”突然 ただちに”
暗がりの室内で、ベッドサイドテーブルに置かれたモバイルが鳴動した。しばらくの間、低い振動音を立てながら、機能の限り自己主張していたが、ベッドにもぐりこんだ主人が無視を決め込んでいることを理解したと言わんばかりに、ぱたりと静かになった。
頭からかぶったブランケットの下では、至福の時間を守りきったと、半覚醒状態で満足げな息を吐き出したジムは、眠りの深みへそそくさと踵を返していた。その安らぎの中で、左腕に装着されたウェアラブル端末、Rugiet(轟音)が、小賢しい機能満載のモバイルには今回の任務は荷が重すぎたとでも言いたげに、にやりと不気味に、その数ミリの薄いディスプレイへ鈍い光と簡潔なコードを浮かべると、対岸のモバイルを尻目に、その名に相応しい呼び出し音、ジムが枕で仕立てた防音壁、柔らかな羽毛で築いた塹壕をいとも簡単に吹き飛ばす音で寝室を震わせた。ジムは、瞬時に目を開き、塹壕を払いのけると左腕を掴み上げ非常ベルを黙らせた。
「――――――ッ!」
あの時の爆発が蘇ったかと思った。
夢うつつの中で響いた爆音に、フラッシュバックを起こしそうな自分を、深呼吸一つ、落ち着かせた。静かになったディスプレイを確認したジムは、非常事態レベルを表すコードに、落ち着いたのも束の間、思わず神に悪態をついた。姿も見えず声も聴こえたことのない神など信じてはいなかったが。最低限の通信機能しか持ち合わせていないRugietでは、詳細を確認する事が出来ないが、最悪の事態が起きたことは、たった今思いしらされた。
「そうじゃなきゃ、コイツを喚かせたヤツを黙らす。永久に」
物騒な独り言を呪いのように唱えながら、ベッドの周囲に散らばった衣類を身に付け、思考は状況の想定と対処に奔走させた。目まぐるしく想定されるパターンが脳裏に展開されたが、数秒後、ピタリとジムは動きを止めた。
「何が起きた」
静かになった室内に、ジムの呟きがポツリと落ちた。
15分も経たないうちに、ジムは出掛ける準備を済ませ、最後にキャシーに電話を掛けた。
「キャシー。すまない。呼び出しだ。そうだ。スケジュール管理の出来ないボスのせいだ」
電話の向こうでは、どうやら、アマンダが近くにいるようだった。
「いや、長くはない」
電話の向こうでは、いつも以上に期間を気にしている発言をしていることに彼女は自分で気付いたらしく、ジムの内心も自分の不安もひっくるめて打ち消すように慌てて笑いながら「あんまり長いと、待ってられないよ。この子」と口早に伝えてきた。
「長くはない。大丈夫だ」
キャシーを安心させる為に口にした言葉は、かえって不吉な予感をジムに呼び起こさせた。
長くはない。
もう一度、電話の向こうのキャシーに、大丈夫だ。と告げ、ジムは電話を切った。
長くは保たない。
根拠が無い、と振り払おうとしたが、振り払えるだけの根拠が無いことにも、ジムは気付いていた。
ガレージから車を出すと、Rugietに送られて来たポイントコードを車載端末に指示するが反応が無い。舌打ちを1つ、右手でダッシュボードに拳を1つくれると、思い出したように、「Hi! Jimmy !」と、挨拶が投影され、登録してあるネットラジオから音楽が流れ始めた。次にシステムが良く出来た合成音声で、四角四面の「御用は何でしょう?」と尋ねてくる前に、ジムはポイントの地図表示と本部への通話を指示すると、ダッシュボードの上にノイズ混じりのマップが表示され、2コールで相棒の声が聞こえてきた。
「ジム、家を出たか。30分でランデブーだぞ。急げよ」
こちらの動きは当然確認済みだろう。
「コミュニティ病院だな。どっち側の駐車場だ?ノイズだらけで見えやしない」
「南側の地下だ。なんだ、また宙空投影の調子が悪いのか?新しい車に変えろよ。チャイルドシート付きのファミリーカーに」
「ブライアン、お前もか……」
「? 何のことだ?」
「いや、いい。こっちの話しだ。それで? 俺はその車で仕事に行くのか?」
「どうせポイントまでさ。今だってそうだろ。カムフラージュにもちょうどいい。お前のSnakyは目立つからな」
スピーカーの向こう、ブライアンの声は表面上いつも通りに聴こえてくるが内心穏やかではなさそうだ。ブライアンの指がデスクを絶えずノックする後ろでは、不穏な音が飛び交っている。騒然とした中で、一際大きく不快な声が聴こえた。
そうか。爆音はコイツの仕業か。道理で。また俺を爆殺する気か。
あの爆音から、蘇りたがっている記憶を、アクセルを踏み込むことで、ジムは押しつぶした。
「何があった」
「ロストだ」
「何?」
「完全にロストだ。エリックたちの映像も音声も、長耳たちがハッキングしていた屋敷内のカメラの映像も途中で消えて、状況が全くわからない。ロンもホリーもRugiet経由の非常事態コード発信後、無線はおろか、Rugietにも反応が無い」
馬鹿な。Rugietが黙るだと?
「どう言うことだ。バックアップはどうした? 突入したのか?」
「それがな……下手に正体を晒したくないらしい」
ウサギは逃げ足が速いだろ?
ブライアンが、ジムにだけ聴こえるように声のトーンを落として呟いた。ジムが状況をさらに尋ねる前に、ブライアンは背後の不快な声に呼び付けられ、早く来いよ、と言って通話を切った。
走る騒音と揶揄される愛車に取り残されたジムは、無意識に胸ポケットに手を伸ばしたが厚みの無さに気付き苦笑する。
そうだよ。煙草やめたんだよな。落ち着けよ、俺。
ああ。畜生。何で、禁煙なんかした。
ジムは、無性に吸いたくなった煙への飢餓感そのままにアクセルを踏み込んだ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!