猫と革命のディストピア

ー令和維新前夜ー
伊集院アケミ
伊集院アケミ

第三話「秘密の計画」

公開日時: 2020年11月21日(土) 23:30
更新日時: 2023年7月20日(木) 19:48
文字数:2,923

 二人が水落でこんなやり取りをしている頃、革命の萌芽は、全く別の場所で確実に芽生えていた。


 薄伽梵バカボン教――後に時空管理局の元老となる加藤、西田の両名に率いられた教団とその支援を受けた『全力党』は、直近の総選挙において二百二十二もの議席を占めていた。無論、野党第一党である。そして、その公約には、赤瀬川の意向が深く働いていた。



 その公約とは、『月額三十万円のベーシックインカムと、消費税を除く全ての税金の廃止、富裕層及び大企業への財産税課税』であった。理念では国民の心を掴めないと考えた赤瀬川は、彼らの票を金で買収しようと考えたのである。

 

 剣乃征大は、この動きにはまったく関わってはいなかった。敗れたとはいえ、全ての権威を否定する『猫の鈴』の思想までも捨てたわけではなく、むしろその思想は、水落での隠遁生活の中で、更に純度を増していたのである。


 赤瀬川の野心は、全力党による一党独裁体制の確立にあり、党首の是川は、それに同調した。そして徒呂月の野心は、言うまでもなく自衛隊の国軍化である。


 だがそれを為すには、日本国憲法という途轍もない壁があった。彼らはその壁を、国家転覆クーデターにより一気に乗り越えることを決意する。頼みの経済が揺らぎ、米中の板挟みになった日本に残された時間は、もう残り少なかったからである。


 多数の信者と集金能力を誇る薄伽梵教。徒呂月率いる自衛隊内部の国軍化勢力。そして、今だ多くのテロリストたちを野に潜ませている『猫の鈴』が、全力党の下に一つにまとまりつつあった……。



 今の人たちは、譲歩と言うことの真の意義を知らない。


 剣乃は日記にそう記した。姑息な妥協は、政治、経済の上では勿論の事、学問上でもしばしば行われるが、理想を貫いて道半ばなものを手に入れるのと、今の社会を維持するために妥協を重ねる事では、結果としては殆ど同じ場所に帰着する。そのことに剣乃は、咎人になってからようやく気付いたのだった。


 大いなる理想を求め、十重二十重にも築き上げられた壁に目がけて矢を打ち続けているうちに、彼は自身の資金と行動の自由を失ってしまった。僅かに残った支援者は、赤瀬川をはじめとする、数名の同志だけであったのだ。


 絶望のうちに打ち捨てておけば、彼の頭脳はその能力を発揮することなく終わってしまうだろう。


 同志たちは、剣乃の将来を気づかった。精神の安定のために、煩雑と抵抗の刺激から逃れて、温泉地で療養することを勧めた。様々な方面に働きかけ、ある程度の自由が彼に与えられるようにさえ手配したのだ。


 そうして、彼は東京を逃れてこの地に移り住んだ。無論それは、お上の監視付きではあったが、同志たちの温情が、剣乃のすさんだ心に少しばかりの潤いを与えたのである


 新潟県南部に位置する十日町は、山間のさして有名でもない温泉街である。赤瀬川の息のかかった【水落旅館】二階にある小さな部屋を借りて、剣乃つつましやかに暮らしていた。悦子はそこで、【水落ハナヱ】という偽名を名乗り、名目上はその旅館の仲居として勤めていた。


 十日町の冬は厳しいが、五月も中頃になると太陽の熱が白くさす日が続く。清澄な山気を吸い、湯量豊かな温泉を浴びて、剣乃は次第に精神を回復していった。土気色だった頬には光澤が戻り、かすれた声にも凛とした響きが加わった。もう少し悦子の精神が安定したら、平穏無事な生活が形成されるだろう。そう思った剣乃は、たびたび悦子に懇願した。


「私が貴方への愛を失う事はありません。だから、もっと落着いていただけませんか?」


 けれども悦子の精神は、容易には修正されなかった。剣乃に宛てて、今だ革命を諦めぬ人たちから通信がくるからである。


 悦子はその全てを自ら開封した。返事は大抵、彼女が書く。剣乃が執筆に忙しいからでもあるが、悦子は中央の様子が知りたかったのだ。それらの手紙には、組織の人間にしかわからぬ符牒が使われていて、革命を夢見る悦子の心をたいそう煽るらしかった。


 悦子はそれらの手紙を、剣乃に見せない事すらあった。隠し持つ手紙の内容が何であるか、剣乃にはおおよそ察しがついている。心身ともに健康になってゆく彼とは裏腹に、悦子の美しい顔は、日々やせ細っていったからである。



 最近の悦子は朝からじっとふさぎ込んで、ほとんど口もきかない。夜も胸苦しそうに溜息をしたり、寝返りを打ったりしてして、容易に寝付かれぬ様子である。愛情だけの問題ではあるまい。中央で再び、何かが動き始めているのだ。


 ある日、剣乃は執筆の疲れで宵のうちからぐっすり寝入った。そして真夜中に目をさました。そっと頭を上げて悦子の様子をうかがうと、すやすやと微かな寝息がする。


「今夜はよく眠っている」


 剣乃は起き上って卓上のライトをつけた。悦子の寝姿が彼の目に映る。きゅっと結んだ口許には、不穏の表情がある。泣きながら寝入ったのであろう。哀れな顔付きであった。


 ふと、女の頭の傍に、広げたままの手帳が一冊あるのが目に入った。剣乃は手をのばしてそれを拾った。


 犠牲は最高の美徳でない。けれども、犠牲は最も美しい行為である。


 悦子は書き出しにこう書いていた。


 死は人間の解体である。破壊は社会の解体である。だが、死そのものは罪悪ではない。ならば、破壊そのものも、また罪悪ではないだろう。死は自然に来たる故に、免れ難いものだと言う。然らば、破壊が自然に来ることも、やはり免れ難い運命だと言うべきではなかろうか?


 破壊が自然に来る。自然に来る。破壊を企てる人間の行為もまた自然の力である。

 我は自然の力の一部ではあるまいか?


 こんな奇妙な文句が、極めて断片的に書き続けられてあった。最後の一節は、殊更に剣乃の胸を衝いた。


 私たちの赤ん坊はよく寝かせてある。

 誰も知らない、日もささらず、風も当たらない、あの鴉どもの目のとどかない所に。


 泣いたら泣き声が、たいそう大きかったそうだ。

 

 剣乃は明りを消して、床の上に横たわった。悦子はまだ、あの戦慄すべき計画に加担しているのだ。彼女に心の平和を与え、二人でゆったりとした情緒に生きようと思って苦心をして来たのだが、さほどの効果もなかったらしい。


 彼は自身の過去の罪悪を考えずに居られなかった。彼の目指す革命とは、訓練と教育の力をもって、自然に起こる変化の道程を示すと言うことである。剣乃が呪った権力は、現在の日本政府ではなく、理想を考えるうえで、障害物たる権力そのものを指すのであった。


自由の絶対性を考うるとき、一切の拘束力を無視しなければならないと言う学術的な意味に過ぎなかったのだ。


 だが、多くの同志たちがそれを誤解してしまった。理想を見る前に現実を見たともいえるかもしれない。彼らは今の政府が、あるいは米国をはじめとする他国干渉者たちが、自分たちの自由を奪う者だと妄信した。


 道を踏み外した人々に対して、強烈な弾圧が開始された。更なる脅迫観念が刻々と同志たちを襲った。その襲われた人々の中に悦子がいた。剣乃自身もいた。


 過激化の一歩をたどる同志たちと反比例するように、国民の大多数もまた、判断を見誤ってしまった。彼らは自分たちに何が出来るかではなく、国が自分たちに何をしてくれるかにしか、関心がなくなってしまったのである。

 


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