雪原脳花

AIは夢を見たいと願うのか
Hatter
Hatter

06.09:vicenda #9

公開日時: 2021年9月21日(火) 08:10
文字数:4,266

“変化 動揺#9”


 だがこの亡霊たちの身元確認は少々厄介だ。彼らは人間だった頃、特殊部隊や諜報部員のそれも実戦でのエリートだった者が少なくない。姿を変えるのもくらますのも情報を操作するのもスペシャリストとして活動していた人間たちで、軍や組織の抜け穴を熟知しているといってもいい。本部としては身代わりダミーデータをつかまされるわけにはいかず、こういった特殊な条件だからこそ俺たちは派遣される。確度の高い情報獲得のため、エリックとフレッドをターゲットに物理的に接触させ、彼らが見て聞き触れた情報を本部に送る。その生きている情報をもとに本部はターゲットが狩るべき獲物ブルズアイであるか判断する。

ジムはタブレットからターゲットと指定されている男を宙空に投影した。


「元特殊作戦軍の爆発物処理班出身タケシ・ヤング。現在は日本でパイロテクニクスをあつかうフレイムテックの社員。数年前から追跡対象の “亡霊” となっている。今回はあくまで捕獲が任務だ。殺すなよ。わかっているとは思うが “生きている” とはつまり、取り調べが可能な状態、情報が引き出せる状態ってことだ。間違っても植物にするんじゃないぞ」

 

 ジムはチームの面々を見回した。


「元爆発物処理班ならパイロテクニクスはおてのもの、か。どうりでギリギリなギミックにも定評があるわけだ。一歩間違えれば事故につながりそうな派手な演出効果を好むバンドが贔屓にするのもわかる」

「俺たちは観客おもて側からターゲットを追い接触をはかる。お前たちはスタッフうら側から獲物を表に追い立ててくれ。まずは亡霊の身元確認。狩るかどうかは本部の判断のあとだ」


「いいなあ。僕もスタッフが良かった」


 離れた場所からフレッドのぼやきが上がった。


「どうして? 観客ならあなたたちのお気に入りのバンドのステージを観られるじゃない」


ホリーが拭き終わったタオルをロンに投げつける。


「だって、スタッフだったら直接会えるでしょ」

「痛ててて……お前、どんだけミーハーよ」

 

 痛むからだを押さえ、投げつけられたタオルを手にしたロンが立ち上がる。


「あのなあ。子供が現場に入れるわけないだろ。それに、なめんなよ裏方。お前のそのひょろなまっちろい細い手で出来るようなもんじゃないぜ」

「ホリーだって女の子じゃん」

「あのな。ホリーの腕は豪腕って言うんだよ。むっきむきのスーパーマッスルアームだぜ? 人間じゃねぇ。知ってるか? あの腕はジョージ・フォアマンより……」


 電光石火の勢いで叩き込まれた拳にロンは倒れた。手にしていたタオルがその顔に落ちる。フレッドには無言に拳を掲げるホリーが減らず口のロンよりもずっと雄弁と語っている姿が見えた。


Ohオウ……」


 コホンと、ブライアンが咳払いをする。


「もしかしたら会えるかもしれないぞ。そのお前たちが信奉するギタリストに」

「どう言うこと?! ブライアン!」

「お前たちが入りやすい会場での子供向けイベントのひとつに急遽ターゲットが借り出されることになっている」

「主催者側からの直々のリクエストですから断われません」


 ふくみのある言い方をしてホリーが椅子に座る。この規模のイベントだ。途中から偽の発注が混ざったとしても、それが巧妙であれば誰も気付く暇はないだろう。そしてその立役者は今、ピクリとも動かず床に倒れている。


「このイベントに都内にある大学病院の院内学級の子供たちを招待するそうだ。その飛び入り客の招待は “闇月”ってとこのギタリストがターゲットと主催者側に直々に頼んできたらしい」

「来るの!? イリヤ、来るの!」


フレッドが眼を輝かす。


「いや……来るって確証はないが……」

「なんだ」


 フレッドはさっと輝きを引っ込めるととたんに頬を膨らます。


「怒るなよ。来る可能性はあるだろ?」

「いいじゃないかフレッド。目の前で会える可能性があるだけでも。もしそのイベントで会えなくても、見ることは出来るよ。それに、見るべきターゲットは彼じゃなくて、こっち」


 エリックは、机に立つタケシ・ヤングを指さした。どこにでもいそうな平凡な壮年のアジア人を。




 ミーティングを終え自分たちの部屋に入るとまずはフレッドがベットへ飛びこんだ。


「エリック、一緒に寝ようよ」

「いいよ」


 その横にエリックも飛び込み、2人ともベッドの心地良さを背中に感じて足をばたつかせた。


「お前たちのベッド、くっつけるか?」


 ジャケットをハンガーに掛けたジムは自分のベッドに腰を掛け、ひとつのベッドに横たわる双子に声をかけた。


「大丈夫! ベッドずらすぐらい僕たちでできるよ。ジム、先にシャワー浴びていいよ」

「俺は一服したい。お前たち先に入ってこい」

「お湯溜めてもいい?」


 エリックが起き上がる。


「ああ」

「バブルバスボム入れていい?」


 ぴょこんとフレッドが続いて体を起こした。


「1個にしとけよ」

「「やった!」」


 2人は同時に声を上げると、われさきにと服を脱ぎ始める。


「ここで脱ぐな」




バスルームからの楽しげな笑い声を聞きながら、ジムはグラスにウィスキーを注ぎ窓際に立った。カーテンを開けると東京の街が広がる。ゆるやかに点滅する光は街の拍動のように見えた。ささめく街の灯に空港で聴いた歌を思い出し、オールボーのアクアビットでも飲みたい気分だと、なぞるようにメロディを口ずさむと遠い記憶が蘇るようだった。



「……」

「「……」」

「俺は、1個にしとけと言ったぞ」

「「ごめんなさい」」


 バスルームから溢れ出す泡を前に、双子はそろって頭を下げた。




「明日から仕事だ。先に寝てろ。俺は泡掃除のついでにシャワーを浴びてくる」


 ジムが暖かな色の間接照明だけ残し室内灯を落とすと部屋はぼんやりとした柔らかな闇になった。結局ひとつのベッドにもぐりこんだ二人がジムを見る。


「うん。おやすみ、ジム」

「ああ。おやすみ、エリック」

「おやすみ、お父さん」

「……おやすみ。フレッド」


 頭まですっぽりともぐりこんだ暖かな布団の中で、互いの両手の指を絡めて2人は温もりを確かめ合う。目の前にある互いの瞳は、淡く青く発光していた。


「次、どの曲にする?」

「もうファーストアルバムからずっと脳内再生してるよ」

「あ。ここのソロ! 何度聴いてもすごいかっこいい」

「うん。僕もそう思う。ねえ、どう思う?」

『悪くない。イイ性格してそうなギター・ソロだな』

「神様もイリヤのギターが好きで良かった!」

『フレッド、何度も言ってるだろう。俺はカミサマなんてもんじゃない』

「じゃあなんて呼んだらいいの?」

『俺に名前はない。必要ないからな』

「俺様」

『なに?』

「あなたは俺様」

「おれさま! おれさまおれさま」

フレッドが何度か呼びかける。何がそんなに楽しいのか、双子は「いいね」「いいでしょ」ときゃっきゃと笑う。

『・・・・・・』


二人の頭の中で、溜息をつく音が聴こえた。

 しばらくするとフレッドはお気に入りのバラードを聴きながら寝息を立て始めた。エリックは弟の柔らかな頭を撫でる。



♪たとえ世界が 白い光につつまれても

♪おまえの眠りをさまたげることがないよう この闇色の翼をひろげよう


「ねえ」

『なんだ』

「話せた?」

『なんのことだ』

「話しができるか行ってきたんでしょ。東京この街と」



♪安らかに 安らかに 静穏なひととき

♪おまえが目覚めるそのときまで この静謐な翼をひろげよう

♪……




クラブのにぎにぎしい光のダンスフロアに、最近のヒットチャートからリミックスされたダンスチューンが流れる。音楽、人の声、物音。無秩序に音が交じり合う騒々しさを気にすることなく男はグラスを傾けながら鼻歌を歌っていた。その男の隣に座った客がズブロッカのソーダ割りをバーテンに頼んだ。


「久し振りだな、タケシ。良く分かったな」


 曲の最後をハミングしていた男は、隣を見ずに声をかけた。


「耳の調子は相変わらずさ」


 タケシ、と呼ばれた男の答えにグラスを持つ手を止めた男は口の端を持ち上げて笑った。


「お前のその曲、終わりができたのか?」

「ああ。なかなかいいエンディングだろう。ある男の終幕エンドのメロディってやつだ」

「ある男? なんだお前、他人に編曲させたのか」


バーテンがカウンターに置いたグラスをタケシは口に運んだ。


「お前も知っている銀髪の老人シルバーグレイだよ。俺たちに手を加える時も、眺める時も、あの男、気付けば何か口ずさんでいただろう? あいつが最期に俺によこしたのがこの曲のラストさ。悪くなかったんでいただいた」


あの時。自分が現れる前にそんなやりとりがあったとは。タケシはまた一口酒を飲む。隣の男は同じもの、と言ってタリスカーを注文した。


「……なあ。あの男、殺したよな」

「どうした? 記憶に問題でも出ているのか?」

「いや」

「あいつの頭が粉々に吹き飛ぶのをお前も目の前で見ていただろう?」

「ああ」


二人の男は、それぞれ正面にぞろりとならぶ酒のボトルやグラスを眺めながら独り言のように話しをつづける。


「……あいつの音。あいつが口ずさんでいた曲を俺は今でもときどき聴くんだ。聴くたびに、殺らなきゃ、あの音を消さなきゃって気になる。あの悪魔の音を」

「おまえ大丈夫か? 幻聴でも現れてるんじゃないか」

「幻聴じゃない。目の前で、ステージや裏手で、ギタリストの男が弾くんだよ。今流れているこの曲もそいつのだ」


 男はダンスフロアに意識を向けた。リミックスされてはいるが、たしかにこの国に来てから街中で何度か聴いたことのある曲だった。繁華街のでかいモニタでこの曲をバックにバンドのプロモーション映像か何かが流れていたのも覚えている。なんというバンドだったか。そうだ。Darkside of the moon と言ったか。月の裏側からやってきたという謳い文句のバンド。楽曲も演奏も悪くはないがふざけた連中だと思った。


「……」

「そいつは仕事の客で悪いやつじゃない。普段はなんとも思わん。仕事の付き合いで誘われれば酒を飲みにいったりもする。だけど、そいつが時折奏でる音を聴くと、あの頃が蘇る……」

「生きてる人間なら問題ない。わざわざリスクを犯して消す必要もないだろう。それよりタケシ。こんなところにいつまでもいないで、お前も俺たちと来い」

「俺はようやくこの国に帰ってこれたんだ。二度と踏むことはないと思っていた祖国だよ。それに俺は今の生活が気に入っている」

「追われる身でもか? やつらは諦めはしない。捕まれば最期だぞ。この世界のどこにも俺たちの居場所なんてない。だがな。これから俺たちはつくるんだ。俺たちが安らげる場所を。この世界をぶち壊して」


 タケシが空になったグラスをカウンターに置くと氷が音を立てたが、その音はクラブの喧騒に掻き消され、タケシと隣の男の耳にしか届かなかった。



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