雪原脳花

AIは夢を見たいと願うのか
Hatter
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06.18:vicenda #18

公開日時: 2021年9月30日(木) 08:10
文字数:3,120

“変化 動揺#18”


 既に30分近くが経過していた。

『フレッド、いったいどこに……』


 たまには外で食事がしたいとロンがブライアンにしつこく食い下がったお願いが功を奏し、久しぶりに皆で街に出掛けることになった。潜入先で日本の顧客に飲みに連れて行かれ、いたく気に入ったロンが案内した店は賑わっていた。「ギョーカイのやつらもよく利用するらしいぜ!」と、覚えた日本語を片言織り交ぜながら得意げに話すたびにホリーに肘鉄を食らってわき腹を押さえていた。日本家屋をイメージした店は全ての席を個室のように障子や引き戸で仕切っていたが、隣近所で何度も起こる乾杯の音頭も、大騒ぎしている大広間の座敷も竹で出来た格子枠と和紙越しに見えた。ロンたち6人が通された座敷は会計に通じる廊下に面しており、多くの客が通りすぎていったが奥で大騒ぎしていた集団が、3次会、3次会と騒ぎながら通り過ぎていくと突然フレッドが立ち上がり座敷を出て行った。

「フレッド?」

エリックは半分絡んでへばりついていたロンを引き剥がすとフレッドのあとを追った。障子を閉める向こうで自分を呼ぶジムの声と「トイレぐらい一人でいけよーブラコーン」と酔った声のロンがはたかれる音が聞こえた。

『フレッド。待って』脳内で呼びかけるが応答がない。追いかけた先では、フレッドがエントランスですでに靴を履き外に出て行くところだった。

「待って。フレッド」

引きとめようと声を発したがそれもフレッドには聞こえていないのか振り返ることもせず店を出て行ってしまった。エリックは言い知れぬ焦りを感じ始めていた。近くにいた店の日本人スタッフに早く自分の靴を出してほしいと頼んだが、自分が相手に合わせた言語、日本語ではなく英語デフォルトで話していることにすら気が付かなかった。いつもと違う。胸騒ぎがする。自分の心臓の音がこんなにもはっきりと聞こえるほど、エリックの中は静かだった。弟の声も、そしていつもだったらとっくに弟の挙動に起きだしているも何も聞こえてこなかった。

 焦りのまま、ジムに報告すると言うプロセスも放棄して急いでエレベータへと乗り込んだ。エレベータを降り夜の街へ出ると、既にフレッドの姿はそこにはなかった。

『フレッド、どこ? 何してるの』

 エリックは姿の見えない弟に向けて発信し、その視界にコネクトする。いつもなら “待つ” と言う時間を感じずに展開される弟の視界の映像が、今は “何かがおかしい” と感じるほどに時間がかかる。ようやく接続リンクした映像は、多くの人間が行き交うなか、おそらくフレッドが追っている数人の集団が中心に捉えられた視界だったが、それがいつものクリアなものではなく小さな黒い染みがゆっくりと、だが確かに数を増していることに胸騒ぎは大きくなる一方だった。落ち着けと自分に言い聞かせて、エリックは単独でフレッドを追うことにした。

この歩行専用区域はそんなに広くはない。モバイルを取り出してマップを展開する。視えているフレッドの映像情報から位置を割り出す。

『フレッド』

何度も名を呼ぶが返事がない。こんなにもフレッドを遠くに感じたことはなかった。いいようのない不安の中『怪獣ジャバウォックがいた』とだけ。ただそれだけがノイズ混じりのメロディとともに聴こえた。


これはなんの曲? 怪獣ジャバウォック

『フレッド、追うな。止まって。僕を待って』

勤めて冷静にエリックは伝えたがフレッドは応えず手の中のモバイルが鳴った。もどかしげに通話ボタンを押す。

「はい」

「エリックか。どうした。フレッドは一緒か?」

ジムの声が遠くに聞こえる。

「フレッドがいない。え……」

「……フレッドの視界が追えないのか?」

「……」

「エリック? 説明しろ」

「ごめん。ジム。あとで」

エリックは今起こっている現実を突きつけられた気がして一方的に通話を切った。人混みを避けて歩き出すが、フレッドの眼を通して視る世界をゆっくりと黒い染みが覆っていく。その視界からあふれ出した黒い液体が自分の目の前さえも侵食してくる感覚に襲われはじめていた。

 


『どこにいるの、フレッド』

店を出てから30分近くが過ぎてなお、エリックはフレッドに追いつけないでいた。フレッドの視界にいる一人の男が、その先にいた集団からいつの間にか距離が出来て最後尾となった人間に近寄った。向こうから連れ立って歩いていた仲間の一人が走って来て二人の間に入ったのが見えた。3人で話していると思いきや、最後尾にいた人間はふらふらとどこかへ行ってしまい、残された男二人は離れ、一人は消えた男を追い、もう一人はフレッドこちらの方へと向かってきた。フレッドは動かなかった。

『追っていたのはこの人間?』

 視界に映る相手、観光客らしき男はフレッドの正面に立つと酔ってでもいるのか楽しげな声で尋ねてきた。

peek-a-booいないいないばあ! やあ。どうしたの? 迷子? 僕をお父さんと間違えてついてきちゃったとか? 困ったね。キミのお父さんはどこだろうね」

男がそう言ってフレッドに手を差し出してきたとき、ノイズの中響いていたメロディを引き裂く亀裂音とともに、視界に出来た無数の黒い染みは怪獣となってその姿を現した。

Booバァ!”

『フレッド!!』


フレッドの視界から飛び出してきた怪物が接続するエリックの視界を歪めた。平衡感覚を失いふらふらとする姿に、すれ違う人間たちから、ちらちらとしたささやかな “興味”  “感心”  “心配” の気配が絡み付いてくるのを感じ、エリックは大通りを離れ路地に身を隠した。怪獣は目の前の通りの光を食べフレッドの視界も自分の視界も闇に閉ざしてしまった。闇の次に訪れたのは脳内を駆け巡る音と映像、記憶、過去に消去された記憶の残骸メモリーデブリ、蓄えられた情報が噴出し暴走する嵐だった。激しい頭痛と吐き気がこみ上げてくる。エリックは混乱し、ただただ助けを呼んだ。自分の脳に潜む声に向けて。しかしいつも応えてくれる声が今は何も聴こえない。立っていることも出来ず、背を壁に預けるとずるずるとそのまま座り込んだ。訳もわからず涙が溢れ、痛みと苦痛による叫びは、せめてもと塞いだ手の隙間からうめき声として漏れた。

「えっと……すみません。誰か、いる? 俺、今、すっごい気持ちいいの。多分。だってさ、世界、だぜ? 俺たちが世界を回す、いや、回る、回される? いや、この受身は良くないよなあ……ねえ?」

およそ似つかわしくない、ぼんやりとした声がふらふらと通りから近付いてきた。

「何か苦しそうな音が聴こえたんだよね……君かな? 大丈夫? おいで。わんこ、いやにゃんこかな」

酒臭い息を吐きながら、まごうかたなき酔っ払いは、すとん、と座り込むと頭を抱えてうずくまるエリックを覗き込んだ。小動物にするように掌を差し出すとおいでおいでと手招きをする。動くことも出来ず荒い息を繰り返すエリックに、酔っ払いはそろそろと近寄ると、小首をかしげた。

「怪我してるの? 俺ね、こう見えてね、医者なの。いや、ほんとなの。診せてごらんて――」

酔っ払いの声は、苦痛の中で不思議と穏やかに響いた。声が、と言うよりも音が響いた気がした。その音が苦痛を和らげてくれるような気がして、エリックはおそるおそる顔を上げると自分を見つめる目と目が合った。それと同時に、脳内で制御不能になっていた情報の嵐はぱたりと暴れるのをやめた。静かになった脳内からは、いつもの声が自分の名を呼んでいるのが聴こえてきた。

「おやあ、君の目、青く光ってるよ。こりゃ、本当に子猫にゃんこだ」

酒の勢いか、さして驚いた様子もなく酔っ払いは、淡い光りを発する眼のエリックの頬に触れた。

「泣かなくても大丈夫だよ」

差し出された手に小さな子供のように手を伸ばす自分の姿がフレッドの視界を通して見えた。横を見れば息を切らせたフレッドが立っていた。


 


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