(実質)異世界みたいなメタバースで行方不明の姉を探しちゃダメですか!?

雲母星人
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おいでませQUANTUMWORLD

第56話『私が新社長の――』

公開日時: 2022年5月7日(土) 00:00
文字数:10,927



【2056年8月23日】









【ABAWORLD MEGALOPOLIS 特設スタジアム 『王の御前』】







【――午後15時04分――】








 数日前の激戦が嘘のように片付けられた特設スタジアム。

 砕け散った石床は綺麗に整えられ、戦いの跡は感じられない。

『――この度の日本チャンピオンアバ決定戦も滞りなく終了致しました。これも偏に皆様プレイヤーの皆様のご協力のお陰であり――』

 石で作られた簡素な王座の前では向日田が閉会の儀を執り行っている。

 横には例の社員三人が静かに控えていた。

「あー~なげー。早く終わんねえかなぁ、これ……ふぁぁ……」

 そんな形式的な式典が行われている中、参加したバトルアバとその関係者用に用意された升席。

 通常の観覧席と違ってダイレクトにフィールドと繋がったその場所。

 表彰台に上がるバトルアバが直接【王座】へと迎えるようになっている。

 片岡ハムの関係者である何時もの面子がそこに座り込み、静かに向日田の話を聞いていた。

 あの誕生日会に参加した他の者たちも各々のスポンサー席や一般の観覧席へと移り、同じように閉会式を見ている事だろう。

 そんな中……畳の上に敷かれた座布団へ座ったブルーは相変わらず退屈そうに欠伸を掻いていた。

 お行儀悪く胡坐を掻き、眠そうに頭を揺らしている。

 隣でお行儀良く正座していたミカはそんなブルーを小声で注意した。

「ダ、ダメですよ。大事なお話なんですからちゃんと聞いてなきゃ……」

「オレ、こういう校長先生の話的なの苦手なの。また花でも摘みに行ってくるか……」

「さっきもそう言ってトイレ行ってたじゃないですか……」

「寒いからしょうがねえだろ」

「……随分寒冷化が進んだようですね、日本も……」

「あんたたち何時までバカ話してんのよ。そろそろ出番なんだからシャキッとしなさい――もう表彰よ」

 下らないやり取りをしている二人に同じく升席に座っていたムーンが注意してくる。

『――それではこれより表彰へ映らせて頂きます――』

 気が付けば式典も進み、遂に表彰式へと移ろうとしていた。

「ほれ。おめーの出番だぞ、ミカ。何時までだらしなくしてんだ。シャキッとしろシャキっと」

「……切り替えお上手な事で……」

 ミカが自分の事を棚に上げているブルーにジトっとした目付きを向けていると壇上から声が掛けられた。

『それでは【片岡ハム】所属バトルアバ『ミカ』選手。表彰台へどうぞ』

「はい……!」

 ミカは元気良く返事をして立ち上がった。

 それと同時に周囲の観客たちから歓声が起こる。

 その大歓声に包まれながらミカは升席から進み出るとゆっくりと王座の前へと向かって歩き出した。

 惜しくも優勝を逃したとは言え、それでも準優勝。

 一応は今年のABAWORLDで二番目に強いバトルアバという栄誉を持っていた。

 ミカ本人は間違いなくそこまで気にしていないが周囲は違う。

 既に動画配信などで決勝戦は一般公開されており、あの激戦が多くの目に触れている。

 去年の決勝とはまた違った赴きとなったあの決勝戦はフォーラムなどのSNSでも話題となっており、かなりの注目を集めていた。

 特に……両者が共に変身し、異形となって戦ったインパクトは凄まじく海外フォーラムにさえ取り上げられている。

 ミカが緩い階段を昇って壇上に立つと向日田が顔のヒマワリを回転させて出迎えた。

 彼がミカへ向けて話始める。

「バトルアバ『ミカ』。この度の大会成績によりキミに――今年のランク3と認定する。

このランクは次回大会開催時まで不動の物とします。最も……このランクはあくまで名義上のランクでしかなく

如何なる特権及び褒賞も発生しません。この意味が分かるね?」

 いきなり問い掛けられミカは少し困った。

 ちょっとだけ考えてから自分なりの答えを返す。

「えっと……。今まで通り真面目にバトル……しろって事、ですか……?」

 少し前のミカなら答えられなかったかもしれない。

 でも今は……幾多の戦いを経験し、この世界の人たちと触れ合ってきた今ならそれに答えられた。

 その答えを聞いて向日田は嬉しそうに両手をパンっと叩いた。

「はい、正解! バトルアバの本分はこのABAWORLDのお客様であるアバたちを楽しませる事……。

それを常に意識して忘れないようにね! 彼彼女らが望む物を見せてあげるんだよ」

「……はい――……はい!」

 ミカは自分でも向日田の言葉を反芻するように力強く答えてからビシっと両足のブーツを揃え、直立不動の体勢を取る。

「バトルアバ『ミカ』! 誠心誠意! 頑張らせて頂きます!」

 そう言って見事な敬礼を決めた。

 ポンコツ軍人らしさも抜け、すっかり精鋭の顔付きとなったミカを見て向日田も満足げに顔のヒマワリを揺らす。

 今度は後ろで待機していた女性社員たちに声を掛けた。

「ツバキくん、バトルアバ『ミカ』にトロフィーを」

「はい」

 緑色のウェーブヘアーを揺らしながらツバキは前へと進み出る。

 その手には銀色のトロフィーが大切そうに抱えられており、それを持ってミカの前へと来た。

 ツバキはその赤い瞳で一度こちらを見据える。

 深く、赤い瞳。

 薄緑色の肌にその瞳がとても映えていた。

 背中から伸びている蔓も今日は大人しく足元へと垂れている。

 彼女にも色々とお世話になった。

 ……何かと困らされたこともあったが。

 それでも彼女が親身に協力してくれたのには感謝しかない。

 ツバキは静かに近付くとトロフィーをこちらへと差し出した。

「おめでとう御座います、ミカ様」

「……ありがとうございます」

 ミカはそれを丁寧に両手で受け取る。

 それと同時に周囲から再び歓声が鳴り響き、新しいランク3の誕生を祝福した。

(俺も……これでガザニアさんと同じランク3か……)

 手元のトロフィーをそっと眺める。

 植物の蔓があしらわれたそのトロフィーは良くあるメッキのトロフィーと違って確かな金属の重さを感じた。

「――……今まで、申し訳ありませんでした……――」

「――……えっ?」

 大歓声の中、彼女がとても……とても小さな声でこちらへそう呟く。

 それは本当に心からの謝罪だった。

 その謝罪の理由を聞こうとしたが既に彼女はこちらの傍を離れており、向日田の後ろへと戻っていた。

(どうして……謝ったんだ……?)

 ツバキの妙な態度に後ろ髪引かれる。

 しかし――。

「さぁ、ミカ選手! 落とさないようにしっかり持って帰ってね! 仲間たちが待ってるよ! 早く戻って見せてあげると良い」

「あっ……」

 近付いてきた向日田に促され、ミカは元の席へと戻らざるを得なかった。

 渋々壇上から降り、皆の待つ升席へと戻る。

 ブルーが胸にトロフィーを抱えて戻ってくるミカを見て声を掛けてきた。

「おっ。日本のバトルアバで二番目に強いヤツが戻ってきたぞ」

「えへへ……。これで今日から……ランク3です」

 珍しくお世辞を言ってくるブルーに少々照れながらミカはトロフィーを皆に見せた。

 トラさんがそのトロフィーをしげしげと眺める。

 表面に自身の虎面を映しながら呟いた。

「ほぇ~。準優勝のヤツとは言え意外と簡素な感じやなぁ。まさに報酬は名誉のみって事かいな」

「まぁその名誉が一番の報酬って事よね。これからヤバいわよ~ミカくん。寝首掻かれないようにね」

 脅すような口調でムーンがそう言って来てミカは彼女の言葉の意味が分からず抜けた声を出してしまった。

「へ?」

 ムーンの言葉をブルーが笑いながら補足する。

「ハハハッ! 今日からおめーは挑む立場から挑まれる立場って事だからな。

準優勝なんてちと微妙なポジションだから余計にお手軽な獲物として狙われまくるだろなー」

「え、獲物……」

「……ミカちゃんって絶妙に見た目弱そうやからなぁ……。実力的には弱くないのバトル見てるから分かるんやけど」

「そ、そんなに弱そうですかね……私……?」

 ラッキー★ボーイの言葉に思わず皆へ聞き返すとみんな無言でうんうんと頷いていた。

「何か素人臭さが抜けないのよねー。結構場数は踏んでる筈なのに」

「ミカ姉ちゃんってなんか何時まで経っても弱そうに見えるもん。友達とかに聞いてもえぇ!? 

あのバトルアバ決勝まで行ったのぉ!? って驚かれたしー」

 無邪気な口調で無情な事を言うマキ。

 ミカもそのぞんざいな物言いに我慢出来ず反論しようとした。

「ひ、酷い……! 私だってこれでも――」

 ――ワァァァァァァッ!!

 その時、大歓声が辺りに響きミカの声が搔き消される。

 ミカが振り返ると壇上に巨獅子の姿があった。

「――今年の、いや今年も優勝は【太田興行オオタコウギョウ】所属! バトルアバ『獅子王』選手でーす! おめでとー!」

「うぉぉぉぉぉ! 皆、この獅子王へ応援ありがとう! ガォォォォンッ!」

 向日田社長の横で巨体の獅子王が大きく胸を張って咆哮する。

 それに合わせて周囲から更に大歓声が巻き起こった。

「それではトロフィーをどうぞ! いやー三個も持って行かれちゃったねぇ。百獣の王の名は伊達じゃないって事かな」

 先程ミカが貰った物の数十倍は大きい超巨大トロフィーが女性社員三人に担がれながら獅子王へと運ばれていく。

 ミカはその姿を横目に自分の座布団へ戻り、ちょこんと正座をした。

 獅子王は彼女たちがトロフィーを運んでくる間にもプロレスラーらしく自身の筋肉を見せびらかしたり、

マッスルポーズを取ったりとパフォーマンスに余念がない。

 その姿を見てブルーが呆れ気味に口を開いた。

「流石に三連覇となると慣れてんなー。あのライオっさん」

「……でも獅子の王に恥じない強い人でしたね。凄い人ですよ……本当に」

 ミカはその王者にふさわしい貫禄を見せる獅子王を見つめながら自身の戦いを思い出しつつ言った。

「まぁなー。ただそろそろ飽きてきたよなぁ、あのおっさんのデカい顔見るのもさ――だからさ」

 ブルーは相変わらず邪悪な笑みを浮かべ、こちらへ笑い掛けてくる。

「"次"は吠え面掻かせてやろうぜ?」

 ミカもそれに黙ってニヤリと笑って応じた。

 壇上の獅子王は超巨大な金色のトロフィーを頭上へと掲げ、何度も咆哮している。

 その度に、大歓声が巻き起こった。

 歓声はしばらく続きやがてそれが収まってくると向日田社長が待っていたかのようにしゃべり始める。

「さて! 獅子王選手は王座へどうぞ!」

 そう言って彼は背後に鎮座している王座を手で指す。

「うむっ!」

 獅子王は力強く頷き王座へと向かった。

 彼は王座の横に超巨大なトロフィーをそっと置いてからゆっくりと王座に腰かける。

 巨体の獅子王が座ってもなお余裕のある大きさの椅子だった。

 獅子王がしっかりと王座に着くのを確認してから向日田は再び観客の方へ向き直って口を開く。

『この後は獅子王選手にワールドチャンピオンへのチケットを渡すのですが……ちょっとその前に重大発表がありまーす!』

 重大発表という言葉に観客たちが何事かとにわかにざわついた。

 ブルーとミカも観客たちと同じように顔を見合わせる。

「お? そういやあのヒマワリヘッド、お前の誕生日の時にもそんな事言ってたな」

「なんでしょうね……? 態々閉会式で言うくらいですから相当重大なのでしょうけど……」

「結婚の発表とかじゃねーか? あの社長確か独身だったろ」

「おめでたいことですけど……。この場にはちょっとそぐわないのでは……」

 二人が話していると何時もと変わらぬ口調で向日田は言葉を続けた。

『――僕、向日田理人は今日限りでデルフォニウムの社長を退任しまーす。今までありがとうございましたー!』

『は?』

 それまで騒々しかった観客たちが一気に静まり返る。

「おぉ? 辞めちまうのか、若社長?」

 壇上の獅子王も根耳に水と言った顔で驚いてた。

 暫くその静寂が続いていたが直ぐにスタジアム全体がざわつき始める。

 驚き、困惑し、今の発言の真意を知ろうとした。

「向日田さん……。た……退任ってどういう事なんだ……?」

「おいおい……。マジで重大発表じゃねーか。何事だよ」

 ミカとブルーもあまりにも唐突なその発表に驚き、戸惑った。

「ちょ、ちょっと……。そんな話マスメディアでも一切触れてなかったわよ!? なんでこんな唐突に!?」

「ホンマ急やな……!? ワシまだロクに挨拶もしとらんで……」

 ムーンは驚きのあまり、顔を赤く発光させ、トラさんは髭をピンと張って動揺していた。

「えー! あのお花の社長さん辞めちゃうの? ケーキ持ってきてくれたり良い人そうだったのにぃ……」

「……何か裏ありそうやなぁ……」

 残念がるマキに口元へ手を置いて目を細めているラッキー★ボーイ。

『五年間という長くも短い素晴らしき時間を皆様と共に過ごせた事を心より感謝します。あっ! 

退任と言っても会長職には就くのでこれからもよろしく。それと勤務態度悪くて首になったわけじゃないから、安心してねー』

 向日田はそう言って冗談交じりに言っているが、状況を飲み込めない周囲は今だざわついていた。

『当然僕が若隠居すると後任が必要な訳だけど――その後を引き継ぐデルフォニウムの新たな社長さんをこれから紹介しちゃいまーす!』

 相変わらず軽いノリでしゃべり続ける向日田だったが、それに反して特設スタジアム内は混迷を極めている。

 観客たちは皆、隣り合った者と何事かと話し合い、事態を少しでも理解しようとネットを開いて調べようとしていた。

 片岡ハムの升席でもトラさんたちが困惑した顔付きをしている。

「新社長……? マジで誰なのよ……。そんな候補者いるなんて聞いた事無いわよ……」

「普通なら幹部の役員から選ばれるやろうけど……。デルフォでそんな目立った幹部おったか……?」

「……ネットの方も大騒ぎやな。こらホンマにサプライズって事か――ほれ」

 ネット検索用のウィンドウを眺めていたラッキー★ボーイがミカへとその画面を見せてくる。

 そこには大見出しでこの閉会式の様子がライブ中継されており、閲覧数がどんどん増えていた。

 コメント欄なども突然の事に驚いている書き込みが多く、混乱が感じられる。

 ミカはその画面から目を離し、再び壇上へと目を向けた。

「ではでは~新社長! 壇上へどうぞ!」

 向日田は周囲のざわめきなど何処吹く風と言った様子のまま両手で壇上の奥を指し示す。

 デルフォニウムの社員たちが登場する時に使った通路がそこにある。

 それと同時にどこからかスポットライトが起動し、その通路を照らした。

 ――カツ……カツ……。

 通路の向こうから足音が静かに響く。

 如何にも重そうな靴の音をしており、それが鳴るごとにスタジアム全体が静まり返っていった。

 全員の視線がその通路へと向けられる。

 強い光の中、そのアバはゆっくりとスタジアムへと現れた――。

「……え」

 ミカはその姿を見た瞬間、心臓が大きく跳ねる。



 壇上へと現れたのは――女性だった。

 燃えるような赤毛。

 顔の右半分を覆い隠す長い前髪。

 片方だけしか見えていないのに鋭く光り、意思の強さを感じさせる深緑色の瞳。

 その鋭い瞳に負けないくらい覇気を感じる顔付き。

 通常のアバと違い二頭身では無く、獅子王のような八頭身の背丈。

 明らかに戦闘用に設計されている事が分かるその体形。

 濃い灰色の軍服を身に纏い、同じ色の重厚な軍帽を頭に被る。

 スカート部から見える足には人を蹴り殺せそうな革製のブーツを着用していた。

(お……俺と……同じ……?)

 直ぐにその服装が自分と同じ服装だと理解する。

 そして――その姿を前に見た事あるのも思い出す。

 過去にツバキから姉のABAWORLDでの姿を見せて貰った。

 今……壇上へ上がってきた女性のアバは――完全にそれと一致している。

 自分の心拍数が急上昇していくのを感じた。

「あ? 何かアレ……ミカと服装似てね?」

 ブルーが現れたアバの服装を見て首を傾げている。

 彼が気が付くのも当然だ。

 あの現れたアバとこちらの服装は瓜二つだった。

 ブルーも自分でそう言った後、碧い目を大きく開き驚く。

 バッと壇上の女性へ視線を向けた。

「確かにそうねぇ、同じデザイナーかし……――え? ちょっと待って……え? え……!?」

 ムーンがその言葉に頷いた後何かに気が付き、驚愕したように壇上の女性を二度見した。

 直ぐにミカの方へ振り向き、声を震わせながら口を開く。

「ま……まさか……。あれって……」

 ミカは向日田の方へ歩いていく女性から目を離さず、ただ黙って頷いた。

 ムーンはその動きを見て絶句する。

「はぁ? どうしたんやミカちゃ――ん?」

「またエライ別嬪が来た――はぇ?」

 トラさんとラッキー★ボーイもミカの姿と現れた新社長の姿を見比べ、段々と顔色が変わっていった。

「え? えぇ? えぇ……?」

 トラさんは髭をピンと張って何度もミカとその女性を見る。

「はぁ!? ミカちゃんの姉関連ってイマジナリーシスターとかそっち系の設定やなかったんか!? 

ワイ、ロールプレイだと思ってあんまり触れなかったのに!? あ、あれホンマにれ、例の行方不明の――」

 ラッキー★ボーイは驚き、困惑しながらもミカへ問い掛けた。

 その間にも軍服の女性は向日田の元へ進み出ている。

「みんなどうしたの? そんなに慌てちゃって……?」

 一人事情を飲み込めないマキが動揺している皆を見てキョロキョロとしていた。

「それじゃ挨拶を頼むよ」

 向日田からそう促され女性は一度彼へと浅いお辞儀をした後、観客席へと向き直る。

 その姿を見ながらミカは声を震わせながら口を開く。

「そ……そうです。あれが――」

 軍服の女性も同じように口を開いた。

『私が新社長の――』

 声を張り上げている訳でも無いのによく通る声。

 強い自信とそれを裏付ける能力を感じさせる覇気のある声。

 聞くもの全てが無条件に従ってしまいそうな力強い声。

 そして――ミカ……板寺三河にとっては"家族"として聞き慣れた声……。

 時に自分を鼓舞し、時に自分を叱ってきた声。

『――『板寺寧々香イタデラネネカ』だ』

 彼女――ソウゴの実姉『板寺寧々香』、その人だった。

 自らが探し求めていた人物がそこにいる。

 何か月も行方不明で。

 探すためにこんな世界ABAWORLDまで来て。

 ずっと……その軌跡を追ってきた人物。

 ソウゴはあまりにも突然すぎる再会に声も出せず、ただ呆然と壇上の姉を見つめた。

「イタデラ……え? はぇ!? あ、あれがソ、ソウゴ兄ちゃんのお姉ちゃんっ!?」

 流石のマキもその名前を聞いて目を丸くしている。

 混乱を極める片岡ハムの升席と違い、観客たちは次の社長の威風堂々とした立ち振る舞いを見てまた別の意味でざわついていた。

 何しろ通常のアバであった向日田と違って明らかにバトルアバとして設計されているのが一目で分かる。

 更に穏和だった彼と違ってその刺すような目付きからその女性はどうみても堅苦しい系なのを察する。

 纏う雰囲気も尋常ではなく、立ち振る舞いにも隙が無い。

 まるでどこぞの女軍人のような空気を醸し出していた。

 ある意味で"異形"とも言えるその姿。

 彼女が一体何を言い出すのか観客たちは固唾を飲んで見守っていた。

 恐らく数千を越える、配信なども含めれば数万を越える者たちがネネカへと視線を送る。

 そんな観客たちからの好奇の視線にも一切動じず、ネネカは静かに、だが耳に通る声で演説を始めた。

『ABAWORLDのプレイヤー及びキャストたち。常日頃から我が社の提供するサービスを利用して頂いてる事に

まずはこの場で感謝の意を示したい――』

 そう言って彼女は深々と頭を下げる。

 腰をしっかりと折ったちゃんとしたお辞儀。

 それに合わせて燃えるような長い赤毛が下へ垂れ、落ちた。

 厳つい見た目に反して丁寧な礼節を行う彼女の姿を見て観客たちは少々戸惑ったがまばらに拍手が起き始め、

やがて大きな拍手がスタジアム内を包む。

 その拍手の中、ネネカはゆっくりと頭を上げ、再び口を開く。

『――そして私を社長へと推薦してくれた現デルフォニウム社長『向日田理人ヒマダリヒト』氏と……

同氏の父親であるデルフォニウム創設者『向日田仁ヒマダヒトシ』氏へ感謝の意を……伝えたいと思う』

 二人の人物の名をネネカが口に出した時、観客たちが少なからずざわついた。

「ヒマダ……ヒトシ?」

 ミカは聞き覚えの無い名前に思わずその名前を反芻する。

 こちらの心中を察したムーンが横からそっと耳打ちしてきた。

「――デルフォの一番最初の社長よ。確か故人だった筈――」

「亡くなっているんですか……?」

「そうよ。ほら……【悪夢の五秒】の時にね」

「あぁ……なるほど……」

 自分の父と同じく……彼も【悪夢の五秒】の犠牲者のようだ。

 あの大災害では多くの人たちが亡くなった。

 その前社長の『向日田仁』という人も巻き込まれていてもおかしくないだろう……。

 ムーンの補足を聞いている間にもネネカは話を続けていく。

『恐らく『板寺寧々香』という人間を知る者は少ないだろう。デルフォニウムでの私の立場上、

あまり諸君らの前へと姿を見せる事は無かったからだ。だがABAWORLDのサービス開始時から業務に携わってはいた。

陰ながら皆と共にこの八年間過ごしてきた事は伝えさせて頂こう』

 観客から頷く声が少し聞こえてくる。

 一方、ミカはネネカの予想だにしない言葉に驚愕していた。

(姉さんが……そんな前から……!? そ、そんなのおかしくないか!? だって八年前ってまだ姉さん学生だぞ!?)

 にわかには信じがたい事実だった。

 姉の実年齢を知る身としてはあまりにも突飛すぎる話である。

 姉、板寺寧々香が全寮制の学校に通い、疎遠になっていたとは言え、そんな事一度も耳にしたことが無い。

 その頃からデルフォニウムと関わりがあったなんて全く知らなかった。

(こ、この事……父さんと母さんは知ってるのかっ!?)

『私のような若輩者が社長に就任する事へ対して不安を抱く者がいるのも当然だ。

残念ながら今の私にその不安を払拭するすべは無い――それに今日の主役は私ではなくバトルアバ『獅子王』だ……』

 そこまで言ってネネカは右手を上げ、その指を鳴らす。

 パチっという音と共にその手に一枚の紙が握られた。

 周囲の光に照らされてその金色の"チケット"が一瞬輝く。

『就任最初の私の仕事としてこの世界大会への挑戦権を彼に授与したいと思う――』

 ネネカはそのチケットを持ってスタスタと王座に座る獅子王の元へと近付いていった。

 彼も王座から近付いてくるネネカを見つめながらその大きな手で顎をスリスリ撫でて不敵な笑みを浮かべる。

 傍まで来て二人はお互いに相対した。

「ほう……。お嬢、あんたがあの吸血鬼が言っていた"姫"ってヤツだな……? 

アババトルのテストプレイ担当の……――一応、社長様と呼んだ方が良いかぁ?」

「……好きなように呼べば良い――これを受け取れ」

 ネネカは押し付けるようにしてチケットを獅子王へと差し出す。

「ワールドチャンピオンへ参加するためのチケットだ。日本の代表としてしっかりと戦って来てくれ」

 獅子王はそのチケットを殆ど見ずもせず、ワシっとけむくじゃらの指先で摘まんだ。

 そのままチケットを手の中で握り込むと観察するようにネネカの姿をその二つの瞳で見つめる。

 下から上までじっくり観察し、彼女の野生の狼のように深く鋭い深緑の瞳と目を合わせる。

 獅子の王に見据えられてもネネカは一切動じずその一睨みを受け止め、表情すら変えなかった。

 暫く二人は睨みあっていたが、先に獅子王の方がニヤリと笑みを浮かべてから目を離す。

「噂には聞いていたが……良い目をしてるな! あんた! ガハハハッ!」

 豪快な笑い声を上げる獅子王。

 それから改めてネネカへと向き直って、無邪気な子供のように提案した。

「社長様……! 折角観客たちが集まってくれているんだ! 余興替わりにこの獅子王と一戦――りあう! 

世界へ旅立つ俺への餞別代りに――どうだ!?」

 ネネカはその提案を聞いて一度目を静かに閉じ、口元に笑みを浮かべる。

 獅子王はそれを許諾と思い、一瞬目を輝かせたが直ぐにネネカが首を横に振ったのを見てシュンと肩を落とした。

「――チャンピオンからのお誘い光栄だが遠慮しておこう。……折角観客たちが集まってくれたのに、水を差すつもりは――無い」

 その言葉に肩を落としていた獅子王の身体がピクリと動き、顔を上げる。

「……ほほう? それはこの獅子王相手でも……負ける気は無いと言いたいのかぁ?」

 ネネカは答えず、ただ獣染みた獰猛な笑顔でそれに応えた。

 それから直ぐに踵を返し、獅子王の元から離れていく。

 彼はその背に威勢良く声を掛けながら右手を振っていた。

「社長様! 世界大会から帰ってきた時のご褒美としてこの獅子王! 期待しているからな~!」

 ネネカは王座から離れると再び観客たちの方へ向き直り、告げる。

『諸君、今年も栄冠に輝いたバトルアバ『獅子王』へ万雷の拍手を!』

 彼女の言葉に従って観客たちから大歓声と拍手の渦が巻き起こった。

 ネネカはその大歓声の中、観客席から参加バトルアバたちが待機している升席へと視線を動かす。

「――っ!」

 その左目から覗く深緑色の瞳が升席のミカの姿を捉えた。

 姉と目が合い、ミカの心臓は大きく跳ね上がる。

『そして――惜しくも準優勝に終わったが大会初参加で素晴らしい健闘をしたバトルアバ『ミカ』にも――拍手を』

 その言葉と共に周囲からミカにも拍手が送られてきた。

 片岡ハムの皆も困惑しつつも釣られて拍手をしている。

 一方……ミカはどうして良いかわからずただ呆然と姉からの視線を受け止めていた。

 姉……板寺寧々香は明らかにこちらを見ていた。

 自分の事を間違いなく認識している。

 突然の社長退任。

 突然の姉との再会。

 突然の社長就任。

 何もかも突然の事ばかりでミカの脳は既にショート寸前だった。

(姉さん……。これは一体どういう事なんだよ……)

 ミカが混乱し続けている間にも式典は続いていく。

 ネネカは自らの弟から目を離すと今度は横で待機していた向日田へと話し掛けた。

「私は一旦下がります、向日田"会長"」

「分かったよー。……会いに行ってくるんだね?」

「あぁ――……後は頼む、"理人"」

「はーい。久しぶりの対面楽しんできてね」

 相変わらず軽い調子の向日田を横目にネネカは壇上から降りその姿をスタジアムから消していった。

 それに合わせて今度は晴れて会長となった向日田が観客たちへ呼び掛ける。

『みんなー! この後も投票で選ばれた大会参加バトルアバ同士のエキシビジョンマッチを予定しているから

まだまだ楽しんでいってねー! 『ゆーり~♥♥もふキュート♥』VS『烏賊丸』のアイドル触手ヌルヌルバトル開催だ!』

 ――ピピッ。

 向日田の言葉に観客たちが盛り上がる最中、ミカの身体から通知音がなった。

 直ぐに自身の左腕を撫でてメールウィンドウを出し、誰からの連絡かを確かめる。

 そこには――。

【"最初"の場所で待つ】

 簡素な一文が書かれたそのメール。

 宛名には――『ネネカ』と書かれていた。

 ミカは乱暴にウィンドウを閉じるとすぐさま立ち上がり、移動のためのリンクウィンドウを表示させる。

 リンク移動のための各エリアのアドレスが並んでいるその中からあの場所――自分が初めてこの世界ABAWORLDを訪れた場所を探した。

 そして――その場所……【HANKAGAIエリア】を見つける。

「あぁ? ミカ、急にリンク出して……どうした?」

 横にいたブルーが慌てた様子のミカに気が付き、声を掛けてくる。

 ミカは入力したリンクに右手を叩き付けながらそれに答えた。

「姉さんに! 会いに行ってきます!!」

「えぇ!? お、おいちょっと待て――」

 ブルーが止める間も無くミカの姿は升席から消えていった……――。


 







 




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