわがままです。てがみをよんでいただければ、ぼくはまんぞくなのです。おこたえになっていれば、いいのだけれど」


 例外に対して用意された汎用的な応答の一つが、これ。

 耐えきれずに視線を背ければ、トニーくんの『好き』に満ちた世界が視界を埋め尽くします。幸せなのに、幸福に満ちているのに、どうしても納得できない世界が、わたしを圧倒します。


 どれほどの間、呆けていたでしょうか。

 精神世界の時間経過は不安定です。速かったり、遅かったり。

 いずれにせよ、確実に着実に時間は進みます。


 やがて。


「おきゃくさま。そろそろ、おかえりください」


 へたりこんだままのわたしより頭半分高い位置にあるトニーくんの視線、その先を追ったところ。

 緑の絨毯が、遠い地平線から急速に薄れ始めていました。みるみるうちにトニーくんたちの姿が薄れ、白い空間に同化していきます。

 漂白です。


「どう、して……」


 わたしは何もしていません。何もできていません。


「ぼくも、やっとおやくごめんです」


 たった一言。

 わたしが何を試みようとも、彼は決して喜ばないのだと、分からされました。なにせ、トニーくんは直りたくないのですから。彼は、ようやく解き放たれるのですから。


 傍らに立つトニーくんは背をかがめ、可憐に咲き誇る白い花をひとつ摘みました。

 フットボールで遊んだとき、彼が身を挺して守った花。


「これを、どうぞ」


 小さな手がわたしの右手を取り、摘んだ花をそっと置きました。

 漂白が迫ります。もう、彼のすぐ背後にまで。


「さよなら。ぼくの、さいごのともだち」


 言葉だけが残りました。

 わたしは、真っ白な世界に取り残されてしまいました。

 託された花まで漂白されないよう、わたしはぎゅっと右手を握り、左手で覆い、全身を縮めて、わたしは介入共感機関を再拘束しました。


 この花を持ち帰ることなど、できないと分かっていながら。


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