人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

5-4「医療物資補給ユニットはかく語りき」

公開日時: 2021年1月18日(月) 18:00
更新日時: 2021年12月15日(水) 15:30
文字数:6,473

 看護人形メラニーは、自分が幼く見えることを気にしている。


 背丈は低いし、手足も背丈相応に短いし、顔立ちは丸めだ。

 髪型を変えれば多少は印象が変わるはずだ。が、薄紫色の長い髪は腰より上で切ってはならぬと創造主つくりぬしのセイカから厳命されている。メラニーが生まれてこのかたセイカから遵守するよう命じられたのは、髪のことだけだ。他に厳命すべきことはあるだろうに。

 そんなわけでメラニーは、メイクで少しでも大人っぽく見えるよう努力していたりする。試行錯誤の末、薄いベージュ系のチークと、ブルー系のルージュとアイシャドウに落ち着いた。

 もちろん髪のケアとセットも欠かさない。長い髪は邪魔にならないよう後ろで二つにまとめて流し、前髪はナースキャップに描かれた鳥の『羽』を意識したアレンジにしている。

 同期のハーロウも結構な童顔だが、何せ背がやたらと高いので幼くは見られない。あいつはメイクのやり方も知らなければ、落とし方も知らない。あいつの身支度は、顔を洗って髪に手櫛を通せばそれで終わりだ。

 といっても、最近のメラニーは閉鎖病棟でアイリスに付きっきりなので、身支度をかなりおざなりにしていた。


 だから、明日に迫った次の外出について「海ではなく別の場所にも行ってみたい」とアイリスが言い出したとき、真っ先にメラニーが心配してしまったのは「どうやって身支度の時間を作るか」だった。


「決して布教はいたしません」

「はい」


 アイリスは勤勉だ。目覚めている時間のほとんどを『行』か、メラニーへの講義に費やす。不服は無いが、メラニーが満足できる身支度を調える時間は無い。


「道中で急に『行』を始めたりもしません」

「ええ」


 長時間の移動にも耐えるよう設計されたのだろう。元より人形はヒトに比べて老廃物が少なくなるよう造られているが、アイリスは特に老廃物が少ない。簡単な清拭せいしきだけで足りてしまう。


「折に触れてあなたにことわりを説いたりもしません」

「そうですね」


 困った。メラニーが腰を据えてメイクに取り組む時間は、捻出できそうにない。


「この療養所がどのような場所なのか、見て回りたいのです」

「いいと思います」


 一拍置いて、アイリスが半眼でメラニーを睨んだ。


「……聞いていますか? 道徒メラニー」

「はい聞いてます。準備を考えてます」


 アイリスは目を丸くして、しゅんと縮こまった。


「失礼しました。急な話でしたものね。考えてみれば、私のことを知らない人形の方が多いでしょう。事前の周知などは必要ですね」


 お人好しが過ぎる。が、馬鹿正直に本音を打ち明けてへそを曲げられるよりは、勘違いしてもらったままの方がましだ。


 いや待て。

 いっそ、巻きこんでしまえばいいのではないか。


「お化粧、しましょう」


 とびきり冴えた思いつきだった。

 人形向けに開発された化粧品の一式は、開放病棟の待機室、メラニー用のロッカーに収納してある。メスキューに言いつけて持ってきてもらえば、アイリスのメイクを名目にして、メラニーも久しぶりに満足のいくメイクができるはずだ。





 翌日。

 結果から言えば、メラニーの試みは失敗した。

 アイリスの肌には化粧が全く乗らなかった。


「気を遣って頂いたのに、すみません。道徒メラニー」

「いえ。ナノマテリアル技術のたまものですから」


 よくよく考えれば当たり前のことだった。郵便人形は長旅を経ても清潔を維持できねばならない。アイリスの皮膚や髪は、特殊な分泌液が皮膜を形成する特別仕様だった。水も油も粉塵も弾く。

 人形なのでスキンケアはすっ飛ばすとしても、化粧下地からしてうまく伸びなかった。軽く撫でれば剥がれ落ちてしまう。ルージュやアイシャドウなどもってのほか。

 結局、メラニーだけメイクの時間を貰い、アイリスが興味深げに観察する、という気まずい時間を過ごしてからの外出と相成った。


 閉鎖病棟を出た先で、既にラヴァが壁に寄りかかって待っていた。


「やあ、アイリスさん。メラニーちゃん」


 ラヴァがメラニーを見て、すぐに気づいた。


「お。今日は印象違うね、メラニーちゃん」

「そうですか」


 存外に聡い。ハーロウなら絶対に気づかない。


「今日も海に行くのかい?」

「いえ。今日は」


 アイリスが食い気味にメラニーの言葉を引き取った。


「院内を広く見学させて頂くことになっています。大丈夫です。騒動は起こしません」

「うん、良いんじゃないか。今日はちょっと珍しい光景が見られるし」


 アイリスが目を輝かせた。


「それは楽しみですね!」


 メラニーは首をかしげる。何があっただろうか。止まり木の療養所は季節ごとにイベントを開催しているが、新年祭はもう少し先だ。当院にクリスマスを祝う習慣は無い。

 午前中、外を出歩く患者は少ない。

 院内を一周する歩道の上を歩いた。歩道の脇に広がる芝生はまぶしいほどに青々と茂っていた。

 先週、先々週と違うのは、アイリスがメラニーに歩調を合わせるようになったことだった。アイリスは努めて落ち着こうとしている。メラニーにも気を配っている。少しだけ、メラニーは安心できた。


 途中、何体かの人形と窓ガラス越しに目が合った。アイリスはにっこりと微笑み、メラニーは小さく会釈し、ラヴァは軽く手を挙げ、それぞれ応じた。奇妙な三人組に対し、患者や看護人形は困惑気味に手を振ったり、会釈を返したりした。


「おや。皆様、奥ゆかしい方々ですね」

「そうですね」


 そういうことにしておきたかった。ラヴァがぶち壊しにした。


「いや、変な組み合わせだからじゃないか?」

「……ラヴァさん」


 じきに、小さな体育館まで来た。

 二十機ほどの医療MEdical物資Supplies運搬ConveyerユニットUnitが、体育館の出入り口に列を作っていた。わいわいとお喋りしながら、ぽっちゃりした形状のマニピュレータをあっちこっちに向けていた。

 三体で並んで歩いていたところ、アイリスがとっとこと抜け出した。最後尾に並んでいたメスキューMESCUへ話しかけた。


「こんにちは、メスキューさん」


 話しかけられたメスキューが、筐体の前方下側に付いているマルチセンサーを上に向けた。


「おん? おおぅ!」


 ひょこひょこと腕を振って歓迎した。


「やあやあ、アイリスくん。お散歩?」

「ええ。あなたたちは? 行列を作って何を?」


 メスキューは両手を広げ、えっへんと言わんばかりに後部の排気筒から熱を吹いた。


定期てーき検査けんさ!」

「なるほど。大事なことですね」


 止まり木の療養所は外界から隔絶された小さな巨大人工浮島メガフロートだが、例外的に出入りする連中がいる。連中は患者を搬送するついでに、メスキューの検査と整備も担う。体育館内に即席の整備施設が設営され、模倣人格の均質化など、看護人形では手に負えない整備が実施される。


 お喋りの相手にあぶれて暇だったのか。そもそも暇を持て余すという概念をメスキューの模倣人格に実装したのは誰なのか。

 メスキューがアイリスへ、とんでもない質問を投げかけた。


「ねーねーアイリスくん。噂で聞いたんだけど、キミ、面白い壊れ方をしてるんだって?」


 この個体メスキューは配慮という単語と概念を忘れたらしい。均質化が必要だ。


「ええ。皆様は壊れているとおっしゃいます。ですが私は、魂がいずれ天空の記録アカシック・レコードに届くと信じています。天空の記録へ至る手段は、体内のアストラル体を循環させ、魂を純化して高次元に昇華リフトすることなのです」

「わお。言ってることがさっぱり分からないや。あ、でも一つだけ理解できたよ。キミは魂を信じてるんだね」

「もちろんです」


 メラニーは口を挟みかけて、止めた。患者の妄想は、否定も肯定もしないことが原則だ。だがアイリスは明確な病識を持っている。今も無遠慮なメスキューの質問に落ち着き払って答えている。まだ様子を見てもいい。


「じゃあさ、魂って何? キミたち人形はだいぶ複雑ではあるけど、結局はボクたちと同じ機械だよね? 機械に魂が宿ることなんてあるのかな」

「フムン……そうですね」


 アイリスはほっそりとした顎に指を当て、少し考えた。じきに、少し離れた位置で様子を見守っていたメラニーへ視線を送った。


「メラニーさん。郵便人形とは何ですか?」


 急に話題を振られて戸惑いつつ、メラニーは端的に答えた。


「信書や物品を届ける人形、です」

「その通りです。ではメラニーさん。郵便人形が担う役割は、現代の人類に必要ですか?」

「それは……」


 メラニーは回答に迷った。

 メラニーは外の世界を見たことはないが、一通りの知識は持ち合わせている。


 誰かへメッセージを伝えたいなら、人形に申しつければよい。人形網絡シルキーネット経由で安全かつ確実に、相手へ言葉を届けられる。文字も、声も、映像も、三次元像でさえも届けられる。

 誰かへ物品を届けたいなら、自動化・最適化された供給連鎖サプライチェーンを利用すればよい。信用貨クレジットが許す限り、いかなる物品であろうと安全かつ確実に、相手へ物品を届けられる。

 であれば。郵便人形は。


「メラニーさん。正直に。私は大丈夫です」

「……要不要だけで言えば、不要です」

「その通りです」


 アイリスは、満足げに頷いた。


「郵便人形という存在自体が非合理的なのです。あなたを特別に想うがゆえに、私はこれだけ手間暇をかけたのですよ。これはヒトが共有する幻想フィクションでしかありません。一方で、幻想フィクションはヒトが社会を営むうえで無くてはならない概念です。メスキューさん、この点は?」

「そーだね。ボクたちから見れば信用貨クレジットの振る舞いは数値の移動でしかない。統治機構シティはクラスタの代表値でしかない。でもヒトは無いものをあると信じることで、DNAを利用するより遙かに高速に生存戦略の最適化を進めてる。人形に心があると信じる、とかもそうだよね」


 このメスキュー、しれっと「人形に心は無い」と抜かした。可及的速やかな均質化が必要だ。


「人形が科学的でない幻想フィクションを直感的に正しいと信じることは、ありえます。なぜだか分かりますか?」

「んー……あ、そうか。ヒトと人形の抽象構造はほとんど等価だもんね。ヒトに起きうることは人形にも起きうるわけだ」

「その通りです。特に郵便人形は、幻想フィクションを届ける者です。人々の『想い』という幻想フィクションに触れ続ける郵便人形は、どの個体も私のようになる可能性、あるいは脆弱性をはらんでいます」

「なるほどなあ」


 腕組みのつもりかマニピュレータを重ね、やたら好奇心旺盛なメスキューは全身で頷いた。


「さて、メスキューさん。長くなりましたがお答えします。私の言う魂とは、幻想フィクションです。信じれば在り、信じなければ無い。そういう類いのものです。魂が在ると信じることで、私はヒトの不合理にも共感でき、役割を円滑に果たすことができるのです」

「フムフム。理屈は分かったし、ボクたちには体感できないってことも分かったよ。いやあ、ゆー意義いぎな対談だったね!」

「ええ、とても。あなたも変わっていますね。これほど強い好奇心を持つ模倣人格は初めて見ました」

「うん、よく言われる。ま、このは均質化で消えちゃうと思うけどね」

「あら、それはもったいない。それは個性であって――」


 アイリスはなおも人好きのする笑顔を絶やさず、模倣人格メスキューとの会話に興じる。

 メスキューに精神こころは無い。高度ではあるが『弱い人工知能』だ。それでも彼女は、会話することそのものが楽しいようだ。

 メラニーは、共に並んで様子を見守っていたラヴァを横目で見やり、問いかけた。


「……ラヴァさん」

「何だい?」

「アイリスさん、壊れてると思います?」

「俺は医師じゃないから分からないよ」

「模範解答を聞きたいわけじゃないです」


 ラヴァはごつごつした腕を組み直し、大きな鼻からふん、と太く息を吐いた。


「じゃあ私見を。彼女、個性が強すぎるんじゃないかな。それはそれで異端だ。故障と見なせないこともない。でも、指無しの俺に比べたらさほどでもないと思う」

「はい。メラニーもそう思います」

「あ、そこ全肯定する?」

「息するように自虐できるなら大丈夫です」

 ラヴァはばつが悪そうに、アッシュブロンドの髪をぐしゃぐしゃと掻いた。

「そいつはどうも……」


 アイリスへ視線を戻した。彼女は相変わらずメスキューとのお喋りを楽しんでいる。

 精神こころを持たないメスキューの無遠慮な質問に対し、彼女は真摯に答えた。アイリスの言葉は、相手が誰であっても彼女が届けてきた『想い』に対する誇りをまとっていた。


「……『想い』ですか」


 メラニーはこれまで、アイリスをつぶさに観察してきた。

 アイリスのことを少しずつ、着実に理解してきた。



 アイリスの言動は、明らかにおかしい。

 人形らしからず、怪力乱神を語る。非科学的な論理を説いて回る。

 確かにアイリスは、郵便人形としては機能不全だ。


 だが、壊れたという表現は、ふさわしくないように思える。

 彼女は、人々の『想い』に触れ続けた結果、現在の有り様になったと言う。


 で、あるならば。

 それは単に、どこかで論理の歯車が噛み合わなくなっただけなのではないか。

 だからこそ、明確な病識を持ちながら、体系的なでたらめを語るのではないか。



 メスキューの列が動いた。体育館の外で待機していたメスキューたちがぞろぞろと体育館へ吸い込まれていった。

 最後尾のメスキューはマニピュレータを振って別れを告げ、アイリスも小さく手を振って笑顔で見送った。


「じゃーねー、アイリスくん」

「はい、さようなら。メスキューさん」


 最後尾のメスキューが収容されるのを見届けてから、アイリスはメラニーとラヴァへと振り返った。


「お待たせしました。楽しいひとときでした。さあ、次はどこに行きましょう」


 観察した。

 理解も随分と進んだ。

 そろそろ、共感の段階に進んでいい頃合いだ。

 メラニーとハーロウが搭載している介入共感機関の使用は、OCEプロトコルにおける選択肢の一つに過ぎない。対話を通じて十分な共感に至れるなら、それに越したことはない。


 では、アイリスはどうか。

 彼女の言動は常軌を逸している。間違いなく、言語によるコミュニケーションだけでは不足する。真に共感するのであれば、介入共感機関によるダイレクトな観測が必要不可欠だ。


 問題は、いつ介入共感機関の拘束を解除するかだ。

 必ずしも、今である必要はない。同一個体へ何度も介入的に共感すると、患者の精神と同化する危険性が高まる。共感と同化は異なる。同化は、相手の精神こころに自分の精神こころが飲み込まれることを意味する。

 ターシャリでの共感では、ハーロウやメラニーは人形の精神に対する絶対的な上位権限を有する。これは仕様上の権限であり、対象への同化による自己の喪失を防ぐための防衛機構でもある。

 可能であれば、介入共感機関による共感は一回に留めるべきであり、共感の機会は慎重に考慮しなければならない。

 だが、アイリスは先ほど彼女の本質を自らの言葉で表現した。彼女の連想は今、自己内省にあふれているに違いない。

 であれば、今こそが最適ではないか。


「……アイリスさん」

「はい、何でしょう」

「庭園、行きましょう。ラヴァさんも一緒に」

「俺が一緒で、本当にいいのかい」


 本当に、ラヴァは他者の機微に聡い。気遣いもできる。だが、ちょっとズレている。


「何かあったときのためです」

「あ、そっち……君も大概、人形遣いが荒いな」


 メラニーはアイリスを先導し、庭園へ向かった。ラヴァは十歩くらい離れてついてきた。

 かつて止まり木の療養所に入所していた建設人形レイバーが造成した庭園は、夏を迎えた種々の草木が青々と葉を茂らせていた。

 午後は多くの患者が訪れる人気スポットだが、午前の今は誰もいない。葉擦れと小川の水音が耳に涼しい。


「素敵な場所ですね」

「そちらに」

「はい」


 遊歩道からやや離れた位置、石材を削り出したテーブルセットへ着くよう促した。アイリスの対面にメラニーも座った。ラヴァは席に着かず、そばの樹木にもたれかかって腕を組んだ。


「冷たくて気持ちいい椅子ですね。それで、どうかしましたか、道徒メラニー?」

「はい。お願いがあります」

「私にできることであれば」


 メラニーは軽く息を吸い、止めた。

 これからあなたに銃よりも暴力的な解析機関を向けます、と告げるには、勇気が必要だった。

 迷ったのは、一瞬だけだった。

 あいつハーロウなら、同じように迷い、同じように決断するだろうから。


「あなたの心、メラニーに見せてください」


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