(実質)異世界みたいなメタバースで行方不明の姉を探しちゃダメですか!?

雲母星人
雲母星人
雲母星人

第58話『アップロード開始』

公開日時: 2022年5月9日(月) 00:00
文字数:12,306



【2056年8月23日】







【ABAWORLD "VOID" HANKAGAIエリア】







【――午後19時16分――】





 ブラッドメイデンの作った裂け目の中へ飛び込んでいったソウゴの視界に真っ黒な闇が広がった。

 一切の光が存在せず、何も見えない空間。

 一瞬でも油断すれば自分自身さえも見失いそうな空間。

 全てが飲み込まれそうな闇の中、不安が一気に襲ってくる。

 ツバキからの通信も聞こえてこず無音の世界だった。

 しかし――。

(……大丈夫だ。ちゃんと浅間は走ってる……。俺の身体へ鼓動が伝わってくる)

 自らの駆る軍用犬はこの漆黒の闇の中でもしっかりと疾走しており、確かな振動が伝わってきた。

 それは同時にこの空間にも地面が存在する事を伝えてくる。

 その事実に安心感を覚えたソウゴは改めて自身の眼前に広がる闇を見据えた。

 自らの姉を攫っていったブラッドメイデンの姿はどこにも見えない。

(でも……分かる。あいつが何処へ消えていったのか……何となく)

 痕跡など何も残っていない筈なのに何故かブラッドメイデンの消えていった方向が分かった。

 まるで本物の犬が獲物の臭いを嗅ぎ分けて追跡するように、ソウゴも騎士の身体へ染み付き隠せぬ血の臭いを捉える。

 ソウゴはその直感に従い、浅間を駆って闇を走り抜けていった。

 音も無く光も無い虚無の空間を進み続ける"二匹"。

 永遠とも思える時間の中、ただ進み続けていたが気が付けば周囲に変化が生じていた。

 周囲の光景が虚無の黒から薄ら暗い夜の闇へと変わっていく。

(これは……空?)

 何時しか自分と浅間は夜空の中を駆けていた。

 まるで自分自身が空中を走るかのように夜空の中を駆け抜けている。

 自身の周りに星が煌き、どこか幻想的な光景だった。

 あまりにも様変わりした光景にソウゴは思わず眼下へ目を向ける。

 視界に映った物を見て思わず声を漏らした。

「繁華街エリアだ……ここ……」

 いつの間にか自分たちの足元には様々なネオンや商店の明かりが見えている。

 姉と会うために繁華街を通った時は閑散としていたが今は違った。

 大勢のアバたちが往来を行き交い楽し気に会話しているのが見える。

 閉会式が終わってアバたちも街へと繰り出して来たのだろう。

 そんな彼らの頭上をソウゴと浅間は走っていた。

 これだけアバたちがいれば一人くらいは頭上にいる二匹に気が付きそうだったが、誰一人としてこちらを見ていない。

(誰も気が付いてない……。こっちは見えてないのか……? ――あっ……)

 ふと身体が傾くような感覚があった。

 自分たちが走っている道が明らかに傾き始めているのに気が付く。

 どうやらこの透明な道が下り始めているようだった。

 ソウゴは浅間の頭に軽く手を当てて一度撫でる。

「浅間……降りたら止まってくれ」

 その命令に従い浅間がゆっくりと足を止めた。

 周囲を見渡しながらソウゴは呟く。

「……本当に見えてないんだな」

 浅間に騎乗した状態で往来に立ったソウゴだったが誰もそれを見ようとしない。

 バトル告知が行われている訳でも無いのにバトルアバである自分がこんな状態でいれば

少しは騒ぎになりそうだが誰もそれに気が付いた様子すら見せない。

 それどころか――。

 一人のアバがソウゴの正面から歩いてくる。

 当然、こちらは見えておらずそのアバはスタスタと浅間の鼻先へ突っ込んできた。

 一度、浅間が警告のために鼻を鳴らすもそのアバは気が付かず身体ごとぶつかってくる。

 しかし衝突することも無くアバは浅間の鋼鉄の身体とソウゴの身体を通り抜けていった。

『クゥーン?』

 浅間が不思議そうに鼻を鳴らす。

「これじゃ幽霊だ……」

 ソウゴも後ろへ振り返ってその通り過ぎていったアバを見送りながら思わず声に出した。

 見えていないどころか自分はこの世界に――ABAWORLDに存在していない。

 透明人間どころか幽霊みたいな状態のようだ。

 ――ピピッ。

 自身の身体から通知音が鳴り響く。

 ソウゴはブルーと通信する時の癖で左手を耳に当てた。

≪――聞こえますか、ソウゴ様≫

「……ツバキさん?」

≪通信が遅れて申し訳ありません。こちらも準備に手間取っていました≫

「それは良いんですけど――あのここは一体……?」

≪今、ソウゴ様がいる場所はHANKAGAIエリアです。正し……"裏側"のHANAKAGAIエリアとなっています≫

「裏側……」

≪管理及び監視用の裏サーバー――我々はヴォイドエリアと呼んでいます。ソウゴ様が見ているのはあくまでテクスチャ……。

ただの映像に過ぎません。こちらから干渉することもあちらから干渉することも出来ません≫

 ツバキの説明で合点がいった。

 今の状態は立体映像を見ている状態に近いという訳だ。

 だから先程も歩いてきたアバと接触せずに通り抜けたのだろう。

≪本来ならば……ここへアクセス出来るのは当社の管理者のみなのですが――どうやら侵入者はここを通用路にしているようです。

そのせいで感知が遅れてしまいました≫

「あの……ブラッドメイデンさんは一体なぜ姉さんを……? あの人は一体何者なんですか……?」

 ソウゴは当然の疑問についてツバキへ尋ねる。

 姉を誘拐していくのも異常だが、ここが仮想現実という事を考えると彼の行動はもっと異常だった。

 データに過ぎないアバを攫っていくなんて変な話だ。

 ログアウトが出来ない状態にしたと言っても現実の姉へ何かが出来る訳ではない。

 一体何が目的か分からず不気味だった。

 デルフォニウムの社員であるツバキなら何か知っているかと思い、尋ねたが――返事は来ない。

「――浅間、追跡を再開してくれ」

 返事を待つ間に忠犬へと指示を送る。

『バウッ!』

 元気よく一度吠えてから浅間は再び、鋼鉄の四脚を駆動させて走り出した。

 繁華街の地面を鉄の爪が削っていく音だけが周囲に響く。

 アバたちの身体を通り抜けて、道を駆け抜けていくのは非常に不思議な感覚だった。

 それと一緒に別の感覚も感じ始める。

(……近くに――"いる")

 仮想現実だというのに肌がひりつくような物をソウゴは感じる。

 それに本来ならばこの世界(ABAWORLD)に存在しない筈の"獲物の臭い"を鼻孔が捉えていた。

 それまではおぼろげだったが今は完全に自分が嗅覚を持っているのを自覚している。

 あの獅子王との戦いで"変身"してからこのアバ――いや自分の身体に明らかな変化が起きているのを感じていた。

(これが――このバトルアバの……本当の力なのか……?)

 ソウゴが自身の力を自覚し始めていると通信が再び来た。

≪――申し訳ありませんが、我々にもバトルアバ『BLOOD・MAIDEN』の正体と目的は分かりかねます≫

「……そうですか」

≪……言い訳がましいようですが、本当に分からないのです……。ブラッドメイデン自体は何年も前に登録が抹消されており、

しかも……登録されていた使用者は事故で故人なんです≫

「し、死亡済み!?」

 とんでもない事実にソウゴは浅間の上で声を上げてしまった。

≪前にソウゴ様と遭遇したと報告を聞いた際にも調査し、裏を取りました――しかし……今、あのバトルアバを誰が操っているのか

未だ解明出来ていません……。何分既に消滅してしまった企業の所有物だったバトルアバですから……情報が無いのです≫

「じゃあ本当に"亡霊"って事なのか……」

 いきなり話が別方向にきな臭くなり始め、ソウゴは困惑する。

 ツバキは話を続けていく。

≪恐らくソウゴ様も気が付いているでしょうが、仮想現実のアバを攫っても何も現実へ影響を及ぼせません。

そのためあのバトルアバの行動は意図が不明です。ただ……≫

「ただ?」

≪板寺先輩のアバ――『ネネカ』は特別なんです。ソウゴ様のバトルアバと同じく――恐らく敵の狙いはそのデータだと思います≫

 特別。

 自分と同じように。

 納得のいく言葉だった。

 流石に……自分が普通のバトルアバでは無い事くらいもう分かっている。

 そして――このアバが元は姉の使っていた物であるならば……。

 彼の狙いはそこにあるのかもしれない。 

「――そう言えば……ツバキさん。姉の……板寺寧々香の事……知っていたんですよね。

デルフォニウムで働いている事も……。どこにいたのかも……。」

≪……はい≫

 申し訳なさそうな声が通信越しに聞こえてくる。

 ソウゴは浅間を駆りながら尚も問い質し続けた。

「俺がずっと姉さんを必死に探している時も――ずっと俺に隠していた……そうですか?」

 意識せずとも自然と責めるような口調になってしまった。

 今、こんな事を聞くなんて自分でも意地が悪いと思ったが堪えきれず口に出てしまう。

 それでも姉の行方を知っていて黙っていたツバキに対して思うところが無い訳じゃない。

 流石の自分もそれを追求せずにいられるほどお人好しでは無かった。

 暫く黙っていたツバキだったがやがて絞り出すように一言――。

≪…………申し訳ありません≫

 聞いているこちらも心苦しくなってくるような声だった。

(……俺、今最高にイヤなヤツ……)

 その謝罪の言葉を聞いて心にじわっと嫌な物を感じる。

 ツバキにも言えない事情があった筈。

 それを顧みず彼女を責めても仕方がない。

 というよりも……恐らく原因は――。

「……多分、姉さんが黙ってろと言ったんでしょう。姉はそういうヒトだから」

 間違いなく自分の姉が口止めしていたのだろう。

 通信先から返事は無い。

 それを肯定と受け取り、ソウゴは勝手に話を続けた。

「本当に……色々聞きたい事ありますけど……。今、優先すべきは姉さんを助ける事ってのは俺も分かります。

だから――色々と根掘り葉掘りするのは後にします」

≪――ご理解有難うございます、ソウゴ様≫

「でも! これ終わったら絶対全部話してくださいね! 誤魔化しちゃダメですからね! 

流石に俺もここまで分けわかんない事態に関わった以上、部外者じゃ居られませんから!」

 ソウゴはツバキへ向けてそう言い切ると再び意識を追跡している獲物へと向けた。

 浅間と共に走っている内にブラッドメイデンへ近付いているのを明確に感じる。

(止まって――いるのか?)

 どうも彼は移動していないようだった。

 気配というか臭いが動いていないのを鼻孔に捉える。

(何をしているんだ……?)

 不思議に思っているとツバキから通信が入り状況を説明し始めた。

≪現在、この先の広場で侵入者に対し"妨害"を行っています。恐らく足止めにしかなりませんがそれでも仕掛けるには充分でしょう≫

(なるほど……。ツバキさんたちもそりゃ手を打つよなそりゃ)

「そもそも――あの人相手に俺が何かして通用するんですか? 相手……ハッカーみたいなモンなんでしょう?」

 幾らこのバトルアバが普通ではないとは言え、コンピューターに対してプログラム書き換えなどを行う

ハッカー相手に何が出来るのか分からなかった。

 ソウゴがその事を尋ねるとツバキが何故か自信満々に答えた。

≪ご安心を。あなた様の使うバトルアバはそう言った対象にも"対応"出来ます。大船に乗ったつもりで攻撃を仕掛けてください≫

「そ、そうですか……」

(あんまりコンピューター関連に詳しく無いけど、それホントなのか……?)

 にわかに信じがたい話だったが今はその言葉を信じるしか無さそうだった。

 そもそも相手も相手でわざわざ仮想現実のアバを攫うようなヤツだ。

 まともな方法で戦い合えるとは思わない方が良いのかもしれない。

 ふと浅間が指示を出していないのに足を止めた。

 一度、鼻を鳴らしてから威嚇するように正面へ向けて唸る。

 ソウゴも釣られて正面へ目を向けるとそこには――。

「なんだこれ……」

 眼前一杯に緑色が広がっていた。

 植物の蔓のような物が無数に絡み合って巨大な壁を形成しており、更にそれが広場全体を包みこんでいる。

 ここは確かフリースペースに近い場所だった筈。

 少なくとも普段はこんなグリーンインフェルノ状態ではない。

 ソウゴが困惑しているとツバキからまた通信が入る。

≪現在、この区画は【緊急メンテナンス】告知を出して封鎖しております。そのため他のアバは近付けません。存分に暴れてください≫

「……檻って訳ですか」

 さながらこの植物の蔓籠は"凶暴な動物"を閉じ込めるためのフェンスらしい。

 ソウゴは浅間の頭に一度手を当てる。

 ひんやりとした鋼鉄の質感がグローブ越しに伝わって来た。

「……浅間。ここまで良い」

 恐らくここから先の戦いに浅間が参戦することは出来ない。

 自分と違って飽くまで真っ当なアババトルのために作られた存在だ。

 何が起きるか分からない以上、連れていく訳にはいかないだろう。

『クゥーン……』

 浅間は一度悲し気に鼻を鳴らしてからゆっくりと身体を低く沈み込ませて伏せの姿勢を取る。

「――良い子だ」

 ソウゴはその背から降り、ここまで仕事を真っ当した忠犬を労った。

「ずっと一緒に戦って来てありがとう、浅間――大丈夫……。必ずまた一緒に戦場を駆けるから」

 その言葉に敢えて答えず浅間は一度だけその橙色のカメラアイを点滅させた。

 ソウゴは改めてその緑色の檻へと向き直る。

≪これから一部ロックを解除します。その後内部へ突入してください。準備はよろしいですか?≫

 ツバキの言葉を受けてソウゴは黙って頷いた。

 ――パキパキィ……。

 蔓の壁の一部が音を立てて開いていき、そこに隙間が出来る。

 隙間からは中の暗闇が覗き、その闇から隠しきれない血の臭いがしてきた。

 間違いなくそこにヤツはいる。

 そして自らの姉も――。

「――征きます!」

 ソウゴは威勢よく声を上げるとその闇の中へと飛び込んでいく。

 ――パキパキィ……。

 自らの主を飲み込んだその穴が音を立てて閉じていくのを見届けた後、浅間は顔を上げ一際高く遠吠えをした――。

『ウォォォォォォン……』










【ABAWORLD "VOID"エリア】










 ――キィィンッ!

「――っ!」

 内部に飛び込むなりソウゴの犬耳へ甲高い金属音が届く。

 音のした方を見るとそこには凄まじい光景が広がっていた。

 どこかうすぼんやりと緑色の光が満ちる空間。

 その光の正体は内壁の蔓の所々に咲いている花たちだった。

 緑色の花弁が発光し、その光が内部を照らしている。

 その室内の中心部。

 そこに"騎士"はいた。

 ブラッドメイデンは姉を拘束した鋼鉄の処女を左肩に背負ったまま、派手に暴れ回っている。

 相変わらず不気味に紅い光をその瞳から零れさせながら長剣を乱暴に振り回し、何かを切り裂いている。

 彼の周囲では地面から生えてきた"食虫植物"たちが蠢き、牙や棘を振り翳してその身体へと襲い掛かっていた。

 足元には既に打ち倒されたと思わしき、緑色の物体が多数転がっており中々に凄まじい状態だった。

「ツ、ツバキさん……あれなんですか」

≪あれはこちらの防衛機構です。我が社でも最高レベルのカウンタープログラムとなっています――

それでも時間稼ぎにしかならなかったようですね……≫

 ツバキの言葉通り、騎士は襲い来る食虫植物を物ともせず、剣で切り払う。

 時に叩き付け、時に貫き、時に蹴り飛ばす。

 全身を緑色の返り血で濡らしながらも、殆ど彼自体は攻撃を受けていない。

 巨大なアイアンメイデンを背負っているというに全ての攻撃を軽く受け流していた。

 その姿を見てソウゴは戦慄を覚える。

(こ、この人……明らかに戦い慣れてる……。それも"普通"じゃない相手への戦いに……!)

 自分自身が幾多の戦いを経験した来たからこそ分かる。

 目の前にいる騎士はこういった異常な戦いへ――慣れている。

 やがて全ての食虫植物たちは地面に転がる物言わぬ緑色の物体へと成り果てた。

 騎士は一度大きく剣を横凪に払うと血糊を弾き飛ばす。

 地面へ点々と緑色の血痕が飛び散った。

 ブラッドメイデンはそれからゆっくりと顔をソウゴの方へと向ける。

 燃えるような紅い瞳で真っすぐにこちらを見据えてきた。

 その瞳には隠す気も無い激情と隠し通せぬ殺しを終えた後の昂ぶりが見える。

 思わずソウゴの背筋にゾクっと悪寒が走った。

 その悪寒が恐怖によるものか、それとも自分のケモノの部分が反応したのかはソウゴ自身にも分からない。

 それでも臆することなくその瞳へ睨み返し、彼へ話し掛けた。

「ブラッドメイデンさん! 前に助けて頂いた事は一応感謝しています! でも! それとこれとは話が別です! 

どうして姉さんを攫ったんですか! 目的を教えて下さい!」

≪ソウゴ様……。この相手が話に応じるとは……≫

 この期に及んで話し合いをしようとするソウゴに困惑した様子のツバキの通信が届く。

(分かってる……。どう見ても話が通じる相手じゃない事くらい……。それでも……)

 それでも彼が一度は自分とマキを救ってくれたという事実は確かだ。

 だから――ケジメだけは付けたかった。

 そこにいるのが血の通った人間の操るバトルアバだという事を信じたかった。

 ブラッドメイデンはソウゴの言葉に反応したのか背中に背負った鋼鉄の処女を乱暴に地面へと降ろす。

 重苦しい金属音が鳴り響き、ゴロゴロとアイアンメイデンが地面を転がっていった。

 彼は剣を両手に持ち直すと垂直に構え、身体を低く沈み込ませる。

 そのまま切っ先を真っすぐソウゴへと向けた。

 それと同時に今まで感じた事の無いような殺気が返事代わりに彼から放たれる。

 その殺気を真正面から受け止めながらソウゴはふと思った。

(ブルーさんがこの場にいたら……。こう言ってたろうな……)


 ――もうめんどくせーからぶっとばして後から話聞こうぜ!――


 とても乱暴で相手の事情など考えない粗雑な対話法。

 でもシンプルで分かりやすくて――自分に合っていると思った。

(そうだ……! 何時だってやる事は変わらない……! この世界に来てからずっとこの方法で前へ進んできた。ならば――)

 ソウゴは一気に気持ちを切り替えると彼へ向けて叫ぶ。

「――話して頂けないなら……! ぶちのめして色々と聞かせて貰います! 御覚悟を! ブラッドメイデンさん!」

 全身を前にも感じた高揚感が駆け抜けていく。

 自然と口元に笑みが浮かび、瞳に獰猛な光が籠り始めた。

 獅子王の時にも感じたあの昂ぶり。

 しかしその時と違い、何かに操られるような感覚は無い。

 代わりに心へ熱い使命感が突き抜けていく。

 自分のすべきことを自覚し、やるべきことが目の前にある以上悩む必要などない。

 周囲から緑色の粒子が吹き出し、それが自身の身体へ纏わりつき始めた。

(もう……。あの時とは違う……! 姉さんを取り返すために……! ブラッドメイデンさんを倒すために……! 

俺は自分の意思で――"ケモノ"になる!)

【TRANSFORM READY?】

 眼前にあのノイズ混じりのウィンドウが現れる。

 しかし今度はそのノイズが晴れていき、整った形へとなった。

 自分の昂ぶりと心臓の鼓動と同期するようにウィンドウが発光を始める。

 まるで待ち兼ねていたように。

 そのウィンドウは躍動した。

「――トランス……! フォーム!!」

 ソウゴは殆ど叫ぶような声と共にそのウィンドウへ右手を殴りつける。

 ――パキィィンッ!

 ガラスの砕けるような音と共にウィンドウが砕け散った。

 それと同時に周囲を漂う緑色の粒子が自身の身体へと吸い込まれていく。

【TYPE BEAST-Ⅳ MODEL "YAMAINU" TRANSFORM】

「がぁぁぁぁぁぁ!!」

≪これがレプリカじゃない獣素子の……!?≫

 雄たけびを上げてその粒子を身体に吸収していくソウゴにツバキが驚きの声を上げた。

 あっと言う間に緑色の粒子に全身を包まれたソウゴの身体は一つの繭のようになる。

 グチュグチュとその繭は膨らみ蠢き不快な音を立てていく。

 ブラッドメイデンは"変身"を遂げていくソウゴを一瞥すると一気に前方へと踏み込んだ。

 長剣の切っ先を躊躇いなくその繭へ向け、内部の者を貫こうとする。

≪ソ、ソウゴ様!?≫

 ツバキの声が届く前に一切の躊躇いを持たず騎士は長剣をその繭へと突き立てた。

 ――ズグッ……。

 切っ先が埋め込まれた緑色の繭から灰色の粘液が吹き出し、ブラッドメイデンの身体を穢す。

 それでも騎士の紅い瞳はおぼろげに輝き、突き刺した剣を上段へ振り上げ繭ごと中身を両断しようとした。

 しかしブラッドメイデンが剣を動かそうと力を込めても一向に動こうとしない。

 何かに剣先を掴まれ、動かすことも引き抜くことも出来なかった。

「――……変身中に攻撃するなんて……。礼儀がなっていませんね……!」

 灰色の粘液を噴き出す繭の中からぬるりと一本の手が伸びてくる。

 灰色の毛に覆われ、獰猛な獣らしい鋭い爪を生やしたその右腕はがっしりと剣先を掴んでおり、ギリギリと力が込められていた。

 ――ドパァッ!

 一気に繭が二つに裂け、灰色の粘液が辺りへ飛び散る。

 子供のような体格から成長した身体。

 自身の精神状態と呼応してピンと伸びた尻尾と犬耳。

 灰色の毛に覆われた両手。

 前の変身時と違い、瞳は黒く人間性を失っていない。

 更に顔も毛が生えておらず完全に犬化していない。

 あどけない少女の顔付きのままだった。

 それでも瞳には獰猛な輝きをしっかりと秘め、力強くブラッドメイデンの紅い瞳を睨む。

 ソウゴは剣を掴んだまま左手へギチギチと力を込めた。

 毛むくじゃらの指先から濁った白色の爪が露出する。

「――シャァッ!」

 ソウゴは気合の雄たけびと共に左腕を振り被り、ブラッドメイデンへと叩き付けた。

 彼は両手で握っていた剣から素早く左手を手放し、ソウゴから放たれた拳を受け止める。

 相当な腕力で放たれた拳だったが、堅牢な手甲でしっかりと防がれた。

 それでもソウゴの爪はギリギリと手甲へと食い込み、そこから"鮮血"が滴っていく。

(――っ! "痛い"……!)

 剣を握り込んでいた自分の右手からこの世界では存在しない筈の"痛み"を感じ、ソウゴは思わず顔を顰める。

 気が付けば彼と同じように自分の右手からも赤い血が垂れていた。

(彼の攻撃には――痛みがある。それに俺の攻撃にも……多分)

 明らかに普通のバトルとは違う事が起きている。

 お互いに血を流し、痛みを与えあう。

 これは――本当の"殺し合い"だった。

 "二匹"は組み合っている状態から殆ど同時にバッと離れる。

 距離を取り、睨み合い、間合いを図るようにジリジリと動いていく。

 彼の砕かれ歪んだ手甲から自身の血が滴り、右手に携えた長剣からはソウゴの血が滴る。

 ソウゴの右手からも自身の血が滴り、左手の爪先はブラッドメイデンの血に染まっていた。



≪こ、こんな事が……。あちらにも"ペインキラー"機能があるなんて……。本当に何者……≫

 ツバキの動揺した声が通信越しに届くがソウゴの耳には届かない。

 ソウゴはそれよりも自身の心の奥底から湧いてくる不思議な感情に驚いてた。

(どうして何だろう……。こんな気持ちになるなんて……)

 これから始まる戦いは間違いなく凄惨な物になる筈。

 お互いに相手の命を喰い合い、殺し合う――考えられる限りに下劣でロクでも無い戦い。

 だけど――。

(なんで……俺……。こんなにワクワクしてるんだ……?)

 胸の高鳴りが抑えきれない。

 姉を攫った憎い相手の筈なのに。

 ブラッドメイデンに対してどこか親近感さえ覚える。

 そして――何となく彼もこちらに対して同じ感情を頂いているように感じた。

 相変わらずその燃える瞳は激情を隠さずこちらへ伝えてきているが、その光にこの戦いを待ち兼ねたような物を感じさせる。

 騎士は再び剣を構え直すと少し屈んで脱力しつつ、剣を地面へと垂らした。

 ソウゴもそれに応えて、姿勢をとても低くし、動物的な構えを取る。

 お互いに言葉も交わす事無い。

 気が付けば二匹は猛然と駆け出し、剣と爪を交え始めた――。










【東京都 赤羽 デルフォニウム本社地下 危機対策室】





 相変わらず騒々しい室内。

 大型スクリーンにはブラッドメイデンとミカの顔アイコンがくっ付いた状態で表示されており、戦闘状態に入った事を知らせていた。

「バトルアバ『ミカ』、接敵! 戦闘開始しました!」

 PC画面を見ていた社員の一人が振り向いて他の社員たちに報告した。

 それを聞いて初老の社員が焦った様子で聞き返す。

「隔離処理の準備はどうなった!? 獣士が全力でやりあったら繁華街エリアのアバが巻き込まれるぞ!」

「出来てます! 一般プレイヤーを予備サーバーへ移動用意! カウント開始――」

 社員が再びPC画面へと視線を戻す。

 そこには普段通りに過ごしているHANKAGAIエリアのアバたちが映っており、異変に気が付いている様子すら無かった。

「三、二、一……――隔離!」

 カウントが終わると同時に映っているアバたちの姿が一瞬だけ歪む。

 映像の中のアバたちは自分たちが別のサーバーへ移動させられた事に誰も気が付いていなかった。

 その光景を見て室内に安堵の声が漏れる。

「こ、これで何とかアバたちの安全は確保されましたね……。良かった……」

「まさか"戦場"用に用意しておいた予備サーバーを避難所として使う羽目になるとはな……。

本当はこっちで戦ってほしかったぞ……。本サーバーの方のデータぶち壊されまくると困る……」

 初老の男性がスクリーン上のミカとブラッドメイデンを苦々し気に見つめる。

 既に二つのアイコンは激しく動き回っており、戦闘の激しさが窺えた。

「まぁお相手さんが場所選んでくれないんですからしょうがないですよねぇ~――ほらほらイバラちゃんも元気出してさぁ~」

 ヤナギが答えつつ、すっかり意気消沈した様子のイバラを慰める。

「わ、私の可愛いプレデタープランツが全滅……こ……こんなこと許されない……」

 彼女の見つめる画面には【DELETE】と表示されており、データごとあの食虫植物が粉砕された事を示していた。

 その画面を横目で見つつ初老の男性社員は口元に手を置いて額に皺を寄せる。

「……あのハッカー野郎……。明らかに普通の相手じゃないぞ。こっちに出力されたデータ見るとペインキラーも搭載されてるようだし――

まさかQ.M.Pクォンタム・パルスも使えるんじゃないだろうな……? だとしたら弟くんもヤバいぞ……」

「ペ、ペインキラーをなんでハッカー程度が持ってるんだよ!? あれって量子生命体由来の技術だろ!?」

「知りませんよ! どちらのアバもペインキラー全開で戦ってます! 

これまだこっちで痛覚遮断出来ないから下手したら……し……死んじゃいますよ……!」

 想定外の事態に顔を青くしている社員たちを余所にスクリーンの前では

簡易式VRヘッドセットを付けてサポートを行っているツバキの姿があった。

 彼女の視界にはリアルタイムに戦いの様子が反映されている

 脳波同調式のSVRでは無く視界を共有するだけのVRヘッドセット。

 そこに映る視界はソウゴの視界でもあり、あちら側から出力された情報が映像となって共有されている。

 ソウゴが繰り出した爪が相手へと突き立てられ、お返しと言わんばかりにブラッドメイデンから剣が切り付けられていく。

 映像は目まぐるしく移り変わり、戦いの激しさを物語っていた。

「うっ……」

 その映像を見て思わずツバキは呻く。

 本来ならばABAWORLDに設定されていない筈の鮮血が飛び散り、相手の肉を抉り引き裂く戦い。

 スプラッター映画を見せられているような物であり、見ていて気分が言い訳が無い。

 更に通常のバトルアバが耐えられる限界を遥かに超えた速度で二人は動き回っており、それがツバキの目に負荷を与えてくる。

「こ、これが獣士の全力……。くっ……!」

 視界が歪み、フラっとその華奢な身体が揺れた。

「片瀬さん! だ、大丈夫ですか!?」

 倒れ込みそうになるツバキに気が付いた社員が慌てて近寄って肩を支える。

 顔半分が隠れるくらいの大きさのヘッドセット越しにも分かるくらい苦悶の表情を浮かべながらもツバキは気丈に答えた。

「大丈夫……です。実際に戦っているソウゴ様に比べればこれくらい何ともありません……――ただ……椅子をお願いします……。

立ったままだと無理みたいです」

「わ、分かりました!」

 社員が椅子を引っ張って来てそれにツバキを座らせた。

「あと何か要ります!?」

「……袋……袋持ってきてください……」

「袋!? 何の袋!?」

「何でも良いです……。間に合わなくなる前に早く……」

 そう言ってツバキは口元を手で押さえる。

 既に限界が近いのか肩をプルプルと震わせていた。

 その行動に全てを察した社員は殊更慌てたように周囲へ呼び掛ける。

「だ、誰かぁ! 袋下さい! 出来れば中身透けないヤツ!」

 混迷を極めていく室内。

 その中でタブレットを使って別の作業を行っていた社員が何かに気が付き叫んだ。

「ま、待ってください! 板寺特別こも――あっ! 今は社長か! 板寺社長からメール来てます!」

「えぇ~本当ですかぁ~!?」

「先輩からメール!? 内容は!? というかどうやって送って来た、あの人!?」

 イバラとヤナギが慌てた様子でその社員の元へと近付き、そのタブレット画面を覗き込んだ。

 他の社員たちも様子を窺うように作業を行う手を止めてその文面の読み上げを待つ。

 少ししてイバラとヤナギが顔を一度顔を見合わせる。

 それからイバラが顔を上げ、代表するように社員たちへ文面を読み上げた。

「――『リモートでまだ未実装のビースト・パワー・ノードを私へぶち込め』――だそうです……なんて無茶振りを……」

 その言葉を聞いて周囲の社員たちも次々に溜息を漏らす。

「データ容量どれだけ掛かると思ってんだよ、あの女……」

「社長のバトルアバにはまだ半分くらいしか実装出来てないのに……。こ、これから急ピッチでインストールするんですかぁ……?」

「獣素子をインストールするとなるとここのPCだけじゃ回線が足りません。

【デルフォニウム】本体からも回線引っ張ってきます……。これ今日家帰れるのかな……」

 殆どの社員たちが明らかにうんざりと言った表情を浮かべつつも各々準備を始めている。

 巨大な仮サーバー機器を運び、壁から伸びているケーブルをそれに接続していく。

 そんな中イバラは手に持った袋を口元に当てて俯いているツバキへ声を掛けた。

「片瀬先輩! 承認願います!」

 ツバキは声を出さずに俯いたまま頭だけでウンウンと頷く。

 横では社員が心配そうにその背中を摩っていた。

 その様子を一応、了承と受け取ったイバラは力強く宣言する。

「――承認、ヨシ! さぁ! 板寺先輩には久しぶりに暴れて貰いましょう……! 

白沢先輩! インストールセッティング出来てますか!?」

「出来てまーす~」

 PC画面へ向かってキーボードを叩いていたヤナギが画面から目を離さず手をプラプラ振って応じる。

「――ビースト・パワー・ノードをバトルアバ『ネネカ』へインストールします! 

獣素子【TYPE BEAST-REPLICA MODEL "HOUND・DOG"】注入開始!」

「はぁ~い、いっきますよ~」

 ヤナギが景気よくキーボードのエンターキーを叩くと画面へ文字とデータインストーラーが表示された……――。

 

【アップロード開始】


 

 










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