雪原脳花

AIは夢を見たいと願うのか
Hatter
Hatter

06.04:vicenda #4

公開日時: 2021年9月16日(木) 08:10
文字数:2,224

“変化 動揺#4”


 到着ロビーは、地上に降りた天使とも謳われる世界的シンガーを一目見ようと集まった人々でごった返していた。動線確保の為に置かれたパーティションシールドのギリギリまでファンとマスコミが押し寄せ、主役と主役を囲む一群は、周囲をけるSPとともにゆっくりと進んでいく。その膨れ上がった群集の制御の為に、空港警備、空港警察までが動員されていた。空港警備員の脇には、ロボット犬ガードドッグまでもが行儀よく待機している。

 フレッドが人だかりで出来た壁に沿うように走り、ようやくシンガーたちが立ち止まった場所にたどり着いたときには、Avianはすでに挨拶を済ませ、短い時間ですが、と詫びた後ファンへの感謝の気持ちとして、宙空に投影されたファンたちからのメッセージや質問に答えている最中だった。地声ですら聞き入りたくなるようなその美しい声が聴こえてくるものの、姿は人壁によって殆ど遮られているフレッドは、その姿が見たい一心で、シンガーに集中し、まるで自分は見えていないかのような人間たちの隙間に潜り込もうとしていた。


「フレッド」


追いついてきたエリックが、半分からだを大人たちの隙間に突っ込んでいたフレッドの腕を掴み、引っ張り出した。


「エリック……」


「何やってるの。早く戻ろう」


「見たいんだもん。あのAvianがそこにいるんだよ?」


「……仕事で見られかもしれない」


「仕事なんて……裏側からこっそりのぞくだけでしょ。彼を見ている僕を見てもらったり、僕がかけた声に返事をもらえたりなんて絶対出来ない向こう側の話でしょ。僕のこと、今なら普通に、こっちの世界の人たちみたいに、見てもらったり笑いかけてもらえるかもしれない」


エリックは掴んだ弟の手に少し力をこめたが、フレッドはその手を振りほどこうとはせず、手は下げられたままだった。


「行こう」


エリックは弟の手を引いた。後ろ髪をひかれる思いのフレッドの足取りは重かったが、それでものろのろとその場を離れることにした。


「僕が迷子になるって、はぐれてひとりになるって思ったの?」


人だかりから少し離れ、騒ぎが何かと気にしながらも足早に行き交う人間の誰一人として身体を掠めることなく、すり抜けるように双子は歩く。


「なりっこない。どこにいたって視えるから。僕にはお前の見ているものが」


「僕はひとりにならないから安心だね」


「当たり前。でも勝手に行っちゃうのはダメだ。仕事以外でも。何かあったら困るだろ」


「うん。ごめん」


「ジムにも言いなよ、それ」


「うん。言う」


壁の向こうでは「それでは移動します」と、同行しているプロモーターが謝辞とともにファンサービスの終了を告げ、人々は口々にシンガーの名前を連呼し始めた。その声に応えるように、静かに歌が響く。



♪je ne t'oublierai jamais(I will never forget you)


♪Où es-tu?(Where are you?)


♪Qu'entends-tu? (What do you hear?)


♪Que veux-tu entendre?(what do you want to hear?)



 大人しく手をひかれて歩いていたフレッドが足を止めた。エリックがふりむくと、響く歌声に立ちすくんだフレッドの目から涙がこぼれる。


「フレッド……」


兄の問いかけに、弟は下を向いた。ぱたぱたと床に涙の粒が散らばった。


「僕見たかったんだ。エリックと一緒に。僕が見ればエリックも見られるでしょ」


泣き出した弟の顔をすくい上げ、エリックは困ったような顔を見せた。


「泣かないでよ、フレッド」


「う……ごめん」


エリックがフレッドの涙を指で優しく払うと、フレッドもパーカーの袖でごしごしと顔をぬぐった。


フレッドが「もう、だいじょうぶ」と言い、今度は並んで歩き始めた二人の背後で、歌は続く。



♪Bien que mes ailes aient été perdues(Although my wings have been lost)


♪Que ma voix vous atteigne (May my voice reach you)


♪je chante (I sing )



 透き通る声が、雑然とした空気の振動を滑らかにを覆いつくす。静かに煌く音に、群衆に苦言を呈していたビジネスマンもその足を止めた。ショップやサービスカウンターにいる客やそのスタッフまでもが聴き入っているようで、騒然としたロビーはほんの束の間、静謐なコンサートホールとなったようにその歌声は端々まで波を広げ、くたびれた審査官から思い掛けずこぼれ出た名に呼び起こされた過去と長時間のフライトに、煙草が吸いたい、とスーツケースの横で息子たちの戻りを待ちながら思う父親のところまで響いた。


歌が終わり、一瞬の無音の後、割れんばかりの拍手が人で出来た壁だけでなく、そこかしこから沸いた。


「エリック」


「ん?」


「さっきの歌」


「うん」


「誰に歌った歌なんだろう」


「さぁ。誰かな」


「僕はエリックに歌うね」


「そんな必要ないよ。歌わないといけないほど僕たちは離れたりしない。僕たちの手が離れないようにって、そうと契約したじゃないか。彼が現れたときに」


「神様の声とね」


「神様かどうかはわからないけど」


エリックは笑う。


「だからフレッド。心配する必要ない」


「うん」


エリックが握るその手をフレッドは強く握り返し、二人はジムを見つけると走って行った。


エリックから話しを聞き、フレッドが涙をためて謝った「ごめんなさい」にジムは大きくため息を吐くと、一言「行くぞ」と言った。





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