”優しく 愛情深く #1”
輪郭もおぼろげな柔らかい光が、世界一杯にキラキラと舞う。色はまだわからない。明るさの違いは何となく。
薄闇の中で、暖かく包まれ守られていた場所から、不本意にも放り出されたここは、全てが刺激に溢れている。何より、前と比べて居心地が良くない。周りでは、帰りたくて泣いているやつもいれば、腹を空かせて喚くやつ、放り出されショックから立ち直れないやつ、刺激に翻弄されて放心状態のやつもいれば、ひたすら眠りこけているやつもいる。
そして僕はと言えば。
捕まえたいと考えている。あれを。
なんでこんな騒々しく、眩しい場所に出されてしまったのかと、うとうとしながら考えていた僕に、そっと触れたあの何かを。触れた感触が離れていくのが嫌で、この不自由な世界の前にいた、もう少し自由に身体を動かせていたあの時にしていたように、僕は自分の身体を “ぎゅっ” としたら、触れているその一つを捕まえたらしい。そうしたら、優しい音が、いくつもいくつも落ちてきた。あの滑るように動く捕まえた何かが、僕の身体にも付いていて、思い通りに動かせるといいな。そうしたら、あの音をもっともっと降らせたい。それから、この目の前でキラキラ気になる光を捕まえたい。
「ねぇ。見て。あの子。あんなに小さな指を広げて、手を伸ばしているわ」
「本当。可愛いわね。女の子かしら。顔が可愛いもの」
「ねえ、見てあの子。なんて可愛いの?」
「本当に。天使みたいね!」
新生児室へやって来た、マタニティセミナーの参加者たちは、セミナー講師の説明が済むと、ガラス越しに見える小さな命たちを眺めては、無意識にか自分たちの腹を撫でながら、口々に「可愛い」「小さい」「天使のよう」を連呼して、柔らかで幸せな笑顔の花をそこら中に咲かせていた。
「もう少ししたら、私たちもあの可愛いベビーを抱けるのね」
キャシーも、自身の大きくなった腹に視線を落として優しくさすると、このセミナーで同室になったアマンダへ幸せな笑顔を向けた。キャシーの屈託の無い顔を見て、アマンダも嬉しそうに笑った。
ほころぶ花畑の一団を、新生児室の端にあるミーティングスペースへと誘導した講師は、高揚する彼女たちの顔を眺めながら、午前の講義を締めくくる話を始めた。
「ここにいるベビーたちは、皆、皆さんのベビーと同じく、ギフトを贈られた子供たちです。ですが、まだ世界の全てのこれから生まれてくる子供たちに、ギフトが贈られているわけではありません。今、世界は未来に向けて、全ての子にギフトが贈られるように、GATERSが次世代の人類となるようにと進み、私たちNeoGeane社も、世界と共に歩んでいます。しかし、セミナーで繰り返し説明を受けているとは思いますが、ギフトが100%の期待通りである保証はありません。だからこそ、ベビーにギフトを贈ることが認められてから、子供をもつことに資格が必要になり、親となる私たちはその資格に見合うだけの責任を果たさなければならなくなりました。法により、責任を放棄すれば、罪に問われることになりますが、それ以前に、親の資格を得た、責任ある一人の人間として、子供を育てていかなければいけません。リボンを解いたギフトが期待から少し外れていても、或いは期待通りのギフトだったとしても、それを贈ったから、それでおしまいとは決してならないのです。ギフトはあくまで、その子の将来へのささやかな糧であり、子供の将来を約束するものではありません。ここにいるベビーたち、そして皆さんのベビーの将来は、皆さんの養育に責任があるのです。皆さんは、それを決して忘れてはいけません。パートナーがいる方は、勿論パートナーとも話し合うべきですね。では、午後のセミナーでは、新生児のケアについて体験して頂きます」
講師は、一人ひとりの顔を見るように頷きながら、ランチタイムは1時間半ですと告げ、ドアを開いた。
明るく開かれたカフェテラスでは、妊婦たちがいくつかのグループに分かれてテーブルを囲んでいた。妊娠周期によってセミナーコースが分かれており、ランチタイムもコースによって時間に差があるようだった。
胸のコースタグをスキャンした配膳ロボットが “3rd コースメニュー” と表示されたメニューをキャシーの目の前に投影させた。宙で左右に手を振り、宙空の立体映像を何度かスライドさせると、キャシーはその中から、さっき見た新生児の手のような小さなクッキーがデザートに添えられたプレートを選び、テーブルに向かった。
フルーツジュースを飲んでいると、アマンダがやってきて向かいの席に座った。アマンダのプレートは、彼女らしい、一流企業で働くキャリアウーマンが選びそうなプレートに見えた。
「どうしたの?」
一人納得したそぶりを見せるキャシーを見て、アマンダが尋ねた。
「うん。クールなアマンダらしいチョイスだと思って。そのランチ」
「何を言ってるの」
アマンダは、凛とした整った顔を崩すことなく笑った。
「キャシーはどうしてそれにしたの?」
「このクッキーが可愛くて。あの一生懸命、ちっちゃな指を広げていた赤ちゃんの手みたいでしょ?」
「本当。かわいい。そんなクッキーあった? 気付かなかった」
キャシーはクッキーの一つをつまむと、パクリと口に放り込んだ。
「でも、食べちゃうのね」
「そう。食べちゃいたいぐらい、可愛かった」
二人はまた笑うと、さっそくランチに取り掛かった。
「さっきの話し、プレッシャーだなあ……」
「?」
しばらくして、メインを頬張ってたキャシーが突然動きを止めた。その姿が、リスかハムスターのようで、アマンダは内心笑いそうになるのを堪えた。
「……。アマンダはいいけど……」
「キャシー、話しが全く見えないわ」
下から様子を伺うような目が、ますます小動物を彷彿させた。
「ギフトが期待通りじゃないかもって、それは、いいんだけど、いや、良くはないけど、そういうものなんだろうし、だけど、責任、責任と言われると、不安になる……。アマンダみたいに、頭も良くて、クールでかっこよくて美人で、何でも出来たら心配ないと思うけど。私は、子育てを考えると不安……自分が、あのクズのような人間にならないか、子供に私のような思いをさせないか、不安……。それに、私が持つクズ人間の遺伝子が、ギフトで帳消しにはならないよね……。親の資格、剥奪されないかな……」
アマンダは、キャシーと部屋で、お気に入りの音楽で盛り上がりながら、まるで子供のお泊り会のように話をした時を思いだしだ。あの時もキャシーは、ふと思い出したように、訥々と話し始めた。幸せとは無縁の子供時代を。妹を失ったことを。どうして自分にそんな話を教えてくれるのか、アマンダにはわからなかったが、国においてきた妹を慰めるように、静かにキャシーの話しを聞いた。
「キャシー。心配することはないわ。ギフトに関係なく、子供の将来は養育にかかっている、と言っていたのは、遺伝が全てではないってこと。あなたは、素敵なお母さんになる。だから、あなたのベビーは素敵な人間になるわ。私が保証する。あなたは、ちゃんと資格も取ったし、こうやってセミナーにも参加している。一見恐そうで動かない鳥みたいだけど、優しいパートナーだっているじゃない」
「ハシビロコウ」
「そうそう。ハシビロコウ。ハシビロコウが一緒だから大丈夫、ね?」
「アマンダ。慰めてる? 笑わせてる?」
「両方よ。兎に角、元気出して!キャシーの取り得は、笑顔と可愛さと元気よ!」
「それは、褒めてる?」
「勿論! 頭も良くて、クールでかっこよくて美人で、何でも出来る私が言うから間違いないわ」
「自分で言うかな……」
「あなたが言ったのよ」
そうだね、とキャシーは笑いながら、食事を再開した。メインを終える頃には、キャシーは不安から解放されたようだった。
「ここのご飯、美味しいよね。ご飯が美味しいところで本当に良かった。これなら、何度泊まりのセミナーがあってもいいな」
「キャシーにとっては、マタニティセミナーもサマーキャンプね」
「泊まりのセミナーで、ご飯が美味しくなかったら悲しいでしょ? そこは、さすがNeoGeane社。こんな有名大企業で、ギフトのオーダーとマタニティセミナー、それに出産まで出来るなんて本当にラッキー。世の中にたくさんある企業の中でも、NeoGeane社のマタニティツアーは人気でしょ?」
何が、さすがなのか、アマンダはつっこもうかと思ったが、あまりに幸せそうにキャシーがデザートを食べるので、黙っていることにした。アマンダは、そんなキャシーを見ているだけで、不思議と自分が救われるような気持ちになり、心なしか重たくなった身体も軽くなる気がした。
「人気だと思うわ。依頼人の人たちからも、Hayama社か NeoGeane社がいいけど、どちらもなかなか予約が取れないから出産日やスケジュールが決められなくて困る、なんて話しをよく聞くもの。今回の方は、特別に予約が取れたって……」
じっと見つめる視線にはっとして、アマンダは話しを途中でやめた。覗き込むような瞳は、母国の短い夏に見上げる、大好きな空の色に似ていると思った。アマンダは眼鏡を外して、静かにキャシーの空を見て言った。
「私、代理母なの」
「うん」
「隠すつもりはなかったの、本当よ」
「うん」
キャシーはスプーンを置いて、アマンダの言葉を待った。
「私は、企業との契約ではなくて、国と契約して代理母になったの。ヤーコンクス共和国が私の出身」
キャシーはヤーコンクス共和国の名前を知っていた。
GATERSや代理母についてニュースが流れる時、よく聞く国名だったからだ。このセミナーに参加する前にも、新たなGATERS技術の開発に成功したと、こぞってメディアが取り上げていたのを覚えている。
GATERS技術、つまりは、生まれてくる子供にゲノム編集を行う技術だが、ゲノム編集を経て生まれた子供を、デザイナーベビーと呼び、物議を醸していたのは一昔前の話。生まれてくる子供に、ゲノム編集を行うことを世界が容認し始め、やがて転機を迎え、ゲノム編集は、“贈り物”となって、一般社会に届けられ始めた。その転機を迎えた頃、GATERS技術と同じく、飛躍的な発展を遂げた存在がジーンバンクと、そして代理母だった。
初めてのGATERS誕生の少し前から、子供を持つ一般的な形態だった古典的形式の“結婚”は廃れ、パートナー制度の導入が先進国を中心に急速に流行り始めていた。
また、GATERSの普及とともに、“親になること”の資格化が進められると、子供を持つこと、親になることに男女の対である必要は無いとの見解が台頭した。
同性のパートナー、或いは独りであることを選択する人々、そしてGATERSが足並みをあわせて歩み始めた時、求められたのが、ジーンバンクと代理母だった。独り身、同性、病気や怪我などで自然発生が望めないパートナーたちにとって、子供を望むために必要不可欠な存在としてこの二つは広く支持された。
ヤーコンクス共和国は、GATERS技術と共に、この代理母を、国を挙げて推進する代表的な国だった。
「だから」
アマンダは、小さく息を吐いた。
「だから、私は、この子のお母さんにはなれない」
キャシーは、アマンダが寝る前に必ずお腹の子に「愛している」と囁くのを知っていた。お腹に小さな足の形を見せ付けて、元気に胎動する姿を見て笑っているのを知っていた。それでもどこか静けさを感じさせるのは、アマンダがクールだからだと思っていた。
アマンダが「愛している」と囁く時、恐らく抱くことも、もしかしたら顔すら見ることの出来ないお腹の子に、胎内にいる間に一生分の「愛している」をこめて囁いていることを、伝えていることを、キャシーは知らなかった。
キャシーの中では、ひっくり返りながら母の胃をわが子が蹴っ飛ばしていたが、その衝撃に身をよじることも、わが子を宥めることも出来ず、キャシーはただ静かにアマンダを見つめていた。
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