”昼 日の光#5”
「温かい紅茶に変えるよ?」
「これでいい。変えてもらっても、慰めるわけじゃない」
「酷いヤツ」
本当に泣きそうな顔をしながらも、ウィステリアは俺に新しい紅茶を用意した。
「あんたじゃなきゃ、誰が作ったんだ」
「もう傷をえぐるの?!」
「質問に答えるといったのは、あんただろう」
俺が冷たいカップをソーサーに戻しながらそう言えば、高そうなタキシードの袖で鼻をすする男は「知らない」と言った。・・・・・・ように聞こえた。
・・・・・・。
知らない、と言ったか?
「あは。さすがの君でもちょっと動揺したかな? 顔からは全くわかんないけどね!」
死んでもカヴァラドッシにはなれそうもない目の前の男の中で何が起きたかは知る由もないし、知りたくもないが悲しみの淵から蘇った変人の顔は笑顔に戻っていた。
どうしたらそんなに表情が挙動不審になるのか・・・・・・知りたくもないな。
「でも、嘘じゃない。SAIの基礎理論を書いた人間はわからないんだ。ある日その論文は突如として現れ、そして忽然と消えた。当時それを見た研究者たちは、その論文を “プロメーテウスの火” なんて呼んでね。笑っちゃうよね。学術論文に神話のコードネームをつけたがるなんて、全く学者なんてみんな夢見がち。でも残念ながらそいつらはその火を継ぐことはできず、夢と潰えちゃったわけ。これまた傑作で、そいつら何て言ってたと思う? “あれを書いたのは、人間ではなく人知を超えた何かかもしれない” だって! 仮にも科学者って名乗ってる奴らがだよ? ちょっとここ、笑うところなんだけど? 何? 紅茶のお代わり?」
違う。
次に何かを寄越すなら、灰皿を寄越せ。
何なら、その手に持ったポットでもいい。寄越せ。
俺が、ニコチンとタールの抽出液をお前のカップに注いでやろう。
俺の考えなど明後日の方向で、前の男は「まだ入っているじゃない。せめて飲んでからお代わりって言ってよね。あ。言ってないか。もー表情から読み取れないんだから、せめて声を出してくれる? 不貞腐れた子供だってもう少しね・・・・・・」勝手に喋り続けていた。
俺はこの変人が誰かの前でこの調子で延々と喋り続け、もしかすると歌でも歌って “時間の無駄” の呪いを受けているのではないかと思い始めた。この不思議な空間では、脳を現実から引き剥がす遠心力が変人を中心に働いているに違いない。
だがそいつに言ってやりたい。その呪い、色々間違っているぞ。
無限ループの茶会を呪いにしたと言うなら、変人には祝福になっている。
むしろ、今、その呪いを受けているのは俺だ。
それとも何か。誰だか知らんが、俺に呪いをかけようってのか?
俺は、生きて還る。
「煙草」
「何?」
「煙草を吸わせてくれ。
「断る」
初めて見る生真面目を貼り付けたような顔で、変人はつい先程、俺が言った台詞を言い切った。
しかしどうやら、その顔は数秒ともたないようで、次の瞬間にはチェシャネコに変わると「傑作、だよね? 笑うところだよ?」と、心なしか勝ち誇った様子で笑った。
・・・・・・殺す。
俺はそれとわからないよう、テーブルの上の磨き上げられた高価な銀のナイフに目を走らせた。
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