【ABAWORLD MEGALOPOLIS 七草邸洋館】
洋館へ足を踏み入れるなり、ジメジメとした湿った空気が肌を擽る。
幸いABAWORLDに嗅覚を感じる機能は無いので匂いは無いがこれが現実だったらカビ臭さ、さえあっただろう。
室内は暗く、照明と呼べる物は全て壊れているか、機能していない。
しかし真っ暗では無くギリギリ足元が見えるくらいには視界が確保されている。
だが少し前を向けば暗闇が広がり、進む先を照らしてくれる物は何も無かった。
「……っ」
鼻息荒く洋館内へ殴り込んだガザニアもその雰囲気から出鼻を挫かれたように足を止める。
ミカの方はこれから待ち受ける極上の恐怖体験への絶望で身を震わせていた。
(こっわ! こわ! なにこれ怖っ!? 雰囲気がガチすぎるだろこれ!?)
洋館自体はそこまで大きく無い建物の為、玄関から直ぐに応接間が薄っすらと見える。
恐らくそこへ向かって取り合えず進むべきようだった。
――キキッ……バタン!
突然、軋むような音が響いた。驚いた二人はビクッと身体を震わせて後ろへ振り返る。
入ってきた扉が音を立てて閉まり、出口が封鎖されていく。
脱出口を塞がれたミカとガザニアは前へ進むしかなく、軋む床を踏み締めながら歩き始めた。
一歩進むごとに腐りかけの床からギシギシと音が響き、またそれが不安を煽る。
最初は自身のブーツが床を踏み抜いてしまう事を危惧していたミカだが
進む内にそんな事を気にしている場合では無くなってしまった。
「……ヒッ!?」
応接間に辿り着いたミカはその様相を見て短く悲鳴を漏らす。
玄関からは分からなかったが応接間が暗い原因は灯りの無さだけでは無かった。
血だ。
床の所々には乾いた赤黒い染みがあり、更にそれが壁にも飛び散っている。
室内の古ぼけた装飾品にも血が付着し、素晴らしく嫌な染色がされていた。
それらが応接間を黒く染め上げ、闇を作り出していた。
(ひぃ~!! 開幕からスタートダッシュかよぉ!! B級映画でも、もうちょっと溜め置くぞ!!)
その惨状を目の当たりにしてここで何が起きたかというのをミカは否応無しに察してしまう。
ガザニアもその光景を見て嫌悪感を滲ませながら声を震わせていた。
「……ふ、ふん。陳腐な物ですね……所詮は作り物で――」
『――ようこそ……お客様方』
「ひぃっ!?」
「ひゃいっ!?」
突然、何処からか声が聞こえ、二人は殆ど飛び上がるように驚いた。
その声の正体を探そうと慌てて辺りを見渡す。しかし姿は見当たらず声だけが続いた。
『今宵は当館……【七草邸】へご足労頂きありがとうございます』
その声は女性の声だった。
『この七草邸は痛ましき事件により長らく閉鎖されていましたが……。
あなた方は久方ぶりのお客様。皆、歓迎しております』
――ガタガタガタッ!
『――ウォォォォォォォン……!』
その声に合わせて洋館全体が地震のように震え、地の底から響いてきたみたいな低い唸り声が聞こえてくる。
住人の方々もミカとガザニアを大歓迎しているようだった。
『今日は素晴らしき事に遠方より当館の"主"がご帰宅されています。是非、ご歓待のほどを期待ください……』
「あっ……主?」
嫌な予感しかしない単語。
一体どんなモノが待ち構えているというのか……。
ミカが戦々恐々としていると二人の前にウィンドウが現れた。
『入館前にそちらの誓約書へサインをお願い致します』
二人が恐る恐るその"誓約書"を覗き込む。
ウィンドウには所謂注意書きなどが書かれていた。
しかし――。
(――……多いぞ、これ!? 何枚あるんだよ!)
何ページにも渡って注意書きが書かれており、しかもページごとに誓約書へのサインが必要だった。
明らかに常軌を逸した量であり、このお化け屋敷の異常さが分かる。
誓約書には【クレーム権の放棄】【途中脱出不可】【持病の有無】【危険なため走るの禁止】など
物騒な単語が並んでいる。
それを読んでいるだけでこの館から逃げ出したいという気持ちがどんどん強くなっていった。
「……ふん」
ミカがその誓約書の量に狼狽えているとガザニアは大して内容も読まずに
誓約書へ右手を押し付けサインをしていった。
「ちょっ!? だ、ダメですよ! ちゃんと読まないと!!」
「……どうせ大した事など書いていないでしょう。社交辞令のよう――きゃぁっ!?」
――ガシッ!!
彼女が最後の誓約書にサインするのと同時に突如真っ白い腕が床からウィンドウへ伸びてきてそれを掴んだ。
突然の奇襲にガザニアも思わず女の子らしい悲鳴を上げる。
白い腕はウィンドウを乱暴に奪い取ると再び闇へと消えていく。
物凄い強引に誓約書を受領されたガザニアは腕が消えていった闇を憎々し気に睨んでいた。
『サインを"しっかりと"確認いたしました。それでは当館をお楽しみ下さい……ふふふっ……――』
不気味な案内人の笑い声と共に正面の壁に二つの蝋燭が灯った。その灯りに照らされて闇の中に扉が見える。
――キキィ……。
軋みを上げてその扉が開き、進むべき……いや退路を塞がれている以上進むしかない道が現れた。
そこもやはりロクに灯りなど用意されておらず完全なる闇が広がっている。
ガザニアはその扉を無駄に意思の強さを感じさせる瞳で見据えてから、キッとミカの方を向いてきた。
「……行きますよ、駄犬」
その覚悟を完全に決めた表情にミカは抗うことも出来ず、"ご主人様"に従う。
「……もうどうにでもしてください」
二人はお互いに周囲を警戒しつつ、その扉の向こうの闇へと歩き始めた――。
「――ひぃん!?」
窓の外を"何か"が通り過ぎ、ミカは悲鳴を上げた。
更に足元の暗がりから得体の知れないモノがブーツに触れる。
「い、今なんか触った!! 絶対触った!」
嫌悪感と恐怖で全身を震わせながらも必死に顔を下げて、足元を覗き込み、その正体を確かめようとした。
「――ぎゃぁ!?」
『キャハハハッ……!』
真下に青白い子供の顔があり、その不気味な赤い眼と目が合ってしまう。
不意打ちを喰らってミカは思わず尻餅を付いてしまった。
倒れた衝撃でスカートがバサッと音を立て、床から埃が舞い散る。
いきなりの事で状況を理解出来ずミカは呻いた。
「――うぅ……――え? どわぁぁぁ!?」
倒れたミカの両足を何かが掴みどこかへ引っ張ろうとしてくる。
ズリズリとミカの身体が床を滑り始め、埃が舞った。
「は、離せ! こんちくしょう!」
悪態を吐きながら必死に抵抗しブーツでその見えない何かを蹴り飛ばして、振り払う。
何とかその訳の分からない物体から逃れられたのか足先に感じていた力が無くなった。
「こういうお化け屋敷はおさわり厳禁だろ! ふざけんな! スタッフの教育(?)どうなってんだ!!」
自分をどこかへ連れ去ろうとしたモノが消えた闇に向かってミカは罵る。
連続して与えられる恐怖によって精神状態をぐちゃぐちゃにされており、どこか変なテンションになっていた。
この洋館を進み始めて既に十五分ほど経過していた。
足元も覚束ない薄暗い館内を進むのは想像以上にストレスがあり、
更に次々に襲い掛かってくる"住人の方々"からの熱烈歓迎をミカとガザニアは堪能させられていた。
扉を開ければ天井から吊るされた不気味な少女が突然眼前に現れたり、
階段を下れば四つん這いの黒い人型が真横を走り去っていったり(何もせず走り去るだけ)、
いきなり血錆で汚れた斧が目の前に振り下ろされたり……。
本来の……現実のお化け屋敷なら絶対に許されないような身体的接触も
仮想現実故豊富であり、容赦の無いおさわり攻撃も多い。
【激辛】の名に恥じない恐怖のオンパレード。
しかもそれが間髪入れずに襲来してくる。
ミカはすっかり疲労困憊し、最早恐怖という感情も麻痺し代わりに怒りの感情が現れ始めていた。
「ちっきしょー……触るのは普通NGだろ~!!」
何とか床から立ち上がり、乱れた服装を正しつつ、"次"が来ないかを警戒するように辺りを見回した。
今ミカたちがいる場所は子供部屋のようで木製の車や片腕の取れた人形などが転がっている。
如何にも不気味な部屋だったが、最早この館で不気味じゃない場所を探すのが
難しい事もあり、大して気にならなかった。
ミカはうなじに手を当てて摩る。どうも筋肉が突っ張ってしまったような感覚があった。
(……ビックリしすぎてく、首の筋肉が痛い気がする……仮想現実なのに……)
何度も何度も叫んだ挙句、毎度毎度仰け反ったり、狼狽えたりしていたので首から背中に掛けてダメージが深い。
「……この部屋ではもう来ないか」
暫く待っても住人の方々が現れないようなので、ミカはこの部屋での"恐怖"が終わりだと察した。
どうもご親切な事に連続して襲撃があった後には緩急を付けてくるようで、休憩タイムのような物があった。
大きなお世話だと思いつつも一息吐けるのでやっぱり安心感はある。
だからこそ次の襲撃でまた新鮮な恐怖を味わう羽目にもなってしまうが……。
(しかし……ガザニアさんは強いな。全然動じて無い……)
もう一人の同行者であるガザニアへミカは目を向ける。
彼女はこれだけの恐怖ラッシュでも殆ど動じず、既に次の部屋へと進もうとしていた。
こちらと同じくらいのペースで住人からの歓迎を受けていた筈だが、声も出さずに耐えている。
流石、強者だけあって余裕があるというべきか……。
流石に足元が暗いので彼女のその足取りは覚束ない。
壁に手をついて少しずつ進んでいる。
妙にフラフラとしており、何度も部屋の中の物にぶつかりそうになっていた。
ミカはガザニアの側へ寄っていき、声を掛けた。
「凄いですね、ガザニアさん。あれだけ色々やられてよくビビらずに進め――あれ?」
良く見ると彼女は目を瞑っていた。
いや薄目で極限まで視界を狭め周囲を見ないようにしている。
これは子供とかがホラー映画とかを鑑賞する時に良くやる行為。
怖いところを隠して視聴する時のアレだった。
どうやらそのせいで歩き方が変になっていたらしい。
(……もしかして俺が気が付いてなかっただけでビビりまくってたのか、彼女……)
ガザニアは近付いてきたミカに気が付くと一度身体をビクっと震わせた。
しかし直ぐに驚かせに来た怪異ではないと気が付くと薄目を少し開き、声を震わせながら言った。
「……手を取りなさい、駄犬」
そう言って左手をこちらへ向かって差し出してくる。
その手はフルフルと震え、明らかに恐怖を感じていた。どうやらこちらよりよっぽど限界を迎えているらしい。
(ホラー耐性無いんだな、この人……。いやまぁこの洋館の攻めは異常だからしょうがないか……)
「怖いなら怖いとちゃんと言ってくださいよ……」
「恐怖は、ありません。ただ暗くて前が見えづらいので駄犬が私を導く必要がある……そう判断しただけです」
「……そういう事にしておきます」
ミカはガザニアの明らかな虚勢を聞きつつ手を取る。
掴んだその手は震えまくっており、相当キているようだった。
「先導しますからゆっくり付いてきて下さいね」
彼女は返事をしてくる事は無かった。
代わりにこちらの手を強く握り込んでくる。
バトルアバの握力なので相当な力が込められており、左手を潰さんが如く威力があったが
幸い痛みが無いお陰で耐えられた。
ミカは先立って歩き始める。
彼女もその後を恐る恐る着いてくる。
まるで子供を引率するようにミカは暗闇を進んでいった。
(……そういえば女の子とまともに手を繋ぐなんて初めてか……)
ガザニアの手をしっかりと離さないように掴みながらふとそんなことを思った。
考えてみれば女の子と二人でお化け屋敷なんて良くある青春の一ページとも言えるかもしれない。
最も――彼女から与えられるのは甘酸っぱい気持ちではなく油断すると左手を砕かれそうな握力だったし、
こちらも次に襲ってくる怪異への対応で周囲を警戒していて全く心安らがない。
どちらかと言えば紛争地帯を歩かされるような危機感しか無かった。
子供部屋から出ると次の部屋はホラー物でお約束。
罅割れたバスタブが置かれた浴室に二人は足を踏み入れた。
(……なんであの部屋からお風呂に繋がってるんだ。あっちの都合とは言えちょっと強引だなぁ……)
浴室は床のタイルもすっかり朽ち果て、一歩踏み出すたびにパキリとタイルが割れる音が室内に響く。
その度にガザニアはビクリと身体を震わせ、ミカの手を強く、本当に強く握った。
(これ館抜ける頃には俺の手が粉砕骨折してそうだな……)
凄まじい力だったが離したらそれこそ彼女がパニックになってしまうと思い、何とか掴み続ける。
少しずつ進んでいき、バスタブの真横を二人は通り始めた。
ミカはチラっと横目で湯舟に目をやる。
何やらどす黒い液体が中に並々と貯まっており、それが風も無いのに波打っていた。
(……間違いなく"来る"……)
どこで仕掛けてくるか分からないがこんな絶好のスポットで襲って来ない筈が無い。
ミカはそう確信し警戒を強めた。
油断していた訳では無かった。
だが少々予想を越える方法であちらは仕掛けてきた――。
(――ん?)
急にガザニアが掴んでいたミカの手への力を緩める。
やっと落ち着いてきたのかもしれない。
一応様子を確かめようと背後ヘ振り向いて声を掛けた。
「少しはおちつき――ぴょぁっ!?」
『クコキキキ……』
そこに彼女の姿は無く、代わりに能面のような黒い顔に口だけはある人型の化け物がミカの手を握っていた。
それは奇妙な笑い声を上げてこちらへ笑い掛けていた。
「だらっしゃぁぁあっ!!!」
殆どパニック状態だったミカは叫びながら瞬間的に右ストレートを放ち、その化け物を殴り飛ばそうとした。
しかし拳は顔面へぶち当たる寸前に空を切り、その化け物は透明になって消えていく。
「に、逃げられた――ハッ!? ガ、ガザニアさんは!?」
慌てて消えた彼女の姿を探す。
――ゴボゴボッ……。
嫌な水音が耳に届く。音が聞こえたのはバスタブの方だった。
バッとそちらを向くと――。
「げぇっ!?」
サンダルを履いた二本の足がバスタブの湯舟から天へと伸びている。
ガザニアの身体は上半身どころか腰までが黒い水に浸かり、沈んでいた。
湯舟に貯まった黒い水から何本もの触手が伸びてガザニアの身体を絡みとっており、
徐々に湯舟の奥へと彼女を引っ張っていく。
ミカは急いでバスタブへ駆け寄るとその触手を手で振り払った。
「離せ! このタコ野郎! 酢で締めれたいのか!」
振り払われた触手は残念そうにガザニアの身体を離す。
そしてバスタブの中へと消えていった。
ミカはその黒い水に両手を突っ込み彼女を引き揚げる。
そのまま引き揚げた勢いで二人とも床へベシャっと転がった。
黒い水で濡れた彼女はぐったりと床に伸びており、かなりヤバそうな状態だった。
少なくとも仮想現実で溺れるという事は無いので窒息した訳では無い筈……。
ミカはガザニアの小柄な体を抱き起こすと肩に手を掛けて軽くゆすって声を掛ける。
「だ、大丈夫ですか……?」
暫く反応は無かったがやがて彼女は顔を上げてミカの方を見てくる。
普段は意思の強い紫色の瞳が虚ろになっており焦点が定まっていない。
どうみても大丈夫では無かった。
まるで魔女狩りの冤罪に掛けられた村娘のように弱り切っているガザニアに流石のミカも動揺してしまう。
(ヤバい……! 完全に恐怖の限界値越えてる顔してるぞ……!?
絶対【激辛】の怖さに対応出来てないだろ、この人!? とにかくここから移動しないと……!)
取り合えずこのままここに居るのは危険と判断し、ミカは彼女へ声を掛けながら立ち上がらせようとした。
「立たせますからね!? 良いですね!?」
彼女は返事もせずただミカの身体に縋りつく。
殆どしな垂れかかるようになっており、その身体を押し付けてきた。
――ムニュッ。
普段はゆったりとしたローブを着ているせいで分からなかったが、
想像以上に"豊かな"彼女の身体を否応なしに感じてしまう。
(うっ……。意外と胸あるんだな――ってそんなこと考えてる場合じゃねえ!)
一瞬赤面しそうになったが、平時ならまだしも今は緊急性を要する状況。
ミカは雑念を振り払い、殆ど戦場から負傷兵を運び出す衛生兵のように彼女を肩で支えた。
「(多分)出口はもうすぐですから! しっかりしてください!」
願望混じりの言葉だったがミカにはある程度確信もあった。
既に二十分近くこの屋敷を彷徨っている。
だが事前に聞いた樫木からの説明では遊戯時間は三十分程度と言っていた。
大体こういうモノはかなり余裕を持って計算されている筈だから本当にそろそろ出口が近い筈。
ミカはガザニアを必死に支えつつ、前へと進み始めた――。
――ヒタヒタ……。
「――……っ」
ガザニアを支えながら館内を歩く内にミカはある事に気が付き、何度も後ろを振り向く。
背後には相変わらず闇が広がり薄暗い。
しかし――。
(――……これ……絶対何か後を憑いてきてるよな……?)
先程から"足音"のような物が何度も聞こえてきている。
更に気配が近付いては離れ、離れては近付いて……それを繰り返している。
確実に何者かがミカとガザニアを付けてきていた。
(ぜっっったいロクなモンじゃないな……。直ぐに姿を見せないのがいやらしいというか何というか……)
チラっと横のガザニアへ目をやる。
彼女はミカの身体にピタッとくっつき小刻みに震えている。
相変わらず虚ろな目つきで下ばかり見ており、尾行者には気が付いていないようだった。
最早気にしている余裕も無いとも言えるが……。
(……多分、最後の方で姿見せて追っかけてくるアレだろうな……。こういうのだと定番だし……)
ただそういうギミックをしてくるのはお化け屋敷の最後の方の場合が多い。
つまり本当に出口が近いのだろう。
そう思いつつ、道を進んでいくと二股に分かれた道へ出た。
右を見ても、左を見ても真っ暗でどちらに進めば良いのか分からない。
ミカは困惑しながら左右を見回していた。
(これ……どっちに行けば良いんだ……?)
まさかこんなところで道を選ぶ要素が来るとは考えていなかった。
特にヒントの様な物も見当たらず素直に困ってしまう。
その時、ガザニアが何かに気が付いたのか身体をビクッと震えさせた。
――ニャァッ。
突然の鳴き声に足元を見るミカ。
「――うぉっ!? ね、猫……?」
そこには一匹の黒猫がいた。
その猫は二人の足へ一度顔を擦り付けた後、左の通路へと走り去っていく。
その姿を目で追っていくとその先に微かな"光"が見えた。
その光は遠目から見てもこの屋敷のおぞましい雰囲気を浄化してくれるような輝きがあった。
(……そうか。あそこが出口か……!)
あの黒猫が消えていった先。
そこに出口が用意されているらしい。
ニクイ演出だ。
ミカはガザニアへ声を掛けて元気づける。
「ガザニアさん! 出口! 出口見えましたよ! あそこまで行けば大丈夫ですよ!」
その言葉に彼女も顔を上げて通路の奥を見た。
その光を見つけ、虚ろだった表情にどことなく希望の色が見える。
ミカは逸る心を押さえつつ、ガザニアを引き連れてその出口へと向かう。
自分にとってもこの洋館からやっと解放されるのは嬉しく自然と足が速くなってしまった。
だが――期待は大きい程裏切られた時の絶望は大きい。
この洋館を作成した者はそれを良く理解していた。
――ニャァン。
二人を待ち構えていた黒猫がこちらを嘲るような鳴き声を上げる。
「え……」
ミカは呆然とした。
そこにあったのは出口などではなく大きな"鏡"。
通路の先は行き止まりになっており、壁に古びた姿見が一つ置かれていた。
(や……やられた!! これ出口じゃない……!!)
先程見えた光は鏡に反射した物であり、実際は右の通路……恐らく本当の出口から見えた物だった。
(ほ、本当の出口は後ろか――……っ!!?)
まんまとこのお化け屋敷の製作者の意図に嵌められてしまったミカはすぐさま背後を振り向き――そして固まった。
ミカとガザニアの目と鼻の先。そこに二人を今まで追跡してきたこの館の"主"がいた。
巨大な白色の楕円の物体。
二人の背丈を軽く超える大きさの物体。
奇妙なほど細い手足が生えたそれはまるで――卵のような不気味な化け物だった。
その巨大な卵に縦の亀裂がゆっくりと走っていく。
パキリという不快な音と共にその亀裂が開きそこから真っ赤な口が見えた。
無数の鋭利な牙と何本もの赤い舌がそこから零れ出す。
それらを躍動させながら化け物は一気に二人の方へ身を乗り出し口を大きく開くと――咆哮した。
『ゴアァァァァァァァ!!!!』
まるで地獄の底から響くような咆哮。
ミカはその恐怖に耐えきれず絶叫した。
「ぎゃぁぁぁあ!?」
一瞬遅れてガザニアも絶叫する。
「きぃぃぃぃええええ!?」
――バシッ!
彼女はあまりの恐怖に支えていたミカの腕を振り払った。
そして突如その場から、怪物から逃げるように全力で走り出す。
「――ってガザニアさん!? どこへ!?」
その予想外の行動にミカは自身の恐怖も忘れ、驚く。
走り出したガザニアはバトルアバの脚力を全力で発揮し凄まじい速度で通路を爆走していく。
彼女が走り出した事に咆哮していた怪物も驚いたのか、声を上げた。
「――あっ! 走っちゃダメですよ、お客さん! 危ないよ!」
その見た目にそぐわぬ可愛らしい声で怪物はガザニアを静止する。
しかし一度恐慌状態になった彼女は止まらず、そのまま通路の奥……行き止まりに置かれた姿見、
そこに映る偽りの光へと向かっていった。
「ガ、ガザニアさん!! そこ出口じゃない!!」
「あぁ!! そこ違いますよぉ!! お客さーん!」
ミカと怪物が必死に声を掛けるも彼女は全速力でその姿見へと突進していった――。
――ガァァァンッ!!!
「――ひぐぅっ!!」
彼女の小柄な体は姿見と正面衝突すると可哀そうなくらい弾き飛ばされ、吹っ飛ぶ。
バトルアバの脚力をフルに発揮して突撃していったせいか凄まじい反作用が生み出され、
二、三メートルは飛んでいった。
床をゴロゴロと転がり、彼女はやっと止まる。
トレードマークのトンガリ帽子もどこかへ吹っ飛んでおり、その白髪が床に広がっていた。
ミカは急いで彼女の元へ駆け寄り、屈み込んで様子を見た。
「しっかりしてください! ちょっと!? 本当に大丈夫ですか!?」
返事は無い。
完全に目を回しており、グロッキー状態だった。
「大丈夫ですかぁ? お客さん……?」
何時の間にかあの卵型の怪物も側に寄ってきて、心配そうに倒れたガザニアを見つめていた。
ミカは何度も彼女の身体を揺すったり、声を掛けたりしたがピクリとも動かず、反応が無い。
(おいおいおい……! これ平気なのか!?)
仮想現実だから肉体の方にダメージがある訳では無い筈だが、明らかに精神面でのダメージが限界を越えている。
暫くミカはどうして良いのか分からずあたふたとしていたが――。
――ピコンッ。
電子音と共に突然、ガザニアの身体がすぅっ……と半透明になりやがて消滅した。
それと同時にアナウンスが流れる。
『利用者のバイタル急変が確認されました。当社の定める救護義務に基づき――』
そのアナウンスを受けて卵型の怪物がミカへと話し掛けてくる。
「今、こっちにも連絡来たんですけど、お連れさんSVR付けたまま気絶しちゃったみたいです。
レスキューが登録されたご住所へ向かってます……私、怖がらせ過ぎちゃったかなぁ。
激辛に挑戦するようなお客さんだからこれくらい耐えられるかと思って――まさか走り出すなんて……
。本当に申し訳ありません~」
非常に申し訳なさそうな態度で怪物は頭(?)を下げてきた。
「え、えっとこちらこそ……何かすみません」
ミカは自分でも何故謝っているのか良く分からなくなりながらその怪物へ頭を下げ返した――。
【ABAWORLD MEGALOPOLIS 『旧猪籠草(ウツボカズラ)トンネル』前】
トンネルから一台の自動車が出てきてそれが駐車場へと停車する。
するとその後部座席から悲鳴を上げながらウサギ獣人メイドが飛び出してきた。
「ひぇぇぇん!! 怖いじゃん! これ怖いじゃん!! あたし聞いてないよー!」
恐怖ですっかりメイド洗脳が解けた様子の樫木が駐車場で泣き喚いている。
そんな彼女へ後から車内から降りてきたリリーが心配そうに声を掛けた。
「樫ちゃん大丈夫……?」
声を掛けられた樫木は縋るようにリリーの身体へ掴み掛る。
「うわぁぁぁん!! リリーだよね? 本当にリリーだよね!?」
「……そうだよ……」
「うわぁぁぁん!! 横見たら変なのっぺらぼう座ってるんだもん!! 怖かったよぉ!!」
「あれは……ビックリしたね……真ん中の席なんで空けるんだろと……思ったけど……あんな仕掛けだったとは……」
あまりの恐怖に咽び泣く樫木。
リリーは彼女の頭を撫でて宥めていた。
「わははっ! いやーこれは楽しかったな!
ハンドルに何か手が伸びてきて崖に突っ込みそうになるのは流石のオレもビビって漏らすかと思ったわー」
運転席から降りてきたブルーが上機嫌で楽しそうに言った。
リリーは彼の方を向いて尋ねた。
「あれ……キミがワザと崖に突っ込んだのかと……思ってた」
「流石にそんな事せんわ! しっかしこれは当たりだったな。怖さと面白さが丁度良かったんじゃないか?」
「……うん。時間あったらもう一回……行っても良いかも……」
「あたしはヤダ! 怖すぎるってぇ!! こんなの~」
「ウサギ女はビビりまくってたからなぁ。オレがブレーキ掛けるだけで騒ぐからうるせえのなんの」
「だって怖いじゃん! 急に止まったら!」
何だかんだ楽しんだ様子の三人。
お互いに感想を言い合い和気藹々としていた。
「あれ……? ミカちゃんとガザニア様……いない……?」
リリーが辺りを見回してそう呟く。
ブルーもそれに釣られて洋館の方へと視線を向けた。
「ありゃ? そりゃおかしいな。こっちは並ぶ時間とかもあったから結構時間掛かってんのに。
もうとっくに出て来てて良い時間だろ」
「え? 戻って来てないの~あの二人?」
樫木も首を傾げ、ウサ耳を動かしながら辺りに二人の姿を探した。
「洋館の方行ってみっか。確か横に出口あったろ」
ブルーの言葉に樫木とリリーは頷き、そのまま三人はトンネルから離れ、洋館の方へと近付く。
建物の横には『また来てね!』と無駄に可愛らしい絵柄で描かれたお化けたちのキャラ看板が並べられている。
三人がそこへ辿り着くと樫木が声を上げた。
「あっ! ミカちゃん出てきたじゃん! ――あれ? あの魔女っ子ちゃんは……?」
出口から軍人少女が顔を俯かせんながら一人だけとぼとぼと歩いて出てくる。
三人はお互いに顔を見合わせながら近付いた。
「あっ……。皆さん戻ってきてたんですか?」
ミカも三人に気が付くと顔を上げた。
その明らかに疲れ切った様子にブルーが訝しみながら声を掛けてきた。
「おいおい、ミカ。ガザニアはどうしたんだよ。まさかお前……ビビッて一人だけ逃げて
中に置いてきたんじゃねーだろな?」
「そう言うわけじゃなくて……。ど、どちらかと言えば……私が置いて行かれちゃったんですけど……」
「はぁ?」
訳が分からないと言った様子で顔を見合わせるミカ以外の三人。
ミカは口籠りながら洋館内で何が起きたのか話そうとした。
「その……ガザニアさんは――」
――ピピッ。
ミカの言葉を遮るように通知の音が自身の身体から鳴った。
(……メール? あっ……ガザニアさんからだ……!)
自身の右腕を撫でてウィンドウを出すとそこに彼女からのメールが一通来ていた。
【先程は申し訳ありません。醜態をお見せしました。こちらは大丈夫です。
皆さんが心配しないように急用が出来たと伝えておいてください】
普段からは想像も付かないほど下手に出た文面。
想像以上に彼女が限界突破していたのが窺える。
ただメールが送れる程度には無事だったようでそこは安心した。
(仮想現実での付き合いだから現実でどうなってるかなんてわかんないもんなぁ。
一応大丈夫だったみたいで良かったけど――ん?)
文面の最後。一番下に付け足すように一文が書かれていた。
【もしあの洋館での出来事を他人に吹聴するような事があれば――"処します"。お忘れなき様に】
(ひぇぇぇ~!?)
明らかな脅迫文に心の中で悲鳴を上げ、狼狽えるミカ。
そんな挙動不審な様子にブルーが声を掛けてくる。
「おい、どうしたんでい。つーか魔女殿は本当にどうしたんだよ?」
「あっ! えっ? あぁ! ガザニアさんは急用出来たとかで途中退出したんです!
ほら! 色々忙しい人ですから!」
ミカは両手をバタバタと動かして必死に誤魔化す。
ブルーはまだ納得が言っていない表情をしていた。
「――あぁん? まぁ急用じゃしょうがねえな。それよりもさぁ。お前どうだったんだぁ? 洋館は楽しめたかぁ?」
ブルーがニヤニヤしながらそう尋ねてくるのを聞いてミカは意味深な笑みを浮かべた。
「……ふふふ。ちょうど良かったですね。皆さんもお会いしたら如何ですか? この館の主人に……」
「はぁ?」
――ペタペタペタペタ!
ブルーが首を傾げるのと同時に洋館の出口から何かの走ってくる音が聞こえてくる。
全員がそちらを見た。
『ごぁぁぁぁあぁ!!!』
巨大な卵型の怪物が大口を開きながら猛然と走り寄ってくる。
白い無数の牙と赤い舌を振り翳し突進してきた。
『ぎゃぁあぁぁあああ!!!?』
三人はその怪物を見て同時に悲鳴を上げた……――。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!