“変化 動揺#21”
ジムが指示されたポイントに車を停め降りると奥から静かに黒いセダンが進み出てきた。当然のように後部座席のドアを開け乗り込むと、没個性的な黒いスーツの男がバックミラー越しにジムを確認し車を出すよう運転席に指示した。
「状況は深刻だ」
車が駐車場から出るやいなや、やはりミラー越しに助手席の男はジムに向かって口を開いた。猟犬になってからそれなりの時間が経過したが、相変わらず自分たちを人間だと思っていない連中は多い。助手席の男もその一人で、自分と直接目をあわすことなどないと百も承知でジムは後ろを振り返り愛車に別れを告げ、ジムもまた相手を見ずに応えた。
「まずはその深刻な状況の内容を説明してくれ」
深刻なのはわかっている。そうじゃなきゃ、Rugiet を喚かせたやつを黙らす。永遠にだ。畜生、煙草を寄越せ。
「フォローロスト」
「……」
ジムの驚く顔でも期待していたのか、ややあって男は話しを続けた。
「完全にロストだ。AZの子守、HotelとRomeoから立て続けに非常事態コードが送信された後、一切の通信が不通となった。無線はおろか、Rugietにも反応が無い」
ホリーとロンの名前を忘れでもしたのか、そもそも覚えちゃいないのか、フォネティックコードで呼ぶことは今更、いや、今は殊更どうでもいいことだが。馬鹿な。Rugietが黙るだと? 任務中、俺たちはRugietを身体に直接装着している。生体反応を送る機能は特殊な伝播経路で傍受、妨害にあうこともない。どのような場所であっても、状況であってもRugietは黙らない。持ち主が生命活動を止めたとしても、その最期の瞬間のデータ、ダイイング・メッセージ、いや断末魔の叫びを送りつけてくる。
「どう言うことだ」
完璧なシステムとやらを擁して臨んだお前の自慢の作戦じゃなかったのか、スミス。
『犬は余計な事はするな』ジムはブライアンの背後で聴こえた不快音が自慢げに話していた記憶を脳内再生した。
俺たちのような汚れ仕事専門の存在は、お前の勲章を曇らせ名誉の汚点になると使用を最小限に留め、俺とブライアンをわざわざ外したのは、スミス、お前の判断だったな。お前の尊大なプライドのお陰で、俺はブライアンと入れ替わりに貴重な待機に入れたわけだが、それを数日も経たずに爆音で吹き飛ばしたのはどういうことだ。
パナガリス、お前は何をしている。
言ってやりたい事は山ほどあったが、ジムは今ただ一言だけ、煙草を寄越せと前の男に言ってやりたかった。黙りこくったジムに、助手席の男は一瞥をくれると喋りだした。
「異常事態が発生するまで計画は当たり前に順調だった。昨夜、パーティは予定通り開催され、当然ターゲットも全て揃っていた」
計画は当たり前に順調で当然か。過去形だがな。
ジムは男の話しを聞きながら自分たちに渡された計画書をやはり脳内で展開する。
「昼間のパーティは滞りなく終了し、ターゲットのうちクラスSまでの情報収集は計画通りに完遂した」
「ショウタイムの話しを。表のパーティはあくまで前座だったはずだ」
計画を計画通りに遂行したと当たり前のことを喋っている余裕はないはずだ。このスーツにも俺にも。
「屋敷内のカメラをハッキングした映像とAZからの映像だ」
振り向きもせず後ろ手に差し出されたタブレットを受け取り、ファイルを展開するとジムの目の前に20余りのカメラからの3D映像が宙空に展開される。昼間に催された華やかなパーティが終了したあとの屋敷は打って変わって静かにたたずんでいた。夜の部はよほど重要な公演らしく、昼の部のゲストが全て館を後にし、沈黙と準備の時間をおいてから開演したようだった。
夕闇に紛れ数台の車が屋敷へと入ってきた。その車とそしてそこから降りる客たちが画面にクローズアップされていく。特殊情報作戦本部たちは自分たちのマシンが持つハッキング能力に絶大な自信を持ち、物的証拠を残さないためにも屋敷のカメラをそのまま使うことにしたんだろうが、この夜の部のゲストたちが、シロウサギだけではなく、屋敷の主、このパーティのホストであるベンヌの会長にとっていかに重要だったかと言うことは、筒抜けになっている屋敷内のハッキング映像から伺えた。視点の低いガードドッグの目までも使って執拗に撮影しているということは、会長は保身のためか、或いは、シロウサギと同じく今回の主賓に多大な期待をよせ、その取得した情報をどこかへ売ろうとでもしていたか。
到着した客人が執事に案内され、鏡の裏の豪華な隠し部屋へと通されていくのが映り、また部屋の中で寛ぐ姿も見えた。最後に到着した客を会長自らが案内し部屋へと入ると秘密の部屋は一旦その扉を閉ざした。すでに過去となった正常実行中の計画であるならば、招きに応じた王が、リチャード・ダークがいるはずだが、一度見たら忘れないその姿はどこにもなかった。
「本命が映っていない。的外れか?」
「恐らく会長が案内する2人の客のうち一人がDだ。他は皆、個体識別情報の一致を見ている」
「この二名だけ架空の情報か?」
「いや。片方、若い黒髪の男は今回の計画にあたり、我々の協力者となった人間と識別情報が一致している。だが、その男はアジアにある精肉加工場で捌かれていたと報告が上がった。その隣の男は照合をかけても一切の情報が出てこない。空白だ」
空白――情報的に死とも生ともどちらつかずの人間――と死んだ人間の二人組。なるほど、そうそう簡単には拝顔叶わないようだ。表の世界でも裏の世界でも顔が見えない、リチャード・ダーク。シロウサギが作ったあの3Dモデルはいったい誰の顔なんだ。情報ゼロと言う壊滅的状況にやけになったエンジニアが捏造した顔なのか。ふとアジアでミンチにされた男が、カメラへ向けて静かに微笑んだように見えた。
「何を笑っている……」
口の両端を僅かに持ち上げた、と言えるような些細な動きだったが、確かにカメラへ向けて弧を描いた口元に “笑った” とジムは疑わず、そしてただそれだけの動きにとても異質な何か “死人” と言う情報以上に得体の知れない何かを感じた。普通の人間なら “ぞっとする” とでも表現するのだろうか。
その直後、映像が次々とブラックアウトを始め、ジムの前には真っ黒な箱が煉瓦壁のように並んだ。そのいくつかを閉じて開き直しても変化はなく情報は箱の中へ吸い込まれ閉ざされてしまったようだった。ジムはしばらく黒い積み木を上下左右へ振ったり広げたりと、何かが映っていないかと探したが、黒い箱は蓋を閉ざしたままだった。ジムが二つの黒い箱を中心に、円を描くように他の箱を並べると急に箱たちは蓋を開け、今度は雪原の風景とそこに広がる雪と氷で出来た満開の花をジムの目の前に映し出した。雪に咲く花が風に煽られるように消えると雪原も消え、また屋敷の監視映像へと戻ったがジムが中心においた箱にはちょうど子どもの目の高さにある2つの視点で少年の顔が映し出された。2人は向かい合って互いを見ているようで光を受けて輝く白金の髪、雪原のような透き通る肌、一つ一つのパーツは愛らしく完璧に配置された絵画の天使のようで2人の瞳はその中で金銀色が交じり合い、絵画が飾られる教会にはめ込まれたステンドグラスのような虹彩だった。2つの視点は鏡の現し身のように互いのダイクロイックアイを覗き柔らかに微笑むと別れ、禿げた男と髪の長い女、ベンヌの研究員二人と、その直ぐ後ろを歩く最近浮名を流した裏切り者のシャルヴァーの研究者とその助手の姿をしたロンとホリーを映した。二つの視点は前を歩く禿げた後頭部や執事の撫で付けられた頭、高価な調度品が並ぶ廊下を映しながら迷うことなく進んでいったが、片方の視界のはしには黒い小さな染みが少しずつ浮き上がり始めていた。
重厚なドアが警備の人間によって開かれ中に入りぐるりと周りを見渡せば、客たちが舐めるような目を双子に向けているのがよく見えた。二つ視点は、静かに、ゆっくりと一人一人の顔、姿を映し出していく。ドアの閉ざされた音が響く。
「さて、お集まりの皆様。これが今回ご紹介したい我が社の新たなGATERSコーディネイトコーディング技術、またその技術により発生させた2体です。この技術は、ご希望に沿う容姿、性格の発現確度の高さ、知能、身体能力の向上、成長速度の調整など従来では成し得なかった成果、現在地球上に存在するGATERSを含む人類を超える存在を創り出すことに成功しました」
会長は双子を手元に呼び寄せ、どこの世界にもまだ存在しない最新の技術で生み出された最新商品のプレゼンを始めた。
「仕様はすでにお渡ししたとおり。まずは直接ご覧頂くのがよいでしょう」
会長に促されたベンヌの研究員とともにその視点は品定めする客たちに向け歩み寄っていった。クローズアップされる顔は、どれも極悪名鑑のSSクラスにカテゴライズされ、世界中の諜報機関にその名を知られる有名人たちだった。最後に正体不明と死人のところへ視点が歩みよろうとしたが、突然その部屋は闇に包まれた。暗闇の中、最初は余裕の声を挙げていた主と客たちだったが、主の「光あれ」の命令に館内設備が従わず、なかなか灯りの戻らない時間の長さに次第にいらだちを覚え始めた客が声をあげはじめた。不安を隠すように声を荒らげ文句を言いだした客に、落ち着くようにと余裕をみせていた男の声がふと消えた。また一人、さらに一人と異質な音を立てながらその声が消えていく。何かが砕ける音、潰される音、引き裂かれる音。その音が無機物の破壊される音ではなく、生々しい有機物から発生する音であると気付き始めた客たちは、慄きわれ先に部屋を逃げ出そうと騒ぎ始めた。その騒ぎを嘲笑い、恐怖をさらに煽るように、何かは、次の獲物からはこときれるまでの時間をわざと引き延ばそうとしたのか断末魔の叫びを長く響かせ始めた。悲鳴は次々と上がり、発砲する光、音、何かが動き回る音の不協和音が暗闇の中で鳴り響き、しばらくすると映像も音声も沈黙した。ジムの目の前では闇の映像が再生され続けた。
唐突に、闇の中に何者かが浮かんだ。暗くノイズ混じり不鮮明な映像で、肝心の顔は、口のやや上から黒い染みに覆われて判別がつかない。音声データも入っていない。だがこの視点はゆっくりと相手に歩み寄っていく。相手の口が特徴的な弧を描くのがはっきり見えるほど近寄った時、その口はこう言った。
“なにがききたいんだい?”
それを最後にジムへ渡された映像の再生は終了した。
何が起こった。
そしてジムは気が付いていた。会長じきじきに案内した二名の姿が、生死不明と食肉にされて笑った男の姿が、最後の部屋のどこにも映っていなかったことに。
自分の記憶に間違いはないとジムは思ったが、もう一度エリックとフレッドが見回した部屋の映像を見直したが、その片鱗すら映っていなかった。
「どういうことだ。なぜ途中ブラックアウトした? あの映像はなんだ? 双子のどちらの映像だ」
「ブラックアウトはこの録画データでしか発生していないトラブルだ。リアルタイムで監視している時に、現象発生の報告は受けていない。最後の映像はEのものだが内容は不明だ。バレット博士に確認中だがEには問題が発生しているとのことだ。映像、音声ともに情報の欠落が生じている。これが、送信によるものなのか、オリジナルリソースによるものかが問題だ。オリジナルリソースに異常をきたしているのであれば、早急に回収しなければならない。送り込んだ先でより多くの情報を得ているのはEとのことだからな」
ジムはもう一度映像を再生する。
突然、照明が消え暗闇と化し、火花の灯りが明滅する。
破壊音、叫び声、銃声。そして沈黙。
「この時の他の映像は」
「……それだけだ」
「後方支援部隊は待機させているんだろう。なぜ動かない」
「偵察には行かせた。それに今回の目的はあくまでターゲットの情報を取得することであり確保ではない。また高度に政治的な問題が絡むことは君でもわかるだろう。君たちのように力技で解決するような手段では国際問題になりかねん」
よく言う。
インテリたちはいつもよく言う。高度で知的な作戦。だがその実、その作戦は血生臭い現場のパワーゲームで成立する。
「今回は我が国とシャルヴァー王国の協力体制があっての作戦だった。下手に動いてヤーコンクスにつけいる隙を与えるわけにはいかない。すでに国際的大事件なのはわかるだろう? ヤーコンクスでの国連会議期間中にベンヌ主催のパーティで殺傷騒ぎともなれば大事件だ。裏世界の有名人を呼び寄せたとあって、ベンヌとしてもヤーコンクスとしても表の世界には公にしたくはないだろうが、この件に我が国の関与が疑われでもしてみろ。我々はおしまいだ。ベンヌのバランスを壊すのが我々であってはいけない。幸いなことにまだ情報は外に漏れていない。裏のパーティが始まってから、誰一人として外に出た様子はない」
「昼のパーティを考えれば、それなりの数が働いていただろう」
「会場は主催者であるベンヌ会長の別宅、もともとこの手のパーティに使われることがメインで場所は街から遠く離れ、周囲には村も無い辺縁の地。居住者は、選任の使用人8名。このパーティにおいては、会長の秘書が2名、パーティスタッフは33名。警備が15名。その他にガードドッグ5体、サポートロボット20体が稼動していた。クラスSSたちを招くまでの間に、昼間の招待客は帰宅、パーティスタッフは全て専用車に詰め込まれ帰されている」
「夜の部の参加者は」
「部屋に入った参加者はターゲットたちとその秘書か護衛か愛人かその全てを賄っているかを入れて16名。部屋に入れず待機させられていた運転手兼護衛が14名」
「王の供は一人か」
「そうだ。Dは一人だけ連れてきていた」
「屋敷の警備、及び君の部下2名が戦闘を行う可能性は10%以下だった。また想定しうる戦闘が起きた際にも十二分に対処できる数値が出ていた。屋敷の周囲に何者かが潜伏するような異常がないことは確認しており、屋敷のセキュリティは高く警備は皆ヤーコンクス自慢のSPだった。後方にいた支援部隊に偵察を行わせたが外から襲撃を受けた痕跡はなかった。だが目的の部屋に辿り着く前に、全ての信号は途絶え、フォローロストとなった」
「偵察時の映像は?」
男が無言で手を伸ばすのでジムはタブレットを渡した。男は素早く操作すると、また後ろ手にジムへ渡した。目の前に展開された映像は、館の庭園と駐車場、ぐるりと外壁のようすを映しているものだった。
「誰一人もじゃない」
「何?」
「おそらく生死不明と死人は鏡の国から出て」
ジムは映像を巻き戻して再生する。映像のほんの片隅に暗闇のなかライトを点灯せずに動き出す車を見つけたのだ。そしてその車のフォルムは、夜の部の最後にやって来た車の一台と一致していた。最後の客の到着時の映像、車から降りる2人の男の姿とその車を闇に紛れた車の映像の隣に並べてやる。
「異常事態の幕間にご帰宅されたようだぞ」
慌てて振り返った助手席の男の目の前に、拡大した車の映像を出してやった。
「なんてことだ……」
助手席の男は慌てて本部へと連絡を入れた。
違う。あの笑みは。あのやつの笑い顔は、屋敷のカメラが映したものじゃない。あの時屋敷のセキュリティはすでにダウンしていたんだ。ダークはシロウサギの目論見を、長耳のやつらが見ていることを知っていて、巧妙に、実際の映像とフェイクを織り交ぜた偽の情報を流した。ハッキングを逆手に取ったんだ。ダークはなぜそんな手の込んだことをしてまでここにやってきた。嘲笑うためか?
そして、この死人はエリックかフレッドに笑ったんだ。双子の眼を通して見ている俺たちに向かって笑ったんだ。
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