わたしのような人形もどきでも、続ければ慣れるものでして。
どう考えても常人からかけ離れている生活を始めて、はや四日が経ちました。
「おはようございます、お嬢様」
朝の四時に起床。エリザベスさんに身支度を調えてもらいつつ、ショートブレッド状に成形された初期化済微細機械を摂取します。
「本日のご予定を申し上げます。普段通りジョギングと投球練習。その後は例によって臨機応変に。さ、参りましょう、お嬢様」
エリザベスさんと一緒に当院の外周を一時間以内で走破。ジョギング中はARグラスに投影された様々な課題に対する回答文書を作成します。
「稟議には、まずイエスかノーかでお答えください。続いて判断の論拠を端的に。代替案はオプションでございます。代替案の要を認めなければとっとと次、でございます」
最後に運動場にて、キャッチャーミットを構えたメスキューくんへ向かって三十球の投球練習。
「んー、ボール。ハーロウくん、コントロールがまだ甘いねぇ」
「わたくしに共感なさいませ、ハーロウ様。現在のフォームは、こう。理想のフォームは、こう。指先に意識が向きがちでございますが、まずは重心を三センチメートル低くなさいませ。ボールは足腰で投げるもの、でございます」
球速は時速百三十キロメートルを維持しつつ、エリザベスさんの指示したコースへ投げ込みます。
「お疲れ様でございました。汗をお流しくださいませ」
体育館に併設されているシャワールームで、貴重な真水を浴びて汗を流します。更衣室ではエリザベスさんがバスタオルを持って待っています。
「お拭きいたします、お嬢様」
肌と髪の水気を丁寧に拭き取られ、いつもの看護服を着せられた頃には既に夜明け。体育館の外に出れば、太陽が東の水平線上に顔を現し、北天を目指しています。
奇妙な感覚でした。
わたしの心根は、まだ保護室に閉じこもっていた日々とあまり変わりはありません。わたしが人形に仇なすものであるという自覚は、おでこの頭蓋骨の裏側にこびりついています。
シャワーで綺麗さっぱり汗を流してもなお、あの心地よくも不快な全身のべたつきが、肌に残っている気がしてなりません。
なのに、走ったり投げたりしている間だけは、気分がそれなりに高揚します。
機序は知っています。変形する物体の形状や構造を解とみなす計算手法。人形は、模倣脳だけでなく身体の変形も頼りに『解』を探索する存在ですから。健康な体が問題解決のために行動すれば、そのために必要な感情も生じます。
とはいえ、たった数日でこの好調ぶりは我ながら不気味です。このメイド、またぞろわたしに薬を盛っていやしませんかね。
「いかがいたしましたか、お嬢様?」
「今日はどんな本を読むのかなと考えていただけです」
運動が終わったら三冊ほど本を渡されます。ジャンルは多岐にわたります。
喜劇の脚本。古代ギリシアにおける都市国家の研究論文。老人と海。公衆衛生概論。系外惑星発見の歴史。クジラとイルカの生態に関する研究論文。ツァラトゥストラはかく語りき。仏教における唯識の概念を解説した本。等々。
エリザベスさんの狙いはさっぱり分かりません。ひたすら読んで、感想なり理解したことなりをエリザベスさんへ口頭で語ることが日課となっていました。
「いえ。読書の時間はおしまいといたしましょう。本日より、お嬢様には次のステップへと進んで頂きます」
「次、といいますと」
「本格的な執務でございます。ジョギング中の執務は、あくまで昨日の残務を片付けているに過ぎません。身支度ののち、六時より十四時までは企業の長としての執務。昼食を挟み、十五時より二十四時までは保健衛生機関・清掃六課の長としての執務をこなして頂きます」
いやいや。
「そんな人いるわけありません」
ジョギング中の執務も含めれば、就業時間は十七時間以上。睡眠時間は四時間しかありません。いくら二十歳と若いとはいえ、そんな生活をしていたら過労死まっしぐらです。
「と、申されましても。設定上、そのようになっております。お嬢様に休日など存在いたしません。月月火水木金金、てな具合でございます」
「誰ですかそんな設定にしたのは」
「主にわたくしでございます。もちろんドクター・バンシューにもご確認を頂いております」
無茶苦茶ですねこのメイド。バンシュー先生もどうしてそんな設定にゴーサインを出したんですか。
「ハーロウ様であれば可能でございましょう?」
「わたし、偉い人のお仕事なんて分かりませんよ」
「わたくしは稼働時間のお話をしております。休眠は四時間。就業は十七時間。可能か否か、でございます」
「そりゃあ……時間的には可能です。わたしは人形ですから。いや、そうではなくてですね。そんなに非現実的な設定のロールプレイに意味があるんですか?」
「ございますとも。このわたくしが必要を認めております」
どうしてそんなに自信たっぷりなんでしょうか。
「どうぞご心配なく。設備は整っております。わたくしもついております。さ、参りましょう、お嬢様」
議論を打ち切り、エリザベスさんはきびすを返してしまいました。仕方なくついていきます。
クロマツの林を右手に、先ほど走った防波堤をてくてくと。五分ほど歩きました。
当院の外周を囲う松林には、五つの小屋が点在します。かつて当院に入所していた建設人形さんがリハビリのために六つの小屋を建てました。うち、三号庵は技能人形のマヒトツさんが燃やしてしまったため、五つです。
案内されたのは、六号庵でした。鉄筋コンクリート造の無愛想な小屋です。小屋というより箱ですね。例の建設人形さんが最後に建てた小屋です。
「ハーロウ様にはこれから、こちらの六号庵にて生活して頂きます」
「はあ。何をすればいいんですか」
「ですから『生活』でございます。わたくしども家政人形は、人間様の身の回りのお世話をするために造られた人形でございますので」
そう言われてもピンときません。
「ピンとこない、というお顔でございますね」
「まあ、はい……生まれてこのかた、看護のお勉強と患者さんのお世話しかしたことがないもので」
「左様でございましょうね。ものは試し。百聞は一見にしかず。まずはお入りなさいませ」
当院には珍しい開き戸のノブを捻り、エリザベスさんが入室を促しました。
「う、わ……」
小屋の中には白く広いデスクが一つきり。楕円形のエアリアルディスプレイが十数枚、デスクをずらりと取り囲んでいました。
実を言うと、わたしはエアリアルディスプレイの実物を見たことがありませんでした。当院の事務仕事は全て、紙媒体で処理されています。研修期間、わたしがバンシュー先生から講義を受けた際の教科書も紙媒体でした。一部の例外を除いて、電子機器の類いは当院の生活からなるべく排除されています。
「ご着席を」
「はあ」
背もたれの高い椅子に座りました。
何となく両手をテーブルに置くと、表面がぽこぽこと盛り上がって無数のキーが現れました。座高はあらかじめわたしに合わせてあったようで、肘と膝はちょうど九十度に曲がり、足の裏はぴったりと床に着きます。
「それでは、さっそくではございますが執務と参りましょう」
「生活をするのでは?」
「お嬢様の生活を大別いたしますと、執務と睡眠でございます。先日ハーロウ様がおっしゃったように、その点では人形のごとしでございますね」
エリザベスさんが指し示した先、一枚のエアリアルディスプレイが輝きを増しました。何やら棒の上下にヒゲが生えたかのようなグラフが示されています。
「当社における今週の信用貨推移でございます。ご覧の通り、当社の信用貨スコアは〇・六ポイント減となっております」
ちんぷんかんぷんです。
「ご説明いたします。既にお察し頂いていることとは存じますが、当社は人形の設計、製造、保守、運用を主幹事業としております。信用貨スコアの下落は、すなわち企業価値の低下を意味しております」
「〇・六ポイントって、どのくらい深刻なんですか?」
「場合によりますが、役員の首ちょんぱも視野に入りますでしょうか」
そんなに。
「何から手を着けるのがお勧めですか?」
「最もインパクトの大きい要素からお片付けになるのがよろしゅうございましょう」
「何があったんですか?」
「シティ・ベルベラにて、当社製の保安人形が最底辺層の住民を殺害いたしました」
「さつ……?」
「殺害でございます。厳密には業務上過失致死。四十代の男性がお一人、保安人形が発砲した拳銃弾により心停止いたしました。後に死亡が確認されました」
「心停止? どういうことです?」
銃弾による死因はいくつか思いつきます。脳、心臓、頸部の破壊による即死。そうでなければ銃創からの大量失血。ですが心停止、後に死亡確認というのはよく分かりません。
「蓄電弾による高圧電撃が原因でございます。元より心臓の調子が悪かったようでございまして。即座に適切な救命措置を施せば、あるいは生きながらえたやもしれませんが」
「できなかったんですね」
保安人形であれば、不意の事態に備えて救命措置の訓練くらいは受けているはずです。
「イエス。最底辺層といえど、小規模な互助組織くらいは存在いたします。男性は互助組織に保護された結果、救命措置が遅れ、死に至りました」
「……続けてください」
「最底辺層の方々による暴動が起こりました。これの鎮圧にあたったのも当社の保安人形でございます。結果は死者三名、重軽傷者十四名、保安人形の損壊が二十体。普段は最底辺層など気にも留めない方々が、あれこれ声を上げていらっしゃいます」
「……発砲に至るまでのプロセスは適正でしたか? 復唱と宣誓による暗示は?」
「無論でございます。最初の死者は保安人形の拳銃を強奪せんといたしました。再三の警告もございました。明らかに正当防衛が成立いたします。鎮圧時に死者が発生いたしましたのも、暴徒が一般人に危害を加えんとしたがためでございます」
保安人形が二十体も損壊しています。我が身の危険も顧みず、可能な限り死傷者を出さないように尽力したことが容易に想像できます。
「本件に関連いたしまして、各方面より当社製の保安人形に対するクレームが発生しております」
「どうしてです? お亡くなりになった方々がいたのは確かに痛ましいことですけど、無理からぬことだったんですよね?」
「誰しも、他人事であれば合理的に判断できますが、当事者となりますとそうは参りません」
「それは……そうですけど」
「お笑いぐさなことに、当事者気取りもわんさか湧いていらっしゃいます」
面白がるポイントがひどい。
「まず。人間性復興派の方々が、法執行を人形任せにすべきではないと主張なさっております」
危険な業務をヒトに代わって遂行するというのに、何がご不満なのでしょうか。保安人形の行動指針となる法を制定するのは人間様でしょうに。
「続きまして。人形権利派の方々も、当社が人形に人殺しの罪業を負わせたのだと非難なさっております」
「また、主義主張な方々ですか」
頭を抱えます。問題の本質は保安人形どうこうではなく、シティ全体の治安でしょうに。
「どちらでもない方々の間にも、また他のシティにおいても、当社製の保安人形に対する不信感が高まっております」
「言いがかりにもほどがあります」
「言いがかりとはいえ、何らかの手立ては打たねばなりません。いかがなさいますか?」
「いかが、と言われてもですね」
「言われてもですね、ではございません。情報を統合し、判断し、何をすべきかご決断なさることがお嬢様のお仕事でございます」
「問題設定じゃないですか。人間様のお仕事ですよ、それ」
「左様でございますね。ですが、あくまでこれはロールプレイでございます。それっぽくお嬢様を演じていただくこと、そのものに意義がございます」
「……わたしがとんちんかんなことを言っても文句は無しですよ」
「わたくし、こう見えて分別はございます。妥当な問題を設定できなくとも、決して笑いはいたしません。表情にも口調にも現さないという意味でしかございませんが」
余計な一言を付け加えずにはいられない病気でもお持ちなんでしょうか。
「さ、いかがなさいますか、お嬢様」
適当に言葉を捏造して話すことにします。
「じゃあ……保安人形の再教育プログラムを整備して、主義主張な方々に配布してください。従来の教育プログラムに多少の手を入れて表現を変えれば十分でしょう。実質的な運用には変化が無いようにお願いします」
「承知いたしました。関係各位へお伝えいたします」
「ああ、そうでした。亡くなった方々への補償が最優先です。運用部門の責任者には、当事者へ直接謝罪するよう伝えてください」
「承知いたしました。優先順位を変更いたします」
「保安人形の製造と運用に関わった責任者はけん責処分としますが、表向きだけです。今後のキャリアパスには影響しないことを言い含めておいてください」
「仰せのままに、お嬢様」
「それと。事の発端になった保安人形は健在ですか?」
「稼働はしておりますが、事件以来すっかりふさぎこんでおります。現職復帰の目処は立っておりません」
「では当院……じゃなかった、止まり木の療養所へ送致してください。彼には診療と休養が必要です」
「イエス、マイオーナー」
エリザベスさんがエアリアルディスプレイに向けて指をくるくると動かし、わたしの指示をよしなに処理していきます。
「……本当に、こんな感じでいいんですか?」
「思いつきにしてはそれなりの判断でございます。が」
が?
「もっと端的に、尊大に、口汚く。そう、軍隊教練における鬼教官のように。聞いた者が泣いたり笑ったりできなくなるように」
「できません」
「カマトト……いえ、失敬いたしました」
本っ当に失礼ですね。
「ドクター・レーシュンの物言いを十倍ほど辛辣になさればちょうどよろしいかと?」
「不可能を可能にしろと」
「何事も挑戦でございます」
どうあってもやれと言うんですね。
「……口ばかり達者な脳天気どもには適当な餌を与えて満足させておけ。口より先に手が出る連中には小金を与えて手を引かせろ。部下には『割を食わせる。腹をくくれ』と伝えておけ」
「三十点でございますが……ま、そんなものでございましょう。承知いたしました、お嬢様」
つ、疲れる。
「続きまして、お嬢様がお手がけになった特注品のクレームでございます」
エアリアルディスプレイに表示されたのは歌姫人形とおぼしき可憐な少女型の人形。耳は長く、植物の葉のように尖っていました。
「クレームの内容は『おたくの歌姫人形が歌わなくなった』でございます」
「原因は?」
「声帯に損傷はございません。おそらくは、歌姫の喉を別の用途で使ったため、でございましょうね」
「別の用途?」
「わたくしめの口から申し上げるのは、とても。ご覧の通り、アンテナのてっぺんから爪先までイノセントなピュア・レディでございますので」
どの口が言うんですかね。
「……何となく想像はつきました」
色事人形も壊れるような無茶をさせたんですね。
「お髪の代わりに男根が生えているようなお方でございますからね」
「ちょっと」
「別段、男性に限ったことではございません。女性でも人形をそのように扱うお方はいくらでもいらっしゃいます。何せ後腐れがございません。男女平等、でございます」
「ちょっと!」
「失敬いたしました。本件、いかように処理なさいますか?」
「事前に説明したはずです。人形を目的外の用途で――」
「端的に、尊大に、口汚く」
「……初等学校で学んだことを復習しろ。私が貴様の愚行に付き合う信用貨と、貴様がその古びた脳髄に記憶保存処置を施すために必要な信用貨を比較してからモノを言え。そいつはウチで引き取ってやろう。無償で代わりを寄越してやるから黙っていろ。私の寛大さに感謝しむせび泣け」
「端的に。ただ罵詈雑言を並べ立てれば良いというものでもございません」
「だから無茶なんですってば……」
「やむを得ません。不肖エリザベス、僭越ながらお手本をお示しいたします。この手の輩にはガツンと一発、でございます」
あ。嫌な予感。
「貴様が歌姫人形の顔に何度射精したか、人形権利派に漏らされたくなければ黙っていろ、このクソ短小包茎早ろ――むぐ」
わたしは全力で立ち上がってエリザベスさんの口を両手で塞ぎました。
「わー! わー!」
な、何てこと言うんですかこのメイドは!
エリザベスさんはぺしりとわたしの手をはねのけ、エプロンの隠しポケットから滅菌ガーゼとアルコールスプレーを取り出してわたしの手を拭いました。ルージュが付着していたようです。
「何をなさいます」
「こっちのセリフです!」
本当に。本当にこのメイド。何なんですか。
「わたくしの推測によりますと、お嬢様は歯に衣着せぬ物言いをなさいます」
「歯に衣を着せないことと、根拠の無い誹謗中傷は違います!」
エリザベスさんは嘆息一つ。溜息をつきたいのはこっちの方なんですけどねえ!
「やむを得ません。今すぐにとは申しません。今回は妥協いたしますので引き続きご尽力のほど、よろしくお願いいたします」
よろしくお願いされてもですね。
「そんな無茶苦茶な……」
「お忘れのようでございますので、改めて申し上げます。あなた様の生殺与奪はわたくしが握っております。お返事は『はい』か『イエス』のどちらかがよろしいかと存じます」
それ、脅迫っていうんですよ。
「……善処します」
「なお、わたくしに対しても同様の物言いをなさいますようお願いいたします。理不尽なご注文、辛辣な言動、罵詈雑言、誹謗中傷、いずれも絶賛高価買い取り中でございます」
「マゾヒスティックな願望をお持ちなんですか?」
だいたいの人形は痛いこと、辛いことを好みません。他者を痛めつけることにも消極的です。
そういったことに愉楽を覚える人形が、いないわけではありませんが。
「心外でございます。単に、そういったお方でなればわたくしを使いこなすことなどできないためでございます」
「いやいや。繋がってません繋がってません」
「ところがどっこい繋がっております。さ、お仕事の続きでございますよ、お嬢様」
「はあ……」
こんなロールプレイ、本当に意味があるんでしょうか。エリザベスさんの悪ふざけなんじゃないでしょうか。そうであったならどれほど良かったか。
いや良くはないのですが。
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