わたしがトニーくんと寝食を共にするようになって、三日が経ちました。
用を足すとき以外は、ずっと一緒にいました。
それこそ、休眠を取るときでさえも。
お昼寝から目覚めると、トニーくんの穏やかな寝顔がわたしの鼻先にありました。自在調光ガラスの窓から陽光が差しこんでいます。
「う、ん……」
トニーくんが寝返りを打つと、柔らかな小麦色の髪が陽光を乱反射します。まるで金粉がこぼれ落ちているかのよう。柔らかな頬が、頭部と枕の間からぷにっとはみ出ていました。
ええ、同衾です。わたしとトニーくんは、同じベッドで一緒に休眠を取っています。
違うんです。わたしは椅子に座って休眠を取るつもりでした。健康な人形は、必ずしも横たわって休眠を取る必要はありませんから。
ですが、トニーくんが頑として聞かなかったのです。
「いけないよ。ねどこはちゃんとしなきゃ」
「いえ、ベッドは一つしかありませんから」
「なら、いっしょにねむればいい」
「それだと色々と問題があるわけでして」
「どうしてだい?」
当院の患者さんは、多かれ少なかれ看護人形のお世話を必要とします。ですが、看護人形へ極端に依存することは避けなければいけません。看護人形の介助があって当たり前、という環境に順応してしまっては、当院から飛び立つ日が遠くなってしまいます。
ということをなるべく平易に説明しても、トニーくんは首をかしげるばかり。
「よく、わからないな……こんなにひろいんだから、いっしょにねむればいいじゃないか。ぼくはちいさい。きみはほそい。だいじょうぶさ」
「そういうお話はしていません……」
レフ先輩やレーシュン先生にも泣きついたのですが、お二方ともに、トニーくんが望むようにしろ、とのこと。
とうとう根負けして、同衾を受け入れた次第です。
お昼寝は六十分。きっかり五分前に目覚めたわたしはそっとベッドから抜け出し、引き戸の近くにある壁掛け鏡に向かいました。ちょっとずれたナースキャップをピンで留め直します。看護服に寄ってしまったしわを撫でて伸ばし、襟元を改めてピンで留め直します。
あと一分でトニーくんが目覚めます。
「あ、そうだ」
ふと思いつき、わたしは部屋の壁際に押しやられた雑多な道具の中から、赤色の油性顔料ペンを取りました。太字です。
ペンのキャップを抜き、すやすやと眠っているトニーくんの左頬を、そっとフェルトのペン先で撫でました。白い肌に、太く短く真っ赤な線が一本。とても目立ちます。
いたずらではありません。
一分。トニーくんがもそもそと身をくねらせ、身を起こしました。
「う、ん……ふぁ……」
ぱか、と口を大きく開けて、トニーくんはまぶたを擦りながらあくびを一つ。
「やあ、ハーロウくん」
わたしはぽんぽんと手を叩き、ベッドから下りるよう促しました。
「さあ、お昼寝はおしまいです。午後は……そうですね、中庭を探検しましょうか」
何でもいいから新しいものを見つけて書き留める、という遊びです。
「うん。そうしよう」
探検に必要な道具をトートバッグへ詰めます。特に運動をするわけでもないので、服装はそのまま。
引き戸を開けて、廊下へ出ようとしたとき。
トニーくんは壁掛け鏡を見て、首をかしげました。小さな手で左頬をぺたぺたと触ります。
「おや。ぼく、ほほがよごれてる」
「あら。本当ですね」
ちょっとだけ、ほっとしました。ルージュ課題は、まだ通過できるようです。
鏡に映った像を「自分の姿である」と認識する能力は、二歳くらいで身につきます。
一方でトニーくんは「見えていたなら教えてよ」とは言いませんでした。理由はおそらく、わたしからトニーくんがどう見えているか、ということを推測できないから。
図らずも、彼が標準誤信念課題を通過できないことを追試してしまいました。
「拭いてあげますね」
看護服のポケットから滅菌ガーゼを取って封を切り、携行用の小さなアルコールスプレーを一吹きして湿らせます。柔らかな頬に押し当て、軽く撫でてあげます。わたしたち人形は感染症と無縁ですが、日常的にヒトと接するため、こまめな保清は欠かせません。
「あは。つめたい」
「はい、どうぞ」
鏡を見せると、トニーくんは満足げに頬を再び撫でました。
「ありがとう」
「どういたしまして。さあ、中庭に行きましょう」
廊下に出たところ。
自在調光ガラスの向こう、中庭の真ん中では、いつものように郵便人形のアイリスさんが立って両手を広げていました。メラニーは自在調光ガラスの壁に寄りかかり、腕組みしてアイリスさんを見守っていました。お尻と肩甲骨が、ガラス壁にもちっと張りついていました。
トニーくんは素朴な童謡と一緒に、両手を大きく振って大股で廊下を歩きます。
「マクドナルドじいさんはぼくじょうもち、いーあいいーあいおー」
「爺さんの牧場には牛がいるよ、いーあいいーあいおー」
わたしが合わせると、トニーくんは歌の拍子に歩調を合わせ、大きく手足を振って歩きます。当然、ふらつきます。転んでも怪我はしないでしょうが、ハラハラします。
「あっちでモーモー、こっちでモーモー」
「こっちでモー、あっちでモー、あちこちモーモー」
「マクドナルドじいさんはぼくじょうもち、いーあいいーあいおー」
三匹分の動物の声音を真似し終わったところで、中庭のガラス戸に着きました。
「それじゃ、トニーくん。何でもいいので、新しいものを見つけたら書き留めましょう」
ガラス戸を押し開けて、ノートとペンを渡します。
「きみは、どうするんだい」
「わたしは、中庭のスケッチをしようと思います」
トートバッグからスケッチブックと木炭を取り出して見せます。
「そう。それじゃ、いってくるね」
トニーくんはアイリスさんの元へ、とっとこと駆けていきました。あ、転んだ。
わたしはスケッチブックを抱えて中庭の端を歩き、ガラス壁に寄りかかったメラニーの隣に座りました。メラニーは腕組みしたまま、素っ気なく尋ねました。
「なに」
「……ちょっと、疲れてしまいまして。お喋りに付き合ってくれませんか」
「いいけど」
と応じたメラニーの声にも、疲労感が滲んでいました。
わたしは三角座りになってスケッチブックを太股にかけ、木炭を置いてスケッチをするフリをしました。
「……けっこう暑いですね」
「もうすぐ夏だから」
ドームを形成している三角形の自在調光ガラスは、昼下がりには換気のために全開となります。
メラニーの視線を追った先には、両手を広げて目を閉じている、郵便人形のアイリスさん。トニーくんが何やら話しかけていますが、アイリスさんが応じる様子はありません。
郵便人形はその名の通り、信書や物品を配達する人形です。情報の伝達は人形網絡に、物資の配送は自律機械に、それぞれ置き換えられ、郵便というお仕事は商業的には廃れてしまいました。だからこそ、あえて郵便人形を使って届けることで「あなたのために手間をかけましたよ」という親愛の情を言外に込められるのだそうです。
「アイリスさんは、どんな不調を抱えていらっしゃるんですか」
「スピリチュアル。メラニーは弟子」
「スピリチュアル? 弟子?」
「昼に陽の霊気をもらって、夜には黄道十二宮の星座から陰の霊気をもらうんだって。陰陽の霊気を循環させるとアストラル体の循環が円滑になって、いつか天空の年代記と直結できるんだって」
「それはまた……」
わたしたちは科学の申し子ですが、科学の申し子が科学的な思想を抱くかというと、そういうわけでもありません。わたしたちはヒトと等価の機能を有しているため、ヒトと同様に『霊感』を信じてしまうことは、ありえます。
もちろん、郵便人形としてのお勤めはこなせなくなってしまいます。配達中、急に「太陽万歳!」と両手を掲げて陽光を崇め始めるようでは困ります。
「朝はずっと霊感体系の講義。昼はずっと日光浴。夕方から夜半まで、また霊感体系の講義。深夜は星とか月の光を浴びて、眠るのは午前三時。疲れる」
わたしたちは現代科学の最先端を究める一等人形造形技師から学んでいます。科学とは真っ向から対立する学問体系をひたすら聞かされるのは、それはそれは疲れることでしょう。
「実感、できました?」
「できなかった。陽に当てた初期化済微細機械の味の違いも分からなかった。そっちは?」
視線をトニーくんへ移します。
「トニーくん……アンソニーさんの診断は、進行性社会性喪失症候群、だそうです」
「なにそれ」
「彼は十九日前に、標準誤信念課題を通過できなくなりました」
メラニーは、黙ってしまいました。
意味するところを理解したのでしょう。トニーくんが社会的失言検出課題を通過できないことは、メラニーも確認していますから。
お昼過ぎの陽光が差し込む中庭を、凪ぎのような時間がとろとろと過ぎていきます。
穏やかなようでいて、わたしもメラニーも、まるで心が安まっていません。
いつどんなきっかけでこの穏やかな天地がひっくり返るか、知れたものではありません。わたしたちは、予兆を見逃さないように神経を尖らせながら、患者さんを不安にさせないように平静でいなければいけません。
じっとして黙っていると、焦燥感がおでこの頭蓋骨を内側からカリカリと引っ掻かきます。
「……ねえ、メラニー」
「何」
「わたしの看護は、間違っているんでしょうか」
「急に、何?」
「わたしは……アンソニーさんが社会性を取り戻すことが治療で、それを助けることが看護だと思っています。でも、院長先生が言うには、それだけではないみたいなんです。わたしはそれを認めることができない、って。どういうことだと思います?」
メラニーは腕組みしたままアイリスさんをじっと見つめ、しばらく黙考しました。
やがて、一言で結論を下しました。
「どっちでもいい」
「どっちでもいい、ですか」
下らない、と切り捨てたわけではないでしょう。メラニーは物言いこそ辛口ですが、患者さんへ尽くす姿勢についてはアンナ看護長のお墨付きです。
「診断して治療方針を決めるのは医師の先生。方針を受け入れるのは患者さん。メラニーは看護人形。メラニーの使命は観察、理解、共感。それしかできない」
「本当に、それでいいんでしょうか」
「模倣脳を多幸感で満たしたいなら、ずっとドラッグを与えればいい」
さすがに苦笑してしまいました。
「それは極端すぎます」
「メラニーはそうしない。ハーロウもそうしない。でしょ」
「それはそうです」
ちょっとだけ、気が楽になりました。
トニーくんの姿を探したところ、彼はノートとペンを足下に置いて、アイリスさんと同じポーズを取っていました。右手はまっすぐ上に、左手は平行に。
――違和感を覚えました。
今は探検の最中です。些細なことでもいいから新しいものを見つける、という遊びです。
日中のアイリスさんは、いつも中庭で陽光を浴びています。トニーくんにとっては見慣れた光景のはず。何一つ、新規性はないはず。
まさか。
慌てて立ち上がってしまったところ、メラニーが肩を叩いてわたしを制止しました。そうでした。看護人形は、焦ってはいけません。
「見てるから」
「……ありがとうございます」
焦燥感をこらえて、ゆっくりと歩み寄ります。
「トニーくん。そろそろ探検を始めましょう?」
「ぼく、まだこうしていたい」
「どうしてですか?」
「……わからない。どうしてだろう。アイリスくんをみたら、やらなきゃっておもったんだ」
わたしはすかさず会話の内容をメラニーへ伝え、意見を尋ねました。
メラニー:一種の社会的感染。
ハーロウ:そう見えますよね。
幼い子供は、大人の意図ありげな行動を目撃したとき、その行動を模倣してしまいます。この現象を社会的感染と呼びます。『感染』と称されるのは、その行動をすべきでない状況でも、目撃した行動を模倣してしまうためです。特に、ヒトでいう三歳児によく見られる傾向です。
また幼い子供は、ある行動や思考へ夢中になると、状況に応じて行動や思考を柔軟に切り替えることが難しくなります。すなわち、幼い子供は心の柔軟性が欠けているのです。これも同様に、ヒトの三歳児によく見られます。
どちらも、昨日までのトニーくんには見られない傾向だったはずです。
「……分かりました。じゃあ、わたしはお二人をスケッチしますね」
「うん」
スケッチブックへ木炭を走らせるふりをしながら、わたしは思索を巡らせました。
わたしの行動よりアイリスさんの行動を選択したのは、トニーくんにとってアイリスさんの方が、長く見慣れた存在だったからでしょう。アイリスさんの所作は堂々としていて自信に溢れていますから、その点でも『感染しやすい』行動だと思われます。
今のトニーくんにとって、この中庭で優先的に選択すべき行動は、アイリスさんのポージングなのです。
心の柔軟性が不十分な幼い子供にとって、自己の判断で行動するよりも、見慣れた大人の自信ありげな行動を真似した方が、正しい行動を選択する可能性が高くなります。
ですが、それはヒトの子供についての話であって、人形には必ずしも当てはまらないはず。
事実、三日前、この中庭でメラニーとお話をしていたトニーくんへ「フットボールをやりましょう」と呼びかけたとき、彼はすぐに行動を切り替えられました。
どうして行動を切り替えられなくなったのか、理由は分かりません。
ただ、分かることが一つ。
トニーくんは少しずつ、どうしようもなく、着実に壊れ続けています。
まるで、砂を固めて削った像が、風に吹かれてぼろぼろと崩れていくように。
指先にぬるっとした感触を覚えて、わたしは我に返りました。気づけば木炭は尽きて、スケッチブックは真っ黒に塗りつぶされていました。汗ばんだ指先が、木炭の粒子を吸いつけていました。
顔を上げます。
トニーくんはニコニコと微笑みながら、アイリスさんの変てこなポージングを真似し続けていました。
けれど。
あの笑顔の裏にはきっと、他者との意思疎通がうまくいかないというもどかしさがあるはずです。エピソード記憶に刻まれた『かつてはできていたこと』が、今はできない。けれど、なぜできないのか分からない。
学友人形の性質なのでしょうか。トニーくんは、自身が感じているであろう不快感や不安感を、決して表に出しません。
わたしは、トニーくんにどう向き合えばいいのでしょう。
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