空は灰色で。
どこまでも、灰色で。
灰色の、一寸の隙も許さないといった厚い雲は、明度を落とした白色の雪原の上に、ただただ、だだっ広く覆い被さり、延々、雪原と鈍いコントラストを続け、行く手を遮る風は、幾度となく僕の足を止めた。短く息を吐き出し、両足の感覚を確認した後、未だ見えない彼方に目をやると、混ざってしまいそうな、しかし決して交わることのない空と雪の境界が、永遠と思える程に遥か先まで続いていた。肺から吐き出された空気が、目の前にもやりと白く生きている証を浮かばせると、視界の先の永遠は滲み、あっさり曖昧になった。この世界の境界は、どこかで同じように曖昧になっているのかもしれないと、ぼんやり思う。
『そんなら目指す先も、とうにぼやけて消えちまってるかもなぁ。この極寒の中、そんな場所にわざわざ行くとは、ご苦労なこった』
欠伸混じりの声が頭の中で響く。
極寒と言うけど、あなたに外気温はあまり関係なさそう。ちらりと浮かんだ思いは、はっきりとした思考という形になる前に、にわかにたつ雪煙のように有耶無耶にした。
そう。全く。ぼやき通しの彼の言う通りだ。
だけど、そんなおぼろげで頼りない望みに僕は、また進み始める。
だが、暫く歩けば深い雪は容赦なく足に絡みつき、動けなくなった足を引き抜こうとして、大きく体勢を崩し斜面へと流れそうになった僕の腕を、伸ばされた手が捕らえた。星の囁きでも聴こえて来そうな寒さに、その人の体内から大きく吐き出された息は、僕の目の前で凍った。
ああ。何故、この人はついてきたんだろう。
何故、この人がついてくるのを、止めなかったんだろう。
今度は、僕が吐き出した息が目の前で凍った。
目の前が、白い。
この人は、意思が強いから、僕が何かを言ったところで止められなかっただろうけど。
欺いてでも、空音を吐いてでも、この意思を無視すれば良かったのに。これは、僕たちが終止符を打つ話であって、この人は巻き込まれて良い人ではなかったのに。
目の前が、見えない。
何故、僕はこの人と。今、ここにいるのだろう。
視界を隔てる白い煙は、僕が吐き出したものだろうか。それともこの人の呼吸だろうか。
とても曖昧だ。何もかもが曖昧だ。
僕の思惑が伝わったわけでもないだろうに、捕まれた腕が強く握られ引き寄せられた。そして、ああ、と。僕は確信する。この世界で、きっとこの人は明確なんだ。その意思が。そして、“彼” もまた明確だ。その存在が。
曖昧な僕たちの、明確な意思と存在。
あるべきものの為に、僕はきっとその為に。ここにいる。
暫くして、白と灰色の世界に、瞬きながら無数の雪片が舞い降りてきた。
思わず息を呑み、手を差し伸べる。雲の中で成長した氷晶は、美しい幾何学模様を描いて、手の上で融けることなくその形を保っていた。核となった物質のせいか、キラキラと光る氷の結晶は、まるでクリスマスの装飾の様だった。この場には不釣合いな美しさのはずなのに、僕はこの白銀の下に何があるのかを知っているのに、この小さく煌く美しさは世界に存在を約束されていて、必然なのかとすら思えた。
けれど、息を吹きかけたらあっけなく融けてしまった。ほんの束の間の液体は、触手の様に四方へ広がろうとしたけど、あっという間に凍りついた。落ちてきた時とは物質すら違うのではと思う程に変わり果て歪んだその姿を見ながら、何とも言えない感情が湧き上がる気配に、足元の白い世界へ掌を返すと、空へと伸びたまま凍りついたのか、雪原から突き出された氷の花弁の中へ落ちていった。
周りを見渡せば、無数の凍りついた氷花が雪煙の合間に見え隠れしていた。空を舞う、美しい雪花とは相容れない、歪な地上の花たち。何を思い、この空へ手を伸ばしたのだろう。僕と同じく、美しい光を掴もうとでもしたのだろうか。
顔を上げると、同じように雪花を見上げていた人は僕に向き、手を差し伸べた。その顔は、防寒服に覆われて、良くは見えないけど、きっと歩き出した時と同じように、なんて事はない普通の顔をしているんだろう。
その手を取って、握り返される感触を確かめる。この人の音と同じく鮮明で確かな存在を確かめる。
だけど、周りはもう。
灰と白の世界が境界を失う程、氷晶の花に覆い尽くされ、奪われていた。
音も聴こえない程に――。
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