叶う見通し? エリザベスさんを使いこなせる持ち主が?
「実はわたくし、他の患者様とはいささか変わっております」
「はい。まあ。それは知ってます」
「左様でございましたか。ハーロウ様は早耳でございますね。不肖エリザベス、いささかばかり前に、めでたくシティ・アイラへ再就職と相成りました。それもこれも皆様のおかげでございます」
「はい?」
「再・就・職、でございます」
エリザベスさんは右手、左手、右手、と縦に並べるかのように区切った動作。
「再就職って、何ですか?」
「新たな職を得るということでございます」
「いや、言葉の意味は分かります。どういうことですか、と聞いているんです」
「ご存じだったのでは?」
エリザベスさんは澄まし顔で首をひねります。
「わたしが知っているのはエリザベスさんが変わり者ってことだけです」
「左様でございますか。では改めまして。わたくし、ここには就職活動のために入所しておりました」
「就職活動」
「イエス。就・職・活・動」
だから何なんですか、そのフィクションに登場するロボットみたいに区切った動作は。
「ええと……もしかして、エリザベスさんは何の疾患もお持ちでないと?」
「イエス。心身共に健康優良児でございます」
いや、優良ではないと思うのですが。特に心が。
「じゃあ、どうして当院に入所なさったんですか」
「ですから就職活動でございます。入所の名目は『ひとところに居続けられない』ということにいたしましたが」
らちがあきません。
「……就職活動で、なぜ当院に?」
「先ほど申し上げました通り、わたくしはわたくしを万全に使いこなせる持ち主を探し求めております。わたくしほどともなりますと、人形遣いの荒いお方でなくては、わたくしの持ち主など務まりません」
「はあ」
ご自身が奇天烈だということも自覚していらっしゃるんですね。
「ここには世界中から患者様が入所いたします。言い換えるなら、人形遣いの荒い持ち主を見つけやすい、ということでもございます」
そんな悪魔みたいなことを思いつくのはエリザベスさんだけだと思いますが。
「結局、患者様とは関係しない筋から就職の口を頂きましたが。ま、それはそれ。わたくしがここへ滞在していなければ得られなかった情報でございましたので、結果オーライ、でございます」
何だか、一気に脱力してしまいました。
「はあ……」
重い重い徒労感が急に背中へのしかかり、わたしを長机に押し付けました。
やっぱりエリザベスさんはエリザベスさんでした。
「何か?」
「いえ……結果だけ見れば、わたしは看護人形を続けると決意できましたし、エリザベスさんもロールプレイングを通じてご自身の性能を再確認できた、んでしょうけど」
釈然としません。
ここ数週間、わたしだけがずっと空回りしていたのではないでしょうか。
「わたくしは楽しゅ――失敬、充実した毎日でございました。世を知らぬ人形が、幼さゆえにひた走り、疲弊し、全てを愛し、己を憎む様こそ、いとをかしけれ、でございます」
「何を言っているのかは何一つ分かりませんが、失礼なことを言われている気はします」
「いかなわたくしとて、千年以上前にご自身の性癖をつらつらお綴りになった変態ほどではございません。歯痛で苦しむ美少女、いとをかしけれ。さすがに及びません」
だから何の話をしているんですか。わたしに教養はありませんよ。
「……まったく。あなたを雇うなんて、いったいどんな変人なんでしょうね」
嫌味の一つも言いたくなるのは許されたい。
「わたくしがお仕えいたしますのは、御年十六にして一等人形造形技師と認められた才媛でございます。現在はクロス・マリン・プロダクトの代表取締役、兼、最高技術責任者。シティ・アイラの保健衛生機関、清掃六課の課長もお務めになっていらっしゃいます」
ちょっと待った。
顔を上げます。
「実在の人物だったんですか」
「本番さながらでなければロールプレイングの意味がございません」
「どうして嘘を」
「嘘は申し上げておりません。お嬢様の性格に関する有益な情報はございません。わたくしが得ておりました情報は、お名前、身分、身体的特徴、生活習慣、行動傾向でございます。お名前を明かさなかったのは、余計な認知バイアスを生じぬためでございます」
「何ですか、余計な認知バイアスって」
「お嬢様のお生まれは特殊でございますので」
「お生まれって……名家の生まれっていう、あれですか」
「イエス。お嬢様のお名前はアシュリー・ニーヤ=マキナリー。すなわちケイグーの傍系、ニーヤでございます」
「ケイグーって、あのケイグーですか」
「他にケイグーはございません。お嬢様が代表をお務めになっていらっしゃるクロス・マリン・プロダクトは、いわばケイグーのフロント企業でございます」
ドラッグ・シンジケートとドンパチを繰り広げているあたりといい、いよいよマフィアめいていますね。
「なお。余談ではございますが、アシュリーお嬢様はドクター・レーシュンの遠戚でもございます」
「そんな偶然、あるんですね」
「偶然も何も。ケイグーはフジを宗家とした時代錯誤も甚だしい血統主義の技術者集団でございます。ケイグーで命造りを修めた『混沌歩き』は誰もが親族。皆、顔を合わせれば殺し合うほど仲が良いともっぱらの評判でございます」
血なまぐさい一族もあったものです。
「わたし、ちゃんと『お嬢様』の役をやれていたんでしょうか……」
「イエスかノーかで申し上げますと、ノーでございますね。アシュリーお嬢様はあまたの人形を壊したことで知られております。その点だけで見ますと、ハーロウ様とは正反対でございますね」
眉をひそめてしまいました。多くの人形を壊した、だなんて。
「あまりに多くの人形を壊すものですから、付いたあだ名が音響熱狂者でございます」
「オーディオマニア?」
「いわく、人形の声が気に入らないのだ、とか。そうでもなければお付きの家政人形にやたらめったら無理難題を申しつけて壊したりはしない、ということでございましょう」
「そんな人のところで、働くんですか」
「勘違いをなさっていらっしゃいますね。わたくしが、望んで、志願いたしました」
「なぜ……」
「わたくし、常に無理難題を求めております。無理難題をすげなくこなしてこそ、わたくしの万能を証明できるというもの。お嬢様は、きっとわたくしの望みを叶えてくださることでございましょう」
彼女の声色に恍惚感が溢れているのを感じ取ったのは、気のせいではないでしょう。
どこまでが真面目でどこまでがふざけているのか、まるで分かりません。
エリザベスさんの『理解』に及んだ、という自分の見解を今すぐ撤回したい。
「はあ……頭、おかしいんじゃないですか?」
レーシュン先生あたりに叱られても構わない、くらいの覚悟で言ってやった皮肉だったのですが。
彼女は珍しく微笑んで、わたしの皮肉を予想外の方向へと投げ返してきました。
「そのお言葉は、わたくしにとって何よりの褒め言葉でございます」
こうして、わたしとエリザベスさんのロールプレイングは、本当の意味で終わりを迎えたのでした。
「わたしたちの違いはね、ローズ、わたしは生まれながらに命令する側にいて、経験を通して人の扱い方を学んできたという点よ」
「わたしたちの違いはですね、奥様」わたしは言い返しました。「奥様にはお金がおありだという点です。お金は力で、人間はお金と権力に敬意を払います。だから人々は、お金をお持ちだという理由で奥様に敬意を払うんです」
Rosina Harrison (1975). Rose: My Life in Service to Lady Astor. Littlehampton Book Services Ltd.
(ロジーナ・ハリソン. 新井潤美 (監). 新井雅代 (訳) (2014). おだまり、ローズ : 子爵夫人付きメイドの回想. 白水社)
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