「では何故、君はここに?」
「赤瀬川さんに、今日の十四時までに十日町に来るように言われました。『剣乃が必ず立つから』といってね。まあ、あまり信じてはいませんでしたけど……」
誰が実行犯かはわからないが、起爆装置を作ったのは間違いなく彼女だろうと思った。洋子なら、あれくらいの爆弾は作れても全く不思議ではない。
「まさか、こんな田舎で通信機が通じるとは思わなかったよ」
「二八〇MHzデジタル同報無線システムです。ポケベルと言った方が分かりやすいかもしれませんね」
「懐かしいな。とっくに廃れたと思った」
「設備は今も生きてるんです。受信に関しては、今でもかなり優れた代物ですよ。市内だったら十分に通信は届きますし、位置情報だけで良ければもっと先まで」
剣乃が水落に着いた当初から、赤瀬川は洋子に命じて、このシステムを構築させていたのだという。二八〇MHz帯は双方向の通信が出来ない代わりに、到達性・確実性・浸透性において、他の周波数帯より圧倒的に優れているらしい。
「すべては、赤瀬川さんの手のひらの上か……」
「そんなに悪く取らないください。最初は、貴方の身を守るために作ったものだったんです」
「というと?」
「【緊急】と書かれた、少し大きめのボタンがあるでしょう? ここの部分を押すと、貴方の位置情報が、同志たちの持つ全ての端末に通知されるんです。SOSのメッセージと共にね」
そういって洋子は、これまでの顛末について語り始めた。
「前回の決起の少し前、私は赤瀬川さんから発注を受けて、この機械を『猫の鈴』に大量に納品しました。勿論、表向きには緊急通報装置としてです」
「世論の支持が得られたら、すぐさまクーデターを開始するためかい?」
「ええ、その大半は、徒呂月さんの部隊に回ったと聞いています。『猫の鈴』の決起が失敗したとしても、この機械そのものに危険性はありませんし」
「もし何らかの疑惑をかけられたとしても、状況証拠にしかならないわけか」
「はい。本当に用意周到な人です」
蜂起後の民意が読めなかった二人は、無線の存在を剣乃には知らせなかった。無論、蜂起が失敗した際に、彼の身を守るためだ。どのような嫌疑が彼にかけられようとも、知らないことは絶対に話せない。
「ところで、ひーちゃん」
「なんですか?」
「僕の命令が全員に届いて、実際に電車が止まったってことは、剣乃派の存在が、他の同志にも認識されたってことだよね?」
「勿論、そうですね」
洋子がそう答えると、逃げ惑う乗客の中に見知った顔を見つけた。男は剣乃を認めると、部下らしき男たち数人を引き連れ、剣乃の前に歩を進めた。
「徒呂月……」
「ようやく覚悟を決めたようだな。だが、お前が同志たちの信頼を回復できるかは、これからの行動にかかってる。この程度でいい気になるなよ」
「じゃあ、あれをやったのはお前か?」
「そうだ。お前が悦子を侍らせてるうちに、こっちは随分、人手不足になってしまったのでね」
「手厳しいな」
「こっちの方が、よっぽど厳しかったさ」
吐き捨てるように、徒呂月はそう言った。
「悦子はどうした? まさか死んじゃいないだろうな?」
「お前の号令を聞いた後、真っ先に電車から飛び出していったよ。俺はそれを見届けてから、線路を破壊したんだ。アイツは車内で、じっと通信機を握りしめてた」
「死人は?」
「さあな……。だが、絶対に死ななきゃいけない奴は一人いる」
そう言って徒呂月は、剣乃の後方に向けて顎をしゃくった。振り返るとそこには、赤瀬川に後ろ手を縛られた男が立っている。これまでずっと、遠巻きに剣乃を監視していた男だ。
「そういうことか……」
「ああ、そういうことだ」
徒呂月の意図は明白だった。この爆破事件に関する剣乃の関与を知ってしまった以上、この男を生かしておく訳にはいかない。
「赤瀬川さん、銃はありますか?」
「ああ、用意してある。死体の処理は、責任を持って私たちが請け負おう」
「お願いします」
剣乃は赤瀬川から銃を受け取った。男は、必死に冷静さを保っていたが、その足は震えていた。
「君の名前は?」
「イサカだ」
「珍しい姓だな。どんな字を書く?」
「伊勢神宮のイに、大阪の阪だ」
「そうか……。イサカ君、君とは長い付き合いだったし、個人的には何の恨みもない。色々と、便宜も図ってくれたしね」
「そうだ。俺の職責の範囲内で出来ることは、全てしてやったつもりだ」
その言葉は事実だった。だからこそ、彼は東京に出ることも許されたのだ。
「君には本当に感謝してるよ。東京の教団本部で、同志たちの屈辱を受けなければ、僕はもう一度立つ気にならなかった」
そういって剣乃は、銃口をイサカに向けた。
「冷静になれ、剣乃! 俺はずっと、お前の事を見てきた。お前の本質は学者だ。こんな連中とは、今すぐ手を切るべきだ!」
「殺るならさっさとやれ。こいつは死にたくないから、騒いでいるだけだ」
徒呂月がそう吐き捨てた。
「違う! 命乞いなんかで言ってるんじゃない!」
「……」
「あんな、本当に作動してたかもわからない無線機なんかで、テロの責任をお前に擦り付ける事なんて出来るはずがないんだ! だから、こいつらは後戻りできないように、お前自身の手で俺を殺させようとしてる。早まるんじゃない!」
「君の言う通りかもしれないな。だがやっぱり、誤解してるのは君の方だよ」
「えっ……?」
「確かに僕は、自分の事を学者だと思っていた。だから、武装闘争にはずっと反対してきたんだ。でも、それは間違いだった」
「間違い?」
「そうだとも。僕は君を、口封じのために殺すんじゃない。あの爆発の瞬間――これで悦子を取り戻せるって思った瞬間に、僕は気づいてしまったのさ。自分自身の本質にね」
「どういうことだ!?」
「僕の本質は、学者でも扇動者でもない。破壊そのものを愛すテロリストだ。そして、この叛逆を続けるためには、君の死がどうしても必要なんだよ」
剣乃は、口元に微かに笑顔を浮かべながらそういった。
「だから、敢えて同志と呼ばせてもらおう。同志・イサカ。組織のために死んでくれ」
そういって、剣乃は軽く頭を下げた。
「イサカ、君に家族はいるかい?」
「ああ、娘と息子が一人づついる。妻との仲も円満だ。助けてくれ!」
「無理だ。だが、僕と組織の名誉をかけて約束しよう。もし革命が成ったら、僕は君を革命のために死んだ英雄として取り扱う」
「えっ?」
「君は今から、公安の情報を組織に流し続けてくれた二重スパイになるんだ」
男には、剣乃が何を言わんとしているのか、良くわからなかった。
「裏切りの発覚した君は、お上の手で粛清される。組織のために死んだのだから、君の家族には一生、恩給を支払う。だから、安心して死んでくれ」
「そんな……」
イサカの次の言葉を待たずに、剣乃は引き金を引いた。サイレンサーの「プシュッ!」という音が二回鳴り、見事に心臓を打ち抜かれた彼は、一瞬で絶命した。
「すまないな、イサカ。いまの僕を止められるのは、自らの死か、革命の成就しかないんだよ」
最初の殺人を犯した剣乃は、銃を仕舞いながら、そう独り言ちた。彼はとうとう自らの本質に気づいた。優しさと狂気を合わせ持つ、ただ破壊のみを愛する『猫の鈴』の指導者が帰って来たのだ。
「もし革命が成らずとも、殉職だ。恩給が出ることに変わりはないさ」
「そうですね。可哀想ですけど、これも仕事です」
赤瀬川と洋子が、イサカの死体を前に短い会話を交わす。
「……ったく、つまらん約束をしたもんだ。さっさと死体を片付けるぞ」
徒呂月の部下が、イサカの死体にズダ袋をかぶせ始めた。死体はそのまま自衛隊の緊急車両に乗せられる。
「この男からの連絡が途絶すれば、直ぐに公安が動く。だが、この車なら途中で止められることはないだろう。辺りが混乱しているうちに、ここを離れるぞ。お前たちも、さっさと乗れ」
「悦子は?」
「もうとっくに乗ってる」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!