(実質)異世界みたいなメタバースで行方不明の姉を探しちゃダメですか!?

雲母星人
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第54話後編『こんなにも辛くて――こんなにも悔しくて――』

公開日時: 2022年5月5日(木) 00:00
文字数:10,887


「それでもさー。お前がまだ"人間"でいるつもりなら、その事を――忘れないでくれ。

誰かの願いを――叶え続けてやってくれ。まだ前に進みたいのなら……」








 ――オレハ……――






 ――ネガイヲ……?――





 ――ダレノネガイヲ……カナエル?――






 ――ソレトモトウサン?――





 ――ネエサン……?――





 ――チガウ……――






 ――イマハ……イマハ……――




 



 









 深紅に染まった視界へ倒れ伏す獅子王の姿が映った――。

 自分との死闘を望み、この戦いを望んだその男。

 彼の望みを叶えるそれが自分の……。

 頭の中の黒い物が消えていく。

 代わりに今まで自分が通ってきた道筋を思い出す。



 多くの人たちと出会い、多くの戦いを経験し、沢山傷付いてきた道程を。

 決して楽な道では無かった。

 負けて悔しい思いもしてきた。

 それでも必死に考え、前へと進んできた。

 ここで完全にケモノへ堕ちる事は簡単だ。

 ただ目の前の獲物へ牙と爪を突き立てれば良い。

 だけど……それじゃダメなんだ。

 彼が本当に望むのは"それ"じゃない……。

 "ミカ"は動きを止め、低くしていた姿勢をゆっくりと起こす。

 そして――構えを変えた。

 背は丸め、腰は低く、毛むくじゃらの両手を顔の前に出す。

 右足を前に出し、左足を少し後ろに下げる。

 それは動物の取る構えではなく、理性ある"人間"の使う由緒正しき、ファイティングポーズだった。

 深紅の瞳から少しずつ赤色が抜けていき元の黒い瞳が現れる。

 ミカは倒れ伏す獅子王へ向け、右手を突き出した。

 そのまま掌を上へと返し、四本の指を揃えてクイっとする。

「――獅子王さん……それで終わりですか?」

「――っ!!」

 その挑発するような"言葉"を聞いて倒れていた獅子王の緑色の瞳に驚きの色が広がった。

 完全に理性を取り戻したミカは"人間"らしく彼を煽り始める。

「この程度でダウンするような玉じゃないですよね、獅子王さん! この私に挑戦すると言ったんです! 

まだ勝負チャレンジは終わってはいません! 立ってください! それでもチャンピオンなんですかっ!」

 獅子王は倒れたまま身体を震わせて笑う。

「ふっ……ふふふっ……! 散々人をいたぶっておいて今更良く言うわぁっ! 小娘がぁ!!」

 気勢を吐きながらその巨体を起こした。

「……その様子だと猛犬から飼い主の手を噛んだ悪犬くらいには戻ったようだな……! 軍人娘!!」

「――どうでしょうか。反則スレスレで良ければまだ噛み付きくらいは出来る気合はありますよ!」

「くくくっ! 言うようになったなぁ! うぉぉぉぉぉぉっ!!」

 気合の声と共に獅子王は四本の脚でしっかりと大地に立ち、ミカを睨み付ける。

 しかし直ぐに目を離し視線を下に向けて言った。

「止めだ! 止めだ! こんな姿になってまで戦うのはやっぱりこの獅子王の性に合わんっ!」

 どこか憑き物が落ちたように獅子の姿を否定する。

「――【獣王変化ヒューマンチェンジ】!!」

 一度被りを大きく振ってから獅子王は叫んだ。

 彼の巨体が炎に包まれ、その炎の中から再び獣人の姿となった獅子王が現れる。

「俺はプロレスラーだ! 最期まで二本の足でリングの上で仁王立ちっ! それだけで良い!! ガハハッ!」

 豪快な笑い声を上げながら彼はミカと同じようにファイティングポーズを取った。

 姿を変えたとは言え、その身体は傷付いておりかなり満身創痍なのが窺える。

 だがそれはミカも同じだった。

 正気に戻ってからは全身にダメージを受けているのをはっきりと感じる。

 それに無茶な動きをし続けたからなのか身体の各部が筋肉痛のように熱を持っていた。

 仮想現実だというのに、脳味噌の処理限界が迫っているのをヒシヒシと感じ、自らの限界も獅子王と同じように近い事を察する。

 視界は時折歪み、油断すれば今にも倒れてしまいそうな立ち眩みが何度も襲ってきた。

 それに先程まで自分が行っていた事もしっかりと覚えている。

 まるで本当の動物のように暴れまわり、獅子王を――喰らおうとしていた。

 今でも思い出すと心臓が縮みあがるような怖気がある。

≪よぉ、暴れ犬くん。ストレス発散は済んだか?≫

 殆ど気合で意識を保っていると自分のオペレーターであるブルーの声が通信越しに聞こえてくる。

 そんなに長い間聞いていなかったわけでも無いのに何だか随分久しぶりな気がした。

 何時もの癖で耳元(人間での)に手を当ててそれに応じる。

「――すみません。醜態を晒しました。もう……大丈夫です」

≪ケケケッ。散々暴れ散らした後厚生しましたってかぁ? 今時、不良少年でもそんな面の皮厚くねーぞ≫

「ごめんなさい……」

≪ま、謝るのは後で良いけどさ。つーかマジでその姿はなんなのさ。何で急に狼少女になっちゃってんの? 

遅れてきた反抗期が身体にも影響しちゃったの?≫

「……正直なところ私自身も自分の今の状態はさっぱり分かりません……」

 ブルーの言葉で自分の姿を改めて見るミカ。

 両手は灰色の毛に覆われ、顔も柔らかい毛に覆われている。

 軍服の下にもモフモフとした毛の感触があり、羽毛に包まれているような経験したことの無い感覚だった。

 手で口元に触れると鋭い犬歯が生えているのがはっきり分かり、顔付きも人間の物から犬に近くなっているのがはっきりわかる。

(一体これはどういう事なんだ……?)

 それに視界も何時もの視点より高くなっており自分の体格が大きくなっている事も理解した。

 伸びた腕や足をしげしげと眺めているとブルーが再び通信を入れてくる。

≪今までと違って犬耳付けたなんちゃってコスプレって感じじゃなくて、完全に獣人じゃん。外人受け良さそうだなおめー≫

「……それはちょっと良く分かんないですけど……」

≪やっぱお前って改造疑惑あるよな。これ終わったらデルフォニウムに自首しようぜ≫

「……正直なところ、それもありかなって……。ちょっとこれは異常過ぎますし」

≪まぁ何にせよ――あのやる気満々のおっちゃんをぶっ飛ばしてからだけどな!≫

「さぁどんとこい! 軍人娘ぇ! この獅子王もそう長くは持たないぞっ! ガハハハッ! デカいの一発貰えばダウンだ!!」

 目の前にいる獅子王は両腕を持ち上げ、再びカウンターの構えを取っていた。

 元気そうな声色で言った事の通り、構えた両腕は震えておりかなりのダメージが蓄積しているのが分かる。

 あちらも――限界が近い。

≪あのライオっさん、自分から限界が近いってバラしてら……。まぁお前も似たようなもんだけどさ≫

「ブルーさんには……分かってしまいますか」

 獅子王と同じように自分も限界が近い事をブルーにも知られていたようだ。

 彼は通信越しにも踏ん反り返っているのが分かる声で言った。

≪何年お前のオペレーターやってると思ってんだ。ステータス画面がバグっててもそれくらいは察せられるわ≫

「……まだ半年も経ってませんけどね。気分だけは女房役って事にしておきましょう」

≪それにしてもさっきのお前は凄かったなー。まさしく人が変わったようだったぜ≫

「……因みにブルーさん。全部――聞こえてましたよ」

≪…………え? マジ?≫

「えぇ。一言一句この犬耳に残ってます」

 ミカはそう言って自分の犬耳をツンツンと触った。

≪マジか。出来れば忘れてほしいんだけど。ハズイし≫

 流石に照れが感じられる彼の言葉に思わず微笑む。

「絶対に忘れるつもりは無いので悪しからず……。まぁ流石に他の人に話す気はありませんから安心してください」

≪ホントだろなぁ? 裏切ったら酷いぜ――しっかしあっちはまたカウンターだ。

幾らお前が超★ケモケモパワーあるって言ったって今のテンションの獅子王相手だと完璧に受けられちまうぞ。どうする?≫

 目の前の獅子王は傷付いているがやる気充分。

 緑色の瞳は期待と高揚感に満ちた輝きを見せており、かなりの覇気を感じられる。

 今の自分が凄まじい力があるとは言え――寧ろ力があるからこそそのカウンターは致命傷となるだろう。

「それに関しては、私に良い考えがあります。目にもの見せてやりますよ」

 自分としても無策という訳でも無かった。

 ミカの妙に自信満々な言葉にブルーは不安げに漏らす。

≪……何かそれ嫌な予感するなぁ……≫

「杞憂だと――良いですねっ! 征きますっ!」

 ミカは一気に前へと踏み込む。

「――来るかっ!」

 獅子王も応じて構えを引き締めた。

 正気に戻った後も動物的な速度は健在であり、両手両足をフルに使って飛び跳ねるように獅子王を目指す。

(この速さだって――そんなに維持出来ない……! この一回が勝負っ!)

 既に体力は限界が見えている。

 バトルアバ的なヘルスではなく、現実の自分の体力が持たない。

 この機動攻撃が出来るのはこの一回が限界だろう。

 ミカは更に加速し、更に人間らしい姑息さでフェイントを織り交ぜていく。

 周囲を乱雑に飛び跳ね周り、攻撃タイミングを測らせない。

「くははっ! ここに来てイヤらしく来たなっ! ならば――」

 獅子王は敢えて地面に腰を降ろしどっかりと胡坐を組んで座り込む。

「最早退路無し! この獅子王! 逃げも隠れも何なら避けもせぬぅっ!!」

 それから全身の筋肉を引き締め、硬直させた。

 まるで一つの肉塊のようになった獅子王は更に両腕を顔の前で構える。

 まるで大仏様のようにずっしりどっしり安定感抜群。

 完全なる防御態勢だった。

≪ゲッ! 貝の構え!? 正気かっ!? ライオっさん!?≫

 ブルーの動揺する声が響く。

 確かに残りのヘルスが少ない状況で回避を捨て防御に徹するその構えは失策に見える。

 でもミカには獅子王がその構えに絶対の自信がある事が分かった。

 短い間とは言え死闘を繰り広げて来た相手だからこそ分かる。

(あの構えは――絶対に"打撃"じゃ破れない!)

 殴りかかれば確実な敗北が待っている。

 じゃあどうすれば良いか。

 そんな事、簡単だ。

 殴らなきゃ良いだけ。

 打撃だけが人間の技――じゃない。

「何時だってそうだ! バカ正直に……! 相手の土俵に足を踏み入れてこそ――勝機がある!!」

 ミカは周囲を飛び跳ねるのを止め、一気に獅子王へと飛び掛かっていった。

 両手の鋭利な爪を剥き出しにして、完全に硬化したその身体へその爪を突き立てようとする。

 当然、獅子王は身構える。

 両腕でその大きな顔まで覆い隠し、完全なる一つの筋肉の塊と化した。

(――今っ!!)

 ミカは伸ばしていた爪を飛び掛かる瞬間に引き戻す。

 そのまま獅子王の身体へと優しく抱き着いた。

「むっ!?」

 攻撃が来ると予測していた獅子王は明らかに動揺した声を漏らす。

 当然、攻撃などではないのでカウンターは発動しない。

 ミカはソフトタッチで獅子王の左手へと自身の両腕を絡ませていく。

 その手付きは優しく、だが素早くその太い腕へと両手を食い付かせた。

 獅子王の左手の手首を抱え、更に両足のブーツをねじ込ませるようにしてその左腕を無理矢理固定する。

 変身し伸びた手足だからこそ出来る技。

 カウンターを発生させずに相手へダメージを与えられる技だった。

 流石に意図に気が付いた獅子王も叫ぶ。

「こ、この獅子王にぃ!? 関節技を仕掛けるつもりだとぉ!?」

 ミカは全力でその左腕を引っ張り出した。

 下手に筋肉を引き締めていたせいで獅子王の腕は反動で一気に肉塊から引き摺り出される。

 獅子王の左腕は真っすぐに伸ばされ、肘関節に圧が掛かっていく。

「――今更気が付いても遅いんですよっ!! このまま――極めるっ!!! 圧し折らせて――貰いますよっ!!」

 腕ひしぎ十字固め。

 それはプロレスラーにとって馴染み深くポピュラーな技。

 そして――決まってしまえば例え幾ら力があろうが外すことは困難な恐ろしい技だった。

「な、舐めるなよ!! 小娘ぇ!!! プロレスラーが寝技で――負けられるかっ!!」

 獅子王は咄嗟に自身の上半身を後ろへ一気に倒れ込ませる。

 ミカごと左腕を地面へ叩き付けようとした。

「――っ!!」

 咄嗟にミカは左腕から離れる。

 獅子王の巨大な図体が倒れ込み、地面が揺れた。

 何とかその叩き付けを回避したミカは五体投地状態の獅子王の足へと関節技を仕掛けようと

その丸太のような太い足へと飛び掛かっていく。

 だが獅子王はそれを察したのか先んじてミカの左足を両足で挟んできた。

「ぐがっ!?」

「本物の関節技ってのは――こう極めるのだっ!! 獣王蟹挟み固めぇ!!!」

 獅子王は挟んだ足に自らの丸太のような太い足を絡ませていく。

 その太さに似合わぬ滑らかさで触手のようにミカの細い足へと二本の足が絡み、拘束していく。

 蟹挟み固め。

 足同士を絡め、相手を拘束する関節技。

≪やべーぞ、ミカ! 極められたら終わりだぞっ!!≫

「言われなくてもぉ!! 分かってらぁ!!」

 その蟹挟みから逃れるために自然と身体を回転させ蟹挟みから逃れる。

 逆に緩んだ隙を利用して獅子王の右足へ掴み掛った。

 それからお互いに地面を団子になって転がりながら関節技を掛け合う。

 ミカが関節技を極めようと掴み掛かれば。

 獅子王が巨体を活かして跳ね飛ばし。

 獅子王が剛腕でミカの身体を掴もうとすれば。

 ミカがそれを逆手に取ってその腕の関節を狙う。

 一見すればまるで子供同士の取っ組み合いのように。

 二人はじゃれ合うように。

 しかし当人たちにとっては非常に高度な攻防が行われていた。

 獅子王にとって関節技は当然一日の長がありそこは有利だった。

 だがミカもその速さと小回りを活かしてそこは有利だった。

 極めて近いレベルでの攻防。

 その勝敗を分けたのは――些細な物だった。

(うくっ!?)

 激しい関節技の応酬の最中、ミカの視界が大きく揺れる。

 既に肉体精神、その二つが限界を超えていた。

 あまりにも張り詰めた精神。

 暴走を経験して消耗し切った肉体。

 殆ど気合で支えていたその二つがまるで糸で切ったようにプツッと途切れる。

(し、しま――)

 当然、極限まで高まっていた獅子王が――それを見逃す筈が無かった。

 同じように消耗し切っていたとは言え、今まで経験してきた場数があまりにも違い過ぎた。

 この土壇場でも獅子の王は王らしく――最後まで振る舞う。

 獅子王の二つの瞳が鋭く光り、ミカの隙を捉えた。

 右腕を伸ばし、ミカの首へと巻きつかせる。

 咄嗟に顎を引いて防ごうとしたが間に合わず獅子王の巨腕ががっしりとミカの喉元へ食い込んだ。

≪ネ、ネック・ブリーカー!? ま、不味い!!≫

 ブルーの声が通信越しに聞こえる。

 ミカは必死にその腕から逃れようと悶えたが抵抗虚しく、身体ごと獅子王の胸元に納まってしまった。

 獅子王は容赦なく全ての動きを封じるために両足でミカの足を挟む。

(完全に拘束された!?)

「……終わりだ」

 獅子王が背後から静かに告げる。

 それと同時に喉元へ食い付いた腕へ静かに力が込められていった。

「ぐぅっ……!」

 ギリギリと締め上げれていく自らの首。

 強い圧迫感が身体を襲い、否応が無しに危機を知らせてくる。

 最早カウンターが来ることも気にしていられず唯一フリーな両手の爪を引き出し、首を締め上げるその腕を引っ掻く。

 何本もの引っ掻き傷がその太い腕の表面に出来ていく。

 しかし獅子王は全く動じない。

 ただ……静かに首を締め上げていく。

 ミカの視界が何度も白く染まり、意識が途絶えかける。

 ここまで完璧に極まった締め技から逃れる事は――不可能だった。

「……タップしろ、軍人娘。例えここが仮想現実だろうが、最期までやるのはプロレスの流儀に反する」

 獅子王が静かに言った。

「だ、誰が……!! 俺は諦め……無い……!」

 ミカは顔を真っ赤にしながらもその言葉に抗う。

 獅子王はそんなミカへ囁くように言った。

「――観客たちの事を考えろ」

「……っ!!」

 その言葉にハッとさせられる。

 このまま意固地になって自分の首が圧し折られようが仮想現実だから死ぬ訳では無い。

 だけど……これは飽くまでショーなのだ。

 観客たちには最後まで楽しんで貰わなければいけない。

 自分の"死"を意識させて水を差しては――ダメだ。

 観客の綺麗な決着が見たいという"願い"を叶えなくては――ダメなのだ。

 ミカは手を震わせながら獅子王の腕へとそれを伸ばす。

 そして――軽く三回叩いた。

 タップアウト。

 ギブアップの意思を相手へ伝えるその行為。

 ミカは……敗北を認めた。

「……やはりお前は最高の敵だったな、軍人娘」

 獅子王がミカの行動を見て微笑む。

 締め上げていた腕から力が抜け、首から離れていく。

 解放されたミカは糸の切れた人形のように崩れ落ち、そのまま前のめりに前へと倒れ込んだ。

 そんなミカの身体を獅子王は右手で掴み、支える。

 獅子王は優しい手付きで労わるようにミカの身体を地面へと降ろした。

 それからゆっくりと獅子王は立ち上がる。

 勝者は立ち、敗者は倒れ伏す。

 戦いの場において、最後に立っていた者。

 それが今――決まった。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 獅子王が勝鬨の咆哮を上げた。

 その咆哮は純然たる歓喜が込められ、右腕をバトルフィールドの空へと掲げ、自らの勝利を高らかに宣言する。

 それと同時に試合終了を告げるアナウンスが鳴り響いた。


【ABABATTLE WIN 獅子王 CONGRATULATION】



 それまで遮られていた観客席からの声がフィールドへと届く。

 割れんばかりの大歓声。

 興奮と熱気の坩堝と化したバトルフィールドはそれまでの静かな状況から一転して爆音に包まれる。

 獅子の勝利を祝い、その相手にも惜しみなく送られる大歓声の中、

何もかもが限界の迎えたミカの――板寺三河の視界が白く染まっていった――。

 

 















【ABAWORLD MEGALOPOLIS 特設スタジアム 観覧席】












「おーい。何時まで寝転がってんだ、ミカ」

 その聞き慣れた声にミカの意識は少しずつ覚醒していく。

 そのまま薄っすらと目を開けた。

 視界に屈み込んでこちらの頬をぺちぺちと叩いているブルーの姿が映る。

 まだはっきりとしない意識の中、ミカは自分の置かれている状況を確かめ始めた。

 そこはバトルが始まる前に来たスポンサー用の閲覧席。

 高そうな椅子が幾つも並んだその場所。

 ――ワァァァァァァ!

 部屋の外からは今だ鳴り止まぬ大歓声が聞こえ、少し耳が痛い。

 ミカはゆっくりと上半身を起こした。

 一瞬、視界の低さに少し違和感を覚える。

 どうやらあの大きい身体から元のデフォルメに戻ったようだ。

 両手もすっかり人間の手に戻っており、毛は生えていない。

(一応――"人間"には戻れた、みたいかな……? あれは一体――)

「うぇぇぇぇ!! ミカ姉ちゃぁぁぁぁん!!」

「わっ!?」

 後ろから誰かが力強く抱き着いてくる。

「マ、マキちゃん!?」

 慌てて振り返ると顔をくしゃくしゃにして泣いている白子虎のマキがいた。

 こちらの身体に縋りつくようにして泣きじゃくっている。

「マキずっと試合見てたよ! ミ……ミカ姉ちゃんがやられてるとことか……なんか怖い感じになるとことか……! 

でもちゃんと最後まで……見届けた……! ちゃんと! 最後まで! 見たよっ! ウワァァァァァン!!」

 色々な感情がごちゃ混ぜになってしまったせいかマキは溢れる涙を自分でも止められないようだ。

「ご、ごめん……マキちゃん。心配掛けちゃって……」

 マキに縋りつかれて困っているミカを見てブルーが揶揄うように言った。

「あーあー。泣かせやがって……。お前ってホント女泣かせだな。ロクでも無いヤツだぜ、全く」

「……身に覚えの無い謂れを増やさないで下さい」

「だってよー。横見てみろよ、泣いてる女がもう一人いるぞ」

「――え?」

 ブルーが指差した方を見るとそこに灰色の機械的なボディを震わせているムーンの姿があった。

 目元に手を当てて隠し、肩を震わせている。

「あ、あたしは……泣いてないわよ……! ちょっと感極まっただけだから……!」

「ムーンさん……」

 彼女は必死に溢れる感情を抑えつつも気丈に言葉を続ける。

「く……悔いは無いわ……! 間違いなくこのアババトルは……語り継がれるっ! 

それと同時にあんたのデ……デザイナーであるあたしの名前も……! 伝説と……な……――」

 それでも途中で我慢し切れなくなったのか思いっ切り言葉を詰まらせる。

 やがて――咽び泣き始めた。

「ぢぐじょぉぉぉぉ……。あ、あだぢもここまで……ごごまでぎだがらにはぁ!! がぢだがっだぁ!!」

「……すみません」

「あんだばあやまんなくでいい!! よぐやっだわっ!!」

 そのオンオンと咽び泣く姿を見てミカは段々と実感が湧いてくる。

(そうか……俺は……)

 堰を切ったように派手に泣き始めるムーンに横からそっとラッキー★ボーイが近付き、その背中を摩った。

「おうおう泣け泣け、ミズキちゃん」

 ムーンは摩られるがままにただ静かに泣き続けている。

 そこでミカは片岡ハムの面子の姿が一人無い事に気が付いた。

「あのラッキーさん……。トラさんは……?」

「おぉ。あいつはデルフォニウムの運営の方へ行っとるわ。負けた時の処務があるみたいや。ま、スポンサーやからしゃーないわな」

「そうですか……」

 ミカが頷くとラッキー★ボーイが少々顔を上げて口を開く。

「いやー。でもワイも凄いモン見せて貰った気分や。ミカちゃんと知り合った頃はアババトルなんて大して興味なかったんよ、ワイ。

でも……ずっとバトル見てきて……。何か色々考えさせられるモンあったなぁ……」

 ラッキー★ボーイの言葉を聞いている内に何故か段々と胸が締め付けられるような感覚があった。

 その感覚の正体に自分でも気が付き始める。

「今日のバトルもそうや。ワイみたいな素人でもあの二人が死力を尽くして戦ってるが分かったし……」

 自分が負けたという事実。

「何か起きる度に一喜一憂して……。気が付いたらワイまで一緒になってフィールドで戦ってるような気分になって……」

 獅子王に敗北したという事実。

「エライ暴力的ではあるけど、どこか気高さを感じるというか……何というか……」

 ガザニアとした再戦の約束も。

 ウルフとした勝利の約束も。

 姉から言い渡された目標も。

 守れなかった事実。

「気が付いたらワイもちょっと泣きそうになってて……」

 自分を支えてくれた人たちの期待に応えられなかった事実。

「ミカちゃんがあのデカい獣人にプロレス技掛けられた始めた時はみんな一緒になって必死に叫んで応援してて……」

 全力でやって、死力を尽くして、負けたという事実。

「それでもミカちゃんが負けて……倒れ込んだ時はホンマ……。頭真っ白になってもうたよ、ワイ」

 溢れ出す様々な感情。

 悔しさや口惜しさ。

 後悔や反省。

 片岡ハムのみんなや今まで応援してくれた人たちの"望み"を叶えられなかった自分への憤り。

 抑えようと思っても抑えきれない感情の渦が胸中から溢れ出す。

「――うっ……うぅ……あぁ……!」

 気が付けばミカは涙を流していた。

「ごめん……なさい……。お……俺ぇ……!!」

 グチャグチャになった感情を抑えようとミカは自分の顔を手で押さえつける。

 しかし一度零れた水は止めようが無い。

 零れる涙は雫となって顔を伝っていた。

「ムーンさんがあんなに対策用意してくれたのにぃ! ブルーさんがあんなに作戦考えてくれたのに……!」

 男がこんな人前で泣き出すなんて自分でも情けないと思いつつも涙を止める事が出来なかった。

「み……みんながあんなに……! 頑張ってくれたのに!! あんなに色んな人たちにぃ……! 

応援して頂いたのにぃ!! うぅ……!! あぁ…………」

「ちょっ!? ちょっとどしたんいきなりミカちゃん!? ワ、ワイ何かあかんこと言ってもうた!?」

 それまで平静を保っていたミカが急に泣き出したのでラッキー★ボーイは慌てふためいた。

「うぁぁぁぁぁぁぁ!! あぁぁぁぁぁ……!!」

「あちゃー。泣いちゃったかー。結構耐えてると思ったんだがなぁ」

 遂に耐え切れず肩を震わせて号泣しだすミカを見てブルーがラッキー★ボーイに責任をおっかぶせてきた。

「ラッキーの爺さんさぁ……。泣かすんじゃねーよ」

「いや!? ちょ、これワイが悪いん!?」

「どうみても爺さんの責任だろ。ったく。しょうがねえ女泣かせだぜ」

「えぇ……!?」

 三人くらいが泣き出し収集が付かなくなった閲覧席でラッキー★ボーイがオロオロとしていた。

 ブルーは助け舟を出す気も無く、寧ろ煽るようにそれを茶化す。

 負けたというのにどこか和気藹々とした雰囲気に包まれていた。





 板寺三河はその日初めて知った。

 自分のすべてを出して負ける事が……。

 こんなにも辛くて――こんなにも悔しくて――。

 心が抉られるような気持ちになる事を……。

 それでも得られた物が無かった訳では無い。

 自分のすべき事に気が付く事が出来たのだから。

 それは――これからの"戦い"において大きな力になる事は間違いない。

 しかし……同時に願いを叶え続ける行為そのものが自らの"人間性"と引き換えになる……。

 その事をまだ板寺三河は知らなかった……――。








 







【東京都 赤羽 デルフォニウム本社 社長室】










 板寺寧々香は画面の中で獅子王にネックブリーカーを極められ、倒れ伏す自らの弟を静かに見ていた。

 その表情はどこか安堵し、喜びさえ見える。

「なんじゃ愚姉。自らの弟が敗北したのに笑いおって。気味が悪いわ」

 そんな寧々香に桜花が茶化しを入れた。

 しかしそう言う桜花の表情もどこか安堵している。 

 その部屋にいる全員が似たような表情をしていた。

 何せあのまま板寺三河が獣から戻らなかった場合……自分たちが止めに行く事になっていたからだ。

 板寺寧々香は少しだけ緩み始める部屋の面々を一瞥してから向日田社長へと顔を向ける。

「向日田社長。予定通り準備を始めさせて頂きます」

「ん。分ったよ。もうここまで大々的に獣士見せちゃったしねー。

【協会】も動き出すだろうし――【ギの氏族】も動き出すだろうからね。戦時体制へと……移行しようか」

 そう言って向日田は椅子をずらして社長机から立ち上がった。

 少々名残惜しそうに机の表面を撫でる。

「いやー。短い間だったけどここに座れてよかった。これで楽隠居出来るよ」

「隠居って程御隠れになれるとは思いませんけどねぇ~。むしろこれからの方が忙しいんじゃないですかぁ~?」

 自分が出撃せずに済んで気の抜けたヤナギが一人晴れ晴れとした顔をしている向日田へ言った。

 それ聞いて露骨に顔を顰めた彼は相変わらず大企業の社長とは思えない軽さでそれに応える。

「ボクがこれで名実と共にお飾りとなれるんだよ? そんな悲しい事言わないでよ、白沢君」

「普通の企業の社長はお飾りである事を喜びませんよ……」

 向日田の問題発言にイバラが呆れた表情を見せる。

 その呆れた様子にも気にした素振りを見せず寧ろ上機嫌で彼は言葉を続けた。

「良いんだもん~。ウチデルフォニウムはまともな企業じゃ無いからね! ――さぁ! みんな! 

これから忙しくなるよ! 閉会式とかもあるからね!」

 場を引き締めるように向日田が大きな声を出した。

 それに合わせてデルフォニウムの社員たちも緩んでいた空気から一転して表情を引き締める。

 社員たちが動き始めるそんな中、桜花は寧々香へと話し掛けた。

「……仔犬へ会いに行かなくて良いのか?」

 寧々香は画面に映るミカの姿から目を離さず応える。

「……今更どんな顔をして会いに行けというんだ。それに……嫌でも数日後には顔を見せる事になる」

 相変わらず意固地な寧々香に眉を顰める桜花。

「本当にお主は愚姉じゃなぁ……。あー可哀想な仔犬よ……。弟の苦労姉知らずとはこの事じゃ」

 呆れて物も言えないという風情で再びソファーへ背中を預け肩を大きく竦めた……――。







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