【2056年8月23日】
【ABAWORLD "VOID"エリア】
【――午後22時43分――】
仄かに緑色の光で照らされる檻の中。
外から干渉することも出ることも出来ない空間で"二匹"のケダモノは殺し合いを続けていた。
激しくお互いの"武器"をぶつけ合い、相手の命を奪おうとしている。
「ガァァァ!!」
獣染みた声を上げながら両手の爪を振り翳しその鎧ごとブラッドメイデンを引き裂こうとするソウゴ。
血糊によって輝きすら失い始めた長剣を操り、隙あらばソウゴの身体を切り裂こうとするブラッドメイデン。
変則的で身の軽さを活かした回避を織り交ぜている動物的な攻めを行うソウゴに対し、
ブラッドメイデンは長剣を使ってそれを全ていなしていく。
巨大な長剣の取り回しの悪さを感じさせない剣捌きでソウゴの身体を切り裂き、貫くその剣技。
ただ暴れるだけの凶戦士と言えない熟練した剣技だった。
直撃は避けているとは言え、ソウゴの軍服は所々切り裂かれ、その身体に裂傷を作っている。
そこから赤い線が見え、少しずつ軍服を紅く染め始めていた。
ブラッドメイデンの方もソウゴに抉られ砕かれた鎧甲の奥から血を滴らせており、無傷という訳でも無い。
だがこちらと違ってあちらは――この異常な戦いへ明らかに慣れていた。
彼は常に長剣を肩に乗せ、姿勢を低く保つ。
敵からの攻撃を避けるのではなく、可能な限り受け流すその構え。
致命傷を受けないようにしているのは当然だが、それとは別に受ける痛みも最小限にしているのが分かる。
回避が中心のこちらと違って最初から痛みを受ける事前提に行動していた。
「ぐぅっ……!!」
ソウゴは身体の各部に受けた傷からじわじわと"痛み"を感じ、思わず歯を食い縛る。
切り裂かれた場所が熱を持ち、そこから血が流れていくのを感じた。
前にあの変な怪物たちから攻撃を受けた時と比べれば耐え切れないほどの痛みではないがそれを差し引いても
まるで現実で受けた傷のように身体を蝕んでいる。
このまま戦闘を続ければどうなるかは明白だった。
≪ソ、ソウゴ様!!≫
腹部を左手で押さえ、痛みに呻くソウゴへ通信越しにツバキの悲痛な声が犬耳に届いた。
(段々と分かってきた……)
ソウゴは彼女の悲鳴を聞きつつもどこか冷静にブラッドメイデンを見つめる。
(間違いなく……この人は強い。それもとてつもなく……)
ランク1【破瓜の処女『BLOOD・MAIDEN』】。
その名に恥じない強さをこの騎士は持っている。
仮に元のブラッドメイデンの使用者とは別人が操っているとしてもそれに比例する力を持っているのは間違いない。
自分が大会へ出場して色々な強者たちと戦ってきたからこそ彼の強さが分かる。
それに――。
(この人はやっぱり亡霊なんかじゃない。血の通った人間だ)
何度も彼の攻撃を受けたから分かる。
どこか――彼の太刀筋には"熱さ"があった。
ずっとこのABAWORLDで過ごしてきて分かった事だが、仮想現実と言えどその人の雰囲気は伝わってくる。
狂気混じりのその姿。
その鎧の中に潜む人物が透けてくる。
一度も言葉を交わした訳でもないのに。
ただ殺し合っているだけなのに。
不思議とソウゴは目の前の騎士の事を理解し始めていた。
(きっと……この人はこんな戦いをずっと続けていたんだ。何度も何度も何度も……)
あの異常な場所で自分とマキを救った時も。
あの怪物たちと戦っていた。
どうしてそんな事をしていたのか。
何故独りであそこにいたのか。
知りたいことが一杯ある。
何か目的を持って姉を攫ったのなら――それも知りたい。
ソウゴはただひたすらに彼の事をもっと知りたくなっていた。
思えばこのABAWORLDへ来てから戦いは相手の事を知るための手段の一つになっていた。
傍から見れば乱暴で乱雑で野蛮すぎる方法。
でもあまり器用とは言えない自分にとってこれが一番ストレートな方法なのだ。
だが――。
ブラッドメイデンの背後へと視線を映す。
そこには無造作に転がされた鋼鉄の処女がある。
姉を監禁したまま、閉じた鉄の檻。
(もし……姉さんに何かあれば……)
一瞬、心の中に黒い物がじわっと生まれる。
最悪の事態を想定すると自分の中で押さえ付けている"凶暴性"が表に出ようとしてくるのをはっきり感じた。
「ツバキさん……。姉さんは今の所、無事なんですよね?」
≪はい。こちらでモニターしているバイタルは安定しています。少々アドレナリンが分泌され過ぎていますが≫
「……それは良かった、です」
彼女から比較的吉報を聞き、ギリギリの所で心に平静さを保つ。
(色々と……時間は無いみたいだ……)
ソウゴは痛む身体を庇う事を辞め、腕を伸ばし両手を大きく開く。
このまま攻撃を受け続ければ先に倒れるのはこっちだ。
両手を前へと構え、姿勢を低く保つ。
全身の筋肉が膨張し始め、ブーツの靴底が地面へと食い込んだ。
右手を奥へと引き、力を込める。
ギリギリと爪を引き出し、相手を穿つ"突き"の構えを取った。
誰に教えられた訳でも無い。
身体が自然とその構えを知っている。
自身の力を全て籠めて相手へと叩き込む必殺の一撃。
ソウゴの構えを見て、こちらの意図を察したのかブラッドメイデンは大きく長剣を上段へと構える。
間違いなく最大の一撃をこちらへお見舞いするための構え。
彼はソウゴの挑戦を――受けた。
ブラッドメイデンは摺り足でジリジリと距離を詰めてくる。
必殺の間合いを明らかに図っていた。
その紅い瞳から漏れ出す殺気も凄まじい。
それでも彼はこちらの意図へ乗ってきた。
ソウゴはその行動を見て思わずブラッドメイデンへと話し掛ける。
「ブラッドメイデンさん! そっちにも色々と事情があるんでしょうけど――今は……! 姉さんを返してもらいますよ!!」
語り掛けながら一気にソウゴは前へと走り出す。
彼はその言葉に応じず長剣を持ち直すと身構えた。
ブーツが地面を蹴り、首に巻かれた深紅のスカーフがたなびく。
バトルアバの身体能力を超え、人間の捉えられる限界を超え駆け抜ける。
自身の興奮状態に呼応して今まで毛皮に覆われていなかった顔も灰色の毛が生えていき、顔付きも狼のようになっていく。
完全に獣人と化したソウゴの速度は凄まじく、周囲の視界が全て後ろへと吹き飛んでいき、息をする事さえも困難だった。
≪うっ……≫
ツバキの呻く声が聞こえたがそれさえも耳に届かず、必殺の一撃をブラッドメイデンへと叩き込むために"灰色犬"は駆ける。
「――ウォォォォォォッ!!」
最早人語かどうかすらも判別の付かない雄たけびを上げながらソウゴは突撃をした。
狙うは一点。
そこを軍帽の鍔から二つの瞳で捉え、右手に意識を集中させる。
血と鉄片で汚れた爪が周囲の明かりに照らされて鈍く輝いた。
ブラッドメイデンが甲冑を軋ませながら握った剣に力を籠める。
大振り過ぎるくらいに振り被ったその剣でこちらの頭部をかち割るつもりだった。
ソウゴが殆ど飛び掛かるようにして爪を繰り出す。
彼もそれに合わせて剣をこちらへ叩き付けるように振り下ろした。
(今……!)
ソウゴは振り下ろされる剣に対し異常な反応速度で右手を合わせ、自らの爪を当てて刃先を逸らす。
鋼鉄とぶつかった爪が砕け、その激痛が右手全体を痺れさせた。
狙いのずれた剣はソウゴの顔の真横を通り抜け、軍服の肩を切り裂きながら地面へと刃先を埋め込ませる。
振り下ろした勢いの凄まじさもあり、刃先は深く埋まり返し剣が遅れていく。
「――ハァッ!」
その一瞬の隙を逃さず気合の声と共に身体を回転させて回し蹴りを繰り出す。
変身してもそのまま維持されていた分厚い革製のブーツ。
その爪先をブラッドメイデンの手甲目掛けて叩き付ける。
今の自身の力と回転による威力が合わさり凄まじい威力が発揮される。
その衝撃で甲高い金属音が室内に鳴り響いた。
――ズシュッ……。
それと同時に彼の手から弾き飛ばされた長剣が地面へ深々と突き刺さった。
回し蹴りを喰らわせたソウゴはそのまま刺さった剣の柄へ口を伸ばして犬みたいに咥えるとひったくるようにそれを奪う。
奪った剣を咥えたまま地面を転がってブラッドメイデンの傍から離れた。
崩した姿勢を直ぐに手足を地面へ貼り付けるようにして立て直すと腹ばいで立ち上がる。
低く保った身体を伝って地面へポタポタと赤い染みが出来ていく。
「フゥ・・・・・! フゥ……!」
ソウゴは動物のように荒い息を吐きながら肩を震わせてブラッドメイデンを睨んだ。
剣を奪われた彼はゆっくりと振り向き、こちらへその燃える瞳を向けてきた。
瞳にはあからさまな怒りの炎が見え、激怒しているのが窺える。
渾身の蹴りをモロに受けた右の手甲は大きく凹み、そこから赤い鮮血が滲み始めていた。
(クソっ!! クソっ!!! 痛ぇっ!! 畜生ぉ!!!!)
ソウゴは咥えた剣を何とか牙で支え、心の中で悪態を吐き全身を襲う激痛と苦痛に悶えた。
軍帽の下からも毛皮を伝って微かに血が滴りそれが左目の視界を奪っていく。
≪な、なんて無茶を……!≫
決死の一撃に成功したとは言えその代償は大きかった。
振り下ろされた剣の剣圧により額を切り裂かれ、更に止めきれなかった剣先によって左肩を抉られそこから血が流れる。
剣の柄に歯を突き立て食い縛りその痛みに耐えようとするが当然許容出来る訳も無く、ソウゴは痛みから来る身体の震えを抑えられない。
それでも咥えた剣だけは絶対に離さず、口を使ってその剣を構える。
四つん這いで剣を口に咥える格好は奇妙だったが、妙に様にはなっていた。
口の中にこの世界に存在しない筈の嫌な"味"が伝わって来て、それが堪らない不快感を与えてくる。
(彼の……血の味か……これ……。それに鉄と錆の味も……)
しかしその不快さが全身から感じる痛みを誤魔化してもいた。
ソウゴが警戒しながら息を整えている間に自らの得物を失ったブラッドメイデンは静かに佇む。
傍目には平静さを保っているように見えるが砕かれた自身の右手を見つめるその瞳に秘められた激情は隠せていない。
ギリギリと左手を握り込み、彼の怒りがそこから伝わって来る。
それを見てソウゴは痛みも忘れて思わず笑みを浮かべてしまった。
(想像より……。いや思ったよりずっと……。"熱い"ヤツみたいだな……コイツ)
もし別の形で出会えていたら……。
きっと――こんな血生臭い戦いじゃなく、楽しい"バトル"が出来ていたのかもしれない。
一瞬そう思ったがそれは意味の無い仮定だ。
今の目の前にいる男は姉を攫おうとしている敵。
残念ながらそれが叶う事は――無い。
あちらが"燃えている"のを見て逆に少し頭が冷えてしまった。
ソウゴは咥えた剣へ牙を強く突き立てると水平に構える。
武器を奪った以上、こちらが圧倒的に優位だ。
後は隙を突いて姉を奪還するだけで良い。
これ以上彼と戦い続けていると本当に――止められなくなってしまいそうだった。
冷えた頭と対照的に自分の身体は明らかに昂っており、まだまだ戦いを求めているのが分かる。
動悸は加速し、喉が自然と鳴ってしまう。
咥えた剣から味わう血の味の不快感が消えていき、自覚したくない渇望が頭を出してきた。
(この身体が傷を癒すための……"食事"を求めてる……)
「フゥッー……」
口元から漏れる荒い息が疲労と負傷だけの物とはとても思えない。
このまま戦いを続ければ自ずと――抑えられなくなる。
それだけは絶対に避けなければいけない。
(落ち着け……。"最期"まで行くなんて絶対に許されない事だ。姉さんだけを奪い返してツバキさんへログアウトを頼めば――)
――ズンッ……。
「ふぇっ!?」
足元から響いてくる突然の地響きにソウゴは驚き、変な声を剣を咥えたままの口から漏らす。
更に地面が揺れ動き始め、まるで地震の時のように周囲全てが振動した。
(な、何だ!? これも彼の仕業か!?)
慌ててブラッドメイデンの方を見ると彼も周囲にその紅い瞳を向けており、警戒するように身構えている。
その様子から彼もこの異変に存じぬ知らぬなのが伺えた。
(彼じゃ……ない!?)
――ベギィッ!!
その瞬間、"世界"が音を立てて――壊れた。
二人の足元の地面へ巨大な亀裂が広がり、それが一気に大口を開ける。
緑色の粒子がそこから吹き出し、周囲が閃緑の輝きに包まれた。
「――っ!?」
驚くソウゴとブラッドメイデンの両者をその輝きは飲み込み、亀裂の中へと引き摺り込んでいく。
驚きのあまり口に咥えた剣も離し、叫ぶ。
「じ、地面が崩れっ!! うわぁっ!?」
それまで確かだった足元が消滅し、身体を浮遊感が襲う。
同じようにブラッドメイデンの足元も崩れ、その巨体ごと亀裂の中へと吸い込まれていった。
亀裂の中には真っ黒な虚空が広がり、そこへ向かって二人は堕ちていく。
落下するソウゴの耳に辛うじてツバキの驚愕する声が届いた――。
≪――ク……量界の――扉が……開――≫
【量界繧ィ繝ウ繝医Λ繝ウ繧ケ】
「うっ……」
ひんやりとした冷たい感触が頬に伝わってきてソウゴは思わず呻き声を漏らす。
更に身体の節々から感じる痛みによって段々と意識が覚醒してきた。
薄っすらと目を開いていく。
視界には黒一色が広がっており、まるでまだ目を閉じているような感覚に襲われる。
(ここは……)
見覚えのある光景だった。
ゆっくりと半身を起こし、周りを見渡す。
墨汁をぶちまけたかのように真っ黒な空間。
右も左も、足元さえも覚束ない虚無の空間。
覚束ない空間に反して地面にはしっかりとした固く冷たい感触があり、床が存在しているのが分かった。
ここまで暗ければ自分の姿さえも見えなくなりそうだが、自分の姿は浮き上がったシールみたいにはっきり視認出来る。
マキと共に迷い込んだあの異界。
今、そこに再び自分はいた。
立ち上がりながらはっきりしてきた頭で状況を整理する。
(俺……ブラッドメイデンさんと戦ってて……。それで急に出来たあの亀裂に飲み込まれて……)
何が起きたかは全く分からないがどうやらあの異界へ自分は再び堕ちてきてしまったらしい。
先程まで戦っていたブラッドメイデンの姿も見えない。
前の時とは違い本当に独りぼっちの状況のようだった。
心細い気持ちになりながらも耳元へ手を当てる。
「……ツバキさん、ツバキさん……? ――ダメか」
呼び掛けるもツバキからの反応は無い。
ツバキとの通信も途絶えてしまっているようだった。
(この場所はやっぱり普通の場所とは違うんだな……。前の時と違ってブラッドメイデンさんが助けてくれるとも思えないし……。
姉さんならどうしたかな――)
「そ、そうだ! ね、姉さんはどこに!?」
そこまで思考して攫われた姉の事を思い出す。
色々と異常事態が連続していてすっかり頭から抜け落ちていた・
慌てて左右をキョロキョロと見渡していく。
「あっ! い、いた!!」
少し離れたところにあの鋼鉄の処刑器具が横たわっているのが見えた。
その扉はぴったりと閉じており、中の状態を伺う事は出来ない。
「ね……姉さんっ!」
痛む身体のせいで足が縺れる。
それでも何とか心を奮い立たせその傍へ駆け寄ろうとした。
――ズンッ!
「――っ!!」
姉の元へと向かおうとしたソウゴを遮るように横たわる鋼鉄の処女の上に影が飛び降りてくる。
「ブラッド……メイデン……! お前もここへ来ていたのか……!」
自ら抉り取ったフェイスプレートの片方から紅い瞳を覗かせる騎士。
元々傷だらけの鎧をソウゴとの戦いで更に傷付かせている。
鋼鉄の処女を足蹴にしながらブラッドメイデンはゆっくりと顔を上げソウゴを睨み付けて来た。
「くっ……!」
警戒しながら一歩飛び退くソウゴ。
既にソウゴが奪った筈の剣も取り返しており、右手へしっかりと携えている。
どうやらあちらは姉を渡すつもりは毛頭無いようだ。
ソウゴも両手の爪を引き出して構え、再びの戦闘に備え始める。
だが身構える此方と違い、彼はそっと自身の胸の前にその長剣を掲げ、祈るようにその紅い瞳を閉じる。
そして始めて――その口から言葉を発した。
「……QMP――"展開"」
少し低めだが透き通るような響きを持つ若い女の声。
あまりにも予想外過ぎる上に見た目と反するその声にソウゴは思わず身じろぎしながら声を上げた。
「えっ!? お、女の子の声!?」
――ィィィィィン……。
驚くソウゴを余所に彼いや"彼女"が現れた時のような耳鳴りが周囲に鳴り響いていく。
それと同時に彼の周囲に緑色の粒子が漂い始めた。
(あれは――俺が変身する時みたいな――っ!?)
「――かはっ!?」
突如自らの喉が締め付けられていく感覚に襲われる。
(い、息が……出来ない……!!)
更に全身へ圧迫感を受け始め、それまで受けていた直接的な痛みとは全く異なる苦しみが与えられた。
あまりの苦痛に立っていられず、身体ごと崩れ落ちて膝を付く。
(な……なんだよ……これ……)
立ち上がるどころか声を出すことすら出来ない。
明らかに今までの直接的な攻撃とは異なっていた。
ブラッドメイデンの携えた剣に閃緑の光が宿り、それが辺りを照らしていく。
同時に彼の鎧の肩部や腹部から緑色の粒子が放出され始め、それが真っ黒な地面や周囲を緑色へ染め上げた。
緑色の粒子は崩れ落ちたソウゴの元へも届く。
(……身体が……消えて……)
ソウゴの身体も同じような緑色の粒子となって段々と消え始める。
まるで分解されていくように身体が半透明になっていき、緑色の粒子と化していった。
気が付けばブラッドメイデンから発せられる緑の光も強さを増し、その剣も閃緑に輝く光剣へと変わっている。
その身体から発せられる粒子は降雪の如く漆黒の地面へと落ちていった。
落ちた粒子は地面に触れると白い点と化し、白穴を穿つ。
その奇妙な降雪の中、ソウゴは何時しか完全に倒れ伏し、ピクピクと身体を痙攣させるだけになっていた。
犬耳も力無く垂れ下がり、尻尾も弱って丸まる。
(動け……無い……)
全く身体を動かす事が出来ない。
動こうと言う意思はあるがそれにこの身体がついてこなかった。
その時、警告音と共に視界へ文字の書かれたウィンドウが出現する。
【量子通信に妨害発生。身体とアバターの同期に失敗しています……再接続中……再接続中……】
自身の姿を模した人型アイコンが表示されその手足の部分が赤く点滅していた。
何となくその警告ウィンドウから自身の状態を察する。
(俺の精神と……この"体"が……離れようとしてるのか……)
恐らくこの緑色の粒子によって仮想現実での自分『ミカ』と現実の自分『板寺三河』との接続が強制的に解除されようとしていた。
ブラッドメイデンは閉じていた瞳を開くと動けなくなったソウゴを一瞥してから紅い瞳を細める。
それから静かに剣を構え、止めを刺すつもりなのかゆっくりと近付いてきた。
一歩進むごとに甲冑の擦れる音が響き、まるで処刑人の足音にも聞こえてくる。
最早接近してくる彼女に対して顔を向けることも出来ず、身体をピクピクと痙攣させた。
自身の意思に反して動こうとしないこの身体。
ソウゴは奥歯が砕けんばかりに噛み締め、剥離しようとする肉体と精神を繋ぎ止める。
口内から鉄の味が伝わり、噛み締めすぎて唇から赤い雫が垂れた。
痛みと苦しみを味わいながら必死に抵抗していたそんな時、ふと奇妙な考えが頭の中で浮かぶ。
(……考えたら……この『ミカ』は姉さんので……。俺のじゃない……。元々俺の"身体"じゃない……)
本来ならば姉が使っていたであろうこの"身体"。
(このバトルアバも……返さなきゃなんだろうな……)
元の持ち主である板寺寧々香が見つかった以上……返す必要がある。
(そう言えば……姉さんのバトルアバだって言うのに……好き放題使ってたな……)
何とか動かしたその目には凄惨な状態の身体が映った。
軍服は所々破れ、切り傷によって染み出してきた赤い染みが点々と付いている。
(幾ら本物の……肉体じゃないからって……ちょっと無茶し過ぎたかな……)
ずっと戦い続きの毎日。
争い事ばっかりに使ってきたこの身体。
振り返って見ればロクな使い方をしていなかった。
それでも……この数か月間ずっとこの"ミカ"でABAWORLDを駆けずり回って来た。
色々な場所を歩き、色々な人たちと出会い、色々な物を見ている。
喜怒哀楽様々な感情を経験し、ある意味現実以上に濃厚な体験をしてきた。
そのせいか今ではこの姿も自分の肉体だと"錯覚"してしまっている。
(……変な感覚だよ……。これは本当の俺の肉体って訳じゃないのに……。それなのに……もう自分の身体って思ってた……)
現実の自分と見た目も性別も何もかも違う姿の筈なのに、違和感が消えてしまっていた。
(……ごめんな、今までずっと乱暴に使って来て……でも――)
一度酷使してきた"ミカ"に対して謝罪をしてから既に半分ほど消失し、存在しない筈の右手に力を込めた。
(ずっとこの身体を使ってきたからこそ分かる!! まだこの身体は――動けるっ!! まだまだ戦えるんだ!!
だから立たなきゃダメだ!! 姉さんを……家族を……! 助けるために!!)
「うがぁぁぁあ!!」
殆ど呻き声と変わらない叫び声をソウゴが漏らすと同時に自身の周囲に纏わりついていた粒子に変化が生じる。
少しずつその粒子が身体から離れていき、代わりに今度は自身の身体から淡い閃緑の光が放たれ始めた。
半透明になっていた手足がその光と共に再び色を取り戻し、動かそうとしても動かなかった身体の各部位に"意思"が宿っていく。
復活した右手の掌を漆黒の地面へ広げ、それを支えに上半身を起こしていった。
身震いしながらも身体を起こしていくと不思議と全身を襲っていた圧迫感が消えていき、
代わりに湧き上がるような高揚感が胸に去来する。
今までと違って明確に全身の感覚が研ぎ澄まされていき、まるで本物の肉体を動かしているような感覚があった。
全身を流れる血の鼓動、肌に触れる空気、鼻先をくすぐる血の臭い。
軍帽を貫いて生えた犬耳で感じる音、スカートから伸びる灰色の尻尾の毛先から感じる風の流れ。
厚手の生地の軍服が毛皮に触れる感触、ちょっと窮屈なブーツの固い感触。
身体の各所に受けた傷の痛み、激しい戦いで疲労した事による倦怠感。
その全てが現実と相違無い物となり、自分が本当に"ミカ"となったのが分かる。
ゆっくりとだがしっかりと両手を付いて立ち上がった。
二つの脚で身体を確かに支え、傷付いた身体を鼓舞するように拳を握り込む。
ブラッドメイデンはそんなミカを見て一旦足を止める。
こちらの変化に気が付いたのか、その赤い瞳を細め目を伏せた。
その瞳にはどこか憐憫なような感情が込められていたが、ミカは気が付かない。
変わりゆく自分の身体と背筋を駆け抜けていく高揚感に身を任せながらミカは思考する。
(俺の中にある本当の"力"……それが今、必要なんだ……)
"自分"の身体だからこそ分かる。
この身体にはあの理不尽な力に対抗する"力"がある事を。
姉の言っていた成すべきことを成すための力が……。
動物的な本能か、それともブラッドメイデンとの戦いで自覚したのかそれは分からない。
仮初の身体であるこの"アヴァター"とミカの精神が完全な同調を始めた事によって自然とその力の使い方も理解出来た。
そしてこの"力"の恐ろしさも一緒に理解する。
(……これを使ったら今までと同じって訳にはいかない、かも……な)
初めて変身した時と違い今度は完全に自分の意思で"変わる"事を選んでしまっている。
もう自分の意思で力の行使を決めた以上言い訳することは出来ない。
それでも――今こそ……全てを解放する時だった。
大切な物を守るために――"ミカ"は絞り出すようにその言葉を叫んだ。
「――Quantum……Pulse……展開!!」
全身からブラッドメイデンの発する粒子と同じ物が噴き出す。
彼女の発していた粒子の量より明らかに多く、周囲へと一気に拡散していった。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!! 全部――全部……! ぶっ飛ばせぇ!!」
ミカの身体を浸食していた粒子に自らが放出した粒子がぶつかって激しく干渉していく。
ブラッドメイデンの放つ粒子とミカの放つ粒子は暴風のようにぶつかり合いそれが周囲の漆黒の闇を浸食し始めた。
それは闇を払うというような生易しい物では無く、周囲の物を分解し、崩壊させている。
ミカとブラッドメイデンの周りだけが漆黒の闇の中不気味に浮き上がり奇妙な空間へ更に奇妙な場所を作り出していた。
「さぁ!! 今度こそ姉さんを返して貰うぞ!!」
――後編へ続く……――。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!