サンダルを捨てるように脱いで部屋に入ると、夏の湿気った空気にむっとする。ゴミは旅行前にすべて片付けていったので異臭はしないが、人間が不在にしていた部屋は抜け殻のように寂しい気配で満ちている。
わたしは一息つく前に洗面所へ向かい、持っていたクリアのバッグから大判のタオルと水着を取り出す。海から上がったあとに真水に晒したはずなのに、オレンジ色の水着からはツンと潮の香りがして、それを嗅ぐと数日間の疲れがどっと押し寄せてきた。
早くベッドに身体を沈めたい気持ちでいっぱいだったが、仕方なくお風呂の洗面器に水を溜めて水着を放り込み、ゆすってみたり絞ってみたりする。そのうちに潮の匂いが狭いバスルームに漂いはじめた気がして小窓を開けると、赤く光るものが見えた。東京タワーだ。
出しっぱなしの水道水がぱちゃぱちゃと飛沫を上げるのを見て旅先の美しい海を思い出したが、眺めていると海のそれには似ても似つかないことに気がつく。水底に青が透けた波の層も、いつまでも消えずにいる白いあぶくも、東京の整然とした街では見つけられそうにもなかった。
頬に飛んできた水滴を拭うと、ざらついた感触とともに指先に小さな砂粒がついていた。飛行機で約3時間の海からはるばるこんな寂しい都会までやってきてしまったらしい。それがどうして彼じゃないのだろうと、無意識に思ってしまう。
洗面器に小さな波紋がいくつも連なる。ひと夏の恋なんて。わたしはタイル張りのバスルームにへたり込んだ。
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