”だんだん速度をはやく#4”
世界に名だたるヤーコンクス科学技術省と、ベンヌ製薬会社がガッツリとデキていて半国営とも言えるのは、その筋の人間なら誰でも知っている。そして、ヤーコンクスが貴重な外貨を稼ぐ為の資源が、技術だけじゃないことも。
最大の資源は、昔から人的輸出だ。その昔は傭兵を、労働力を。今では、それに加えて、技術者と、そして近年飛躍的に需要が向上した代理母たち。それは、裏口、ベンヌを通して裏世界でも荒稼ぎしていると言っていい。
高く評価される科学力、輸出される技術、技術者、そして代理母。このキーワードに加え、表にも裏にも窓口を持つベンヌ以上に、作戦に相応しい場所はないだろう。表の世界でも裏の世界でも、両面、どちらの世界でもヤーコンクスの利用価値は高く、だがそれは絶妙なバランスで維持されている。
そうだ。バランスだ。
バランスはいつだって危うさを抱えている。完璧で揺るがない均衡など存在しない。
バランスを歪め、その歪みにつけこみ、更なるパワーバランスを築くための人形を作るのは、昔から俺の仕事じゃないか。
『君は私の期待を裏切らず、良く働いている。何か欲しいものはあるか?』
『……』
『君たちの実験は成功例として完了に近い。ジム、君はその後を考えたことはあるか?』
『……』
低いが良く響く声の大佐が、おかしなことを言っている、どうやら自分に、要望や未来の選択を尋ねているらしい。
俺が俺の未来を選択することを許しているのか?からかっているだけか?
意表を突かれた時のことをジムは思い出していた。自分へのからかいよりも、実験の完了とは、俺たちを元の場所へと戻すのか、と、先ずはそれを問い質すと、大佐は『戻れるとでも思っているのか?』そう言って笑った。
実験の完了。
大佐の猟犬とは呼ばれるが、その実体を知っているのは極一部に過ぎない。存在も実験も不可視化され、俺たちは、ここにいるが、どこにもいない、巧妙にあの世とこの世を混ぜた、犬と言うより、白でも黒でもない、灰色の幽霊扱いになっている。
まさか、その幽霊を、あの世から現世に呼び出し、正式部隊として認めさせる気か?
有りえない。
あの世とこの世を繋げようなどと。認められるはずがない。
この世の人間は、自分たち以外の世界の存在など認めない。
幽霊とはそういう存在として、バランスは保たれている。そう思った。
だが、この目の前の、高級そうな革のソファに悠然と座る男は、ベンヌ、ヤーコンクス、そのバックドアの向こうの世界を、王を獲ることで世界を、バランスを、覆すつもりか。
それとも、光と闇と、両面の世界を手に入れるとでも?
なんて強欲さだ。
チェス盤の上に、用意されたパーティ。
パーティの目玉は、盆に載せた砂糖菓子。誰もが我れ先にと欲する、甘い甘いとびきりの餌。それは、世界を、人類の歴史を揺るがし、その波紋は未だ落ち着くことのないGATERSに関する未発表の、しかも公には出来ない先進技術。そして、それを運ぶのは、黒ならぬ灰色の幽霊犬が主人の為に紐を掛け、仕立てた人形たち。
そうか。
ヤーコンクスに仕掛ける前の布石は、シャルヴァー王国。あのパペットの出番だ。
ジムの脳裏では、キーを外した気色の悪い饒舌な語りが散らかした情報を起点に、目まぐるしく保存されていたデータ同士が接続を始め、幽霊の痕跡のように点在していただけの過去の任務が、今や、整然とした回路図のように結ばれ始めていた。目の裏で通電したそれは視覚にまで現れてきそうな勢いだ。
やはり、気まぐれで音はかき鳴らされていたわけじゃない。俺たちが仕事をする間、その裏で旋律は、ずっと流れていたわけだ。
ニヤリとでもしたいところだったが、ジムの表情筋は微動だにしなかった。
「でも、相手はベンヌ。そんな簡単に売り込めるわけないっすよね?」
痛みから立ち直ったのか、スモアをかじりながら、ロンがもっともなことを言う。
「ロン、日本でのチャリティライブの仕事の前、あの大臣を覚えているか?」
ロンは眉を一つ上げると、さも嫌そうな、悪臭を嗅いだ猫のような顔をした。
「変態ばかりを相手にする仕事でも、最悪の一つでしたよ。だけど、あの変態野郎はヤーコンクスの隣、シャルバーの大臣っすよね? シャルバーはヤーコンクスのお隣さんですけど、経由先にするには、無理がないですか?」
「あの野郎、ようやくパペットとして動いたのか? あいつらがあれだけ痛めつけられたんだ。ちゃんと動いたんだろうな?」
ロンの発言に賛同したブライアンは身を乗り出しだ。
「雑魚も生餌もたいして動かないなら死んでいるのと同じ。それじゃ役に立たないでしょうから、殺してきます。彼ら以上の痛みを味わってもらってから」
突然、静かだったホリーは、スモアを毒々しい色合いの液体で喉へ流し込むと、口の端についたチョコをペロリと舐め、ちょっとそこまでお使いに、と暗殺を宣言しはじめた。ロンがそろりと、また少しホリーから距離を取り、机に落ちたスモアの破片をそ知らぬ顔で床に落として靴で踏み、ブライアンが、もう一つ食うか? これでも食って、まあ落ち着け、とスモアを渡すのを見て、ジムは続けた。
「ヤーコンクスは非常に厄介な国だ。表では正式に国連に参加し当たり前に他国と国交を結んでいるが、その外交力が裏の世界でも発揮されているのは俺たちにとっては日常会話だな。特異な立場を確立し両世界に重宝がられている分、とにかくタチが悪い。両面の敵国同士が、ヤーコンクスと言う鏡を挟んで睨み合っているようなもんだ。ヤーコンクスを利用したくても、絶対的優位に立つ事が出来ず、事が起きれば厄介。だから直接手を出さずシャルヴァーを利用することにしたんだろう。シャルヴァー王国と、ヤーコンクス共和国は、歴史的に因縁深いからな」
「あの辺、昔はひとつの国だったんすよね」
ロンの発言に、ホリーがブライアンから渡されたスモアを手から落として固まった。だが、落下するスモアのテーブル激突を、腕だけが生きた別の動物のようにつかみとった反射神経はさすがというべきか。
「あんだよ」
「あんたが、地理と歴史を語るなんて……」
「……なんだよ、ホリー。俺が出来る男だって今更気付いたのか?」
「あんたのその空気程度の軽さしかない思考と性格、心底羨ましいわ」
「そうだろう。そうだろう。羨ましいだろう。何せお前はアタマもカラダもかっちかちだからな。チーター並みの体脂肪率か? 水にも浮かねーんじゃねーのか?」
「それだけアタマが軽いと、重心の位置が悪くて転ぶのも当然だわ。SAIでも埋めてもらえば少しは機能するかも」
「SAIが何で出来てるか知らないのか。そうか、出来る男が教えてやろう。ナノマシンだ。重量はほぼない。残念、バラストにはならない。それにSAIは成長した脳には定着出来ないって、単細胞な白服もやしたちが日中日夜毎夜毎晩、悩みまくってハゲていっているだろうが。いい気味だ。それに空っぽだったら、そもそも寄生する場所がないだろが」
ゴホンとブライアンがわざとらしく咳払いをし、目だけを動かしてジムを指し示す。二人がちらりと見たジムの顔は、やはりいつもと同じく凪いでいたが、その目を見た二人は、瞬時に静かになった。
「もういいのか?」
ジムから発せられた穏やかな口調は、二人の首が落ちるのではと言うぐらい上下に激しく振らせた。静かになったことを確認し、ジムは話しを続けることにした。
「ロンの言う通り、元々あの地帯は一つの国だったが、豊かな資源を巡り、争いを続け、結果分裂したのは歴史の記すところだし、今でも片隅では、小国の泥沼化した紛争やら小競り合いが続いているのは知っているな。その中で、ヤーコンクス共和国とシャルヴァー王国は隣同士、天然資源も昔は両国とも豊富だった。両国は互いに高い科学力、それに負けないライバル意識を持ち合わせていたが、シャルヴァーの方が、統治する人間の倫理観が高かったのかもしれん。逆に、止まることを知らないヤーコンクスは、更なる強国となるべく、資源と技術を武器や兵力といった軍事力に投資し、一時は世界屈指の軍事国家とまで言われたそうだ。だが、歯止めの利かない政策のせいで、資源は枯渇。瞬く間に国土の砂漠化が進んでいった。近代に至っては、資源はほぼ、シャルヴァー側にしか残ってないと言われている。それでもヤーコンクスは、兵器を売り捌いていたルートを使って、兵器を作る技術と技術者と、それを使う兵隊たち、売りに出す商品を、物から人へと換えて生き残った。時を経て、今回のパーティの題目である代理母は、ヤーコンクスがブランドにさえなっている。元々、輸出ルートは、表裏どちらも確保していただろうし、人間も物も、裏世界の方がレートが良いのは知れたこと。国家的バックドアが出来たのは当然の成り行きかもな」
「シャルヴァーは、一触即発の弾薬庫を抱え続けているわけか」
ジムは冷めたコーヒーを飲みながら頷いた。
「シャルヴァーは、隣に弾薬庫を抱えながらも豊かな資源で、他国と友好的かつ中立的立場で歴史を築いてきた。ヤーコンクスとは大昔に交わした条約により、水面下では絶えず牽制し合っているものの、表面上は、それなりの顔をして付き合っている。特に近年の比較的良好な関係のバランスをうまく保っていたのが、現シャルヴァー王だが、病に臥して数年、国政も外交も安定に陰りが見え始め、回復が芳しくないと噂される今、内政事情も微妙だ。王位継承権は第一王子にあるにしろ、第二、第三と続く勢力が狙ってないわけじゃない。と言うのは、この前の大臣を見ればわかるだろう」
ジムは圧死したマシュマロの山を眺めた。転がり落ちそうな一つが、はみ出したマシュマロが最後の命綱とでもいいたげに、隣のクラッカーに張り付いている。ジムは食べるつもりはないが、ふと、その一つを手にとってやろうかという気がおきた。が、その後の展開が容易く描き出され、やめた。崩れるスモアタワーをネタに、ロンとホリーのじゃれあいを誘発するのは得策じゃない。この後、双子を迎えに行く予定も入っているのだ。
「価値あるだけの仕事、したんですか」
暗殺ターゲットの命の値踏みでもするように、ホリーは先を促した。
「少なくとも、今回の作戦が終わるまでは生かしておいてもいいぐらいには、な」
後は好きにしろ、とでもジムは言いたげで、また一つ、ブライアンがわざとらしく咳払いをした。ジムは、さして気にする風でもなく、まあ、いつも通り俺の想定だが。こんなファイルじゃ何も見えやしない。と、宙に浮いていたファイルを指で弾き飛ばして消した。
ロンは、宙に浮いていたリアルな画像を、いとも簡単に消し飛ばすジムの指先を見ていた。
何も知らされず、何も聞かされず、何を考えるかさえ必要とされない。ただ、命令に従い、命令通りに実行することを延々と繰り返す、死ぬほど詰まらないゲームの中で、“今日も死ななかった。” と、感動もなく確認する。
死ぬまで、決まった台詞を繰り返すゲームキャラクターのようだった自分にとって、ジムが語る想定は、何よりも現実を感じられた。
ジムは見聞きした些細な情報が自動的にストックされていくと言う、本人曰く、“癖”があり、それをパズルのように組み立て、想定世界のフローチャートや設計図を作りあげる “情報統合能力” これはブライアンが命名した、を持っていた。ジムの想定とは、ジムが得た情報で構築された世界だった。
想定を現実として受け入れることは、ある意味、ジムの世界に存在するようなものかもしれないが、ロンも、恐らくここに座る2人も、それでいいと思っていた。誰も口に出すことは無かったが。ジムの世界は、外の人間たちが世界と呼ぶ何よりも、自分たちの存在を確かなものにしていたから。
ジムは幽霊の住処、さしずめホーンテッド・ハウス。しかもここには、幽霊も驚くキュートな幽霊……ややこしいな……そうだな。キュートな怪物ちゃんたちがいる……。
ロンは楽しそうに喉を鳴らした。
「ヤーコンクスにお前たちを直接潜り込ませるほど、上は能天気じゃなかったようだ。今回の作戦、シャルバーが布石だ。だからあそこまでしても、あの大臣の首に糸を巻きつけ、人形にする必要があった。糸を手繰り寄せ、王子に操り糸を引っ掛けるためにも」
ホリーから一瞬殺気が立ち上り、ギリと奥歯を噛むように拳が硬く握られたことに三人は気付いたが、誰も何も言わなかった。ジムは凪いだまま、静かに話しを続けた。
「ヤーコンクスとシャルバーの薄氷を踏むような関係に、シャルバーの燻りつつあるお家騒動。この絶好のチャンスに演出を加えてやろう。まずは前座だ。シャルバーの第一王子が、現王に比べ、若く野心的であると、表裏どちらの世界にもアピールするのはそう難しいことじゃない。現王の倫理重視を古いと切り捨て、ヤーコンクスと張るだけの自国の科学技術を、倫理と言う足枷で封じ込めているのは国にとって不利益であると、新たな力を得て国をより高みへ率いて行くと声高に叫べば、靡く人間は少なくないだろう。よくある話じゃないか。これと言って目新しくもないありきたりの前座だが、首尾よくこなしたところで、新たな力、GATERSに関する最新技術をシャルバーが秘密裏に開発に成功させたと、実しやかに、それも裏の世界だけに話が流れたらどうだ?」
「ヤーコンクスが黙っちゃいないな」
「過去からの因縁がある中、十八番まで持っていかれちゃ、面子も未来も丸つぶれ。裏口全開放してでも奪うっすよねぇ」
「ヤーコンクスの裏口からの手招きにより、シャルバー側の開発者は裏切り、そして煙のように姿を消して、不幸にもその技術はヤーコンクスの闇に飲まれる……と言う筋書きは、陳腐だが、効果覿面だと思わないか?秘密裏の開発が仇になり、表沙汰にすることも出来ず地団駄を踏むシャルヴァーを横目に、裏世界へ手っ取り早く自国の最新技術としてお披露目会をする」
ロンが口笛を吹いた。
「裏の世界にだけ、噂を流すってのが、イヤらしくてくすぐりますね。そんなことすれば、裏だけでなく、表でも、あっちやら、こっちやらの連中が、飛びつきそうなネタになりますもん……あぁ。もしかして……そういうこと、なんすか……」
「何も戦争屋だけじゃない。裏も表も国も分野も、色んな人形を作って来たよなあ」
「今まで作ってきた人形が一斉に動き出す……?」
ああ。お前たちにも見えるのか?
俺たち幽霊の痕跡、腐った水鏡の向こうで蠢いていた人形どもが、死の舞踏曲にでも合わせて踊りながら這い出てくるのが。
だが。その指揮棒を振っているのは、本当に大佐だろうか。
ジムは、ステージで不恰好に踊る人形たちの顔を、ひとつひとつ確認する。
お前も。お前も。お前も。俺は忘れないぜ、お前たちの顔。
ジムは、人形に変えてきた人間たちの間をすり抜け、ふと立ち止まって振り返ると、一際高い場所に設えられた指揮台の上で、実に楽しげに指揮をする男が見えた。
なんだ。指揮棒なんて持っちゃいないんだな。
長い両の腕が悠々と振られ、その指先からは光を反射しながら銀に光る無数の糸が伸びている。ふと、男が自分を見た気がした。男がジムの方へと腕を振ると、人形たちが、一斉にジムの方を向く。その群れの中から、骨がぶつかるような不快な音を立て、一体の人形が不気味に関節を曲げながら踊り出てくる。人形は、腐りかけた体を揺らし、それでも自己主張するような垂れ下がった腹を突き出して、ジムの目の前まで来るとピタリとその動きを止めた。
お前か。大臣。
ジムは人形を一瞥し、群舞の向こうを見る。スポットライトの下で笑う男は、はっきりとジムを見据えていた。その瞳に捕らえられる前に、ジムは闇色の緞帳を下ろした。
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