雪原脳花

AIは夢を見たいと願うのか
Hatter
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06.20:vicenda #20

公開日時: 2021年10月2日(土) 08:10
文字数:9,638

“変化 動揺#20”


国連会議が開催されている会議場から程近い駐車場で、デイヴィ・グレアムは待っていた車に乗り込んだ。

「お疲れ様です」

運転席に座る髪を束ねた女はバックミラー越しにグレアムをねぎらった。その顔は、いつだったか友達と見に行った映画の若いスターにとても良く似ていた。身に着けているチフォネリのスーツが良く似合う。そう言えば最近映画を見ていない。あの俳優はいまどうしているのだろう。

「ああ。疲れたよ。この仕事もラクじゃないな」

いつもの若く溌剌とした声は疲労を帯びていた。グレアムはネクタイをといてシートへ放ると首元を緩めた。

「大学へ行かれますか」

「いや。平盛教授と話すことはもうないよ。もう少し数を挙げて欲しかったところだが。あとは貴重なサンプルを確実にまわすよう動かすだけだ」

「それでは社に戻られますか?」

「イベント会場に向かってくれ。最後にもう一度くどきたいんだ」

「承知致しました」

運転手は静かに車を出した。

 


■■■


 

 幸運にもチャリティボトルのJackpot大当たりを引き当てた当選者たちは、このビッグイベントの最後を飾るフィナーレのリハーサル裏を見学するとあって興奮したようすでスタッフの誘導に従いメイン・ステージの裏側でツアーの開始を待ちわびていた。その中に、闇月のキャップをかぶったエリックとフレッドの姿もあった。

ツアーはリハーサル作業の邪魔にならないよう動線が引かれた通路をスタッフに案内されながら見て回るだけといえばそれだけだったが、滅多に立ち入ることが出来ないステージの裏側、さらにこの規模のイベントと言えば一般人からすれば殊更別世界の通路であり、双子の前の集団にいる女性カップルは、彼女たちがリスペクトするアーティストがここを通ったかもしれないと感極まっていた。その後ろでは芸能オタクかリポーターかと言う勢いで男が周囲のツアー参加者に薀蓄をひたすら語っていた。

「フィナーレの出演者は皆超大物ですからリハーサルには出てこないと思いますよ。身内でスタンドインさせるんですよ。しかし、いやあすごいなあ。わかりますか。アーティストが最高のパフォーマンスを我々に見せられるのは、ここにいるスタッフたちのお陰ですよ。つまり我々は表に見えている主役だけじゃなく、それを支えるスタッフ、裏方こそ大きな拍手と賞賛で労うべきなんです」

男の話になんとなくつられた面々は、ステージ上でその周囲で慌しく作業するスタッフたちを眺めた。その中に火煙師タケシ・ヤングの姿があった。

 フィナーレはカーテンコールのように、メイン・ステージを飾った全てのアーティストたちが、次々と現れては最後の挨拶として1曲披露する。タケシはちょうど Darkside と前後の出演者との切り替えを確認をしているところだった。双子は耳を澄まし、タケシ一点へと集中した。

『視える?』

『うん。よく視える』

『聴こえる?』

『うん。よく聴こえる。タイミングの確認中。ちょうどイリヤたちが退場するところ。暗転の代わりにパイロと宙空投影でステージを炎で覆って、次のアーティストの登場の演出に繋げるんだって』

『たいそう派手だな』

『だって Darkside の次に登場するのってメタ……』

『『観たいーーーー!』』

世界的なメタルバンドの登場を想像して双子は頬を紅潮させた。

『おいおい。集中しろ。あいつ本番はここにいないみたいだぞ』

『あ、本当だ。セッティングだけしてあとはあの今喋ってる隣の人に任せるって言ってる。タイミングとか全部プログラム済みだし、リモートで指示も出せるから大丈夫、だって』

『花火? そうか。メインアクト、ヘッドライナーのステージの後、フィナーレまでの時間稼ぎに花火を上げるんだね。そっちに行くんだ』

『パイロのプログラムはあそこか。見てくる』

『うまく乗って侵入できる?』

『この電波だらけの世界で俺が乗れないわけがないだろ。侵入できるかだと? 俺を何様だと?』

『『俺様』』

舌打でもしそうな相手に双子は顔を合わせて笑った。

「ぼうやたち、遅れないでついてきて」

獲物ターゲットに集中するあまり双子は他の参加者から遅れてしまい、気付いた女性スタッフが駆けよって注意しようとしたが、二人の瞳に見つめられ戦意喪失、連日の激務の疲れも吹き飛ぶ勢いでにこやかに二人専属のエスコートと化した。


 ツアーを終えた双子は興奮さめやらぬままメイン会場をあとにした。フードコートで待ち合わせしていたジムを見つけると、フレッドはお腹が減ったとジムにへばりついた。食料を小脇に抱え、溶けてしまうからとスーパーガリガリ純国産果汁トリプルカラー、ブルーライトヨコハマあいすくりん、国産あずき&ずんだバーを口にくわえて大通りの歩道を3人は歩いた。シールドの向こうを自転車、車両が平行して走りぬけていく。口から3色のアイスをはみ出させながらフレッドはツアーのようすを熱心にジムに語った。エリックは笑いながら時折訂正をいれてはフレッドの頬を膨らませ、やがて3人は地下街への入口を下っていった。

 

「おやおや。あの子じゃないか。父親がみつかったらしいが、まさかジム、お前だったとはな」

窓の外の過ぎ去る景色を眺めていたグレアムが突然口を開いた。

「何かご覧になったのですか」

「ああ。目はいいからね。そこの歩道に犬がいたんだ。大きな犬が子犬を連れてね」

「犬ですか」

運転手にその心当たりはなかったし、会場へ入る手前でスピードを落としているとはいえ、車は一度も止まってはいない。

「……お前はまだ何も知ることなく犬のまま親子ごっこを楽しんでいるのか? いや、犬のお前は子守というところか」

青年の翳った顔から絞り出された言葉は、若者の苦悶とはおよそ類の異なる不釣合いな呻きだった。運転手は何も言わず、車を駐車場へ停めた。

 グレアムはジャケットとシャツを脱いでネクタイの上に放ると、車内に用意したあったカジュアルなTシャツと小物を身に付けモバイルとジャケットを手に車を降りようとドアに手を伸ばした。

「待っててくれ。すぐに戻る」

「デイヴィ様。そのままでは……」

ミラー越しに運転手と目が合ったグレアムは「おっと。うっかりしてた。年は取りたくないもんだな」とシートに戻ると両手で自分の顔を隠し、しばらくしてからゆっくりその手を開いた。


“peek-a-boo”


鏡の中の運転手にグレアムは目尻に皺をつくって目配せすると「行って来る」と言って車を降りた。その顔を見た運転手はやはり映画の主人公だと思ったがそれは幼い頃、母と見に行った映画の中のエキゾチックな雰囲気の漂うベテラン俳優の顔だった。

 

 


 花火の打ち上げ場所での作業に向かっていたタケシは、人間には聴こえない帯域の音に呼ばれ、ひとけのない資材置き場へと入り「来たぞ」と一言発すると物陰からラフな姿で黒髪のデイヴィが姿を現した。

「何があった」

モバイルに連絡してくるわけでもなく、こんな場所へわざわざ誰にも気付かれない方法で呼び出すからには憂慮すべき状況ということなのだろう。タケシは端的に用件を尋ねた。

「タケシ俺と今すぐ一緒に来い。この前話した犬の目当ては間違いなくお前だ。今日まで無事ってことは仕掛けてくるのは恐らく今夜、この場所だ」

「……」

「どうした。あいつらに俺はまだ見えていない。今ならお前を連れていける」

「今はだめだ。俺は約束を果たしたい。それに犬が来ているならなおさら……最後にもう一度だけ見ておきたいものもある」

「次のチャンスを待てばいい」

デイヴィの言葉に、タケシは自嘲するような笑いを薄く漏らした。

「次っていつだ。明日がいとも簡単に消えることをお前も知ってるだろう。それに俺はあの音を消しさりたい。静寂を手に入れたいんだ」

「……」

タケシは黙ったデイヴィの顔を真っ直ぐにみた。昔の知り合いの面影はそこにはなかったが、同じ地獄から這いずり出た仲間としてひどく無念だとその顔は訴えていた。仲間に対する情の厚さは変わらんなとタケシは思った。

「すまない。だが俺は今夜望みを叶えたらここを去る。お前が言うように逃げるよ。だから今は、お前は俺に構わず行け。お前まで嗅ぎつけられることはない」

「タケシ……お前をあいつらに渡すわけにはいかないんだ。意味はわかるな」

 デイヴィの深く低い声はタケシの耳に静かに響いた。

 

 

 ホテルに戻り、双子に仮眠を取らせたジムは Rugiet を通してミーティングを始めた。

「捕獲のタイミングはフィナーレ。仕掛けるのは Darkside から次の出演者が出てくるタイミングだ。上手かみてのギタリストを囮に使う。理由はわからんが獲物ターゲットはこいつを狙っている。こちらの罠にはまらなくても構わないが、用意しておくぶんには構わないだろう。罠は双子たちが取得したデータを元にちょっとした餌をまくだけだ。餌の用意はロンが、リップサービスはホリーが行け」

“了解”

“了解っす”

イベント会場の3人は周囲に気付かれぬよう Rujet を通して骨伝導でジムの話しを聴いていた。独り言は最低限にする為、舌打会話(tsking)を使い応答する。

 

「ブライアンはやつの逃走経路をしぼれ。その後双子を回収して搬出路の車で待機」

「ホリー、獲物が罠にかかったときは切穴で囮を落としたあとロンと合流して追い立てろ」

「箱詰めは俺がやる」

3人からの了解を確認すると最後にジムはいつもの指示を出した。

「どこかでしくじったら、お前たち、わかってるな。双子を連れて脱出ポイントへ向かえ。最優先事項、双子を死守し自分が生きることを考えて逃げろ。いいな」

通信を終えるとジムは煙草に火を点けた。背後のベッドでもぞもぞと音がする。

「イリヤを囮にするの?」

「聴いていたのか」

ジムが振り返ると双子が目を覚まして起き上がり、そろいの姿でこちらを見ていた。

「お前たち。大切なギタリストから目を離すなよ。万が一、計画を外れて獲物がそっちへ向かったときは、すぐに俺に連絡を。計画通り獲物が罠にかかったときは、ホリーへ開けゴマオープンセサミを唱えるタイミング、間違えるなよ」



■■■


 

 いよいよ始まる最終日のメインイベント、そしてフィナーレに向け、メイン・ステージの周囲は騒然としていた。

「フレイムテックさん? お忙しいところすみません。Darkside のハケるタイミングから次のグループの転換まで、パイロ側の最終確認お願いしても宜しいですか?」

主催者側のIDを付けたスタッフはタケシまで案内してくれた作業中の女性スタッフに礼を言ってモバイルを差し出した。

「ああ」

タブレットにある緻密なノードツリーフローを確認したタケシは「問題ない」とサインした。

「有難うございます」

そういって小柄なスタッフは次の確認作業、宙空投影チームがいる場所へと向かっていった。

“ジム。獲物は罠に”

ホリーは Rujet経由ので舌打会話(tsking)で簡潔にジムに伝えた。ジムからは短く「了解」と返って来た。

 


 

 月の無い夜。だが明るい大都市の夜では空の星は遠く輝く。

ヘッドライナーであるAvianが至高の歌声で天をも振るわせたと感じさせる響きに合わせ上空に花火が打ちあがった。きらびやかにまたたく火の花は、ステージの光にも似てそして闇に静かに消えていく。そしてまるで空から無数の星が散らばり降ってくるような仕掛け花火に、観客は皆息を飲んで魅入った。星屑が空から舞い降りるとイベント会場全体で大喝采が起き、その拍手喝采がようやく落ち着き始めた頃、メイン・ステージではフィナーレが始まった。名だたる世界のスターたちが、次々とステージに現れては終焉の挨拶とばかりに短くではあるが1曲を披露して、次の出演者へと移り変わっていく。そして総司会が Darkside を紹介すると歓声の中彼らはステージに現れた。




落ちたな。

俺、落ちたわ。


横たわった入谷は身動き一つせず考えていた。

フィナーレ用に短く編曲した CN X をいつも通り完璧に弾いて――葉山のヤツ感極まって声をギターにかぶせてきたな……後で一言いっとかなきゃな――あとは颯爽と退場するだけだった。最高潮にいい気分で。

なのに俺は今。

奈落に落ちている。真っ暗などんぞこ。

歌と酒だけがままならない現実世界どんぞこからの逃避。ゴーリキーかよ。


入谷の前に、落ちた穴から豪華な火炎が上がるのが見えた。


わぁ。まさに業火。焼かれて死ぬわ。

だじゃれてる場合じゃねーけど。


入谷は理解した。この切穴に落ちなければ、あの炎の中に自分がいたことを。ギターの無事を確認し痛む背中をさすりながら身を起こすと、次のアーティストが登場してきたらしく頭上の切穴は閉ざされた。ギターも無事だが、身体のどこも骨折はないらしい。デビューしてからライブを重ねるごとに豪華になった衣装。最近では重た過ぎて苦言を呈したくなるぶ厚い生地が幾分かクッションとなったようだった。だがその下には、申し訳なさ程度ではあるが機材用の緩衝材や資材梱包材が何層にも積まれていた。


偶然じゃない。誰かが俺を落とした


入谷は事件を考えるよりもまずこの奈落から出ようと、薄暗い光が見える方へそろりと歩きだそうとしたとき暗闇に光る眼をみつけた。本番と言うアドレナリンが出ているせいなのか不思議と恐怖はわかなかった。

「君は……あのときのにゃんこだね。もう、どこも痛まない?」

光る2つの眼に話しかけながら、驚かさないように入谷はその距離を縮めることにした。

「あいててて。俺は、超痛い……」

青く光る眼がさらに増え4つになる。

「二人……こんなところにいるなんて。もしかして怪我でもして隠れてる?」

淡く青い光がそろって左右に揺れる。

「そうか。良かった。君たちにゃんこは一般ってわけじゃないね。もしかして俺を助けに来てくれたの?」

痛む腰と背中をさすりながら入谷は慎重に近付いていった。光る眼の持ち主たちの姿が確認できるほど近付くとギターを背中に回し気をつけながら膝を折って視線の高さを合わせた。

「君たち双子だったんだ。君たちの眼、とてもきれい。ありがとう2人とも。助けてくれて」

入谷は何の疑問も持たず、自分を助けたのはこの二人だと確信して二人をそっと抱きしめた。エリックとフレッドは何も言わず抱きしめられていたが、そっと体を離し自分たちの額を入谷の頭に触れさせた。

「「さようなら……さん」」

エリックとフレッドは同時に入谷から離れると、暗闇の向こうへと消えてしまった。

「待って!」

入谷の叫んだ声は、奈落の上、天上ステージの爆音に掻き消された。



■■■


 

失敗した。何だってあのタイミングで落ちるんだ。


タケシはスタッフ、荷物、業者、一般客の障害物によって自然と自分が搬入出エリアへ誘導されていることに気付いていなかった。ただ確実に自分を追う犬の足音を聴いていた。

「追いかけっこはおしまいだ」

階段を駆け下りたタケシの目の前に、ジムが飛び降りてきた。驚く間も無く伸ばされた腕が喉を締め上げ、そのまま小柄なタケシを片手で地面から離すと大腿部に針を突き刺した。同時に薬剤が投入され十数秒足らずでタケシの抵抗する力は途絶えた。呼吸が止まる前に首を緩め床に降ろすとジムはその辺で拝借してきた超強力万能補修テープで、後ろ手にタケシを縛り上げた。足の動きを封じるため、関節に負荷をかけながらテープで巻き上げようとしたところ、吹き返すはずのない息が戻り、ばねのように跳ね上がった身体からジムの目の前を剃刀のような蹴りが空を切った。投与した薬剤は本部から届けられたものだった。


どういう用量計算してる。

ジムは溜息をついた。


タケシは腕のテープを外そうとするが、無理に力を加えれば靭帯が断裂する巻かれ方に唸り声を挙げる。

「手間をかけさせないでくれ」

ジムはそう言うと、一瞬で相手との間合いを詰めタケシの足を払った。もんどりを打ち頭と背骨の地面への直撃を襟首を掴んで避け転がすと「すまんな」と言って、素早く袖の内部に隠し持っていたナイフで相手の両足の筋を切った。激痛の叫びを掌で口を覆って塞ぐ。暴れる獲物の切った箇所をテープで圧迫し、自由を奪うべく膝を折り曲げ固定し始めたタケシが声を上げた。

「お前の音聴こえてるぞ! 撃て! 俺の頭を吹き飛ばせ! 俺を人間のまま殺してくれ!」

タケシが誰に叫けんだのかジムにはわからなかったが、その叫びに応えるようにサプレッサーが装着された銃から弾丸が撃ち込まれた。ジムはタケシを遮蔽物の陰へ引きずり込んだ。弾丸は頭部ではなく肩を撃ち抜いていた。

『隊長!』

「獲物が狙撃された。ロン、見えるか?」

『援護するっす』

「ホリー、来い。箱詰めはもうすぐ完了だ。運び出せ」

『了解です』

捕縛した獲物を搬送する大型の機材ケースに放り込もうとするが、息も絶え絶えのタケシは、遮蔽物から自分の頭部をさらけ出そうと、もがき這いずる。

何故動ける。足の筋は断った。

「聴こえるだろ……俺はここだ。俺は人間だ……」

ジムは疑問を感じながらも、惨めな手負いの獲物を捕らえ今度こそ身動き出来ないように縛り上げた。タケシが震えながら、顔を歪めて笑う。

「お前、ジムって言うのか。そうか。お前が揺らがないジムか。お前は何が聞きたいんだ」

「誰と話している」

最後の言葉にほんの一瞬ジムの動きが止まった。その目の前に黒髪の男が音も立てずに現れ腕を払うとジムと同様に腕に仕込んでいたのか、ジャケットの袖口から姿を現した独特の弧を持つグルカナイフククリがジムを切り裂いた。

「俺さ」

ジムの目の前が赤くなる。ほんの数ミリ避けそこなった刃は、ジムの瞼を切り裂いた。

「よくよけたな」

ナイフと逆の手に持った銃でタケシの頭部を狙う腕をジムの足が狙い、その弾道をそらす。そのまま間合いをつめ、ジムもナイフを振るう。短い風きり音のなか、金属がぶつかる独特の音が混じる。視界の悪さを音と経験かんでカバーするが切り裂かれる箇所は増え続けた。ジムが舌打をする。ジムが首元に寄った刃を回避したすきをついて男が発砲したが弾丸はタケシの頭を破壊することなく跳ねた。

劣勢にまわりながらも、ジムはタケシを相手の死角に隠して動き裏から回ったホリーが獲物を回収していた。

黒髪の男は顔を歪め、タケシのための銃をジムに向けた。

「終わりだ」

引き金を引こうとした男の手に釘が数本立て続けに突き刺さる。驚いた男の頭部にしたたかにジムは回し蹴りを食らわした。ふらりと相手の身体は揺れたが狙った脳震盪は起きなかったらしい。怒りの形相で、ジムに、そして釘を打ち込んだ相手に立て続けに発砲した。ジムは舌打をするとその場を離脱し、ホリーを追った。

『了解っす。畜生! まともな銃さえありゃ負けねえのに! いくら改造したってネイルガンじゃ分が悪すぎ!』

Rujetの向こうで、ロンが悔しがる声が聴こえた。



■■■


 

 都内にあるNeoGene日本法人のヘリポートから荷物を積んだ大型輸送用ヘリが飛び立った。しばらくして箱から出した獲物に「おとなしくしてろ」と言って、ホリーに押さえつけさせながらジムは動けば関節破壊を起こす拘束を解いた。タケシは暴れることなく大人しく指示に従った。命令オーダーの通り “生かしたなるべくきれいな状態” の為「効くかわからんが」と言って鎮痛剤を打ち傷の手当てをしようとしたジムは自分が切り裂いた足と正体不明の恐らくタケシの仲間の男の弾丸が抉った肩を見て、ホリーと目を合わせた。強気なホリーの目は “どういうこと?” と口ほどに伝えてきた。

足も肩も出血はすでになく、切り裂いた足は真新しい細胞で傷口が覆われ太い蚯蚓腫れ状になっていた。抉られた肩は、今まさに修復の真っ再中だった。

「そっちのおじょうちゃんは驚いたみたいだが、お前は驚かないんだな。さすが揺るがないジムってことか」

タケシは憔悴した顔で笑った。ジムはそれには答えず、それでも傷口に所定の応急処置をすると拘束服を着せた。ホリーに休んでおけと伝えたジムはタケシと二人になった。

「大した時間じゃないが横になるか」

ジムの言葉に今度はタケシが驚いたようだった。

「優しいんだな。それとも俺が哀れか。だったら外を見せてくれ」

ジムが窓のシールドを開けると LIVE BAN AID 会場が見えた。イベントの最後を飾るに相応しく最高潮に盛り上がっているようで、夜の街に出現した巨大な光のドームのように輝いていた。血なまぐさい裏世界から、華やかな光の世界が見えた。境界は見えないに等しく、その世界の隔たりは、永劫に近い。

「花火、きれいだったろ。“Twinkle-teinkle-littlestar”  お前との約束守れてよかったよ」

窓の外をのぞくタケシは誰に向けてか、一人つぶやいた。ジムは静かにその姿を眺めていた。自分よりも若いこの男からは疑問が次から次へと浮かぶ。あの傷の治りをジムは知っていた。そして異常な傷の治りより違和感を感じるのは、肉体よりもその精神なかみだ。

「ジム。お前、何が聞きたいんだ。答えてやれることなら答えてやるよ」

窓の外を見たままのタケシは、今度ははっきりとジムに問いかけた。

「あの男は誰だ。仲間か」

「昔のな。昔のことなんで、名前も忘れちまったよ」

「お前はなんであのギタリストを焼き殺そうとしたんだ?」

仲間がいるなら罠にはまらずにいれば逃げられたかもしれないのに。

「……あいつのあの音はな。ずっと俺の中で鳴り続けてた音だ。あの音を聴くと、怪物が目を覚ましそうになる。全てを壊せって誘われる。悪魔の囁きみたいなもんだ。俺は怪物じゃない。人間だ。だから消そうと思ったんだ。だが、入谷あいつが悪いわけじゃないから、罪も無い人間を殺そうとした俺はやっぱり誘われちまって下手をうったわけか」

「あのギタリストの音は特別なのか」

「人間はみんなそれぞれ音を持ってるんだぜ。お前もな。だがあの音は……俺は昔聴いたんだ。あの音を。俺がこんな身体になる時に。あの野郎は神じゃなきゃ、悪魔。人間じゃないって専らの噂だった。ただの噂だったけどな」

「どういうことだ」

「死んだからさ。殺したんだよ俺たちが。あそこを逃げ出すときに、殺して、破壊して、そして野郎の頭を吹き飛ばしきっちり死体にしてやった。死ぬなら、人間だろ?」

タケシは、窓の外を眺めたまま鼻歌を口ずさみ始めた。

「……待て。お前、その歌、なぜ知ってるんだ?」

「仲間が良く歌っていたからさ。戦闘の後、生き残った後に」

「仲間……デイヴィか?」

タケシは何度も終わりの無い曲のフレーズを繰り返しながら頷いた。

「いつだ? いつその人間に会った」

「7、8年は経つか」

「そんなはずはない。アイツはその何年も前に半身不随になった。俺は見舞いにも行ったんだ。現場に出られるような身体じゃない」

「……お前もドッグヤード出身か。俺は廃棄される寸前だった。しくじって身体半分吹き飛ばしちまって。で、処分される犬と同じ運命になるはずだったんだが、さっきの話、破壊した施設で吹き飛んだ身体が返って来たんだ。デイヴィにはそこで会った。あいつはポイントを稼ぎ終えたが復讐のために来たと言っていた」

タケシは、自分と同じ出身のジムの顔を見て話し始めた。

「たいそうなおまけつきの新しい身体は俺たちに地獄の苦しみと力を与えたが、人間として死ぬ選択の権利を奪っていった。俺はもう60近くになるってのにこんな姿だ。だが、今夜見たかったものが見れたからこの身体も悪くなかったな」

「60?」

ジムは自分の耳を疑った。

「俺は嘘をついていないぜ、ボーヤ」

タケシはその顔の年齢不相応の表情を見せて顔を歪めて笑った。ジムは違和感の正体を思い知った。表に見える姿現象見えない裏の姿本質の乖離。

『ジム。あと10分ほどで着くぞ』

ブライアンからRuget経由の通信が入った。

「わかった」とジムが呟く。

東京湾の上空をすべるようにヘリは飛ぶ。眼下の蠢く闇のような海を眺めてタケシは最後にジムに告げた。

「ジム。お前は知らないだろうが、この曲には終わりがあるんだ。いつか聴けるだろうから楽しみにな」

そしてまたタケシは終わりの無い曲を口ずさみ始めた。






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