雪原脳花

AIは夢を見たいと願うのか
Hatter
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05.05.04:oscuro #4

公開日時: 2021年8月26日(木) 08:10
文字数:3,257

”暗い 世に知られない#4”


 男がストレッチャーを止めると、引き離されていたフレッドがまたエリックにしがみつこうと走り寄った。男は蔑んだ目をフレッドに向け、舌打をするとその背中を乱暴に掴み力任せに床へ放って転がした。驚いたパガナリスが口を開く前に男は釘を刺した。


「人形に兄弟愛でもあるのか? 不要だな。パナガリス少佐、2体を併用するなら次のシリーズでは排除した方がいい。可能ならヴァージョンアップの時にでも削除してしまえ。備品がこれでは、任務に支障が出るだろう」


 呆気に取られ床に座ったまま動けなくなっているフレッドの元へホリーが駆け寄った。静かに怒気を立ち上らせるホリーの背後から、“動くな” と、ジムが鋭く警戒音をホリーに向けて発した。

 ジムは不穏な空気の流れを嗅ぎとると、即座に未だ長さの残る煙草を痕跡回収パックパックマンへ放り込みホリーを押さえられる位置にまで移動していた。


「壊れたEから直接データを取り出してサーバへアップするのに時間がかかるなら先に同調シンクロだけさせろ。Fへのミラーリング、この距離なら死にはしないんだろう、バレット博士?」


 パガナリスの横にいたバレットは、眼鏡を押し上げて前に出るとチーフスタッフを呼びエリックの状態を改めて確認した。


「かなり消耗していますから、更に同調シンクロでエネルギーを使えばEの回復に時間がかかります」

「データ取得用のマシンからデータの取り出しに時間が掛かるほど役立たずなことは無い。さっさとFに移して取り出せ。早急にだ」


 苛立たしげな男に臆することなく、ホリーがその前に立ち塞がった。


「待って。ミラーリングは都合よく必要な情報だけ渡せるわけじゃない。エリックの見聞きした情報の他に受けた痛覚や恐怖もフレッドは受け取ることになる」

「だから何だ。それがこの人形の仕様だから仕方あるまい。仕様に文句があるなら、そこにいるバレット博士にでも言うんだな。だが……」


 男は、ホリーの顎を掴み上げた。


「大佐に拾われた犬なら犬らしく、命令を忠実に聞き尻尾を振って餌をねだれ。パナガリス少佐。躾が出来てないぞ。主人に吼える犬は、殺処分するまでだ」


 冷笑を浮かべ掴んだ顎を離すと汚れを払うかのようにわざとらしく手を振る。その間も微動だにせず、鋭い目つきで相手を見据えるホリーと嘲る同僚の前にパナガリスが割って入った。


「ホリー。下がって」


 パナガリスが命令すると、一瞬の沈黙の後、ホリーは一歩、二歩と足を引き、怒気は消えたかのように見えた。

 パナガリスの隠し切れない安堵の息と、男が鼻で笑う音が混じる。

 

 上官たちはパナガリスの命令に当然ホリーが従ったと思っているだろう。反抗的な怒気を、従わせる人間としての力と態度でねじ伏せたと。確かにもう怒気はない。今ここにあるのは、殺気だ。だが、この目の前の飼い主のどちらもそれを感じることは決してないだろう。次にホリーが動いた時には、彼らの頭蓋は砕けているだろうから。

 ホリーは殺気を、それとわかるように外に立ち上らせるようなことは絶対にしない。

 ジムは、周りに気付かれないようホリーの腕を掴んだ。


「博士、早くしろ。情報の解析が急務だ」


 自分にまで及ぶ男の高圧的な態度にバレットは自尊心を傷つけられたのか、半ば八つ当たりじみた様子でチーフスタッフとその場にいるスタッフたちに指示を出した。医師の一人が拒むように意見したが、バレットは「黙れ」と言って彼女を脇にどけると、近くにいたスタッフに「早く連れて来い」とフレッドを指差した。

 命じられた一人がフレッドの手を引くと、フレッドは大人しく従い手を引かれるまま歩いて来たが、ホリーの横まで来るとぴたりと止まって手に握っていたフィギュアを差し出した。


「ホリー。これ、持ってて」


 にっこりと笑うフレッドに、ホリーが全身の筋肉の緊張を解いたことを確認したジムは動きを封じていた腕を解放した。

 ホリーは無言で頷くとフィギュアを受け取った。


「エリック……」


 フレッドの呼びかけにエリックが重たい目を虚に開いた。弟の姿とその横に立つバレットの姿を認め、何かを察知したのか、エリックは弱弱しく抵抗し始めた。


「い、やだ。お願い……フレッドを近付けないで。ジム!」


 身を捩ってフレッドから遠ざかろうとするが、消耗しきった体はいとも容易く白衣のスタッフたちに封じられ、エリックの懇願も虚しく双子は互いの額同士を突き合わせた。


「ごめん。エリック。でも、僕、1人は嫌だ。一緒がいい」


「よせ、フレッド。見せたくない! ジム! お願い!」


 エリックの目から涙が溢れる。

 ジムは、エリックが何を弟に見せたくないのか、あの残虐な体験と苦痛を与えたくないのか、自分が誰に殺されたのかを見せたくないのか、ジムは自分が “やめろ” と叫びたいのか、エリックが自分を呼ぶ声にただじっと耐えていた。

 バレットがタブレットからコマンドを入力すると、互いに鏡を見るような二人は呼応するように瞳の中に鈍く青い光が点滅し始め、エリックは、何度も「嫌だ!」と叫びながら、やがて最後の力を使い果たし意識を失った。

 動かなくなったエリックを見て、バレットにどかされていた女性医師はバレットの手からタブレットを奪いディスプレイを見ると、エリックを押さえつけていたスタッフを押しのけ状態を確認し、すぐさま「Ⅲ300! グラスゴー4! 急いで!」と声を荒らげ有無を言わさず昏睡状態に陥ったエリックの搬送を指示した。


「おい! 君!」


 慌てたバレットに、彼女はタブレットを強く突き返すと「軍人さんのお相手を」と言って睨め付け、置き去りにした。

 タブレットには、コマンドコンソールに <完了> と、エリックのモニタ画面には赤く <Alert(警告7)> が主張していた。

 騒然とした中、運ばれるエリックから離されたフレッドは送り込まれた情報の衝撃と処理に意識を奪われ、カチカチと歯を鳴らし目を見開きながら短い叫び声とともに頭を抱えて倒れこむ寸前を、ジムがその体を抱きとめた。

 腕に抱えて抱き上げると、フレッドはモザイクガラスに内側から闇を広げたような散瞳した目にジムを映し、呟いた。


「ジム……どうして僕を殺したの? ・・・ジ・・・ム・・・どうして・・・生きて・・・? 何が……聴こえる? ……ジム何が聴きたい?」


 夜闇の瞳孔に一瞬鈍く青い光が走り、瞼を閉じることなくジムの服を握り締めていた手がパタリと落ちた。フレッドの中では、今夜エリックが受けた苦痛、死の恐怖、任務完了のコマンドが入力されるまでの全てが自身の経験として高速で処理され、今、死に至ったのだった。


「データは送れたのか?」


呆然としたバレットは催促する声に我に返り、眼鏡を押し上げると慌ててタブレットを確認した。


「え、ええ。転送完了しています」


「ならば、Fから至急データを取り出してサーバへ上げろアップ。博士、くれぐれも急げ。パナガリス少佐、君もこのまま来たまえ。貴重な情報は君の手柄だ。これからこの情報を元にして作戦会議を行う。うちのAZではなく、君のところのを使う場面もあるだろう」


 スタッフがフレッド用のストレッチャーを押してくると、ジムはその上へフレッドを横たえ、瞼を閉じてやった。

 死の追体験と言うより、同期シンクロによって発生した自らの死そのものの負荷ストレスは大きく、フレッドの状態を確認した医者はエリックほどではないにしても、「至急! だが慎重に」と、指示を出した。

 足早にフレッドが運ばれて行く後ろを、バレットが小走りに追った。


「行くぞ。パナガリス少佐」

「はい……」


 男は地上に向けて先に歩き始めた。


「ジム。部下を連れて戻りなさい。別命あるまで待機とします。ジムとロンの二名は、明朝10時までに報告書を提出しなさい」


 パナガリスはジムの目を見る事なくそう命令すると、同僚の後を追った。

 白いフロア、白い光の中に取り残されたジムたちは、霞んだ灰色の影のように、そこにいても何も出来ない、触れることも叶わない無力な幽霊そのものだった。



「行くぞ」


 ややあって、ジムはそう言って歩き始め、ブライアンと、ブライアンに肩を柔らかく押されたホリーがその背中について行った。



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