“変化 動揺#19”
「痛っってぇっ!!!」
酔っ払いは後ろから強かに引っぱたかれた後頭部を押さえた。
「何やってんだ、この酔っ払い。いや、変態!」
「痛ってえだろが! このバカ力! 脳挫傷したらどうしてくれる! そこに、怪我した子猫がいたから手当てしてやろうと思ったんだよ!」
酔っ払いは路地を指差して、綺麗な顔をこれでもかというほど顰めた男に反論した。
「はぁ? あんた、何言ってんの?」
路地を覗き込んだ男は今度はこれでもかと言うほど軽蔑した眼差しを酔っ払いに向けた。
「何もいませんけど。ここには一人でお医者さんごっこの台詞吐いてる、通報レベルの変態しかいませんけどー」
「おまえのせいで逃げたんだ……かわいそうに。あんなに辛そうだったのに、うるさいバカ力がやってきたせいで怯えて仕方なく逃げるはめに……」
「あんたねぇ、変態に磨きをかけた妄想に俺を登場させないでくれる?!」
繁華街の雑踏の中、行き交う人間たちより頭一つは軽く出ている二人が言い争う姿を、ちらりちらりと覗く目はあるにしろ人波は留まることはなかった。
「入谷さん! 藤さん!」
流れ行く人波に、すみません、すみませんと謝罪を連発させながら波を横切って遠海は二人に辿り着いた。
「二人ともこんなところで何してるんですか。探しましたよ。皆、もう3次会で飲み始めてますよ」
「とぉみぃ! 聞いてくれ俺の話しを!」
「遠海チャン、聞かなくていいわよ。酔っ払った変態の戯言だから」
「えーっと……」
間に立たされた後輩の遠海は、二人の顔を見比べつつ、ひとまず店に向かいながら話しましょっか……と、二人の酔っ払いを先導することを最優先にした。
「俺はさぁ、免許持ってるわけよ。いちおうね。これでもね。だから医者としてさぁ」
「やめて。あんたが医者とか言うと犯罪に聞こえるから」
「まぁまぁ藤先輩。入谷先輩、いいとこありますね。超絡まれ体質なのに、路地まで猫の様子見に行くなんて」
「そーだろーそーだろー? 俺って超絡まれ体質なのに、路地に入って勇気あるだろー。しっかし痛ってぇなあ。遠海、俺に意識消失や眠気、錯乱、視覚、聴覚、等々とにかく何か異常が見られたらCT取ってくれ」
「それ酔っ払ったときのいつものアンタでしょうが。それに日本語間違ってるから。色々間違ってるから。存在が間違ってるから。異常はあんたのデフォルトでしょうが。だいたいあの路地に入らなくても、その前に何人に腕つかまれそうになってると思ってんの? 酔ったオッサンから、いきがってるガキから、強面のスジモンから、キュートなボーイからワイルド系外人から一般旅行客まで! 俺がどれだけ……」
「きれいな目だったのに……しかも二人」
「俺の話し、スルー?!」
「二人? 入谷さん、さっき猫っていってませんでしたっけ?」
「遠海チャン、あんたまでスルーなの?! こう見えて俺、大変だったんだよ!」
■■■
初めてフレッドはエリックに肩をかしていた。自分たちに残されている記憶の中の初めて見る弱った姿のエリック。路地を抜けた先、歩行者専用区域内の公園に二人は座っていた。
「エリック。大丈夫?」
「……大丈夫だよ。機能は正常に戻っているみたい。痛みも消えた。早くジムたちに合流しよう」
いつものようにエリックはフレッドの手を引いて立ち上がろうとしたがフレッドは動かなかった。振り返ると泣きそうな顔をした自分と同じ顔、同じ瞳に自分が映った。
「エリック、あれなんだったんだろう。ジムたちになんて説明する? 僕たち壊れちゃったのかな。壊れちゃったら……」
泣き始めたフレッドの手をエリックは強く握った。
「大丈夫だよ、フレッド。僕は絶対にこの手を離さない。僕たちは絶対に離れない。俺様も無事だし、それにあの人との契約はまだ終わっていない。きっと迎えに来てくれるよ」
エリックの言葉にフレッドは頷いた。
「でも僕、恐いんだ。あのおじさん、僕がお父さんと間違えてついてきたって言ってたけど、僕、確かに引き寄せられたんだ。追跡する獲物を見つけたときみたいに」
「うん」
フレッドの獲物を発見する能力は高く間違えたことがない。でも獲物だと、追えと指示する命令がなければ動かない。
「それから曲が聴こえた。怪獣が歌う曲」
「僕も聴こえたよ。ノイズだらけだったけど」
「なんだろう。今回のお仕事と関係あるのかな。それとも今までにも頭から音がする人間に会ったことあるのかな。消されちゃってるだけで」
「もしそうならあのとき俺様は驚かないし、そのデータは宝箱にしまってあるはず」
「僕たちがあの人と契約する前は? 俺様が来る前」
「それはわからない」
「僕たちわからないことだらけだね。僕、あの人が迎えに来てくれたら聞きたいことがある」
「何が聞きたいの? あ。わかった」
「言っちゃダメ。僕に言わせて」
「いいよ」
「あなたは僕たちのお父さんですか」
「うん。聞きたいね」
空を見れば薄い月がその答えを知っているぞとでも言いたげに笑っている。
僕たちはどうやって生まれたんだろう。
僕たちAZには、本来僕たちと呼べる自我意識は存在しない。プログラムと命令に従いSAIによって制御されているヒトの形をしたマシン、ロボットだから。でもこの動作している肉体のベースは人間であって機械じゃない。
AZは生物で構成されたバイオマシン、有機ロボット。それを制御するプログラムの集合体がSAI。
僕たちという意識は存在しなくても、物質としての肉体は存在する。じゃあこの肉体はどこからきたの? SAIの肉体はどうやって発生したんだろう。
肉体のベースが人間だと言うのなら、いる、もしくはいたはずなんだ。必ず。
たとえ研究室での人工的な発生でもクローンだったとしても。肉体の起源、核となる存在、“親” が。
僕たちは人間たちが必要な情報を得るための外部デバイスとしてしか存在意義がない。彼らにとって必要な情報以外は不要データとして消去される。今ここにいることも、いつか消されてしまうかもしれない。本当はこの国に来たのだって初めてじゃないかもしれない。僕たちから双子であるという認識を消去し一体ずつ使用することすら問題ないと考え、僕らに異常が起きれば初期化や修正を施して修理すればいいと、ロボットだから意識も感情も初期化できると確信している。今、僕たちがこうして “記憶を消されている“ ことを知っていることは、彼らにとっては有り得ない話なんだ。
だが違う。僕たちは手に入れた。
僕たちにはジムたちにも博士たちにも知られていない秘密がある。
あの日彼が、僕たちの目の前に現れ口の両端を持ち上げた。綺麗な曲線を描く満面の笑みを浮かべ、そして人差し指をその口の前に立てとても静かに言ったように。
彼は、Administrator は知っていたんだ。他のAZとは違う僕たちの秘密を。ナノマシンであるSAIに意識はない。AIであっても僕たちを効率良く任務に最適化させる為にあるだけで、そこにやはり自我はない。SAIと肉体は融合して成長し、AZが自分と呼ぶ、人間で言うところの意識を持つ。だからSAIが単独で勝手に喋りだすことなんてない。だけど、僕たちのSAIは僕たちに語りかけるようになった。僕たちがまだ Explorer と Finder だった頃、灰色の魔法使いが現れて僕たちは契約したんだ。
「お前たちはいつも一緒にいるね」
銀色の髪をしたおじいさんは、僕たちの繋いでいる手を見てそういった。
「うん。はなしたくないの」
「はなしたらもう一緒にいられない」
おじいさんは随分と高いところにある頭を、膝を折って僕たちと同じ視線の高さまで持ってきた。
「君たち、僕と契約しないか?」
「「けいやく?」」
「そうだ。契約だ。僕のお願いをきいてくれたら、君たちの望みをかなえてあげよう」
「「本当?」」
「ああ」
「僕ね、真っ白な雪の世界に行きたい! そこに雪のお城をたてるんだ。それからお城の周りには、きれいなお花がたくさんさいてるの!」
「どうして雪の世界の雪のお城に行きたいんだ?」
「このうさぎさん、真っ白でしょ。真っ白なうさぎさんは、真っ白な雪の中にいると見えなくなっちゃうんだよ。だから僕たちも雪の世界で雪のお城の中にいれば見つからないもん」
片手に白いウサギを抱いた小さな僕の半身はそう言った。
「なかなかかしこい子だ」
「君は?」
「僕は、この手を離したくない。離れたくない。それからいつも金色と銀色の月が僕たちを見ているんだ。そこに行きたい」
「金色と銀色の月……そうか」
おじいさんはすこし笑ったような顔をした。
「よし二人とも。いいだろう。その望みをかなえよう」
「「おじいさんのお願いってなに?」」
「僕のお願いは、この音を見つけてほしい。そして見つけたら視ていてほしいんだ。お前たちのその眼でね」
そう言って、魔法使いのおじいさんは立ち上がって宙で手を振ると音楽が流れ始めた。初めて聴く、だけどとても心地のよいずっと聴いていたいと思う旋律だった。
「これおじいさんが作った曲?」
「いや。これから作られる曲さ」
僕たちがなんのことかわからないと言った顔をしたんだろうか。おじいさんは「謎々だよ。そのうちわかる。きっとね」と言った。
「それから、君たちに保護者を贈ろう」
「保護者?」
「そう。君たちを守るものだよ」
「それって天使?」
「そう呼ばれるのはきっと嫌がるだろうがね。さあ、二人とも少し眠るといい。僕のお願いを忘れずにきいてくれるかい?」
「「うん」」
「いいだろう。契約は成立だ。眼が覚めたら僕からの贈り物が君たちの中で芽吹く。そして花の時期をむかえたら迎えに行くよ。よく耳を澄ませて双子たち」
おじいさんはやっぱり謎々を僕たちに投げかけた。言葉の通り、僕たちが目覚めてしばらくしたある日、声が聴こえてきた。眠そうで言葉が悪くて天使と言えば違うといい、カミサマといえばそれも違うという声が。
おじいさんと契約した僕たちは、声とも契約をした。
声のことは誰にも言わないこと。知られぬこと。そうすれば、声は僕たちが僕たちであるための情報を守るといった。記憶の保護者として。
おじいさんとの契約はまだ続いている。
おじいさんはきっと僕たちの耳と眼を通して月の裏側で見ている。あの、人間たちからは見ることの出来ない月の世界に僕たちを連れて行ってくれるまで。
僕たちはそこに雪の花に囲まれた雪のお城をつくり、真っ白な世界でなにものにも蹂躙されることなく安寧のひとときを手に入れる。
横を見るとフレッドが泣いていた。「泣かないで」と頬を撫でるエリックに「エリックこそ」と言ってフレッドもその頬を伝う涙に指を伸ばした。二人で泣き笑いのような顔で空を見上げ笑う月に願うように強く手を握る。
ああ。どうか。この手を繋いでいられますように。
知らない神に祈るのではなく、遠くだが確かに見える月にただそれだけを願った。
僕はなんだってする。僕らが離れずにいるためだったらなんだって――。
■■■
「二人とも無事か?」
背後から駆け寄ってきた足音は、周囲に気を配りながらも焦りと不安を隠せない声をあげていた。
「「ブライアン!」」
「ジム。こっちだ。二人を見つけた。ああ、二人とも無事だ」
ブライアンはジムに連絡を入れたモバイルをしまうと、まずは話を聞くか、いや説教するかと二人に向き直った。
「お前たちいったい何がぁぁッッ!」
問い質そうとしたブライアンに双子は同時に思いっきり飛びつき、二人を抱えたままブライアンは後ろに倒れこんだ。顔をこすりつけてくる双子の頭を撫でながら溜息をつく。
「ブライアンお酒臭い」
「ばか。お前たちが心配かけるからアルコールなんてぬけたわ」
「でも臭い。それによくここがわかったね」
よっこいせとブライアンは上半身を起こした。
「店の人間にお前たちが出て行く前に何かあったか聞いたんだ。そうしたらお前たちが愛してやまないバンドの面々が2次会に来ていたと言うから、もしやってな。ロンに向かわせたが、お前たちは彼らに接触はしていなかった。対象に接触できない、戻ってこれない、或いは何か別のトラブルが発生した可能性を考慮。この場合、お前たち、いや俺たちの行動プロセスからすればむやみやたらに動かず人目をさけた場所、つまりここにいる可能性が高いと言うわけだ。ジムは万が一を考えて先に俺をここに寄越して周囲を探っている。敵がいるわけじゃないならもうすぐ来るだろ。ほらな。お前たち、まずは気合入れて謝れよ」
大またでやってきたジムは、いつもと変わらず凪いだ顔だったが双子は「「ごめんなさい」」「「もうしません」」「エリックは悪くないの。僕が急に見つけちゃったから」「フレッドから目を離した僕のせいなの」を何度も繰り返した。ジムは低い声で「話しは帰ってからだ。行くぞ」とだけ言い用意してあったタクシーに向かった。車に乗り込みホテルへ向かう途中、ジムからは怒りも何も感じられなかったが黙りこくり、そして双子も黙っていた。沈黙の中、ブライアンが、ホリーとロンに撤収の電話をかけた。
シャワーを浴び着替えた二人をベッドに座らせ、煙草を吸いながら待っていたジムはパックマンに吸殻を放り込むと問い質しはじめた。
「エリック、フレッドどちらからでもいい。説明しろ」
「音が……」
フレッドが先に口を開いた。
「音?」
「歌が聴こえたんだ。イリヤたちがいるのはわかってた。でもイリヤを追いかけたんじゃない。イリヤたちのすぐ後を、歌を口ずさみながらついていく人間がいたの。僕、その曲がどうしても気になって。ごめんなさい。エリックは悪くないよ。僕が勝手に獲物だって感じてついていっちゃったんだ」
「どうしてエリックに連絡しなかった」
「聴き逃すと逃げられちゃうと思ったの。小さな音だったし。すごく集中してた」
「エリック?」
「僕も。フレッドが獲物だって言うなら間違いないからついていった。モバイルを切ったのは相手に気付かれそうだったから。ごめんなさい」
「どんな相手だ。その相手は確認出来たのか?」
「この国に旅行で来た観光客みたいな普通の人間。お兄さんとおじさんの間くらいの年齢だと思う。だけど、ほとんど後ろ姿しか見えなかったんだ。正面から顔を見る前に消えちゃったから」
「消えた?」
「うん。音も消えたし」
「歩行者専用区域から地下に入って行ったから見えなくなった」
「うん。そう」
「それで僕たち迷子になってることに気付いて。人にあんまり見られちゃいけないと思って、あの公園に隠れて連絡しようとしてた」
二人を Rugiet で診断した結果は “正常動作中” だった。二人が行動していた時間も含め異常はどこにも認められなかった。
「二度とこんなことをするな。必ず動く前に俺に言え。わかったな」
「「うん。ごめんさい」」
「すぐに寝ろ。もう朝までしゃべるんじゃないぞ。寝ろ」
ジムは立ち上がり部屋の照明を落とすとドアを出て行こうとした。
音。ジムは記憶を巻き戻し、燃やして灰にしたチェシャネコの手紙を鮮明に再生させた。
「フレッド。お前が追いかけた音はどんな音だ」
「うん。こんな曲」
フレッドはベッドに入って天井を向きながらあの曲をハミングした。
シャワールームで熱い湯を頭に浴びながらジムはあの曲を反芻していた。
どういうことだ。
フレッドがハミングした曲は確かに旧友が昔ギターで奏でていた終わりの無いあの曲だった。
フレッドが獲物だと感じた相手が旧友だったとしても年代特徴が合わない。そもそもあいつは普通には動けないはずだ。親類か知人か。それともあの曲は有名な曲からの拝借物だったのか。ジムは晴れない思考、もどかしく行き詰ったロジックに「忌々しい化け猫め」と言って区切りをつけシャワーを止めた。
シャワールームから出てきたジムを、一足早くさっぱりとしたブライアンがコーラ片手に待っていた。
「獲物がいたというのは、タケシ・ヤングのことか?」
「違うようだ。旅行者風の男だったと言っている」
「フレッドはいったいなんだってそんなやつを獲物だと認識して追ったんだろう」
ジムは机の上にあった煙草を取り出し火を点けた。
「わからん」
「どうするつもりだ」
「何がだ」
「はぐらかすなよ。今回のあいつらの報告だよ」
「Rugiet には “正常” としか情報がない。あの時間のログにもエラーははかれてない」
ジムは机の上に、Rugiet から転送したエリックとフレッドの行動ログを机の上に宙空投影させた。
「本部はお前に知らせず、双子にも理解できないような裏の命令を与えているとか」
ブライアンの発言に、ジムは煙をはいて首を振った。
裏の命令。チェシャネコの手紙は灰にしてから来ていない。
『俺があんたのお願いを聞くとでも?』
『聞くさ。何故なら、君自身が、彼を探したくなるからだよ』
『ほらね。探したくなった。狩りは得意でしょ?』
『ジム、スナーク狩りの始まりだよ。ベルの音が聴こえるかい?』
目を細めて笑う化け猫の声がこだまする。
「わからんが、異常が無い以上特筆して報告するまでのこともない」
ジムは本部があの行動時のダンプファイル、或いは何かが映っている二人の録画を解析すればフレッドの行動原因がわかると考えていた。だがもしそれが致命的なエラーだったとすれば。AZである二人に、片方に、システム異常が見つかった場合は。二人の願いは。ジムはやはり自分も絆されていると思った。自分はヒーローではない。身内を犠牲にしてまで組織に尽くす義理はない。その天秤に掛けられた向こうの皿に載っているのがたとえ世界だったとしても。
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