雪原脳花

AIは夢を見たいと願うのか
Hatter
Hatter

05.07.03:attacca #3

公開日時: 2021年9月9日(木) 08:10
文字数:1,482

“楽章の間を切れ間なく演奏する#3”


 ジムは人の多いエントランスには向かわず、角を曲がり奥まった廊下を抜けると人気のない静かな待合室の一角で、ブライアンとホリー、ロンの3人がジムの到着を待っていた。

ジムを見つけたロンが手を振ると、ホリーは口ずさんでいた Hello(♪M#1)を止めて振り返った。


「無事か」


 開口一番、本当に心配そうなブライアンが立ち上がって声を掛ける。


「ああ」

ジムはブライアンの声を聴き、そして3人の姿を見てようやく本当の現実いつもに戻れた気がした。


「どうだった?」

「煙草が吸いたくなった」

「それはいつものことだろ」

「そうだな。・・・・・・料理がしたくなった」


 ジムは片手でポケットの中に入っていた煙草を取り出した。口に咥えようと顔に近付ければ、独特の香りが漂う。いつもの嗅ぎなれた匂いのはずなのに、やけに新鮮に感じられた。


「隊長、チェシャネコにみたいに空中に消えなくて良かったっす! あれ、その箱なんすか?」


 目ざとくロンがジムの持つ箱を見つけた。向かい合っていた椅子からジムのそばの椅子までそろりと近寄ると、そこに両膝をついて乗る。


 ネコ・・・・・・。

 ネコはお前だ。

 言ってやりたかったが、ネコに反応して勘違いを装ってでも、その辺の空中に出現してきそうな化け猫を呼び出すようなことは絶対にしたくなかったし、そもそもそんなことを考えている自分は、よっぽど脳が疲弊している。早く煙草を吸って落ち着かせ、正常な状態に戻さなければ、とジムは考えていた。

 元より自分は不思議な世界の食べ物を食べるつもりもない。ジムは、ロンの前に箱を差し出した。


「・・・・・・美味うまいらしいぞ」

「え! いいんすか! 俺、腹減っちゃって!」


 ジムは頷くとロンに箱を渡した。ロンは頬ずりしながら「超いいにおいがする!」と箱のふたに手を掛けたところで、ブライアンに「待て」をかけられた。


「ロン、今食うなよ。ここは、飲食禁止だ。後でにしろ」

「えぇぇぇぇぇぇ」


ブライアンの注意にロンは腹の底から悲痛な声を上げ、泣き崩れた。


「うまいものはな、後で食う方がもっとうまくなるんだぞ」

「そうっすよね・・・・・・うまいの、食べたいっす」


 フォローを忘れないブライアンに鼻声でロンは応えると箱を胸に抱きしめた。


「お前も。ここ、禁煙だから。と言うかな、もとから禁煙だけどな。全フロア」


 ブライアンがわざとらしく、壁に埋め込まれたディスプレイに表示された “No smoking(禁煙)” を指差す。


 証拠が残るような真似は決してしない。バレるはずはない。

 が、度々ここで吸ったのは事実だった。


「・・・・・・」


 ちらりとロンを見れば、新しく付けられたらしい天井のセンサーと向こうはしのカメラを指差し首を振った。どうやら死角はないらしい。ジムは小さく嘆息し、取り出した煙草をしまった。煙草の匂いが遠く離れていくのが恨めしい。ふと視線の先に座るホリーを見れば、ホリーはじっと前を、これから開かれる扉を見つめていた。


「ホリー」


 ジムが声をかけるといつもの強気なホリーの目が振り返ってジムを見る。ジムはこの目を好ましく思っていたが、それを伝えたことはない。その目が、今はどこか落ち着かない。ブライアンとロンも、いつも通りに振舞ってはいるが、エリックやフレッドを迎えに行く前は、皆、いつもどこか落ち着かない。双子と過ごす時間が増えれば増えるほど、3人は分かりやすく内心穏やかではなさそうだった。


 理由はわかっている。

 

 俺たちは、双子と初めて会った時を覚えている。


 俺たちは、双子が記憶を消された時を覚えている。


 俺たちは、双子の消された記憶を覚えている。


 初対面の、どこかはにかむような顔を覚えている。






♪M#1:Hello

2015年にリリースされた、Adele(アデル)の楽曲。

この曲のミュージックビデオは、当時、Youtubeで10億回の再生回数を最速で記録するなどした。


https://youtu.be/YQHsXMglC9A

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