人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

3-6「OCEプロトコルの例外・四一〇」

公開日時: 2020年10月23日(金) 18:00
更新日時: 2021年12月15日(水) 15:26
文字数:5,633

 イリーナさんの個室から飛び出し、メラニーと一緒にコモンスペースへと駆けます。

 アンナ看護長とラカン先輩の遺体は心残りですが、わたしたちは看護人形です。第一に患者さんの利益を優先し、第二に当院の利益を優先するように、思考癖マインドセットを訓練しています。感情が昂ぶったときは、その限りではありませんが。


 ちらりと脇へ視線をやります。長い髪をたなびかせて走るメラニーは、いつものようにきりっとした、あるいは無愛想な表情でした。ですが、ほんの少しだけ、堅さも感じられました。


「メラニー、さっきのことですが」

「謝らないから」

「いえ。わたしの代わりに怒ってくれてありがとうございます」

「……別に、ハーロウのために怒ったんじゃない」

「それでも、ありがとう」


 あのときメラニーが怒ったからこそ、わたしはかえって冷静でいられたのだと思います。


 アンナ看護長。

 いつだって厳正かつ公正で、看護人形はもとより、患者さんたちからも畏敬の念を持たれる看護人形。誰が言ったか、ステンレス人形。アンナ看護長へ屈託なく話しかけられるのは、同期のジュリア副看護長くらいでした。

 一方で、アンナ看護長の判断はいつだって迅速かつ的確で、その裏には患者さんに尽くす優しさがありました。アンナ看護長は、常にわたしたちのお手本だったのです。


 首を振って思い出を振り払い、静かな宿泊区画を駆け抜けます。

 ナースステーションと先生方の診察室を過ぎた先、白い天井灯が点いたコモンスペースに、先輩の看護人形たちが集まっていました。

 半分ほどはまだ目覚めていないのか、横になったまま。残りの半分も、上半身を起こして頭を抑えているか、椅子に座ってうなだれているかのいずれかでした。

 バンシュー先生とエリザベスさんが、先輩の看護人形たちを診ていました。

 何かに引っかかりを覚えつつ、ひとまずバンシュー先生へ声をかけます。


「ハーロウ、戻りました!」

「メラニー、戻りました」


 振り返ったバンシュー先生は、いつものようにのんびりした表情でした。


「ああ、お帰り。ハーロウ、状況の報告を」

「はい。宿泊区画で休眠を取っている全ての患者さんが昏睡状態になっています。高温、頻脈、高血圧を確認しています。命に別状はないと判断します」

「ふうん。昏倒した看護人形たちと同じ症状だね」

「はい。次に、イリーナさんが意識変容状態になり、失踪しました。あとは、その……」


 言いよどんだわたしの言葉を引き取り、メラニーがバンシュー先生へ耳打ちしました。


「ラカン先輩とアンナ看護長が、犠牲になりました」


 バンシュー先生は、片方の眉を上げました。


「フムン。詳しくは診察室で聞こう。メスキュー、セイカ先生かリットー先生をここに呼んで、看護人形を診るよう伝えておくれ」

「りょーかいしました!」


 言いつかったメスキューくんがぽっちゃりした腕を掲げ、とっとこと駆け去りました。

 どういうわけか、バンシュー先生は一度うなずいてから、ぺたぺたとスリッパの音を鳴らして診察室へと向かいました。


「メラニー、入ります」

「失礼します」


 後から入ったわたしが後ろ手に引き戸を閉じようとしたのですが、引き戸は動きませんでした。


「お邪魔いたします」


 うん?


「エリザベスさん?」


 振り返ると、エリザベスさんが引き戸に革靴の踵をかけていました。足音もなく、衣ずれの音だけを背後に残して診察室へ入ってきてしまいました。


「あの、どうしてエリザベスさんが?」

「お呼び頂きましたので」


 引き戸が自然に閉じていきます。


「バンシュー先生?」

「うん。僕がお願いした」


 さっき先生がうなずいたのはそういうことですか。


「ハーロウ。まずは事の次第を簡潔に」

「分かりました」


 わたしは先輩たちが昏倒した後、イリーナさんの個室で起きたことを報告しました。時折、メラニーが補足を入れてくれたおかげで報告はスムーズに済みました。

 ソファに深く腰掛けたバンシュー先生は、いつも口元に浮かべている微笑みを消し、真剣に聞き入っていました。


「――なるほど。計算資源リソースか。合点がいった。君たちが無事でいられた理由も」

「どういうことですか?」


 バンシュー先生は直接答えず、エリザベスさんへ水を向けました。


「エリザベスさん、お願いできるかな」

「かしこまりました。では僭越ながら、事実と仮説を」


 エリザベスさんはスカートをつまんで一礼し、バンシュー先生の隣へ立ちました。


 わたしたちに向け、ぴっと右の人差し指を立てます。

「事実。一週間ほど前、院内にて人形網絡シルキーネットが発生いたしました」


 続けて、左の人差し指をぴっと立てました。

「仮説。ここ一週間ほどの悪夢と、現在の昏睡は、その影響と考えます」


 エリザベスさんが語る事実と仮説は、わたしたちの常識を根底から覆すものでした。


「ここにお二方のご報告を加味いたします」


 右の指じじつをくるくる。

人形網絡シルキーネットを構築したのはイリーナ様。イリーナ様は人形網絡シルキーネットを経由し、他の人形へ計算結果の検証をさせていた」


 左の指かせつをくるくる。

「影響を受けた方々が、悪夢という形でそれを見ていらっしゃった。現在はイリーナ様から押しつけられた膨大な計算をこなしているため、昏睡状態でいらっしゃる」


 ぽん、とエリザベスさんが手を打ち合わせました。

「そう考えれば、辻褄が合います。以上でございます」


「ちょっと待ってください。人形網絡シルキーネットとおっしゃいましたか?」

「イエス。違って聞こえたのなら聴覚モジュールを耳介からウェルニッケ野まで丸ごと交換なさることをお勧めいたします」


 人形網絡シルキーネット。世界中の人形が情報インフラとして利用する、巨大なP2Pネットワークです。


「当院から人形網絡シルキーネットへアクセスできるはずがありません。何かの思い違いではありませんか?」


 止まり木の療養所は、南太平洋を回遊する小さな巨大人工浮島メガフロートです。当院は外部からのいかなる干渉も受け付けず、外部へのいかなる干渉も許しません。

 心身に不調をきたした人形へ、いっときの休息と静穏を提供するために。

 そのはずなのですが。


「外部へのアクセスではございません。わたくしは院内にて発生したと申し上げました。院内に二体の人形が通信すれば、それは人形網絡シルキーネットでございます。皆様、揃いも揃って『あるはずがない』と思いこんでいたため、気づかなかったに過ぎません」


 エリザベスさんはバッサリと切り捨てました。


「これはわたくしの想像でございますが。夜間に巡回なさっていた看護人形の皆様にも、何かしら異変があったのでは?」


 メラニーが呟きました。


「……幽霊」

「とても興味深い概念でございますね」


 当院に人形網絡シルキーネットが存在し、そのせいで患者さんや看護人形が昏睡している。この仮説を信頼するなら、色々なことが繋がります。


「ところで、不可解なことが一つございます。なにゆえ、お二方はご無事でいらっしゃるのでしょうか?」


 エリザベスさんから見れば、わたしたちが無事でいることは確かに不思議なことでしょう。

 けれど、わたしたちにとっては不思議なことではありません。


「わたしたちは人形網絡シルキーネットにアクセスできないんです」

「と、申しますと?」


 エリザベスさんから視線を向けられたメラニーが、ぴっと親指を立ててわたしを指しました。


「メラニーとこいつだけ、人形網絡シルキーネットへのアクセスモジュールを持ってないです」


 エリザベスさんは一瞬だけ、灰色の瞳を白目が縁取るほどに目を見開きました。すぐにいつもの無表情へ戻り、二度、三度と小さく頷きました。


「あなたは怖いお方ですね、ドクター・バンシュー」

「嫌だな。僕はどこにでもいる人形造形技師だよ」


 よく分からない会話でした。


「ところで、エリザベスさんはどうして平気だったんですか?」

「うるさくなる前に、物理的に遮断いたしました。ろくでもねえものに決まっておりますので」

「物理的に?」


 エリザベスさんは頭部を飾るレースのヘッドドレスを示しました。


「こちら、中は銀箔の電磁シールドとなっております。普段は着用いたしませんが」

「ええ……」


 なぜそんなものをお持ちなのでしょうか。人形網絡シルキーネットといえば、どんな人形も頼りにする情報インフラのはずなのですが。

 と、そこまで考えてわたしは頭を軽く振りました。


「すみません、話が逸れました。いま大事なことは、イリーナさんをどうするかです」

「そもそもどこに行ったかさえ分からないです」

「地下の化学工場プラントだよ」


 わたしとメラニーは顔を見合わせ、それからバンシュー先生へ改めて顔を向けました。


「どうして分かるんですか?」

「彼女、シティ・プロヴィデンスを再建するって言っていたんだろう? なら、次に彼女が求めるものは当院ウチの『二大株』だ」


 バンシュー先生は白髪交じりの髪を、両手でぐしぐしと揉んでいました。頭が痛い、とでも言うかのように。


「そう簡単にはたどり着けないだろうけど、探せば見つかるものでもある。当院は狭いからね」


 二大株。原材料さえ与えれば無尽蔵に自己複製する『仙丹せんたん』と『鮮塊せんかい』のことです。


 仙丹は多能性幹細胞を。

 鮮塊は初期化済イニシャライズド有機ケイ素微細機械マイクロマシンを。

 それぞれ、原材料とエネルギーを供給する限り、無尽蔵に自己複製します。


 これら仙丹と鮮塊は、微細機械マイクロマシン技術の集大成と言っても過言ではありません。シティが数十万、数百万からなる人口へ食糧や生体材料を潤沢に供給するためには、二大株の保有は必要不可欠です。

 シティのそれよりは小規模ですが、当院も二大株を有しています。止まり木の療養所は、外部からのいかなる干渉も受け付けず、外部へのいかなる干渉も許しません。ゆえに、食糧、生体材料、医療物資の自給自足は必須要件なのです。


「シティの成立要件として二大株が必要、ってことですか?」

「ちょっと違う。彼女の言う『シティの再建』を言葉通りに受け取るなら、彼女の理屈はこうだ。そこにヒトがいて、人形がいて、生活すれば、シティになる。彼女はヒトを生んで、人形を生んで、生活を営ませる。だから二大株が要る」


 人形が、ヒトを生む?


「そんなこと、できるんですか。人形はともかく、人形がヒトを生むだなんて……」

「できるとも。仙丹に任意のゲノム情報を与えれば、仙丹はそれを複製クローンする。ヒトゲノムなんてとっくの昔に解読されてる。ヒトゲノムの合成も、個体差の編集技術も、人工子宮の安全性も、確立して久しい。造るだけなら、人形よりヒトの方がずっと簡単なんだよ。自然分娩させてもいい。現生人類には、行き当たりばったりで二十万年も生殖を続けた実績があるからね」

「……だけど、それは造るだけじゃないですか。子守人形ナーサリィが育てて、教師人形ガヴァネスが教えたとしても……何というか、それは違うと、思います」


 わたしはシティをこの目で見たことがありません。ですが、患者さんたちから聞き知るシティの姿とは、似ても似つかないものしか想像できません。シティにはその土地ごとに特徴があり、生活を営む人々にも地域に根ざした性格傾向があり、何より歴史があります。イリーナさんがやろうとしていることは、そういったものを度外視しているように思えます。

 眉をひそめて奥歯を噛むわたしとは対照的に、バンシュー先生の見解は素っ気ないものでした。


「彼女がそれをシティと認めるなら、それは彼女にとってのシティさ」


 それは、そうですけれど。

 そんな空しいことのために、イリーナさんは二体も人形を壊してしまっただなんて。

 考えこんでしまうわたしを見かねたのか、メラニーが話題を切りました。


「先生。どうやってシティを再建するとか、何がシティとか、問題じゃないです。イリ……彼女が当院ウチの二大株を奪うつもりなら、とっとと阻止するべきです」


 そうでした。まずはイリーナさんを止めなければ。

 今のイリーナさんは、明らかに常軌を逸しています。


「バンシュー先生。OCEプロトコルの例外、五〇三と判断します。物理的な捕縛、アンテナの封印、鎮静剤の投与をもってする、イリーナさんの鎮静化を提案します」


 OCEプロトコル。観察Observation理解Comprehension共感Empathyという、当院における基本的な治療方針。かつ、患者さんとのコミュニケーションにあたって看護人形が心得る基本原則。

 その例外・五〇三は、患者さんが意識変容状態に陥り、一時的にコミュニケーションが不可能になっていることを意味します。


 ですが。

 バンシュー先生は、底冷えがするような声で短く言いました。


「いや。例外の四一〇だ」


 四一〇。患者さんが恒久的に失われたことを意味する、特例コード。


「既に当院は個体識別名称『イリーナ』を紛失している。以降、対象を『ネオプラズムE』と呼称する。ハーロウ。メラニー。ネオプラズムEを可及的速やかに終了しなさい。君たちは、あれに対する銀の弾丸だ」


 バンシュー先生は、いつものおどけた調子ではなく、あくまで冷淡な声音で、わたしたちへ告げました。


「君たちには一時的に、生産棟への立ち入りを認める。うまいことやっておくれ」

「メラニー、了解しました」


 わたしは了解できませんでした。


「……イリーナさんは、まだ間に合います」

「正気? あれはアンナさんとラカン先輩を壊した」

「あなたこそ正――」


 わたしが言い返そうとしたところ、バンシュー先生が割って入りました。


「うん? いやいや。メラニー、君は勘違いしている。あれがラカンとアンナを壊したことは問題じゃない」


 メラニーが眉根を寄せました。


「どういうことです?」

「原因と結果が逆だ。僕は、ラカンとアンナを壊したから彼女を紛失したと言ったんじゃない。当院から紛失していたから、彼女はラカンとアンナを壊した。あれは人形に仇成すものだ」


 喉の奥に、丸めた紙を突っ込まれたような錯覚。

 人形に仇成すもの。わたしたち看護人形の、最大の敵。

 イリーナさんはそれになったのだと、バンシュー先生は言うのです。


「ハーロウ。それでもまだ間に合うと言うのなら、彼女に共感してみなさい。僕は君の判断を尊重する。君は、彼女の主担当だったからね」


 言っていることは温情に満ちているというのに。

 どうしてでしょう。

 わたしは、バンシュー先生の声音が、空恐ろしく感じられてなりませんでした。


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