美しい歌 #1
その土地はいつも戦渦に巻き込まれていた。土地、民族、人種、宗教、思想、またそれを利用する主導者、その主導者の影にいる何者か、切ってもきれないような禍根の鎖でがんじがらめになった土地に非戦闘員の村があること、それも1つではないことが男には不思議でならなかった。ある時、男は村の少年に尋ねてみた。少年は戦闘の後に残る死体から金目の物や煙草なんかを拾ってきては売って生計を立てていた。ある時、普段は無口な男が珍しく口を開いた。
「なんでこの村に居続ける。よそに行くのも楽じゃないが、数時間後には村ごと襲われて殺されるかもしれないような場所にいるより良くはないか」
少年はいつものように煙草を男に渡すと何枚かの紙幣を受け取った。
「ここで生まれた。ここで死ぬ」
いっそシンプルな回答は余計に男から言葉を奪った。男の心中を気にすることなく、そう言えば……と少年は続けた。
「最近、誰かに死体や死にぞこないが回収されちまうんた。商売上がったりだよ」
少年が言うには土に還るまで打ち捨てられるはずの戦闘で死亡した兵士、重度の負傷者を何者かが回収していくのだと言う。こんな戦場の片隅で、しかもこの地域はとくに両陣営とも手持ち駒の不足から借り物の兵士、傭兵が多く投入されていた。雇用主は元より、雇われ兵が自らを危険にさらしてまで負傷者だの、ましてや死者を回収するなど考えられなかった。
「しかもわりときれいなのばっかり選んでいくんだ。あいつらより先に見つけて仕事しなきゃなんないから大変なんだぜ」
口を尖らせて文句を言う横顔はどこにでもいる少年の姿に見えた。
それから何度か男はこの周辺に立ち寄る事があったが少年は村と共にしぶとく生き残っていた。
あるとき男は、背も少し伸びて顔立ちもどことなく青年らしさを見せ始めた少年に村の路地でばったり出会った。屈託なくいつものように「煙草いるかい?」とまとわりついてくるかと思えば、少年は何も言わずただ男の顔を見ていた。男は一瞬逡巡した後、変わったことはないかと尋ねた。
「とくには。それより僕は明日にでもここを出て行きます。以前あなたが言ったようにここでは死んでしまいますから」
男の返事を待たず少年はその場を去っていった。男は自分が言葉を飲んだ理由がわかった気がした。変わったこと、それは少年自身に何があったのかを尋ねたかったのだと。目が合った時に感じた違和感、そして言葉を交わした後の確信。その背中を見送ったまま立ちつくす男の袖を引く手が、にゅいと伸びてきた。そこには以前の少年を彷彿させるような、浅黒く日焼けした顔に印象的な黒く強い眼差しの少年がいた。
「金、いくら持ってる? 煙草と面白い話、買わない?」
マルコの話しさ、と言って少年は小さくなった背中を指差した。
「いいだろう」
二つ返事でジムが紙幣を渡すと「俺、トニーって言うんだ」名乗った少年は「あっち行こう」と歩きながら話を始めた。
少し前に物資を運ぶ途中に村に寄った連中が、近くの村が戦闘に巻き込まれて壊滅したと話しを始めた。「今から漁りにいっても、もう何も残ってないぜ」去り際にそう連中は言っていたが、トニーと村の大人たちは壊滅した村まで出かけていった。
確かにそこには目ぼしいものはすでになく見慣れた死体が散乱しているだけだった。だが、なぜかその死体の多くは年老いた者ばかりで年若い者や子供の死体が見当たらず、出掛けた大人たちは足手まといになる人間を捨て、村を捨て、出て行ったんだろうと話していた。
「それ聞いて俺、友達を探したんだ」
誰もいない路地裏の干からびた瓦礫に座ったトニーはジムの横でいっぱしに煙草の煙を吐き出しながら話しを続けた。
「友達っていっても名前は知らないんだけど。そいつ、生まれつき足が動かなくっていつも杖をついてたから “朽木の足” とか呼ばれて厄介者って言われてた。だから村に置き去りにされてるか、殺されてるんじゃないかって思って探したんだ」
広くはない村を隅々まで探しても友達は見つからなかった。しばらくすると、村の奥にある祭壇の下にこの村の密かな貯蔵庫があったことを知っていた大人たちがそれを見に行って戻ってきたが、空っぽだった、無駄骨だったとぼやきながら死体を埋葬することもなく帰路へついた。
ここまで話したところでトニーは急に口を閉じてしまった。
「それだけか?」
「面白いのはここから」
トニーはひょいと掌をジムの前へ出した。ジムはため息一つ、しわだらけの紙幣をそこへのせた。
それからしばらくして戦場でいつもの仕事をしていたトニーは収穫の少なさから少し遠出をした。小高い丘に登ったとき、潰滅した友達の村の方角に煙が見えた。トニーは誰にも言わずそこから煙の方角へ向かうことにした。辿り着いたのは、やはりこの前見に来た潰滅した村だった。おそるおそる草木に紛れてのぞいたそこは、廃墟と化し、武装勢力や山賊の潜伏場所にでもなったかと想像した風景ではなかった。以前見たことのある村人の顔、ここを捨てたと大人たちが言っていた村人たちがそこにいた。
『戻ってきたんだ』
トニーはそう思うといてもたってもいられず草木から飛び出ると、村の外れ、友達がよく寝転がって自分の知らないメロディを口ずさんでいた場所へ駆けて行った。息を切らしてその場へ辿り着くと、やはり自分の知らない曲が聴こえてきた。驚かしてやろうと息を整え、そっと近寄っていったが驚かされたのはトニーの方だった。
「トニー。久し振り」
身体を起こした友達はまるで頭の後ろに目でもついているかのように、トニーを振り返りもしないでそう挨拶した。びくりと身体を震わせたトニーを笑いながら振り返る。
「そんなに驚かなくてもいいでしょ」
「な、んだよ。気付いてたのかよ。いつから? って言うか、いつ帰って来たんだよ」
「帰って来た? 誰が?」
「お前たちだよ! ちょっと前にじーさん、ばーさんおいて、この村、離れただろ? 俺、あんとき見に来たんだよ」
「確かにこのところ亡くなった方はいたけどね。私たちは誰も村を離れてはいないよ」
立ち上がった友達はズボンについた草を軽くはたくとにっこりとトニーに笑顔を向けた。
「なんなら案内しようか」
「亡くなった、カタ? お前、なんか喋り方が変だぞ。それに案内って……」
トニーはそれ以上話し続けることが出来なかった。あまりにも自然な友達の立ち姿に唖然として。つい先程の驚きなどいとも簡単に更新されてしまった。
「どうしたの?」
「どうしたって……お前、どうやって立ってるんだよ」
何を言われているのかわからない、と言った顔の相手は、ただ一言、自分の足で、とだけ言った。
訳が分からないまま手を引かれトニーは村を案内された。あんなに友達のことを厄介者と疎んでいたはずの大人たちがにこやかに挨拶を返してくる。村人がみんな穏やかに笑っていて、なかには貴重な水をくれる者までいた。村から少し離れた、今までただ土が盛られていただけの墓場にはところどころ墓石のようなものが置かれていたり花が添えられていたりした。
『俺、夢見てるんだな。もしかしたら、天国の外れに来たのかも』
夕暮れの柔らかい風に吹かれてぼんやりとそんなことを思ったトニーは、ふと村人たちが村の一角に集まっているのを見た。
「みんなどうしたんだ?」
隣にいる友達に問いかけると、一点を見つめる瞳が夕焼けのせいか薄く光を放っているように見えた。
「新しい曲が聴こえる。オーダーが来た。私も、行かなくちゃ」
「え? 俺には音なんてなんも聴こえねぇけど……」
いぶかしむトニーをよそに、すっくと立ち上がると「さよなら。トニー」とだけ友達は言い残し、振り返ることもなく村人たちが集まった場所へと歩き出す。
「おい。ちょっ、待てよ! 待てって! 俺、お前の名前……」
またしても呆気に取られたトニーは慌てて後を追うが、もうトニーの声は友達には届いていないようだった。走って追いかけ肩をつかもうとした瞬間、逆に驚くほど強い力で腕を捻り上げられてしまった。
「いってぇって!! これ! ここにあるのやるよ! 今日の一番の収穫! だから離せよ」
ややあって腕が開放されるとトニーは痛む腕をさすりながらポケットの中から指輪を取り出した。死んだ男が大切そうに戦闘服のポケットに忍ばせていたものだ。
「何か文字が彫ってあるけどプラチナだと思うぜ。足が治った祝いにやるよ。ったく大盤振る舞い絶好調だぜ。まあ、いつもなんかいい歌聴かせてもらってたし、俺、結構お前の歌好きだしさ」
ぶつぶつと、文句と照れ隠しと本当はもっと素直に伝えたいことがあって、初めての友達を失わずにすんだことを祝いたかったはずなのに言葉は全然出てこなかった。トニーは乱暴に相手の手をつかむと、どの指にはめてやったのかもよくわからず、相手の顔も見ずに照れ臭さがどうにも制御出来ないまま「またな」と言ってその場をあとにした。名前を聞き忘れたことに気が付いたのは村を出てしばらく経ったあとだった。
「のろけ、で終わりか。金を返せ」
「ちげぇよ! こっからが本題」
ニヤついた顔でまたしても手を出してくるトニーに、ジムは思いっきり肺から煙を吐きかけてやった。
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