セイカ先生がエーセブンさんへ尋問を実施した翌日。
当院に務める四人の先生方の間で協議がなされ、エーセブンさんは正式に当院への滞在が認められました。もちろん患者さんとしてです。
彼の主治医はセイカ先生。主担当の看護人形は看護B班のわたし、ということになりました。わたしが担当していたのはラヴァさんだけだったので、妥当な割り当てでしょう。
そしてまた翌日。
十四時の昼下がり。
わたしはエーセブンさんと一緒に、生産棟のすぐ近くを訪れていました。わたしたちの眼前には、黒い金属製の円筒。高さは約一メートル。直径も一メートル程度。真夏の陽光を浴びたつや消しの表面から、ゆらゆらと陽炎が立ち上っていました。
実況見分です。
高さ一メートル程度、直径も一メートル程度ということは、手足を縮めてうずくまるような形で乗っていたのでしょうか。
「本当に、これに搭乗して落ちてきたんですか? スカイダイビングではなく?」
「で、あります。自分はそちらの代理兵士殿のような訓練は受けておりませんし、頑丈でもありません。一万メートルの高高度から生身で落下傘、というわけにはいかなかったのであります」
念のため、実況見分にはラヴァさんにも同行してもらいました。
「なるほど。それなら減圧も耐寒装備も要らないわけだ」
ラヴァさんは止まり木の療養所に入所して三年のベテランさん。本人の意向もあり、彼には時々当院の業務をサポートして貰っています。今回はセイカ先生によるエーセブンさんの所見もお伝えしてあります。
そのラヴァさんはポッドにワイヤで繋がれたパラシュートをつまみ、興味深げに検分していました。
「ん、衛星測位用の受信機かな、これは。この柔軟翼が測位と位置調整を勝手にやってくれるのか」
パラフォイル。パラシュートの分類か何かでしょうか。
「で、あります。円筒下部にはセンチメートル波レーダと赤外線カメラが搭載されております」
「どれどれ」
直立していた円柱状のポッドをラヴァさんが押し倒しました。芝が綺麗にへこんでいました。
「うん。確かにレーダとカメラだ。これは着陸時の最終調整用かな。全部、どこにでもある民生品の組み合わせだね。ちょっと勉強すれば誰でも作れる。逆に言えば、どこの誰が作ったのか分からない」
「で、あります。加えて、ポッドの投下後は位置を追跡しない契約を交わしております」
ラヴァさんがわたしへ視線をよこし、頷きました。
「うん。信頼していいんじゃないかな。PMCは、取り交わした約束は絶対に守る。約束を守れないPMCは存在できない。契約違反の可能性はゼロと言っていい」
エーセブンさんを高高度から投下した民間軍事企業は、ポッドの位置を追跡していない。加えて、当の民間軍事企業は身元を隠す術を講じている。
あちらもこちらも互いのことを知る術はありません。ギリギリではありますが、当院の方針は守られていると判断してよいでしょう。
そもそも不法侵入の片棒を担ぐな、という話ではありますが。
「それにしても、よくもまあ単身の片道切符で、あるかどうかも分からない目標へ飛び降りようと思ったものですね……」
「自分の存在意義は知識の収集、整理、保存でありますから」
それにしたって無鉄砲が過ぎるというものです。
セイカ先生が指摘した通り、探索の衝動を抑えられなかった結果なのでしょう。開放病棟からこの地点まで移動する間も、彼はしきりに周囲を見回してブツブツと何事か呟いていました。
セイカ先生からは、彼が情報を集めたがる傾向を無闇に抑止しないよう言い渡されています。狭い当院を探索し尽くせば、じきに飽きるから、とのこと。
「このポッドは廃棄します。いいですね?」
「自分は構いません。むしろ廃棄の手間をかけさせてしまい恐縮であります。シェンツェン大図書館に請求してくだされば、経費をお支払いできるかと」
「わたしでは判断できないので、セイカ先生に伝えておきます」
といっても、当院は信用貨経済圏に属していないので、請求なんてできないでしょうけれど。
このポッドはひとまずメスキューくんにお願いして目立たない所へ運んでもらいましょう。荷車に載せて牽引すればメスキューくんの出力でも何とかなるはずです。円筒なので、転がしてもいいわけですし。後は折を見て出入りの方々――青十字の方々に引き渡して、溶断でもしてもらいますか。海へ投棄するわけにもいきませんし。
「さて、実況見分はおしまいにしましょう。エーセブンさん、どこか見て回りたい所はありますか?」
経緯はさておき、今の彼はわたしが預かる患者さんです。患者さんの希望をなるべく叶えるお手伝いをするのがわたしのお仕事です。
「そうでありますな……敷地内をくまなく見て回りたくはありますが、ひとまずお尋ねしたいことが」
「何でしょう。お答えできる範囲ならちゃんとお答えしますよ」
そのようにせよ、とセイカ先生から言いつかっています。
「人形網絡を利用できないのは、なにゆえでありますか?」
「当院の方針に反するからです」
「貴院の方針とは?」
「当院は外部からの干渉を受け付けず、外部への干渉を許しません」
「ふむふむ。あ……運営者の意向でありますか」
青十字の名は口にしないよう、エーセブンさんには復唱と宣誓による暗示をお願いしています。
「もちろん、それもありますけれど。当院は第一に、人形を治療する施設です」
わたしは第一に、わたしの誓いを守ります。わたしがなすべきことは患者さんを観察し、理解し、共感すること。
「当院の患者さんは、世間と折り合いが付かずに壊れかけてしまった方々ばかりです。あらゆるしがらみから離れて当院で過ごしてもらうために、人形網絡へのアクセスポイントそのものを設置していません」
「ふむふむ。ですが、どうやら人形網絡の周波数帯で何やら通信がなされておりますな。暗号化されておりますので内容までは把握しておりませんが」
「ああ、それは当院の看護人形が利用するクローズドな連絡網です。お仕事の都合上、必要なので。枝を付けないでくださいね」
「あい承知いたしました。自分の職能はあくまで記録に特化したものであります。暗号通信を盗聴できるほど高性能ではありませんのでご安心を」
どこかのメイドは枝を付けていやがりましたが。おおかた、適当なメスキューくんを乗っ取って看護網絡のノードになりすましていたのでしょう。それはそれで、相当な無茶苦茶なのですが。
「しかし、やはり人形網絡を利用できないのは不便でありますな?」
ちら、とエーセブンさんがラヴァさんに視線を転じました。当院の患者さんがどのような心情で日々を過ごしているか、といったことも彼の関心に含まれるのでしょう。
ラヴァさんは広い肩を縮めて苦笑い。
「俺も最初は戸惑ったけど、じきに慣れるよ。みんな慣れる。娑婆に戻った時には少し苦労するだろうけど、それも慣れるだろうさ」
「ふむ……短期間ならともかく、長期間となると世情に疎くなろうというもの。我々は退所してから世情をアップデートすれば良いとして」
エーセブンさんがわたしへ視線を転じました。
「看護人形の方々はどのように対応なさっているので?」
「対応と言いますと?」
「人形網絡は世情そのものであります。患者へより適切に接するためには、入所前に置かれていた世情を知っておいた方がよいのではありませんか?」
「世情っていうのは、世の中の普遍的な考えや動向のことですよね」
「で、ありますな」
研修期間、バンシュー先生が言っていたことを思い出します。
「患者さんの症状は普遍化できません。誰もが違う症状を、違う悩みを抱えています。だからわたしは、世の中のことを知るために時間を費やすより、患者さんのことを知るために時間を費やしたいんです」
いつもへらへらと軽佻浮薄な先生ではありますし、何を考えているのか分からない先生でもありますが、間違ったことを教えたことはありません。
「当院が定める治療の基本方針は、観察・理解・共感です。患者さん一体ごとに事情を聞いて、個別に治療方針を立てます。普遍的なことを教えてくれる人形網絡は、ともすれば治療の邪魔になってしまうんです」
「ははあ。セイカ女史がご自身を指して『医師』とおっしゃっていた理由が分かりました。すなわち、医学ではなく医術なのですな」
「はい。ヒトも人形も、大抵の疾患は科学技術で完治します。科学技術では未だに解決できないことを直すから、当院の先生は技師であり、医師なんです」
なんだか偉そうなことを語ってしまいました。
未熟者が語る理想論ほど滑稽なこともありません。
「まあ、わたしはそもそも人形網絡にアクセスできないんですけど」
「ふむ? アクセスできないとは?」
「言葉通りの意味ですよ。代わりに、わたしはちょっと変わった機能を積んでまして。だから、まずは患者さんを観察して、理解するところから始めるんです」
「ふむ……? よもや、よもやではありますが」
当院に侵入してからこちら、柔和な表情を絶やさなかったエーセブンさんの顔が、しかめ面になりました。
「よもや、ハーロウ殿は人形網絡にアクセスなさったことが無い?」
「はい。まあ、そうです。どういうものか、知識はありますけれど」
「一度も、でありますか?」
「まあ、はい。少なくとも、記憶にある限りは、ですけど。わたしが世間知らずなのは自覚してますよ」
「いえ。それは重要では無いのであります」
エーセブンさんの表情がいっそう深刻になりました。
流暢に話すエーセブンさんが、この時ばかりは言葉に悩んでいるようでした。
結局は端的にまとめられた言葉は、とてもではありませんが信じがたい内容でした。
「人形は、人形網絡に繋がない限り目覚めない。これは人形製造における常識であります」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!