(実質)異世界みたいなメタバースで行方不明の姉を探しちゃダメですか!?

雲母星人
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第48話『……ガザニアさん』

公開日時: 2022年2月1日(火) 00:00
文字数:16,088



【某県 某市】



 薄暗い室内。

 締め切られたカーテンの隙間から夏特有の日差しが漏れており、それが部屋に熱気を籠らせ始める。

 祖父の部屋を仮の自分の部屋として使用しているミカ改め板寺三河イタデラソウゴはタオルケットを半身に掛けて爆睡していた。

 前日の吸血姫『チルチル・桜』との激戦。

 激闘の果てに彼を下したソウゴだったが、流石に疲労を隠せず消耗していた。

 仮想現実なので実際に身体を動かした訳では無い。

 それでも脳味噌の方に相当な負荷が掛かったのか、疲れ切りABAWORLDからログアウトするなり

風呂にも入らず布団へ倒れ込んでしまった。

 ――ピピーピピー……。

 そんな中、自らの電子結晶から喧しく呼び出し音が鳴り響き始める。

「うっ……」

 ソウゴはその音で目を覚ました。

 まだ完全に覚醒し切っていないぼんやりとした頭で電子結晶に手を伸ばし、それを手に取る。

「はい……。板寺です……」

 応答したソウゴの声に答えて、電子結晶から聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 あちらから告げられた内容を聞いてソウゴはタオルケットを跳ね飛ばして飛び起きた――。

「――え!? お、俺にお客さんが来てるぅ!? こんな朝っぱらからぁ!?」






【群馬県 木の芽町 片岡ハム工場】




 快速リニアレールの弾丸のような加速に二回耐え、駅でバスに乗り込み、既に通い慣れた片岡ハムの敷地内へと足を踏み入れる。

 まだ朝とは言え工場自体は稼働し始めているのか、食肉工場独特の臭いが微かに鼻孔をくすぐった。

 ソウゴは息を切らせながら走り、駆け込むように事務室を目指す。

 途中で箒で敷地内を掃除している初老のパート、香苗さんがソウゴに気が付き声を掛けてきた。

「ありゃ? ソウゴくん、おはよう。今日は随分早いねぇ」

「お、おはようございます、香苗さん! ちょっと急用で!」

「あぁ……あのお客さんかい。あれは……"すごい"よ」

 香苗の側を頭を下げながら通り過ぎ、ソウゴは事務室の前に立つ。

 一度息を整えてからその扉をノックした――。

「――入るが良い」

 ノックに答え、事務室内から若い男性の声が聞こえてくる。

 偉そうで尊大さを感じる声。

 声の主が誰かを知っているソウゴは眉を顰めた。

(朝っぱらから人を呼び出した癖に偉そうだなぁ……。そもそも部屋主じゃないのに答えるのもどうなんだよ……全く)

 ソウゴは内心、不満を感じつつもその声に応じて扉を開けた。

 もう見慣れた片岡ハムの事務室。

「あぁ……やっと来てくれたんやな、ソウゴくん……」

 奥の事務机で片岡虎次郎が疲れ切った顔をしながらソウゴへ声を掛けてきた。

 既に来客への対応で疲れ切っているようで、その顔には疲労の色が見える。

 額に刻まれた皺が更に深くなっており、ソウゴが来るまでの一時間で相当老け込んだようだった。

「すみません……。急いできたんですけど遅れちゃって……」

「ええんよ……ええんよ。来てくれただけでええんよ……。ほれ、そこでお待ちかねやで」

 そう言って虎次郎は応接用のソファーへ手を向けた。

「全く、貴族を待たせるとは時代が時代ならその場で処刑じゃぞ! 

我は心をひろぉぉぉく持っておるから許してやるが次は無いと思うのじゃ!」

「……寛大なご沙汰を有難うございます、『香坂桜花コウサカオウカ』さん」

 陽の光に反射して輝く金色の髪。

 宝石のような碧眼。

 陶磁器のように白い肌。

 本当に人間なのかも怪しいほど整った顔立ち。

 町を歩けば九割九分九厘の人が振り返るであろうその美貌に、人を早朝から呼び出した癖に

此方の不手際に憤るその不遜な態度を張り付かせたその美青年。

 この人物こそ、片岡ハムに朝っぱらから殴り込んできた挙句自分を呼び出した張本人。

 バトルアバ『チルチル・桜』……の中の人。

 『香坂桜花コウサカオウカ』だった。

 名前的には日本人っぽい名前だが見た目は西欧系の青年にしか見えない。

 彼は来客だというのに一切の遠慮無く、来客用のソファーでふんぞり返っていた。

 本来ならば許されないような暴虐も彼の美貌の前では何故か許してしまいそうになり、腹が立つ。

 更に、彼の傍には用途不明な巨大段ボール箱が置かれている。

 更に更に……。

 隣では前に事務室へ設置していたあの1/1バトルアバ『ミカ』の人形を侍らせており、親し気な様子で肩に手を回していた。

「しかし面白いモノを設置しておるな。我も一つ欲しいぞ、これは……。持ち帰って我が居城で愛でたいくらいじゃ」

 そう言って馴れ馴れしくミカドールの耳をその細い指で撫でまわす桜花。

「……"俺"をベタベタ触るのはご遠慮して欲しいんですけど」

 仮想現実での自身の写し身へ過剰なスキンシップをされるのはあまり良い気分では無い。

「クククッ……。"俺"か。あちらABAWORLDでの丁寧なお主も良いが、慇懃無礼なこちら現実でのお主も良いではないか」

 ソウゴの不快感ありありな視線を軽く受け止めつつ、桜花はミカドールを名残惜しそうに手放した。

「おぉ……我の元から離れてしまうか……。またそれも次の合瀬で熱が籠るというモノ……」

(……良かったな、解放されて……)

 吸血鬼の無駄な触れ合いから解放されたミカドールの表情はどこか安心している。

 多分気のせいだが。

「さて……。まぁ座るが良い。お主も我の召喚に答えて疲れておろう」

 まるでここの家主のように振る舞う簒奪者。

「全く……お主のぱぁとろんは我を陽の光で焼き滅ぼそうと画策したからな。危うく灰と化すところじゃったぞ」

「ワシは何時も通りに工場来ただけなんやがな……」

 虎次郎が机に両手を置きながら渋い表情でそう漏らす。

 そもそもの事の発端はこの吸血鬼気取りの美青年がいきなり片岡ハムに現れた事だった――。



 ――……朝やなぁ。昨日は流石に飲み過ぎたかもしれへ――……へ?――

 ――遅いのじゃ! 我を焼き殺すつもりか!――

 ――ど、どちら様でしょうか?――

 ――ふっ。我こそは香坂家、大叔父! 『香坂桜花』じゃ! さぁ! 早く扉を開けい!――

 ――い、いや鍵は開いてるはずやけど……――

 ――吸血鬼は未踏の場所には招かれなければ入れんのじゃ! そんなことも知らんのか!――

 ――はぁ……?――


 その後、この香坂桜花コウサカオウカと名乗った青年はソウゴを呼び出すように虎次郎へ命令し、今に至る――。

 ソウゴは一度虎次郎へ目線を向け、座っても良いか一応確認を行う。

 "本来"の家主は諦めたように被りを振って応じた。

(この人の相手を俺が来るまでずっとしていたんじゃ大変だったろうな……虎次郎さん)

 彼の苦労を想いつつ、ソウゴは桜花の真正面へと座った。

「何をしておる、子犬。お主が座るべきはそちらでは無いだろう」

「……は?」

 桜花の言葉にソウゴが虚を突かれていると彼はやれやれと言った様子で立ち上がった。

 スタスタと歩いて何故かこちらのソファー……ソウゴの真横へスッと座り込む。

(は? え? なぜそこ?)

 物凄く近距離からその碧眼に顔を覗き込まれ脳内で疑問符が次々と湧き出た。

(近いんだけど……近いんだけど! なんで態々俺の隣に座るんだよ!)

 幾ら相手が男とは言え、目の前にいるのは息を呑むような美青年。

 そんな相手に見詰められれば少しは動揺もする。

 困惑するソウゴを余所に桜花が口を開く。

「一先ず我を打倒した事……褒めて遣わそう。そして……約束を守ろうではないか」

「や、約束……?」

 何の話か分からないと言った様子のソウゴに少々呆れた表情を見せる桜花。

「なんだ。忘れておったのか? 我を打倒した暁にはお主の姉……板寺寧々香と我の関係に話すと約定したではないか」

「…………え? あっ……!?」

(そ、そう言えばバトル中にそんな事言ってたな!? 完全にそれどころじゃなくて忘れてたぞ……)

 昨日のバトルが凄まじすぎて姉の事などすっかり頭から吹き飛んでいた。

 驚くソウゴを楽し気に見つめながら桜花は悪戯っぽく語り出す。

「お主の愚姉ぐねい……と我は懇ろにしておったからなぁ。月影の落ちる寝所で共に夜を過ごすような仲じゃ」

「そ、それってソウゴ君の姉とコレって事かいな……!?」

 彼の爆弾発言に聞き耳を立てて話を聞いていた虎次郎が思わず声を上げる。

 しかし焦る虎次郎とは対照的にソウゴは至って平静であり、冷めた目を桜花へ向けていた。

「……それが本当なら心の底から貴方を尊敬しますね」

 自身の姉がどんな女性か知っているが故に桜花の発言で動揺する事は無かった。

 寧ろ本当に姉とそういう関係なら驚くべきであり、賞賛すべきである。

 何せ……"あの"姉だ。

 桜花もソウゴの反応を見て、肩を竦める。

 少し息を吐いてからまた語り始めた。

「ふっ……。冗談じゃ冗談。あの女と寝るくらいなら野良犬とでも寝る方がまだ風情があるのじゃ」

 ソウゴは桜花の反応から彼が本当に姉を知る人物だと確信する。

 改めて彼へと尋ねた。

「……姉さんとはどういった関係なんですか?」

「古い"戦友"じゃ。共に轡を並べて戦った仲にと言うべきか」

 それまでの砕けた調子から少し身を引き締めたように目を細める桜花。

(それは……バトルアバとしての戦友って意味か……?)

「奴は……素晴らしい戦士じゃ。姫が手を翳せば"白き"血が辺りを染め上げ、

牙を奮えば死が撒き散らされる……。あぁ……甘美である」

 彼はまるで昔を思い出すかのように、遠い日の……戦いを思い出すように、恍惚とした表情を浮かべる。

 その表情を見てソウゴは思わず、ドキッとしてしまった。

 恐ろしく妖艶で、人間とは思えぬ蠱惑的表情。

 今までふざけて誘惑するような表情を見せる事のあった彼だが、

その……戦いを想い起こす表情が一番……怪しく艶があった。

「……話が逸れたか。まぁ……お主の愚姉と我は古き知己……。そう理解するが良いぞ、子犬」

「……友人」

 自分の姉に友人がいるというのは別段驚くべき事ではない。

 別に孤高の人という訳では無かったのは身近で見ていた自分が一番良く知っている。

「香坂さんが姉さんと友人というのは分かりました。でもそれなら……今、姉さんが何をしているかとか……

所在について何か知りませんか? 今、行方が分からなくなっているんです」

「知らん」

 桜花の素っ気なく素早い返答に思わず、ずっこけそうになるソウゴ。

 彼は吐き捨てるように言葉を続ける。

「分かる訳なかろうが。あの頑固者の石頭の行動など……。大体、所在が定かで無いというのも

お主のぷろふを見て初めて知ったのじゃぞ。こっちがあの大馬鹿者の行方を聞きたいところじゃ」

「そ、それじゃABAWORLDで姉さんが何をしていたか教えてもらえませんか? 

話しぶりを聞くにあっちでも一緒に過ごしていたんですよね?」

 ソウゴの問い掛けに桜花は一度腕を組んでから中空を眺める。

 それから再び、こちらへ目を向けると悪戯っぽく笑みを浮かべながら言った。

「守・秘・義・務があるので言えなーい、のじゃ♥」

「は?」

 とぼけた表情でそう言う桜花にソウゴは思わずボケた声を上げる。

 彼は如何にもわざとらしい口調で再び語り出した。

「いやー我もお主に教えてやりたいところじゃが。守秘義務があってはしょうがない。あー残念じゃー」

 その揶揄うような口調に流石のソウゴも少し怒る。

「こっちは真面目に――」

 そこまで言って彼の言葉に引っ掛かりを覚えた。

 守秘義務。

 会社や企業で業務などをする者が職務上知った事を口外しない義務。

 ここで問題なのはこの吸血鬼気取りの貴族気取りが誰から"口止め"をされているかだ。

「……その守秘義務を課したのは……――デルフォニウムですか?」

 ソウゴは追求するようにそう言うと桜花は肯定するようにニヤリと笑う。

 デルフォニウム。

 ABAWORLDの運営会社。

(……まぁ前々から怪しいというか何か隠してたよな、あの会社……。

ツバキさんは挙動不審だし、社長の向日田さんも何か挙動不審だったし……)

「なんでデルフォが姉さ――うぉっ!?」

「我が話せる事はもう無いと言いたいが……」

 桜花はこの先何を聞くべきか悩むソウゴの首筋へ向けて突如その細い指を絡ませてくる。

 突然の行動に驚き固まるソウゴの顔を自分の方へと振り向かせ、目を合わせてきた。

 今までもかなり距離が近かったがそれを遥かに超える近距離からその碧眼に覗き込まれる。

「なんなら……我と薔薇の撒かれた寝所で共に愛を囁き合えば……。うっかり睦言で口漏らしてしまうかもしれないぞ……? 

どうだぁ、子犬ぅ……?」

(は? は!? はぁ!?)

 突然の"お誘い"に動揺していると彼は挑発的な笑みを浮かべ、今度は指どころか腕全体をこちらの首へと絡めてきた。

「そ・れ・と・もぉ……?」

 そのままグイっとソウゴの身体を引っ張り自身の方へと引き寄せる。

 頭の中で湧き出る疑問符とその妙に力強い腕の力に引き込まれ、

ソウゴの身体は桜花の身体へ覆い被さるようにソファーへ沈み込んだ。

「ちょっ……!?」

 彼は耳元に唇を寄せ、囁いてくる。

「――若さに任せた力づくで我を押し倒し……。茨の寝所で我を啼かせて見るかぁ? 

我の唇を強引に奪い、お主の愚姉についてを引き出すのも一つの理じゃなぁ……」

 耳に当たる吐息。

 どこか甘い香りのする呼気。

「ヒィっ!?」

 背筋に走る怖気で正気に戻り、殆ど突き飛ばすようにしてソウゴは桜花から離れた。

「な、なにするったい!! こん吸血鬼ぃ!!」

 動揺のあまりお国言葉になりつつも桜花から距離を取り、壁際まで後ずさるソウゴ。

 狼狽えまくるその姿に桜花は心底楽しそうに腹を抱えてクスクスと笑っている。

「――なんじゃ初心じゃのう。少し"交流"しようと思っただけではないか……。――さて」

 未だ壁際に張り付いて警戒しているソウゴを余所に桜花はソファーから身を起こした。

「子犬の顔も拝んだ事じゃ。そろそろ我も退散するか――そこの家主よ」

 桜花は事務机から呆然と先程の遣り取りを見ていた虎次郎へと声を掛ける。

「へ? あっ。ワシ?」

「【片岡はむ】の者たちよ! 此度の戦い見事であった。我が【香坂製菓】より褒賞を与えるのじゃ」

 そう言って桜花は置かれた巨大な段ボールを指差す。

「開封せよ、子犬!」

「……え? 俺?」

「そうじゃ! 早くせい!」

 ソウゴはそう命じられるとそっと段ボール箱へと近寄りその封を切った。

 箱を開けると同時に何とも言えない甘い香りが溢れ出す。

 中には大量の菓子類がみっちりぎっしり、所狭しに詰まっていた。

「我が香坂家謹製! 甘美なるしょこらーで詰め合わせぱっくじゃ! それで次なる戦いへの英気を養うが良い!」

 そう言い切ると吸血貴族はツカツカと事務室へ出口へ向かい、しなやかな動きで外へと飛び出した。

 ――バッ。

 外へ出るなりどこから取り出しのか日傘を携え、夏の日差しを遮る。

 影の中、吸血鬼は振り返り呆気に取られているソウゴと虎次郎へ向けて振り返った。

 日光に金髪を反射させ、碧眼を怪しく輝かせながら彼は別れを告げる。

「また……逢うのじゃ、"山犬"よ。次はそちらから我を訪ねてくるが良い――では去らばっ!」

 そこまで言い切ると何故か事務室の扉が勝手に閉まり、桜花の姿が遮られた。

 暫くして外から車の駆動音が聞こえ、やがてその音が離れていった――。

 吹きすさぶ暴風のように吸血鬼が去り、事務室内に平穏が帰ってくる。

「な……なんだったんだ……あの人……」

 ソウゴは心身共に疲れ切り、思わず来客用のソファー座り込んだ。

 まだ色々と開け呆気に取られていた虎次郎が疲労困憊しているソウゴを見て、同情の言葉を掛けてくる。

「ホ、ホンマ朝っぱらからカロリー消費高い相手やったなぁ。大丈夫かいな、ソウゴくん」

「……は、はい」

(本当に……疲れた)

 ソファーにすっかり身体を預け、項垂れる。

 一方、虎次郎は置き土産の巨大な段ボールを見つめて困った顔をしていた。

「この菓子どうすんねん……。持ち帰るんか?」

「いえ……ここに置いておいて下さい。工場の皆さんとかマキちゃんとかに……あげてください」

「せ、せやなぁ……。喜ぶわ、みんな……」

 すっかり消耗し切った二人はお互いに肩を落として深いため息を吐く。

 外では朝の柔らかな日差しが昼の強い日差しへと移り変わろうとしており、熱気が少しずつ事務室へ伝わり出していた――。








【ABAWORLD RESORTエリア 料亭『菊乃』前】





「こ……ここは……」

 古めかしい和風建築にぼんやりとした灯篭の灯り。

 何やら"大人"の非日常的怪しい雰囲気を漂わせるその建物。

 リゾートエリアの主要エリアから少し離れた場所。

 その区画に入る前には年齢確認が行われ、アカウントに登録された年齢が十五歳未満の者は入る事すら許されない場所。

 そして……その区画を進んだ先にあるお店。

(これって……どうみても料亭、だよな……?)

 京都などにある懐石料理などを楽しむための料亭。

 それが目の前にあった。

 当然、現実リアルでも利用したことの無いお食事処であり、仮想現実とは言えそのアダルトな雰囲気に気圧された。

 よくよく周囲を見渡して見れば周りを歩くアバたちが何組もいる。

 その何れも二人組で、しかも腕を組んだり寄り添っていたり、みな一様に距離感が近い。

 こんな場所で一人そわそわと周囲を窺っている少女の姿をした自分。

 その姿は場違いにも程があった。

(浮いている……俺今凄く浮いている……!)

「――あれ? バトルアバのミカじゃないか?――」

「――ここ入れるってことは十五歳以上なのかあいつ――」

「――SS撮ってフォーラムに貼らなきゃ……――」

 当然そんな浮いた行動をしていたら周囲からも目に止まる。

 明らかに視線が集まってきてザワザワとした声も聞こえてきた。

(こ、このままここに居るのは気まずいぞ……)

 居たたまれない気持ちになり、追われるようにして料亭の敷居を跨ぐ。

 そのまま速足で中を進んでいくとこじんまりとした隠れ家的玄関口が見えてきた。

 暖簾は出ておらず代わりに、『菊乃』と達筆な字が書かれた小さい置き看板が設置されている。

 ミカが玄関に近づくと誰かがリンクで目の前に現れた。

「ようお越しくれました、ミカ様……」

 狐のお面を付けて顔を隠した着物の女性。

 如何にも女将と言う雰囲気を漂わせているその人物は軽く頭を下げてお辞儀をしてきた。

(あっ……。この人、NPCじゃない。アバだ……)

 どうやらリズのメイドカフェの様に実際の人間が接客をするスタイルの店舗らしい。

 ミカはその別な意味で異世界感溢れる雰囲気に困惑しつつも、その女性へ話し掛ける。

「あ、あの予約した者なんですけど……」

「あら申し訳ありまへん。当店は一見は通しておりまへんのや」

 突然の入店拒否。

 流石のミカも驚いて声を上げてしまった。

「え!? そ、そうなんですかぁ!?」

 驚くミカを見て狐面の女将は口元に手を当ててクスリと笑う。

「ふふっ。冗談です。こういうとお客さんがお喜びになるんよ」

「そ、そうなんですか……。ビックリしましたよ……――ん?」

 その女将の声を聞いている時に妙な違和感を覚える。

 彼女の声をどこかで聞いたような気がした。

(どっかで……。聞いたよなこの声……?)

「ミカ様の事は存じておりますゆえ……ご心配なさらず……。お連れ様は先にお部屋でお待ちでありんす」

 その声をどこで聞いたのか思い出そうとしている間に彼女は先立って店内へと入っていく。

「御履き物はどうぞ、そのままで……」

「あっ。はい……」

 ミカも思案を一旦中断するとその後に続き、自分の友人について彼女へ尋ねた。

「ブルーさん、もう来てるんですか?」

「ええ。半刻ほど前にはいらっしゃってはります」

「えー……だったらお店の前で待っていてくれればよかったのに……」

 ミカは不満げにそう口漏らす。

 そもそも現実でも行った事の無いようなこの料亭『菊乃』を訪れる事になったのは『B.L.U.E』からのお誘いが切っ掛けだった。

 色々と祝い事好きの彼は本選初勝利を記念して"スペシャル"なところに連れて行ってくれると宣い……このお店を紹介された。

 まさかこんな本格的過ぎる料亭というのは予想していなかったが……。

(しっかし……先に来ているなら案内してくれたって良いだろうに……。ホント、どっかひねくれてるよなぁ……彼)

 ミカが不満たらたらで店内へ進んでいくとそれまでの薄暗い光景からほんの少しだけ明るくなり、

ぼんやりとした灯りが点々している廊下が見えてくる。

「うぉ……」

 思わずミカはその廊下を見て嘆息を漏らす。

(これはまた……。アダルティーというか何というか……)

 内装はここが仮想現実という事を忘れさせるほど和風であり、障子で遮られた部屋が幾つも廊下に並んでいた。

 各々の部屋の前には橙色の灯りを放っている行燈が設置されていて、それが廊下を照らしていた。

 不思議な事にその障子の向こうからは客の声のような物が聞こえ、まばらに人影が見える。

 それが料亭という雰囲気を作るための演出か、それとも本当にその障子の向こうに客がいるのかは判別出来なかった。

 障子の向こう側から届く様々な談笑の声に包まれながら女将とミカは廊下を進んでいく。

 ミカがキョロキョロと物珍し気に周囲を窺っていると女将が足を止めずに話し掛けてきた。

「こちらの障子に映っている影は"飾り"となっておりますゆえ……お気になさらず」

「あっ。実際にお客さんがいる訳じゃないんですね」

「はい……。ウチは秘匿性も売りの一つなので……。通常のあくてぃびてぃと違って完全に独立した個室なんどす。

そのお陰でひっそりと静かに御会談したいお客さんに御贔屓して頂いております……」

(前にガザニアさんと行ったあの牢獄みたいな感じなのね。……だから外に"如何にも"な感じのカップルっぽい二人組多かったのか)

 実際他のアバたちに聞かれず会話するだけならばメールでも、マイルームでも、個室制の店舗を使えば良い筈。

 それでもここを利用するということは逢引"ごっこ"とか密談の雰囲気作りもあるのだろう。

(中で怪しい会話とかしてるんだろうな。廻船問屋と悪代官が悪だくみしてたり……、それを忍者が天井裏から見てたり……)

 明らかに時代錯誤の時代劇脳で室内の様子を勝手に想像しているミカを余所に女将は説明を続けていた。

「それに合わせて今日は全室ご予約で埋まっておりまして……。ウチも儲けさせて頂いております」

「へぇ……凄い人気なんですね……このお店。沢山お金掛かるのに凄いなぁ」

 この料亭はリアルマネーの必要な『守護者たちのおもてなし』と違ってまた別な意味で敷居の高いお店だった。

 完全にゲーム内マネーのみしか使えず、しかも高額。

 ブルー曰く、一度入店するためには馬車馬のように一ヵ月ゴルフゲームをし続ける必要があるらしい。

 正直、意味不明な例えだったが取り合えず大変だということは分かった。

 ミカが素直に感心していると女将は含みのある笑い声を少し漏らす。

「ふふっ……。普段はそうでも無いのですが……ここ最近"色々"とありまして……」

「色々……?」

 女将の妙な物言いにミカが首を傾げていると彼女は足を止めた。

「――着きました。こちらが今日のお部屋どす」

 女将がそう言って手で部屋を指し示す。

 他の障子で締め切られた部屋と同じ個室がそこにある。

 良く見ると他の部屋と違ってこの部屋だけ行燈に明かりが灯っていない。

 まだ"空き"があるという事なのだろう。

 女将は改めてミカの方へ向き直ると軽く頭を下げてきた。

「それではごゆっくり……。何か御用があればお呼び下さい……――それでは……」

 そう言って女将は姿をパッと消した。

「うぉっ!?」

 いきなり消えたのでミカは少し驚いてたじろぐ。

 リンクで移動したのだろうが、突然の事だったのでビックリしてしまった。

「まるで"忍者"だ……」

 廊下に一人残されたミカは今度こそ障子の方へ目を向ける。

 障子に手を掛け、横へスライドさせて開いた。

 室内は十畳ほどの畳が敷かれ、そこに木製の卓が一つ置かれている。

 奥には何故か川(!?)が流れ、微かなせせらぎが聞こえてきた。

 異質過ぎる和室に困惑していると室内から聞き慣れた声が耳に届く。

「よぉ。遅かったな」

 ニヤついた表情を顔に張り付かせた碧髪に碧眼の自動人形。

 自分のオペレーターでもある『B.L.U.E』。

 彼は畳の上に敷かれた座布団の上でお行儀悪く膝を立てて座っている。

 仮想現実なので酒は飲めない筈だが、卓にはとっくりとおちょこがしっかりと置かれていた。

 一人しっぽり晩酌気分を決めていたらしく、どこか顔が朱色に染まっている。

「顔、赤いですね……。それどうやってるんですか」

「おぉ? 知らねーのかぁ、ミカ君? アルコール系飲料アイテムを"使う"とちゃんと酔っぱらう挙動になるんだぜぇ」

 彼は手をプラプラと振って如何にも酔っ払いですと言った動きで身体を揺らしていた。

 ミカはその動きを少々冷めた目で見つつ、自身も座布団に座り込む。

 相変わらずブーツを脱がずに畳へ上がるのは違和感があったがそれでも行儀良く座布団の上で正座した。

 こちらの冷めた視線に気が付いたのかブルーがとっくりを左手に持って口を開く。

「なんだよおめー。お祝いの席だってのにしけた面して。ほれ! お前もグイっといけ! グイっと!」

「の、飲めませんよ。私、未成年なんですから」

 ミカは両手を振って彼から押し付けられたとっくりを押し返した。

「おバカ。本当に飲む訳じゃないんだから心配すんなよ。じゃあお酌しろ、お酌。上司にこびへつらう部下のように注げ」

「なんですか、その例え……」

 彼から手渡されたとっくりを受け取る。

 それに合わせてブルーは自分のおちょこを手に取りミカへと差し出してきた。

 とっくりを傾け、そこに透明な酒を注いでいく。

 ミカがお酌をしているのを見つつ、彼が口を開いた。

「――つーかもう実質二十歳みたいなもんなんだろ? 誕生日今月なんだし。良いじゃねえか少しくらいフライングしてもよぉ」

「一応……誕生日迎えるまでは控えるようにしているんです……」

 彼の言う通り、自分は今月誕生日を迎えれば二十歳になる。

 八月二十二日。

 それが自分の産まれた日だった。

「因みに誕生日プレゼント何が欲しい? 首輪とかで良いのか?」

「そんな物貰ってどうすれば良いんですか……」

「飼い主だからな。ペットに首輪付けるのは義務だろ――去年とかお前、姉ちゃんに何貰ったん? 

参考までに聞いておきたいんだけど」

「なんで姉さんから限定なんですか、いや確かに貰いましたけど……。去年は配信版『新説水戸黄門』の永続視聴権でしたね。

いやぁ……あれは老後の楽しみですよ。五千五百話あるから見終える前に多分先にこっちが死んじゃうでしょうけど」

「……なんだその爺臭いプレゼント……」

 眉を顰めて困惑しているブルーを余所にミカは少し物思いに耽る。

(……誕生日か。俺もそれで成人かぁ……)

 二十歳と言えば成人だ。

 世間一般的で言うところの"大人"扱いされる年齢だろう。

 正直なところ自分が成人になるという実感は殆どない。

 今まで通りの生活が続くだろうし――。

(あっ……)

 そこまで考えて自分の脳裏にある約束が思い起こされる。



 ――ソウゴが二十歳になったら父さんと一緒に飲もうな。たっかいワイン沢山買っておくから朝まで飲むんだ。

自分の息子と飲んだくれるのが父さん夢だったんだ――

 ――父さん、お酒弱いから多分俺も弱いって。多分ワイン一本で二人ともダウンしちゃう――

 ――ハハハッ。それもそうかな――

 ――私なら何時でも付き合います、父上――

 ――ネネカと飲むと多分父さんが先に潰されちゃうからご遠慮しておくよ……――



 今は亡き父との約束。

 残念ながら叶うことは無い約束。

(姉さん見つかったら……お墓にお酒でもお供えしてくるかな。それで約束守った事にしてくれよ、父さん……)

 "ソウゴ"は少し感傷的になりつつも自分の思考を変えるように一度被りを振る。

「流石にオレだけ酒持っても雰囲気アレだし、お前の分もソフトドリンク頼んでおくか」

 彼はこちらの心情には気付いていなかったようでウィンドウを出して何か注文をしていた。

 操作を終えると同時にミカの前に白い液体が入ったグラスが現れる。

 ミカがそれを手に取るとブルーは先程お酌したおちょこをこちらへ向け口を開く。

「それじゃ取り合えず――バトルアバ『ミカ』ちゃんの本選初勝利を祝って……乾杯」

「……乾杯」



 お互いのグラスとおちょこがぶつかり、和室内でグラスの当たる音が響いた。

「そもそもさー。仮想現実でそんな馬鹿正直に年齢制限守るのも馬鹿らしいけどな。

折角、そういう制限取っ払って体験出来るのが売りなんだからさ。見てみろよ、この店――」

 ブルーはそう言って室内に視線を向けた。

「現実だったらオレらの小遣いじゃこんな高級料亭……片足入れた時点でぶぶ漬けぶっかけられて追い返されるぜ?」

「そ、そこまではされないと思いますけどね……。入店自体出来ないというのは確かですけど……。

でもなんで料亭にしたんですか? お祝いならもっと……その賑やかな店でも良かったんじゃないですか? 

昔、行ったあの謎鍋ミニゲームの店とかでも良かったんじゃ?」

 ミカが聞き返すと彼はニヤリと笑ってから答えた。

「ここ来たかったんだよ。でもとある理由で入店出来なかったからな」

「理由……? それは一体……?」

 ブルーは左手を上げると指で輪っかを作る。

「そりゃ"金"だよ! マネーマネー!」

 あまりに現実的な答えにミカがずっこけてると彼は意気揚々と語り出す。

「いやーここ話題になってたから来たかったんだけどさ。丁度オレ、ゲーム内の金使い果たしてたから、

入れなくてさ! そこでお前の出番って訳! 支払い頼んだぜ、ミカくーん」

「――……ってここの払い私持ちなんですかぁ!? こっちのお祝いなのに!?」

 聞き捨てならない言葉にミカが食って掛かると彼はあっけらかんと言い放つ。

「良いじゃん。お前バトルアバだからファイトマネーで金腐るほどあるんだしぃ~。今までオレに世話になったんだしぃ~」

(こ、こいつ……。最初から俺に集るつもりだったな……!)

 ミカが抗議しようとすると彼はそれを制するように持っていたおちょこを置いて、右手を出してきた。

「まぁ、安心しろって。ちゃんと金自体は返すからさ。オレもお前と一緒にバトったファイトマネー自体は月末になれば入るし――

マジで今だけ金無いだけだから」

「……本当に返すんでしょうね」

「天地天命に誓いまーす。あっ、借用書出す?」

「――……はぁ……。一応信じましょう……。あと借用書は要りません。友人からの借金なんてゾッとしませんよ……」

 ミカが大きくため息を吐いていると彼は相変わらず性根の悪そうな笑みを浮かべながら、上機嫌で囀り出す。

「いや~ここマジで来たかったんだよ~。今、話題沸騰中の"アバ不倫"の現場だしさー」

「――……え? こ、ここってあの不倫騒動の場所なんですか!?」

 【アバ不倫】。

 最近世間を騒がせている騒動の通称。

 とある芸能人二人が起こした不義に関する事件。

 彼らが密会するのにこの仮想現実……ABAWORLDを使っていた事で不名誉にも世間で話題になっていた。

 ミカ自身も知り合いのゴシップ好き"アイドル"が興奮しながら話していたのでその話題に覚えがある。

 ブルーは楽し気に話を続けた。

「週刊誌とかだと不倫現場の場所濁してあったけどよ。知ってるヤツが見たら一発で分かるぜ、ありゃ。

この店――『菊乃』だってな」

「このお店を選んだのはそんな事情があったんですか……。ブルーさんらしいと言えばそうですけど……」

 ミカが渋い顔していると彼は嬉し気に言った。

「オレとお前の"爛れた"関係ならこの場所が丁度良いじゃん?」

「……私たちの関係的に爛れたってより"拗れた"ってのが正しいんじゃないですかね。

そもそも爛れてって言いますけど、爛れる以前にご結婚なさっているんですか、ブルーさん」

「秘密。お前らバトルアバと違って一般アバのオレは自分の個人情報大事にしてるんですー。ペラペラ話したりしませーん」

「……まぁ……それは確かに大事な事ですけど……」

 ふざけた物言いだが、彼の言うことはもっともだ。

 バトルアバはスポンサー……つまり企業に所属している関係で自らの情報をしっかり開示している者が多い。

 今日、襲撃してきた香坂桜花もきっちり香坂製菓のホームページに顔写真付きでプロフィールが載っていた。

 ――物凄く煌びやかなヤツが……。

  一方……本来、このABAWORLDの主役とも言える普通のアバたち。

 当たり前な話だが、そのアバを操っているのは現実の人間たちだ。

 そう言う人たちは個人情報を隠すのが普通だと自分でも思う。

 実際、自分も最初にABAWORLDへ来た時は出来る限り隠していた――諸事情で色々公開する羽目になったが。

(そう言えば……ブルーさんって何歳くらいの人なんだろう……? 声は結構若い感じだけど……)

 個人情報の話をしていてふとブルーの年齢が気になった。

 ここに入れるという事は十五歳以上なのは確かだろう。

 未だに飲めもしない酒を煽って管を巻いているブルー。

「大体さー。今日だってチルチルがお前に会い来たらしいじゃねーか。それをオレに伝えないってのはおかしいじゃん?」

「朝早かったですし、嵐のように去って行ったから連絡する暇が無かったんですよ……」

 当然、見た目で年齢を察するのは不可能だ。

 声は結構若い感じもするがこの擦れっぷりと微妙なおっさん臭さを考慮するとそこそこな歳なのかもしれない。

 それこそ本当に既婚者という事も考えられるだろう。

 ただそれだとこの会食が本当に不倫なアレになってしまうが……。

「あっ」

 そんな事を考えているとブルーが急に声を上げる。

「どうしたんですか?」

「おしっこ……」

「は?」

「飲み過ぎた……。トイレ行きたい……というか行く!」

 本当に飲んだ訳でも無いのに、彼は催したようにモジモジと身体を動かす。

 ミカはその動きを呆れながら見ていた。

「……本当の酔っ払いじゃ無いんですから……。早く行って来て下さい」

「わりぃ! ちょっち待っててくれ! 直ぐ済ませて来るわ」

「別にゆっくりしてて――あっ」

 ミカが声を掛ける前に彼のアバは動きをピタッと止めて、胸に【離席中!】と書かれたプレートを持った。

 どうやら本当に急を要していたらしい。

「ブルーさんって割とトイレ近いよなぁ……」

 一人室内に残されたミカは手持ち無沙汰に自身のグラスを口元に運ぶ。

 実際に飲める訳では無いから特に感触は無いが、ちゃんとグラスの中身は飲む動きに連動して減っていく。

 何というか雰囲気を楽しむだけならこれで充分かもしれない。

(料亭体験ってよりこれって"ごっこ遊び"に近いかもなー)

 ――トントンッ。

 そんな事を考えていると不意に障子がノックされる。

「どうぞ」

 ミカが障子の向こうにそう声を掛けるとスルスルと木の擦れる音と共に障子が開かれた。

「失礼致します――あらお連れ様はご退席中で」

 例の狐面の女将が綺麗に正座しながらそこに居た。

 彼女は室内にミカしか居ないことに気が付くとスッと立ち上がり、室内へと進み出てくる。

 手には盆を持っており、そこに何やら皿が載っていた。

「先出しで御座います。【イカの酢和え】です」

 女将は静かな手付きでガラスの小皿をミカの前へと出す。

 目の前には確かに美味しそうなイカの酢の物が並べられている。

 しかしここは悲しいかな仮想現実。

 出されても食べられる訳が無い。

 ミカは態々ちゃんと懐石を出すそのこだわりっぷりに困惑してしまった。

(そ、そんなとこまで再現してるのか……。というか実際に食べられる訳じゃないのにそんな高そうな物出されても

どうすりゃ良いんだ。食べた振りでもした方が良いの? ちゃんと食べた方が良いのか!?)

「ど、どうも――ん?」

 困惑しながら女将の配膳の動きを見ていて妙な既視感を覚える。

 妙に洗練された無駄の無い動き。

 それにやはり聞き覚えのある声。

(――あっ……! も、もしかして……この女将さんって……)

 そこまで考えて今まで感じていた違和感の正体に気が付いた。

 ミカは自身の考えを確かめるために女将が配膳を終えるタイミングで小声で声を掛ける。

「――……山」

「川――あっ!!」

 こちらの"合言葉"に反応して女将がボソっと呟く。

 直ぐに驚いたように身体を震わせた。

 顔に付けた狐面のせいで表情は分からないがかなり動揺しているようだ。

(やっぱり……絶対反応すると思ったよ……ニンニン)

 これは所謂暗号のような物であり、"忍び"にとっての符合である。

 そしてこの暗号に反応するようなバトルアバは自分の知るところ一人しかいない。

「……マホロバさんですよね、あなた」

 ミカがそう言うと女将は暫く逡巡してからやがて観念したように口を開いた。

「……良く分かり申したな、ミカ"殿"」

 今までとガラリと口調を変えた女将。

 開会式の際に同席したくノ一のバトルアバ『マホロバ』。

 口調を変えた今、はっきりとその声が彼女の物だと分かる。

「流石本選出場ばとるあばでゴザル。拙者の正体に気が付いた者はミカ殿が初めてゴザル、ニンニン」

 マホロバは手を合わせて印を結びながらそう答えた。

「なんで忍者がこんな所で女将やっているんですか……?」

 まさかの料亭潜入くノ一とかいう時代劇でも早々無さそうなシチュエーションにミカは戸惑いつつも尋ねる。

 くノ一は持ってきたお盆を胸に抱えつつ答えた。

「所謂へるぷという奴でゴザル。こちらの店主とは知己故、人手が足りぬ時には拙者がお手伝いをしているのであります」

「な、なるほど……」

 彼女は来た時と同じように静かな足取りで出口へと向かっていく。

 帰り際に振り返り言った。

「拙者がここで働いていることは何卒、御内密に……。口止めとしてお出しする懐石のぐれーどを梅から松へと変えておくので

それで手打ちにした頂きたいでゴザル」

「いや別にそんな事して貰わなくても言いませんって!」

 ミカが慌てて否定するも、忍びは自らの口元に指を当ててそれを制した。

「……拙者の正体を看破したご褒美と思って頂ければ良いでゴザル。――次は是非、戦場いくさばにて刀を交えるでゴザル……ニンニン」

 そう言って止める間も無く、ピシャっと障子が閉じられる。

 袖の下を渡されたミカは呆気に取られたまま、固まっていた。

「本当に言い触らすつもりは無いんだけどなぁ……――あっ」

 そうこうしている内にブルーが"鴨撃ち"から戻ってきたらしく、モソっと動き出す。

「戻って来たんですね。お料理もう出て――」

「い、一大事だぞ、ミカ!」

「へ?」

 ミカが声を掛けようとするとそれを遮って焦りながら彼はまくし立てた。

「お前のご主人様、負けちまった! 負けたんだよ、あの魔女っ子!」

「……え?」

 ――ドクンッ。

 その言葉を聞いて心臓が大きく一度跳ねる。

「と、取り合えずこれ見ろって! いやーこれはとんでもねえ番狂わせだぞっ! フォーラム周りも大騒ぎだぜ――」

 興奮した様子でブルーは自身の右腕を撫でる。

 ウィンドウが卓の上に現れ、音声と共にニュース映像のような物が流れ始めた。

『――チャンピオンアバ決定戦において衝撃の結果――』

『――前年準優勝、ガザニア敗れる――』

『――【ウルフ・トライブ】所属、ウルフ・ギャング大金星――』

 次々、流れる音声と映像。

 それは皆、ガザニアとウルフの試合結果を告げている。

 ミカはただ呆然とその映像と音声に耳を傾けていた――。

「さっきトイレで結晶使って他の試合結果見てたんだけどさぁ。ぶったまげたぜ、おい。

まさかあの狼野郎が魔女殿倒しちまううなんて……。今までの戦績から考えたらお前のチルチル撃破以上の衝撃だぞ、これ」

 未だ、興奮冷めやらぬと言った口ぶりでこちらへ説明し続けるブルー。

 ミカはそんな彼の言葉すら耳に届かず、ただ……ただ映像の中で膝を突き、地面へと倒れ伏すガザニアを見ていた。

 ウルフは彼女を撃破し、高らかに遠吠えをする。

 その声に応じて、フィールド全体を大歓声が包んでいた――。

 

 ――準決勝で待ちます――

 

 彼女から届いた応援メールの一文を思い出す。

 正直なところ、自分自身も次の相手は彼女だと思っていた。

 それほど彼女の強さを信頼していた。

 しかし――勝負に絶対は無い。

 自分自身がチルチルという強敵を下したように。

 ウルフもガザニアという強敵を下していた――。

「……ガザニアさん」

 フィールドで蹲る魔女の表情はそのトンガリ帽子に隠されて察しようが無かった……――。







 







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