人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

3-10「エピローグ」

公開日時: 2020年10月31日(土) 18:00
更新日時: 2021年12月15日(水) 15:28
文字数:3,760

「……何が、お手柄なもんですか」

「いやいや、お手柄だとも。何せ君たちは、二つの問題を一気に解決した」


 散らばった自在調光ガラスの破片をすり足でのけながら、先生はわたしたちへと近づきます。

 メラニーは、まだ茫然自失としていました。


「一つ、シティ・プロヴィデンスの悪夢、その根本たる原因を君たちは知った。誰も知り得なかったミームの発生過程を知った。二つ、ミームが環境に適応して人格を実装する経緯を、君たちは知った。君たちはそれを人形に仇成すものと見なした」


 バンシュー先生は、あたかもこの場にいたかのように、わたしが体験したことを言い当てました。

 確信します。

 レーシュン先生も、バンシュー先生も、こうなることを予見していたのです。


「どうして……イリーナさんを、受け容れたんですか」

「もちろん、それが必要だったからだとも」


 イリーナさんが壊れるのを待ち、わたしたちに対処させることが目的だったのです。

 怒りのあまり、声が震えるのを自覚します。


「直る見込みは、あったんですか」

「直る、の定義による。まあ、あえて言おう。あれが直る見込みはゼロだった。シティ・プロヴィデンスが失敗したように、あれもまた失敗することは明らかだったとも」

「どうして……!」


 わたしは立ち上がり、先生の胸ぐらを掴みました。


「直らないなら、直せないなら、いっそ壊してあげればよかったでしょう!」


 きっと、多くの人間様にはご理解いただけないでしょう。

 わたしたち人形は、道具です。わたしは心身に不調をきたした患者さんに寄り添い、患者さんのお世話をする看護人形どうぐです。万全に使われることが、人形の本懐です。

 もはや本懐が遂げられないというのなら、壊してくれたほうが幸せなのです。


 バンシュー先生は、そのことを知っているはずなのに。


壊すのと壊れるのは違う。あれがどのように壊れるか、それが必要だった。君とメラニー、どちらかがあれに共感して、事の次第を明らかにする必要があった」


 平然と言います。


「無論、僕たちの失点は認めよう。あれが人形網絡シルキーネットを構築して、近隣の人形を計算資源にすることまでは見通せなかった。クライアントを失うことは、当院にとって何よりの痛手だ。幸い、クライアントはみんな目覚めたよ。運が良かった」


 つまり。イリーナさんが壊れたことそのものには、何の問題も感じていないと。わたしとメラニーが、底知れない絶望に共感することだけが目的だったと。


「どうして、わたしたちなんですか……!」

「その質問に答えるためには、なぜ止まり木の療養所が存在するのか、というお話から始めなければいけないね」

「いきなり何を――」

「考えるんだ、ハーロウ」


 穏やかな口調のはずなのに、痛烈な批難の色が込められていました。


「疑問を抱いた者は考えなければならない。常識を疑いなさい。前提を疑いなさい。なぜ当院は存在するのか? なぜ君たちが存在するのか?」


 そんなこと。分かりきっています。


「当院は、心身に不調をきたした人形へ、いっときの休息と静穏を提供して、再び立ち直るための施設です」

「それは君の信念だ。立派だけど答えにはならない」


 医師であり、一等人形造形技師であり、わたしの創造主つくりぬしであり、わたしの持ち主オーナーでもある、バンシュー先生からの問いかけ。熟考を要求されたわたしは、わたしが知る限りの語彙と論理を総動員して答えを探します。


「君はさっき、言ったね。直らないなら壊せばいいと。その通りだとも。人形は道具だ。壊れたなら直せばいい。直らないなら壊せばいい。君の言葉が意味するところは何だ? その理屈が行き着くところはどこだ?」


 先生がわたしの思考を誘導し――

 共感サージさえ生ぬるいと思える衝撃が、わたしを打ちのめしました。

 先生の瞳に映ったわたしは、琥珀色の瞳の周囲を白目が太々と縁取るくらい、目を見開いていました。


「そんな……まさか……」

「そうとも。君の論に従うのならば、当院の存在意義は根本から消失する。わざわざこんな手間暇をかけて人形を治療する必要などない。確実な修理か、手早い廃棄の二択で事足りる。事実、シティ・プロヴィデンスの狂気ミームに感染した人形は廃棄されたじゃないか」


 足下が、常識が、世界が、がらがらと音を立てて崩壊していきます。

 わたしはバンシュー先生の胸ぐらを掴んだまま、膝から崩れ落ちてしまいました。とても、立ってはいられませんでした。先生の白衣を手放さなかったのは、意地でも何でもなく、ただ何かにすがっていたかったからでした。


「それじゃ……当院は……わたしたちは、どうして存在するんですか」

「観察、理解、共感だよ、ハーロウ」


 当院における、基本方針。ですが、バンシュー先生は今まさに当院の存在意義そのものを否定したはずです。


「だって、当院は、必要ないんでしょう」

「君の論に従えば、と言った。僕たちはそうは考えていない」


 もう、わけが分かりません。わたしの信念は根本から覆されて。文言だけが再び肯定されて。わたしの親は、いったい何を考えているのか。何が目的なのか。

 どうして、わたしを造ったのか。


「当院に入所するクライアントの不調は情報因子ミームに由来する。一つの個体がミームを得たということは、他の人形も同様のミームを得て不調に陥る可能性があるわけだ。ただ修理したり廃棄したりするだけでは進歩がない。ミームを得ても不調をきたさない抗体が必要だ」

「抗、体……」

「君たち以外の看護人形は、長い時間をかけて患者である人形を観察し、理解し、共感する。それも一つのアプローチとして妥当だ。共感してなお、健全でいられる精神状態。それこそがミーム抗体だからね。けれど、それだけでは足りないことも分かっていた」


 だから、わたしたちが造られた。


「君たちは現時点において、最も効率的なミーム抗体精製機構だ。もちろん、効率的であることが最適解とは限らない。過剰な免疫反応を引き起こす可能性もある」


 今まさに、わたしとメラニーが陥っている状態のように。


「君たちはクライアントに介入共感して、ミームに対する抗体を得る。他の看護人形は長い時間をかけてミーム抗体を得る。当院の看護人形が獲得したミーム抗体は人形網絡シルキーネットで共有され、同様のミームが発生することを事前に予防する」

「でも、当院は、人形網絡シルキーネットから隔離されているはずです」

「持ち出す機会ならいくらでもあるじゃないか」


 持ち出す。当院における例外、外部との唯一の接点。


「出入りの方々、ですか」


 当院へ、入退所する患者さんを運ぶ方々が存在します。わたしはほとんど関わることがないので、そういった方々が存在するということしか知りませんでした。


「そう。看護人形が精製したミーム抗体は連中の閉じた人形網絡シルキーネットに写される。持ち出されたミーム抗体は世界中の人形網絡シルキーネットへ共有される」


 わたしが繰り出す疑問は、もはや事の真偽を確かめたいという強い心に基づくものではありませんでした。そうあってほしくないという願望を、ちょっとでも叶えたい。それだけでした。


「でも、わたしたちは、人形網絡シルキーネットにアクセスできません。抗体を提供する方法がありません」

「当院には介入共感機関持ちが二体。当院の一等人形造形技師は四人。さて、その意味は?」


 空恐ろしさを覚えます。


「わたしとメラニーにそれぞれ、共感する人形がいる……?」

「惜しい。残り二人の先生が、今まさに設計している途中なんだ。二年間の研修で、君たちが安定して稼働することが確認できたからね」


 わたしは、バンシュー先生の白衣から手を離しました。

 床に手を突くと、自在調光ガラスの鋭い破片が手のひらをたやすく貫きました。激痛が、むしろ心地よく感じられました。


「そう悲嘆に暮れることはないと思うんだけどね。君たちはよくやってくれているよ」


 わたしの肩に、丸々とした手が伸びてきました。

 わたしは反射的にその手をはねのけ、一歩大きく下がって距離を取りました。


「――触らないでください」


 メラニーを抱き寄せ、バンシュー先生を睨みます。

 腕の中で、小さくて柔らかいメラニーがびくりと怯えて震えました。

 バンシュー先生は鼻から小さく息を吹きました。


「フムン。反抗期かな。ま、子を持つ親の宿命だ。甘んじて嫌われるとしよう。気が済んだら病棟に戻りなさい」


 先生はのんびりとした足取りでわたしたちに背を向けました。来るときに押しのけた自在調光ガラスの破片の道をたどり、こつ、こつ、とゆっくり歩み去っていきます。

 わたしはメラニーをぎゅっと抱きしめて、やり場のない感情をお腹の中でぐるぐると循環させていました。


 階段に爪先をかけたとき、先生が首だけを回してわたしたちに視線を戻しました。


「あ、忘れてた。君たち、しばらく看護D班に異動。閉鎖病棟も経験しておきなさい」

「そんな。看護A班わたしたちの患者さんはどうなるんですか」

「A班は再編だね。アンナ君を失った今、A班はもはや機能しない。彼女は実に有能だったからね。惜しいことをした。ま、手練れの看護人形を手配するとも。君が心配することじゃない」


 今度こそ、バンシュー先生は階段をゆっくりと上り、立ち去ってしまいました。


 わたしはメラニーが意識を取り戻すまで、万華鏡のような床にへたり込んでいることしかできませんでした。

 ごうん、ごうん、と、圧縮空気がエンジンを駆動する反復音だけが、地下の船室に響いていました。

人形たちのサナトリウム

第3章「シティ・プロヴィデンスの悪夢」

おわり

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